クリスマスイブですが、待ち伏せされました
プレゼントを買いに行った翌日の昼。
私は病院の食堂で、うどんを前に髪をいじっていた。
手の中で転がる真っ黒な直毛。茶色く柔らかそうな髪とは程遠い。しかも、枝毛まである。
「おい、うどんが伸びるぞ」
「あ、うん」
カツ丼を持った蒼井が私の前に座る。
「なにか、あったのか? そんなにボーとしてるとミスするぞ」
「仕事中は大丈夫。切り替えるから」
「そう言って、本当にやるから凄いよな」
呆れたように言いながら蒼井がカツ丼を食べ始めた。
私も食べるためにうどんに視線を落とす……が、どうも食欲がない。でも、食べないと。無理やり口に入れたうどんは伸びきっていて、噛まなくてもブチブチと切れる。
ノロノロと食べる私に蒼井が肩をすくめた。
「昼から小児科病棟でクリスマス会があるんだろ? そんな顔で子どもたちの前に出るのか?」
「あー、うん。大丈夫、大丈夫」
「空返事だな」
「大丈夫、大丈夫」
「あと二日でクリスマスだけど、オレへのプレゼントは準備できたか?」
「あー、うん。大丈夫、だいじょ……って、クリスマスプレゼント?」
身に覚えがない言葉に顔をあげる。
危ない、危ない。ぼーとしている間に、話が変な方向に誘導されていた。
「この前、クリスマスプレゼントはなにが良い? って聞いてきただろ?」
「あれは、参考にするため。それに、プレゼントの中身を本人が知っていたら、あげた時の反応の楽しみが半減するでしょ?」
私の説明に蒼井がジドッとした恨めしそうな目になる。
「学生の頃、彼氏だった東にクリスマスプレゼントは何が欲しいか直接聞いて、リクエスト通りの物をあげたヤツが言うセリフか?」
「そうだっけ? あと、彼氏って言っても、友人に毛が生えたレベルよ? しかも、漫画も読まない面白くない女、でフラれたし」
すっかり忘れていた記憶。
周囲に流されてお付き合いみたいなことをしたけど、楽しくも面白くもなかった……気がする。大学生で勉強とレポートに追われ過ぎて、そこら辺の記憶が飛んでいる。
「いや、それ原因の半分はおまえだろ。バレンタインに何したか、覚えてるか?」
「なにかしたっけ?」
まったく記憶にない私に、蒼井が大げさなほどの深いため息を吐いた。
「バレンタインの前に、東にどんなチョコが欲しいか聞いただろ? まさかバレンタイン用だと思っていなかった東が、その時に食べたいと思っていたチョコ菓子を言ったら、それをバレンタインに渡されて、大学中の話題になったの、忘れたのか?」
「……そうだっけ?」
私はワザとらしく視線を逸らした。
そういえば、そんなことあったなぁ。板チョコが欲しいって言ったから、バレンタインデーにコンビニで板チョコを一枚買って、そのままあげた。もちろん、ラッピングはなし。
(あれ? 今考えると酷いことしてる?)
あはは、と愛想笑いをすると、蒼井がジロリと睨んできた。
「思い出したな?」
「だ、だって、あの時は時間がなくて。下手なものをあげるより、本人が欲しいものをあげたほうがいいと思ったのよ」
「今だって、忙しいだろ」
思いっきり痛いところを突かれる。でも、これは日頃のご飯のお礼でもあるし、大学の時とは状況が違う。
「気分転換で買い物するついでに、プレゼントを買ったの」
「あ、もう買ったのか。じゃあ、今度買い物に行ったら、そのついでにオレへのプレゼントも買ってくれよ。誰からもプレゼントがないクリスマスなんて、数年ぶりだから」
私はうどんを飲み込んで顔を上げた。そこにはイケメンの笑顔を浮かべた蒼井。
そこらへんの若手俳優並みの顔面偏差値。わざわざ私に頼まなくても、誰かが勝手に貢いでくれるだろう。
(ぶっちゃけ、買ってくるのが面倒だし…………あ、そうだ!)
