手術ですが、無事に終わりました
暖房が効いているはずなのに、うすら寒い。
重苦しい空気の中、私は経緯を説明した。
「こういう状況のため、耳鼻科の先生がいません。耳鼻科がある他の病院に救急車で行く、という選択肢もあります。ただ、救急車で移動しても、渋滞が酷いため、時間がかかると思われます」
私の説明に後からやってきた父親が頷く。
「外の渋滞は酷かったです。私は自転車だったので、すぐに来れましたが、車だったら動けなかったと思います」
「はい。時間がかかれば、かかるほど、春馬君の気管にあるアーモンドは水分を吸って大きく、柔らかくなります。そうなれば、取り出すのはますます難しくなります」
「他に方法はないんですか!?」
私は視線を伏せた。
「耳鼻科の先生もこちらに向かっていますので、このまま到着を待つ、という選択肢もありますが……」
「でも、渋滞で動けないんですよね!?」
父親の言葉が重い。
「…………はい」
「他に……他に、方法はないんですか!?」
母親の必死な声。今にも私に掴みかかりそうだが、それを理性で抑えているのを感じる。
私は目を閉じて、声を絞り出した。
「あと、最後の選択肢として……」
テーブルの下にある両手に力を入れる。この方法は自信がない。けど、選択肢としてはあり得る。
――――――――すべては私、次第。
私は顔を上げてハッキリと言った。
「私がアーモンドを取る、という方法もあります」
暗い空気が吹き飛び、両親の顔が晴れた。二人とも身を乗り出して、私に迫る。
「ぜひ、してください!」
その勢いに私は思わず体を後ろに引いた。
「で、ですが、私は小児科です。知識はありますが、経験が乏しくて……」
「それでも! 私は白霧先生に手術をしてほしいです!」
母親からの言葉に私は驚いた。
「え?」
「見ず知らずの耳鼻科の先生より、よく知っている白霧先生にしてもらいたいです!」
そこに、父親が頷く。
「先生は入院中から、ずっと春馬を診てくれていました。春馬のことを、どの先生より知っています。ですから、先生にお任せしたい」
希望と信頼がこもった眼差し。二人から、そこまで言われたら……
私は決心した。
「……分かりました。私が春馬君の手術をします」
※
手術室に春馬の心拍音が響く。部屋にいるのは麻酔科医と私だけ。大晦日で人手がないので、必要最低限の人数。
手術室の看護師が揃えた道具を前に、私は深呼吸をした。
横を見れば、麻酔で眠る春馬。普段の元気は姿からは、ほど遠い。
私は麻酔科医の方を向いた。
「これから、気管支内異物除去術をおこないます」
「はい」
「お願いします」
私は春馬の頭側に置いてある椅子に座った。
春馬の顎は上を向き、器具によって口が大きく開けられている。その口には呼吸を維持するための管が入っており、その先に問題のアーモンドがある。
アーモンドを取るには、管と呼吸器が繋がっている部分を外さないといけない。春馬はその間、呼吸ができない。時間との勝負だ。
私はアーモンドを取るための器具を手に取った。
細い棒でできた銃のような形。銃弾が出る場所は二つに割れ、物を挟めるようになっている。
手元はハサミの持ち手のような穴がある。その穴に指を入れて動かすと先端が動き、物が掴める。
私は管と呼吸器が繋がっている部分を外し、中を覗き込んだ。奥は暗くて何も見えない。
先端にライトとカメラが付いた直達鏡を入れる。ライトが明るく輝き、中を照らす。手元にある画面に、カメラが写した映像が現れた。
ゆっくりと挿入していく。すぐに茶色と乳白色の異物が現れた。アーモンドだ。
(ここで焦ったらダメ)
アーモンドを崩さないように、慎重に。でも、しっかりと掴まなくては。
直達鏡の先がアーモンドに触れた。
息を止め、直達鏡を操作している手に力を入れる。先端がアーモンドを掴む。
そのまま、崩れないように直達鏡を引き抜いていく。
焦らず、丁寧に。少しの刺激でアーモンドは崩れる。
(あと、ニセンチ…………一センチ………………)
手が震えそうになり、歯に力を入れて唇を噛む。
(あと、少し…………あと………………)
口元まで引き出したところでアーモンドが崩れた。
「成功しましたね」
麻酔科医の声で実感する。
(助けることができた…………助けられた)
全身から力が抜けていく。
「……よかっ、た」
息を吐きながら、気温が低い手術室なのに、全身が汗だくになっていることに気がついた。
※
回復室に移動した春馬は麻酔の影響で、まだ眠っている。私は麻酔科医に任せて、春馬の両親がいる控室へ移動した。
「「先生!」」
控室のドアを開けると同時に両親が飛びつく。私は笑顔で報告した。
「アーモンドは無事に取れました。春馬君の状態も安定しています。もう少ししたら病棟へ移動できます」
その言葉を聞いた両親が破顔して抱き合う。
「よかった……」
「どうなることかと思ったが……」
「耳鼻科医がおらずバタバタして、すみませんでした。せっかくの大晦日なのに、こんな控室で……」
母親が目に涙を溜めたまま笑う。
「いいえ。場所なんて関係ありません。家族そろって年越しができるんですから。ありがとうございました」
「そうです。先生がいなかったら……なあ?」
「本当。先生がいて良かったわ」
父親が母親の肩を抱き、寄り添う。その姿が、幼い頃の両親の記憶と重なった。
忘れていた懐かしさと、ほんの少しの寂しさに包まれる。
(家族は、一人でも欠けたらいけない……私のような思いは、させたくない)
私は目を閉じると意識を仕事に切りかえた。
「これからのことについて説明しますね」
私は春馬の両親に今後の治療予定を説明した。