正月ですが、楽しく過ごせました
バスは十五分ぐらいで洋館の近くにあるバス停に到着した。それなのに、体感的には一時間以上バスに乗っていた気分。
フラフラとバスから降りると同時に、寒風が容赦なく吹きつける。
でも、今はその冷えた風が気持ちいい。人が多くて暑かったし、逆上せたのかも。やっと心臓も落ち着いてきた。
一息ついて振り返ると、黒鷺の顔も赤かった。もしかして、同じように暑さで逆上せたのかもしれない。
「バスの中は暑かったね」
「そうです?」
「違うの? 黒鷺君の顔が赤くなってるから、てっきり……」
私の指摘に、端正な顔がますます赤くなる。
「あ、赤くないです! ゆずりん先生のほうが、顔が赤いですよ!」
「だから、柚鈴だって。私はバスの中が暑くて、逆上せたの」
「ぼ、僕もです!」
黒鷺が慌てたように同意して洋館がある方を向いた。
「と、とにかく。早く帰りま……」
そこで言葉が切れ、表情が固くなる。薄い茶色の瞳を鋭くして、反対側にあるバス停を睨む。
「どうしたの? 向こうに何かある?」
私も同じ方向に視線を向けると、誰かが路地裏に去った。一瞬すぎて性別も年齢も分からない。
「知り合い?」
「いえ。……早く帰りましょう」
黒鷺がさりげなく私の手を握り、引っ張るように歩き出す。
(え? なんで、手を繋ぐ必要が!?)
突然のことに驚きながら声をかける。
「あ、あの、黒鷺君?」
私の声で気づいたように手が離れた。
「す、すみません」
なんか恥ずかしくて、顔をあげられない。
二人の間を流れる微妙な空気。
お互いに顔を逸らしたまま家路を急ぐ。目と鼻の先にある洋館が、何故か遠くに感じた。
※※
気まずい雰囲気を引きずったまま、洋館に戻る。
すると、リビングの方から賑やかな声が聞こえてきて……
「そうなのよ、レン! よく分かってるじゃない!」
「学生の頃からの付き合いだからな。でも、そのことに気づいたミーアの目も、なかなか」
「そうでしょ? ゆずりんには、あぁいう化粧の方が似合うと思って。ほら、飲んで」
「ありがとう……って、入れすぎだろ」
コタツでおせちを食べる、酔っ払い二人組が出来上がっていた。
「姉さん?」
「蒼井先生?」
二人がそろって私たちの方を向く。この短時間で意気投合した様子。
「あ、おかえりぃ~」
「先に食べてるぞ」
おせちを前に二人が日本酒と白ワインを、お互いのグラスに注ぎあっていた。しかも、重箱の中身が半分ほど空になっており。
「ちょっと! もう少し残しといてよ!」
私は急いで上着を脱ぐと、キッチンから取り皿と箸を持って来た。
そんな私を見ながら、蒼井が見せつけるように数の子を口に入れる。
「いないのが悪いんだよ」
「だからって、そんなに食べないでよ。それに、当直明けでそんなに飲んで、倒れても知らないわよ」
「少ししか飲んでないから平気、平気」
「いや、今にも寝そうじゃない! って今はそれより、おせち!」
数の子や伊達巻き、海老に蒲鉾。あ、なま酢に黒豆も忘れずに。食べたいものから順番に自分の皿へ載せていく。
すると、目の前にビールが入ったビアグラスが現れた。透明なグラスに白い線で描かれた猫の絵が浮かぶ。
顔を上げると、呆れたような笑顔を浮かべた黒鷺が。
「どうぞ」
「ありがとう! いっただっきまーす!」
冷えたビールに濃い目の味付けのおせちが合う。
数の子のポリポリ食感と、この塩加減は最高。そこに伊達巻きのふんわりとした優しい甘さ。なま酢の程よい酸っぱさに、つやつやと輝く甘い黒豆。
「これぞ日本のお正月! 本当、美味しいわ!」
「はい、はい」
そう言いながら黒鷺が投げっぱなしの私の上着を片付ける。
「あ、ごめん」
「いいですよ。食べてください。と、いうか早く食べないと、姉さんたちに全部食べられますよ?」
立ち上がろうとした私はコタツに視線を戻した。その先にはパクパクとおせちを食べるミーア。
「待って? この後、ケーキも食べるんだよね?」
「そうよ」
「こんなに食べて、ケーキも食べられるの?」
「うん」
「それだけ食べて、その体型ってズルくない?」
私の疑問にミーアが不思議そうに自分の体を見る。
「そう?」
