イケオジで名医ですが、そうは見えません
イケオジが人懐っこい笑顔で挨拶をする。
「Ciao。アナタが白霧ゆずりん先生ですカ?」
「柚鈴です」
反射的にムッとした顔で訂正したが、私は慌てて微笑んだ。
医者も最初の印象が大事。そのため、営業スマイルはかかさない。
私の前に現れたイケオジは、五十代ぐらいだった。
デニムのテーラードジャケットに、白いチノパン。白髪交じりの茶髪を頭に撫でつけ、目元に深いシワを刻んだオシャレ紳士。
甘い顔立ちに、しっかりとした体格。色素が薄い茶色の瞳は、黒鷺に似て……
と、ここで私は重要なことを思い出した。
「もしかして、Drリク・アイロネーロ!?」
「Si、その通りです。でも、ドクターいらないですヨ。リクと呼んでください」
満面の笑みで答えられ、私は頭を下げた。
「失礼しました! 白霧柚鈴です! 今回は突然の依頼に応えていただき、ありがとうございます」
「緊張しないで。リラックス、リラックス」
「は、はい」
頷いたものの、リラックスなどできるはずがない。
固まっている私の肩をリクが軽く叩いた。
「リラックスするために、コーヒー飲みましょう。カフェはどこですカ?」
「コ、コーヒー? いえ、それより手術の話を……」
「父さん」
リクの背後から黒鷺が姿を現す。
黒髪を風になびかせ、涼やかな目に端正な顔はいつも通り。そこに、襟元と袖口に黒い線が入った襟つき白シャツと、紺色のスリムパンツという姿。
この親にして、この子ありという姿を具現化したような、オシャレ親子。
(……オシャレって遺伝するの?)
私はそんなことを考えながら黒鷺に訊ねた。
「黒鷺君は、どうして病院に?」
リク医師だけが来院する予定だったのだが。
「父のことだから、雑談ばかりで話しが進まなくなると思い、ついてきました。あと、念のため通訳として」
「通訳?」
「父はたまに、イタリア語が出るので」
そこまで説明すると、黒鷺がリクの背中を押した。
「ほら。時間がないんだから、さっさと仕事する!」
「ちょっとぐらい、お嬢さんとおしゃべりしてもいいデショ?」
「え? お嬢さんって、私?」
「Si。そうですヨ」
「で、でも私、お嬢さんっていう年でもないし」
お嬢さんなんて言われたの、初めてだから、嬉しいような、こそばゆいような、複雑な気持ち。
私が困惑していると、黒鷺が呆れた視線を投げてきた。
「本気にしたらダメですよ。父は息をするように女性に声をかけ、食事をするように女性を口説きますから」
「そういえば、イタリア人……」
ハッとした私をリクが否定する。
「Non、Non。女性に声をかけるのは当然のこと。それが美しい人なら、なおのこと」
「はい、はい。それより、さっさと仕事する。ゆずりん先生も」
「だから、私の名前は柚鈴だって!」
気が付けば周囲の人たちからの視線が集まっている。
「と、とにかく入りましょう!」
私は二人を連れて移動した。
手術室にやってきた私は、ここにある設備や器材などを説明した。
リクが頷きながら拍手する。
「素晴らしい手術室ですネ。あと、私が持参する道具を滅菌してほしいのですが、できますか?」
「前日に渡してもらえれば、滅菌しておきます」
「Grazie。では、問題ありません」
「では、これから……」
私はカンファレンスルームに灯里と灯里の両親を呼んだ。
四畳ほどの小さな個室。六人掛けのテーブルと椅子がある。端には説明用のモニターとパソコン。
そこに私たちは灯里たちと向かい合うように座った。灯里の両親が初めて見るリクと黒鷺を神妙な顔で見つめる。一応、前もって説明はしていたのだが。
私は隣に座っているリクを紹介した。
「こちらが今回、手術をしていただけることになった、リク・アイロネーロ医師です」
「Ciao。リク・アイロネーロです。よろしくお願いします」
「は、はあ」
リクが差し出した手を灯里の父親が握る。その表情は戸惑いが隠しきれていない。
一方で、ずっとリクを見続けている灯里に私は声をかけた。
「前にも説明したけど、灯里ちゃんの病気を治す手術がとても難しくて、私では出来ないの。でも、この先生なら出来るから大丈夫よ」
そこでやっと灯里の目が黒鷺から隣へ移動した。
