反省したので、買い物に行きます~黒鷺視点~
集めたガラスの破片をダストボックスに棄てるため、僕は家の裏口から外に出た。突き刺すような寒さが頭を冷やす。
ゴミ袋を置いて、その場に座り込んだ。
「はぁぁぁぁ……」
自分が吐いたため息が重く圧し掛かる。あんな態度をするつもりなんてなかったのに。
手を弾いた時の柚鈴の顔。驚いたような、キョトンとした顔。そこまでショックを受けた様子はなかったけど、あれはいけなかった。
「調子が狂う」
僕はしゃがみ込んだまま両手で頭を抱えた。
家族以外なら、誰であろうと余裕の態度で対応してきたし、自分のペースに持ち込んでいた。だから、あんなに感情を乱したことに自分でも驚いている。
「たかが子ども扱いされたぐらいで、どうして……」
子ども扱いされることなんて、初めてではない。されたとしても、軽く流してきた。なのに…………
――――――――柚鈴だけはダメだ。
風邪をひいて子ども扱いされた時も、内心ではムッとしていたし、なんとか表面に出さないようにしていた。
どうして柚鈴の時は、こんな気持ちになるのか。
「わからない」
唸っていると、背後でドアが開く音がした。
「やっと、見つけ……さむっ!?」
振り返ると、柚鈴が寒さで体を震わしていた。
ここに来ると思っていなかったため、急いで立ち上がる。
「ここは寒いから、中に入っていてください。というか、おせちを食べてください」
「そういうわけには、いかないわ」
「……なにか、ありました?」
頭一つ分、背が低い顔がまっすぐ見上げてくる。真っ黒だけど、キラキラと輝く瞳。
(この目に弱い……気がする)
悩む僕の前で、柚鈴が頭を下げた。
「さっきは子ども扱いして、ごめんなさい」
「え……いえ、あれは僕が悪かったんで、気にしないでください」
「でも、嫌だったんでしょう?」
「他に気になることがあって、気持ちに余裕がなかっただけです」
自分で言いながら気が付いた。
(そうだ、余裕がないんだ。ずっとイライラした感情が心の底にいる。けど、いつからだ? 朝はこんな気持ちなかった)
朝からの自分の行動を振り返る。雑煮を食べた時も普通だったし、姉さんが起きて神社へ連行された時も、いつも通りだった。
(……もしかして、柚鈴とあの男が二人で初詣にいるのを見かけてからか?)
考え込んでいると、ハッとしたような声がした。
「他に気になること……って、もしかして!?」
黒い目を気まずそうに伏せながら柚鈴が顎に手を当てて呟く。
「常備菜の酢漬けをこっそり食べてたこと? いつか気付かれる、と思っていたんだけど」
予想外すぎる告白に僕は顎が落ちかけた。
「なんか減るのが早いと思ったら、こっそり食べていたんですか? っていうか、少なくなったら作らないといけないから、食べる時は一声かけてくださいって言いましたよね?」
「あれ? 違った? じゃあ……椅子にかけてあった黒鷺君の上着を羽織って、ダボダボーって遊んだこと?」
「人の服で、なにしているんですか!? なんか、いい匂いがするな、と思ったら…………って、違う! そうじゃない!」
思わず自分にツッコミを入れた。
だが、そのことに気づいていない柚鈴がますます悩む。
「え、これでもない? なら……」
「まだあるんですか!?」
いくらでもネタが出てきそうな雰囲気。
(子どもだ。僕より、ずっと子どもだ)
額を押さえる僕の前で、柚鈴が腕を組んで思い出しながら話す。
「トイレと玄関の芳香剤を交換したり、黒鷺君のカバンに猫ちゃんキーホルダーを付けたり……」
「いつの間に、キーホルダーを!? いや、その前になんで、芳香剤を交換したんですか!?」
「玄関の芳香剤の方が、好みの匂いだったから」
当然のように答えるその姿に、姉さんに似たものを感じた。
自分の世界があって、自分基準で動いてるやつ。理由を聞いても、独創的すぎて僕には理解できない。
「なら、キーホルダーは?」
「もらったんだけど、私のカバンには似合わないから」
「だからって、無断で僕のカバンに付けないでください」
「いつ気付くかなって。黒鷺君の注意力がどれぐらいあるか、実験してみたの」
「僕を巻き込まないでください」
「ダメだった?」
顔を上げると、小首を傾げた小さな顔。
黒い髪を寒風に遊ばせて、まっすぐこちらを見ている。悪気もなにもない、無垢な黒い目。そんな表情をされたら、言いたい文句もすべて引っ込む。
「…………ダメではないですけど、一声かけてください」
「はーい」
どこか不満そうな返事。また、コッソリやりそうだと感じた僕は、顔を近づけて念押しをした。
「いいですか? 食べたり、移動させたりした時は、ちゃんと言ってください」
「わ、わかりました」
頬を少し赤くした柚鈴が慌てたように顔を逸らす。そういえば、初めて会った時も少しからかったら、すぐに顔を真っ赤にしていた。
僕はニヤリと口角を持ち上げ、黒い髪の隙間から覗く耳に囁いた。
「今度、黙って何かしていたら、しばらくピーマンとナス料理にしますからね」
「そんなっ!?」
ピーマンやナスの料理を出した時は、決まって箸の動きが遅かった。そこから苦手だと判断したのだが、当たりだったようだ。
赤くなっていた顔を青くしてこちらを見ている。
(そんなにピーマンとナスが苦手なんて本当に子どもじゃないか)
こみ上げてくる笑いをこらえるように口元を手で隠す。心の底にあったイライラは、もうない。
柚鈴と言葉を交わすだけで、心に刺さっていたトゲが抜けていく。こんな他愛のない会話なのに、ドロドロした感情が消えていく。
視線を下げれば、柚鈴が悔しそうに睨んでいた。
「遊んでいるでしょ?」
「先にイタズラをしたのは、そちらでしょう?」
「うー」
何も言えない代わりの唸り声。可愛いが過ぎる。
満足した僕は足元に置いていたゴミ袋を手にした。
「話は変わりますが、一緒に新しいビアグラスを買いに行きませんか?」
「え?」
「ビールはビアグラスで飲んだほうが美味しいと思いますよ?」
僕の提案に柚鈴が迷いなく頷く。食事への素直さは姉さんといい勝負だ。
「確かに。ビールはビアグラスで飲んだほうが美味しいわ」
「では、いまから行きましょう」
「いまから?」
「ビアグラス無しで、ビールとおせちを食べるんですか?」
「行くわ! ほら、さっさと行きましょう!」
柚鈴がドアを開けて手招きをする。
「これを捨ててから行くので先に準備してください」
「わかったわ」
あっさりと閉まるドア。僕は持っていたゴミ袋をダストボックスに投げ入れた。
そこで、裏庭の木の一部が折れていることに気づく。
「そういえば、表の花壇に踏まれたような跡があったな。誰かのイタズラか、それとも……」
僕は以前、見ず知らずの人から付きまとわれたことを思い出した。
「前にストーカーみたいなのがいたしな。続くようなら防犯カメラを付けるか」
もう少し様子見をすることにして、家に入る。まさか、あんなことになるとは思わず……
次からは柚鈴視点に戻ります