冬ですが、変わらず漫画の監修をしています
私はクツクツと煮立った鍋が置いてあるコタツに入っていた。
世間は冬に突入。外は木枯らしピューピュー。
それに比べ、ここは暖かくコタツもある。至極の幸福、この世の天国。ちなみに私のアパートにコタツはない。
ならば、このコタツは誰のか、というと。
答えは黒鷺の家のリビング。
夏の間はテレビとソファーだけだった空間に、冬の到来とともにコタツが登場。
アンティーク調の家具に囲まれたオシャレな空間にコタツは浮いているが、この温もりの前ではすべてが吹き飛ぶ。そのうえ、そのまま置かれているソファーが背もたれになるという完璧仕様。
私は背中を丸め、コタツの天板に頬をつけた。
「あー。このまま、春まで冬眠したい」
「コタツで寝たら、風邪ひきますよ?」
「現実に戻さないでぇ」
イケメンからの容赦ない言葉に顔を背ける。漫画の監修をする時は、こうして黒鷺の家でご飯を食べるのが当然になった。
それが今の私には大いに助かっている。
毎年のことだけど、この時期は職場が地獄になる。朝も昼も夜もなくやってくる患児たち。インフルエンザ、溶連菌、喘息などなど。
自分がうつらないように、他の患児にうつさないように、感染対策をしつつ、神経をすり減らしながらの診察。あと、自分の体力と免疫力を落とさないため、食事と睡眠だけは確保する日々。
けど、この忙しさでは難しく。その中で、黒鷺の栄養バランスがとれたご飯は、体力維持にも重要となる。
「ペン入れ作業になったら、まともな食事は出ませんよ」
「それでも……」
私のアパートより、黒鷺の家の方が交通の便がいい。バスの本数が多く、最終バスの時間も遅くまである上に、直通なので通勤時間が短い。
今の職場の勤務になったとき、アパートを家賃と距離だけで決めたのが仇となった。仕事が忙しくて、バスのルートと最終時刻なんて確認する余裕もなかった。まさか、あんなに大回りルートで通勤時間がかかるなんて。
「やっぱりトータル的に考えたら自分の家より、ここの方が楽なんだよね」
「それなら、冬の間ぐらいは住んでもいいですよ。冬は特に忙しいでしょうし」
言葉とともに取り皿とお茶が置かれる。
「え? いいの?」
冗談半分だったのに、まさかの許可が出たことに驚いて顔をあげる。すると、黒鷺が鍋の中を確認しながら話した。
「一人で生活するには広い家ですから。客室もありますし、別にかまいません」
「そんな甘い誘惑されたら迷うわぁ」
本気で悩む私に現実的な答えがくる。
「監修をしてもらうようになってから、漫画の評判がいいんです。リアリティが出てきたとか、人物に深みが出たとか。なので、いま倒れて監修が出来なくなったら、こちらが困ります」
「自分のためか!」
「当然です。どうぞ」
怒った私に差し出されたお椀。中には白菜にネギに肉団子に白身魚などが、ほかほかの湯気とともに顔を覗かせている。醤油の匂いが食欲を刺激して、よだれまで……このままだと、お腹が鳴ってしまう。
「ぐっ……いただきます」
受け取ったお椀はほんのりと温かく、冷えた手に染みる。外が寒ければ寒いほど、この温もりが恋しくなり、鍋が美味しくなる。
「一人鍋って量が難しいから、つい敬遠しちゃうのよね」
「そうですね」
熱々の白菜を口に入れれば、昆布だしと醤油の味が広がる。はふはふと熱を逃しながら噛めば白菜の甘み。肉団子は噛めば噛むほど肉汁があふれ、ときどき現れる軟骨が食感を変える。
これぞ、冬の贅沢。
「んー、幸せ!」
感動している私に淡々とした声が降る。
「だいぶん、お疲れみたいですね」
「まともに休みなんてないから」
「明日も仕事ですか?」
「明日は午後から。そのまま、当直だけど」
その回答を聞いた黒鷺が無言で立ち上がり、キッチンから何かを持ってきた。
「飲みすぎないのであれば、いいですよ」
コトン、と無機質な音とともに置かれた物体。その姿を見た瞬間、私は両手を合わせて叫んでいた。
「キャー! 黒鷺サマ、素敵!」
目の前にはキンキンに冷えた缶ビール。後光が差して見えるほど眩しい。
「やっぱり鍋にはビールよね! 鍋じゃなくても良いけど!」
プルタブに指をかけて一気に開ける。
プシュッという小気味よい音。白い泡が零れないように口をつける。喉を駆け抜ける炭酸の刺激と、微かな苦み。これぞ、求めていた味。
「プファ! ビール最高!」
「はい、はい。良かったですね」
適当に相槌を打たれてしまった。呆れられたかもしれないが、ビールの前では些細なこと。
ここで私はあることに気が付いた。
(そういえば、黒鷺が家で酒を呑んでいる姿を見たことがないかも? あれ? じゃあ、どうしてこのビールはあったの?)