私は名案とばかりに提案した。
「お金あげるから、自分で買ってきて!」
「それ、一番ひどくないか!?」
「どこが?」
うどんを食べ終えた私は食器を持って立ち上がった。これから、小児科病棟のクリスマス会でやる手品の仕込みをしないと。
「五千円でいい? あ、私へのプレゼントはいらないから」
「あのなぁ」
唸るような声に視線を下げると、蒼井が頭を抱えていた。苦悩する姿もイケメンだと絵になるらしく、周囲の女性陣から黄色い声がする。
「頭痛? 痛み止めを処方しようか?」
「いや、いらない。オレにそういう態度するのって、おまえぐらいしかいないよな」
「なにか問題ある?」
「別に。午後からのクリスマス会、頑張れよ」
背中にぞわぞわっと寒気が走る。嫌味もない、突然の激励。学生の頃からの付き合いだけど、こんなに素直に励まされたことは、記憶にない。
「……そのカツ丼、腐ってた?」
私の言葉に蒼井がガバッと顔をあげて吠える。
「それ、オレだけじゃなくて、作った人にも失礼なやつだからな!」
「それも、そうね。厨房のおばちゃん、失礼なことを言って、ごめんなさい」
「おい、オレにも謝れ」
「なんで? 蒼井先生が頑張れって言うなんて雪が降る……あ、今日は午後から雪の予報だったわ。納得」
カツ丼を食べ終えた蒼井が食器を持って立ち上がった。
「納得するな。ほら、おまえの食器も持っていくから、先に行ってろ」
「そういうマメなところが、モテる秘訣なのね」
「優しいところ、と言え」
私はお言葉に甘えて、うどんが入っていた食器を蒼井に任せた。
クリスマス会を楽しみにしている子どもたちのためにも、失敗はできない。
「よし!」
私は気合いを入れて、頭を切りかえた…………はずだった。
※※
自分のアパートに帰った私はベッドに倒れた。
「あうぅぅ……」
結論から言うと、小児科病棟のクリスマス会は散々だった。
いつもなら失敗しない手品でさえ、なぜか失敗の連続。それは、それで笑いが取れたし、最後の手品だけは成功したから、結果的には良かったのだろう。
で、その後は外来で診察の嵐。ようやく仕事を終えて、最終バスに間に合うかも、と走ってバス停へむかったら、目の前で最終バスが出発した。
木枯らしに吹かれ、ポツンと佇む私。あの時の虚しさは言い表しようがない。
「お風呂いれて、その間にご飯を食べよう」
エアコンで温かくなった室内を這うように移動する。
そこにスマホが鳴った。
「このタイミングで呼び出しはやめて……」
やっと帰宅したのに、また職場にとんぼ返りはしたくない。
祈るようにスマホを見ると、そこにはメールの表示があり、差出人は……
「黒鷺君!?」
スマホを操作していた手が止まる。ふと脳裏に浮かぶ、長身の美女。
なんとなくメールを見たくない。
「今回の漫画の監修は終わったし、急ぎじゃないだろうし、今日は遅いし……明日でもいいよね」
私はいろいろと理由を付けて、スマホを鞄の中に投げた。
※※※※
あれから数日が経ち、クリスマスイブの金曜日。と、いっても病院には関係ない。明日は土曜日で、病院が休みだから、夕方に駆け込み受診する患児が多い。
「予想通りだし、これも毎週末のこと」
遅くなったけど、なんとか当直医に引き継ぎをして、職員用の出入口から外に出た。もちろん、最終バスは出発した後。
「今日もタクシーで帰るかな……その前に、コンビニに寄らないとって、寒い!」
冷たい夜風が肌を突き刺す。さっさと帰りたいが、食べものを買わないと夕食がない。もう夜食の時間だけど。
これからの予定を考えていると、聞き慣れた声に呼ばれた。
「ゆずり先生」
「だから、柚鈴だって」
振り返ると蒼井が追いかけてきた。ロングコートの裾をはためかせながら走る姿は、ドラマのワンシーンみたい。イケメンだと、こんな日常風景さえも輝くのか、と感心してしまう。
「今から帰るのか?」
「そうよ。蒼井先生がこの時間までいるなんて、珍しいわね」
「事故で顔に怪我をした急患が運ばれてきてな。緊急手術をして、さっき終わったところだ」
「お疲れ様」
「あぁ。で、いま帰りか?」
「えぇ」
頷いた私に蒼井がポケットから車の鍵を出した。
「家まで送ろうか?」
「でも、買い物しな……ふひゃぁ!?」
突然、背後から肩を掴まれた。
驚いて振り返ると、暗闇に浮かび上がった姿は……
「…………黒鷺君?」
イケメンが残念になるほどの超不機嫌な表情を浮かべた黒鷺がいた。