年明けですが、早々に予定が決まりました
固まっていた黒鷺が突如、咳込んだ。
「かっ、家族って!? そのっ、げほっ、ごほっ!」
突然、こんなことを言われたら、むせるよね、と考えながら私は黒鷺に湯飲みを差し出した。
一方で、リクがニコニコと話す。
「日本には、同じ釜を食う家族、という言葉があります。それなら、柚鈴先生は家族です」
それ、いろいろ違うから! 私は心の中でツッコミながら訂正した。
「それを言うなら、同じ釜の飯を食う、です。苦楽を共にした親しい間柄、という意味になります」
「そうですカ。でも、ワタシにとって、柚鈴先生は可愛い娘で家族です」
「いや、ですが……」
戸惑う私とリクの間に、お茶を飲んで一息ついた黒鷺が入る。
「父さん、ゆずりん先生にも家族がいるんだから、勝手に娘って決めたらいけないよ」
「オウ、そうですネ。柚鈴先生のご両親に挨拶しないといけません」
変な方向に話が飛んだこと驚きつつ、私は慌てて両手を横に振った。
「そこは挨拶なしで大丈夫です」
むしろ、挨拶に来るほうが困る。だって……
「あ、除夜の鐘」
ミーアの声に全員が黙る。微かに耳に触れる鐘の音。
「風流ですネ。イタリアの賑やかな年始もいいですが、静かもいいです」
リクが感慨深く呟いた。しっとりとした落ち着いた雰囲気。これぞ、日本の正月。
そこに、黒鷺が思い出したように言った。
「そういえば、ビール飲みます?」
「あるの!?」
「待ってください」
黒鷺が冷えたビアグラスとビールを持ってきた。
「キャー! ありがとう!」
情緒や風流は吹き飛び、私の歓声が響く。
ビールを受け取った私はビアグラスに注いで飲んだ。
「ぅん、もう、最高!」
そんな私を見たミーアが勢いよく手を上げる。
「私にもビール、ちょうだい!」
「はい、はい」
「ワタシはワインください」
「え? 蕎麦にワイン?」
ミーアが怪訝な顔になったが、リクは盛大に頷いた。
「ワインはどんな料理でも合います」
「えー、蕎麦には合わないわよ」
「そんなことありません」
「えー?」
意見が平行線の二人に黒鷺が口を挟む。
「それより、父さんは書類仕事が残っているんだから、ワインは無し」
衝撃の宣告にリクが青ざめた。鯉のように口をパクパクさせて、絶望したような顔になる。
「ワ、ワイン無し!? アマネは人でなしですカ!?」
「人でなしで結構。ちゃんと仕事を終わらせなかったのが悪い」
「一口! 一口でいいですから!」
「仕事が終わったら、どうぞ」
黒鷺がバッサリと切る。
そこで、リクが私に訴えてきた。
「柚鈴先生! アマネが人でなしになってしまいましたァ! どうすれば、いいですか!?」
「えっ!? わ、私に言われても困ります!」
「父さん、ゆずりん先生を巻き込まない!」
「だから、私の名前は柚鈴だって!」
混乱となった光景を見ながら、ミーアがビールを開けて私に差し出した。
「ゆずりんったら。新年早々、怒らないの。ほら、ビール飲んで」
「でも、ちゃんと言わないと……って、こぼれる!」
注いだビールがビアグラスから溢れそうになる。私は慌ててビアグラスに口をつけた。
「ほら、ほら。飲んで、飲んで」
「もう! 私がビール好きでも、こんなに飲めないわよ」
賑やかな声が洋館に響く。
(すっごく居心地がいい。こんな気持ちになったのは何年ぶりだろう)
私は一生分の運を使った気がした。
※※
蕎麦でお腹いっぱい。ビールでほどよく酔ったところで、解散となった。
(明日は休みだから、好きなだけ寝れる。文字通り寝正月が過ごせる! しかも、起きたらお雑煮とおせちがある!)
私はほろ酔いで廊下を歩きながら二階にある客室へ入った。
淡い緑色のシーツがかけられたクイーンサイズのベッド。あとは棚とテーブルと椅子しかない。ビジネスホテルのようにシンプルだけど、手入れが行き届いており温もりがある。
「ここは天国か!」
私は喜びながらベッドにダイブした。ぽふんぽふんとマットが跳ねる。
「おっと、他人様のベッドをいうことを忘れていた」
慌てて体を起こしてベッドが壊れていないか確認。大丈夫そうなので、持ってきた荷物を漁り、目的の物を出した。
「こんな客室があるんだから、すごいよね」
私は腕の中にあるハリネズミのぬいぐるみに声をかけた。
この洋館は海外にいるリクの友人が泊りに来ることがあるため、客室が二部屋もある。私が泊まる時は、この部屋を準備してくれるという。
『たまには使わないと、埃が溜まりますから』
そう言いながら手早くベットメイキングした黒鷺は、いつでもホテルで働けそうだった。
ハリネズミのぬいぐるみとベッドに転がった私は白い天井を見ながら呟いた。
「すごいよねぇ。これで料理上手で、イケメンで、なんで彼女がいないんだろうねぇ。小児科の看護師たちが知ったら飛びつくのに。あ、今度、誰か紹介しようかな」
「そういうのを大きなお世話って言うんですよ」
「ふぃひゃぁ!?」
完全に無防備な状態だったため、変な声が出た。というか、この声どこから出た!?