これ以上、呆れられることもないだろうと開き直った私は思い切って訊ねた。
「ねぇ、黒鷺君はお酒を飲まないの?」
「飲めますが、あまり飲もうとは思わないので滅多に飲みません」
「……じゃあ、なんでビールがあるの?」
豆腐を食べかけていた黒鷺の手が止まる。数秒ほど固まった後、たどたどしい言葉が出てきた。
「べ、別に。たまたま……そう、たまたま、あったんですよ」
「……もしかして、私のために用意した?」
黒い髪の隙間から覗いていた耳がカッと赤くなる。
「そ、そんなことより、さっさと食べてください。〆は、うどんとご飯、どちらがいいですか?」
「ご飯!」
「わかりました」
「うどんは病院の食堂で食べ飽きてるのよね」
「食堂はメニューが限られていますから」
「そうなのよ」
私は頷きながらビールを口にしながら考えた。
(まさか、私のためにビールを準備してくれるなんて。しかも、それを知られるのが恥ずかしいとは。こういう、可愛いところもあるのよね)
ここで、私はふと思い返した。
(私の、ため……)
ブワッと顔が熱くなる。心の柔らかいところをくすぐられたような、もどかしいような、不思議な感覚。
(え? なに? なんなの!?)
自分でも分からない状況に戸惑っていると、心配そうな声が耳をくすぐった。
「どうかしました? 顔が赤いですよ?」
「つ、疲れているから、酔ったのかも」
疲れていても、これぐらいの量で顔は赤くならない。
でも、黒鷺はあっさりと納得した。
「冬の病院は大変ですからね」
「そう。もう、全然休めなくて」
誤魔化すようにネギを口に入れる。
「アチッ!」
ネギから熱々の汁が飛び出し、驚いた私は慌ててビールを飲んで口の中を冷やした。
「何しているんですか」
呆れたように笑われ、ムッとなる。自業自得とはいえ、年下に笑われたくない。
「漫画の監修をしないわよ?」
渾身の攻撃も淡々とかわされる。
「では、鍋とビールは没収ですね」
「うそ! ウソ! 嘘です!」
容赦なく伸びてきた黒鷺の手から逃げるように、私はビールと鍋の取り皿を抱えた。そのことに、ますます笑われる。
「どれだけビールが好きなんですか」
「鍋も好きよ」
「はい、はい。食べたら漫画の監修をお願いしますね」
悔しくなった私は口を尖らせた。
「黒鷺君が作る料理は全部好きよ」
「そ、それは、どうも」
黒鷺の頬がほんのりと赤くなり、そっぽを向く。最近は料理を褒めると「普通だ」と言わずに、こうして恥ずかしがるようになった。
イケメンの表情を崩すのは楽しいが、しょっちゅうしていると耐性がつくかもしれないので、ここぞ、という時にだけするようにしている。
(よし、勝った!)
意気揚々と白身魚を口に入れると、再び熱々の汁が飛び出した。
「あつッ」
反射的に叫んだ後、私は恐る恐る視線をあげた。
すると、そこには意地の悪い笑みを浮かべた端正な顔が。意気揚々になっていた気持ちが再び悔しさで埋まる。
(ここは、我慢。大人の対応をしないと)
私は何事もなかったようにフーフーと白身魚に息を吹きかけて食べた。