黒鷺にですが、心配させてました
金縛りにあったように固まっていた黒鷺が突然叫んだ。
「なんで、今の話の流れで、そうなるんですか!?」
黒鷺がこんな反応をすると思っていなかった私は慌てた。
「だ、だって、迷惑かけてばっかりだし……」
「迷惑ではないです」
「気をつかわしてるし」
「気はつかってないです」
「でも……」
口ごもる私に黒鷺が言葉を強くする。
「ほかに行く当てがあるんですか?」
「うっ……」
「あの蒼井とかいう男のところに行くなら、ここにいてください」
「どうして?」
そういえば、蒼井も家に来たらいいって声をかけてくれていた。すっかり忘れていたけど。
黒鷺が困ったように顔を逸らす。
「……とにかく、ここにいてください」
「けど……」
「これ以上、心配かけさせないでください」
思わぬ言葉に私は目が丸くなった。
「心配?」
「はい」
「心配してくれていたの?」
「心配していなかったら、父さんの白衣を着て医局まで潜り込みません。海外からの研修医のフリをして、英語と片言の日本語で、半ば無理やり警備を突破したのに」
そういえば、会議室に入ってきた時は息が上がって、白衣も乱れて、必死な様子だった。あそこまで焦った姿は見たことがないかもしれない。
(私のために、そこまで……)
じわじわと複雑な気持ちがこみ上げる。嬉しいような、そこまでさせて申し訳ないような。
ここで、ふとリクが年越しそばを食べながら言った言葉を思い出した。
(そういえば、リク医師が家族って言ってなぁ……家族や姉弟って、こんな感じなのかな。そうか、弟に心配されるって、こんな感じなのか)
ストンと納得した私は力が抜けて、ふにゃりと笑った。
「そう……ね。ありがとう」
「……なに笑っているんですか?」
「ん。私にも心配してくれる人がいたんだ、と思って」
心細い時は、いつもテレビの雑音で誤魔化していた。それが当たり前になっていたし、そうやって、乗り越えてきた。
それが、誰かと一緒にいるだけで、こんなに落ち着くなんて。
少しずつハーブティーを飲んでいく。体が芯から温まり、緊張していた気持ちも落ち着いてきた。
ソファーに体を預けたままボーっとしていると、飲み終えたカップを黒鷺に取られた。
「眠れそうですか?」
体は疲弊しているが、眠気はどこかへ出かけたまま帰ってきそうにない。
「んー。寝られそうにないから、ここでテレビ見てる」
私の答えに黒鷺が頷いた。
「わかりました」
黒鷺がカップをキッチンに置き、リビングから出て行った。パタンと閉まったドアの音が耳にこびりつく。
(なんか、急に部屋が暗く……?)
電気は付いたままだし、テレビも付いたまま。なのに、リビングが暗くなったように感じる。
突然の寂しさにポテンとソファーに転がった。黒鷺が座っていたところが、ほんのり温かい。それが、余計に虚しい。
「どうしたんだろう……」
黒鷺がいなくなったとたん、部屋の温度が下がった気がする。エアコンはしっかり稼働しているし、そんなことないのに。
でも、なんとなく寒くて、暗くて、重いものに覆われる。
「ダメよ」
私は逃げるように、頭から毛布を被った。テレビの音が微かに聞こえるけど、安心できない。足を曲げて体を小さくする。ツキツキと痛む腕。
「大丈夫。私は大丈夫。これぐらい、なんでもない。なんでもない」
暗闇の中で自分に言い聞かせる。すると、一筋の光が声とともに差し込んだ。
「寒いですか?」
蛍光灯の光とともに黒鷺の顔が目に入る。
「傷が痛みます? それとも、また熱が?」
心配そうに次々と降ってくる質問。でも、それは私の耳に入っておらず、呆然としていた。
(これは、一人になりたくない私の願望? それとも、幻? 声をかけたら、消えたりする?)