反射的に体を起こした私は、ドキドキする胸をハリネズミのぬいぐるみで押さえた。
体を起こし、そぉっと声がした方を向く。そこには、開いたドアと、黒鷺が。
「ど、どうしたの!?」
慌てる私を不機嫌そうに黒鷺が見下ろす。
「ノックしても返事がなかったので」
「あ……」
あとは寝るだけだと、完全に油断していた。
「ごめん。気が付かなかった。で、何か用?」
「朝の雑煮のお餅の数を確認しておこうと思いまして。何個食べます?」
「二個!」
「わかりました。あまり寝坊しないでください。姉さんが一緒に初詣に行きたいと言っていましたから」
「んー。じゃあ、午前中に起きるわ」
「……十時ぐらいには起きてください」
「わかった」
黒鷺が私の胸に視線を落とす。その先にはハリネズミのぬいぐるみ。
(わざわざ、ここまで持ってくるなんて、ものすごく気に入ってるように見えるだろうか? それとも、ぬいぐるみが離せない大人に見られ……そうなると、恥ずかしい!)
私は慌てて説明をした。
「この子、抱いて寝るのに丁度いい弾力なの! おかげで、ぐっすり安眠できて大助かりなの!」
必死の言葉に反応がない。
「……」
無言でハリネズミのぬいぐるみを見つめる薄茶色の瞳。その沈黙が痛い。
「な、なに? ぬいぐるみを抱いて寝るのは、子どもっぽいって言うの?」
「いえ、そうではなく……」
「はっきり言いなさいよ」
黒鷺がハリネズミのぬいぐるみの一点を指さした。そこにはハリの毛に埋もれた小さな耳。しかも、雫型のピンクパープルのイヤリングを付けている。
その姿に私は呟いた。
「……オシャレなぬいぐるみね」
「オシャレなぬいぐるみでも、イヤリングはしないと思いますけど?」
「ですよねぇ……」
私はもう一度、ハリネズミの耳に視線を落とした。
(もしかして、このイヤリングもクリスマスプレゼントの一つだった? でも、片耳だけ? あれ? なんか……このイヤリング、どこかで見たような? こういうの既視感って言うんだっけ?)
私が首を捻っていると、黒鷺が額を押さえて唸った。
「まさか、気付いてなかったなんて。しかも、片方なくなってるし」
「ごめん、ごめん。私の部屋に落ちてると思うから、帰ったら探すね。あ、あと、お年玉を奮発するから、楽しみにしてて」
「…………お年玉?」
訝しむ声に説明をする。
「お年玉、知らない? お正月に大人が子どもにあげるの」
流暢に日本語を話すから忘れがちだけど、黒鷺は海外育ち。意外なところで日本文化を知らないことがある。
しかし、私の説明は的を外れていたらしく、渋い声が返ってきた。
「お年玉は知ってますが…………僕が言いたいのは、そういうことではなく」
「ん?」
薄い茶色の瞳がまっすぐ見つめる。私はそれをベッドに座ったまま顔を上げて眺めた。
(背も高いし、体格もいいし、大きいなぁ)
酔った頭でぼんやりと考えていると、諦めたようなため息が降ってきた。
「いえ、いいです。お疲れでしょうから寝てください」
「うん。そろそろ、眠い……ふぁ」
自然と出た欠伸を手で受け止める。
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさぁい」
私は手を振って布団に入った。静かにドアが閉まる。
おやすみなさいと言って、人の気配を感じながら眠る。久しぶりに感じる人の温もりと不思議な心地よさを感じながら微睡んでいると、脳裏にハリネズミのぬいぐるみが付けていたイヤリングが浮かんだ。
(どこかで同じものを見たんだけどなぁ。確か、仕事から帰る時……)
ここで鮮明に記憶が蘇る。
「医局で見た!」
私は体を起こした。
医局で鞄を落とした時、その衝撃でイヤリングの片方が飛んだのかもしれない。それを蒼井が拾って私に見せた。
「早く回収しないと! 失くしてたら大変!」
急いで蒼井にメールをすると、空き時間だったらしく、すぐに返事がきた。
「よかった。ちゃんと持っていてくれたのね」
イヤリングを返してほしいとメールをしたら、予想外の要求が。
「寝正月したかったのに……」
私は渋々返信をすると、スマホのアラームをセットして寝た。