「どう考えてもズルい……あ、私の黒豆!」
「ボーっとしてたら食べちゃうわよ?」
「食べてから言わないで! そういえば、リク医師は?」
リビング内を見回すが、リクの姿がない。
「お父さんは自分の分のおせちを持って、自室に戻ったわ。正月明けに依頼されている講義の原稿が、まだ出来ていないのよ」
「お正月も仕事って、大変なのね」
同情する私の気持ちを消すように、ミーアが豪快に手を振る。
「違う、違う。もっと早くしておけば良かったのに、ズルズルと後伸ばしにしていただけ。長期休みの宿題を最後の数日に徹夜して終わらせる子どもと同じよ」
「え? そうなの? そういうのはテキパキ終わらせるイメージだったのに。蒼井先生もそう思わない……って、蒼井先生?」
私の問いに返事はなく、テーブルに伏せて気持ち良さそうに寝ているイケメン。
「あー、寝ちゃったかぁ。年末に当直して疲れてるのに、お酒を呑むから……しばらく寝かせといてあげてもいい?」
「いいわよ。医者って大変だしね。そういえば、どうして二人で初詣に来ていたの?」
ミーアの質問に言葉が詰まる。
「それは……」
私は横目で黒鷺の位置を確認した。カチャカチャとキッチンで洗い物をしており、こちらの会話は耳に入っていない様子。
別に悪いことをしたわけではないけど、私は小声で説明をした。
「実は、黒鷺君がクリスマスプレゼントにくれたイヤリングを、医局に落としてしまったの。それを蒼井先生が拾ってくれていたから、早く返してもらおうと連絡したら、当直明けに初詣に行こうってなったのよ。しかも、その理由が彼女なしで一人で初詣に行くのが嫌だからって。それなら初詣に行かなければいいのに、それも嫌だって言うの」
「そういうこと」
「カッコつけの寂しがり屋だから」
「よく知っているのね」
「学生時代からの腐れ縁だからね」
ミーアがふうん、と意味あり気に目を細める。
「ところで、どうして小声で話すの?」
「だって、せっかくプレゼントしてくれたのに、失くしかけたなんて言えないもん」
「もんって……言い方が可愛いすぎ。しかも、それで小声なんて……」
笑いを堪えるように肩を震わす。その姿に私はムッとした。
「いけない?」
「ごめん、ごめん。それにしても、天音がイヤリングをプレゼントするとはね。どんなイヤリング?」
「これ」
私はポケットに入れたままだったイヤリングを出した。手の中で雫型の石が揺れる。
「へぇ。天音にしては良いのを選んだじゃない。ゆずりんにピッタリ」
「パープルピンクなんて、可愛い過ぎない?」
「ゆずりんにピッタリの色だと思うわ」
「そ、そう?」
なんか、こそばゆいような、嬉しいような、複雑な気持ち。
そこに、視界の端で黒鷺がこちらに来る姿が見えた。慌ててイヤリングをポケットに戻す。
「はい、どうぞ」
「え?」
私の前に置かれた枝豆と出し巻き卵。
「おせちが少なくなっているので、代わりに」
さすがの気遣い。しかも、ビールのつまみにピッタリ。
「ありがとう!」
「私のは?」
「姉さんはしっかりおせち食べたでしょう? それに、ケーキもあるんだから」
「むぅー」
不満そうに頬を膨らますミーア。その様子に私の罪悪感が刺激される。枝豆とだし巻き玉子がのった皿を差し出した。
「食べる?」
「大丈夫よ。私はゆずりんが美味しそうに食べる姿を見ることにするから」
つまり満面の笑みを浮かべた美女に見つめられながら食べるという状況。
「それは、それで食べにくいんですけど!?」
「気にしないで」
「気になる!」
黒鷺はまた始まったと言わんばかりに肩をすくめて、キッチンへ戻っていった。
※※
この後、一時間ほどして蒼井が起きたので、そこでケーキを食べた。
オススメのお店ということもあり、口に入れた瞬間にとろける生クリームと、ふわ軽なスポンジ。そこに盛りだくさんのフルーツがのった、美味しいケーキたちだった。
ちなみに、ミーアはクリスマスの時と同様にワンホールの量を軽く平らげた。その光景に、どん引きする蒼井と、その様子に笑いあう私と黒鷺。
いろいろあったけど、結果として私はクリスマスだけでなく、正月も楽しく過ごすことができた。
幸せすぎて、少し怖いぐらいに。