毛布の隙間から覗き込んでいる黒鷺に、私は恐る恐る訊ねた。
「どうして、リビングに? 自分の部屋に戻ったんじゃ……?」
「気分転換に、ここで漫画の作業をしようと思いまして」
黒鷺がノートパソコンとペンと板をコタツの上に置いた。私の目の前には大きな背中。少し手を伸ばせば触れられる。その距離に心の奥底で安堵している自分がいる。
でも、心配も。
「それで漫画が描けるの?」
「今は下描きですので、これでも描けます。細かい作業になったら自室のパソコンでないと無理ですけど」
「すごいのね」
私の声に黒鷺が振り返る。コタツに座っているから、ソファーに寝転んでいる私と視線の高さが同じ。いつも見下ろされることが多いから、ちょっと不思議な感じがする。
「な、なに?」
「僕のことは気にせずに、眠くなったら寝ていてください」
「でも……あ、テレビ消そうか?」
「ついていても問題ありません」
「そう」
頷きながら考える。
(もしかして、私が一人にならないように、わざわざノートパソコンを持ってきてくれた?)
黒鷺の優しさに、ほんのり心が温かくなる。気持ちも軽くなり、腕の痛みも軽くなったような感じ。
それと合わせて襲ってくる罪悪感。
————————でも、それだけ迷惑をかけてる。
(やっぱり、謝らないと……)
私は口を動かそうとしたが、黒鷺はすでに漫画の作業を始めていた。
(邪魔したら悪いし、休憩の時に言おう)
そう考えて、黒鷺の背中を眺める。でも、カモミールティーが効いてきたのか、人がいる安心感か、心地よい微睡に瞼が重くなってきた。
(さっきまで眠くなかったのに……起きていないと……それで、謝らな、いと……)
私はいつの間にか眠りについていた。
※※
ジュワと焼ける小気味よい音に甘い香りが鼻をくすぐる。
(……なんか美味しそうな匂いがする)
私が目を開けると、コタツの上にポツンとノートパソコンだけがあった。窓からは明るい陽射し。冬晴れらしく青空が広がっている。
「寝ちゃった!?」
慌てて体を起こし、キッチンに目を向ける。すると、黒鷺が料理をしていた。
部屋着のスエットから、Ⅴネックの長袖シャツに綿のストレートパンツに着替えている。いつものキッチリとした姿。スエットのようなラフな格好も良かったのに。
ぐぅ。
声をかける前にお腹が鳴った。気が付いた黒鷺が顔を上げて笑う。
「おはようございます」
「……おはよう」
恥ずかしくてソファーに沈む。
「フレンチトーストを作りましたが、食べますか?」
「食べる!」
「紅茶と珈琲、どちらがいいですか?」
「珈琲……に、ミルクたっぷりで」
私の答えに黒鷺が笑う。
「珈琲だけだと、苦くて飲めないの」
拗ねたように言うと軽い返事がきた。
「わかりました、カフェオレにします。テーブルで食べれそうですか?」
「うん、ありがとう」
黒鷺がフレンチトーストとカフェオレをテーブルに置く。起き上がった私は、いそいそと移動して椅子に座った。
目の前には、黄金色に輝く焦げ目がついた食パン。その隣には、ほかほかのカフェオレ。朝から、こんな贅沢なご飯が食べられるなんて幸せ。
「いっただっきまーす」
「どうぞ」
フレンチトーストは中まで液が染み込んでいて、しっとりと柔らかい。甘すぎず、バターの塩気もあって美味しい。カフェオレも程よい甘さ。
いくらでも食べられそうなのに、一切れ食べたら満足してしまった。いつもなら二切れぐらい余裕で食べるのに。
物悲しく皿を見つめていると、黒鷺がそのことに気づいた。
「まだ食べます?」
「ううん、お腹いっぱい。ただ、いつもなら、もっと食べられるのになぁ、と思って」
「まだ本調子ではないんですから。そう思って、少なめにしておきましたし」
「うん……」
黒鷺が食器を引き寄せたので、私は慌てて立ち上がった。
「片付けぐらいするから」
「いいから。怪我人は休んでください」
「でも、迷惑かけてばっかりで悪いし……黒鷺君、漫画の作業で忙しい時期でしょ? なのに、昨日の夜だって……」
「はぁ……」
俯く私に盛大なため息がのしかかる。やはり、私の存在は迷惑にしかならない。
「ごめんね。やっぱり自分のアパートにかえ……」
言い終る前に、光速で黒鷺の腕が私に伸びた。