「おじさんも先生なの?」
「Si。|Bimba carina」
「ビンバカリーナ?」
「イタリア語で可愛いお嬢さん、という意味です」
黒鷺が自然に通訳したが、灯里の両親の視線は微妙だった。病院の制服も白衣も着ていない黒鷺は謎人物になる。
そのことを思い出した私は慌てて説明をした。
「リク医師はイタリア人でして、言葉が分からない時は、彼が通訳をします」
灯里の目が煌めき、嬉しそうに声を上げる。
「通訳さん!? カッコいい! じゃあ、さっきから言ってる、シィは?」
「イエスという意味です」
「そうなんだぁ」
灯里が尊敬の眼差しで黒鷺を見つめる。
(というか、これはカッコいい芸能人を前にした憧れか……もしくは恋する少女の目かも。あ、父親からの嫉妬の視線が。そんなに睨まなくても、誰も娘さんをとりませんよ)
私は心の中で呟きながら、パソコンを操作した。
「今回の手術について説明します。こちらが灯里ちゃんの脳の血管の3D画像になります」
大きな血管から細い糸のような血管まで映し出された、詳細な3D画像。その一部を拡大する。
「灯里ちゃんの病気は、脳の血管の一部が肥大し、近くの神経を刺激するため痙攣が起きます。そのため、薬で神経が過敏に反応しないようにしていました。ですが、成長とともに血管は大きくなります。そのため、薬での治療は限界があります」
父親が画面を覗き込む。
「それで、どのように手術をするのですか?」
「一般的には神経を刺激している血管を潰します。その血管を潰しても、他の血管から血液が供給されるので、普通は大丈夫です。ですが、灯里ちゃんには、他の血管がありません。いえ、一応あるのですが、細すぎて必要量の血液が送れないのです」
「え?」
「そもそも、普通は他の血管があるので、この血管がここまで大きくなることもありません。ですから、神経を刺激することもないのです」
「なら、どうして、この子だけ……」
母親の絶望したような声が落ちる。通夜のように暗くなるカンファレンスルーム。
だが、リクがその空気を飛ばすように、人差し指を振った。
「大丈夫。ワタシが治しますネ」
「ですが、血管は潰せないんですよね?」
父親の質問に私は頷いた。
「はい。そこでリク医師が考案した手術法をおこないます」
「それは、どういうものですか?」
私は手術の内容を説明して、両親と灯里から同意を得た。
残る問題は手術痕だけ。手術で切るのは頭皮だから、傷痕は髪で隠れる。でも、できるだけ傷は残したくない。
「あいつに頼むかぁ」
予定通りにカンファレンスを終え、リクと黒鷺を見送った私は医局へと足を運んだ。
※※※※
数日後の手術室。緊張からか、いつもより寒く感じる。ピリッとした空気にモニター音。
手術室特有の雰囲気。
そこに、脳外科と小児科の医師たちが集まっている。いや、他の科の医師もおり、病院内のほとんどの医師がここにいるような状態……あ、一人呼び出された。
後ろ髪を引かれるように手術室から出ていく。
手術衣を着た私は、胸の前で腕を組んでその様子を眺めていた。
「最後の仕上げは、あいつの了承を得られたから大丈夫……よね。でも、どうしてあんなに喜んだのかしら? 頭皮の縫合なんて珍しくないのに」
思い出していると、麻酔科医の声がした。
「白霧先生、麻酔がかかりました。どうぞ」
「はい」
私は消毒綿を掴んだ鉗子を持って手術台に近づいた。目の前には、麻酔で眠る灯里。
私は髪の一部を剃られた頭皮を入念に消毒して、丸い穴があいた布をかけた。
そこに手術衣を着たリクが現れる。帽子とゴーグルとマスクを装着しているため、見えるのは特徴的な薄い茶色の瞳のみ。
なのに、イケオジオーラが半端ない。普段は堅物で有名な女性看護師たちと女性医師たちが見惚れるほど。
微妙な空気が漂う中、リクがいつもの軽い声で言った。
「Grazie。ゆずりん先生」
「柚鈴です」
「プッ」
(誰だ!? 笑ったやつ!?)
私は振り返って睨んだ。
全員が一斉に視線を避ける。犯人探しをしていると、リクが準備されていた車輪付きの椅子に座った。
目の前には、消毒された灯里の頭部。
「これから、血管拡張術、をします。お願いシマス」
リクがメスを手にとった。