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お味噌汁ですが、いつもと違いました

 走った私は、先を歩く蒼井に追いついた。


 渋いオレンジ色のTシャツに、黒の細身のストレートパンツという、着る人を選びそうな服装。

 でも、このイケメンは、ちゃんと着こなせているから凄い。



 蒼井が爽やかに黒髪をなびかせて振り返る。そのまま涼やかな目を私にむけて、興味深げに訊ねてきた。



「さっきの誰? 小児科の患者にしては、大きくないか?」


「あれぐらいの年齢の患児もいるわよ。初診が中学生で、そのまま継続治療してる場合とか。まあ、今のは違うけど」


「あぁ、そういう場合もあるな。で、誰なんだ?」



 なんか、珍しく食いついてくる。普段なら、こういう会話はサラッと流すのに。



「リク医師の息子さん」


「へぇ。なんでリク医師の息子と一緒にいたんだ」


「それは……」



 素直に答えかけて言葉に詰まる。


 まさか泥酔してお世話になったなんて、恥さらしなこと言えない。こんな私でも職場ではプライドを保ちたい。


 私がどう答えるか悩んでいると、蒼井の形がいい唇がニヤリと弧を描いた。



「ゆずり先生にやっと春が来たかと思ったが、違ったか」


「だから、柚鈴(ゆり)だって。ん? 春?」


「そういう話題がサッパリないからさ。けど、その様子なら違うな」



 黒い目がどこか安心したように細くなる。

 私はプイッと顔を背けて言った。



「年中春の誰かさんと比べたら、誰だって少ないですよ」



 そもそも私の場合、春は学生の時で終わっているから余計に少ないと思う。でも、そこはデリケートな問題なので、ほっといてほしい。


 心の中で拗ねている私に蒼井は心外そうな顔をした。



「そんなに春してないぞ。今だってフリーだし」


「あら、珍しい。泥沼三角関係は解決したの? あれ? 四角関係だっけ?」


「なんで知っているんだ!? それは、この職場(ここ)に来る前の職場の話だろ!?」


「なんででしょう~?」



 楽しむ私に蒼井が苦い顔で唸る。



「あ、谷か! あいつがチクったな!」


「正解。この前あった研修で、たまたま顔を合わせてね。そこで聞いたの」


「クッソ。今度会ったらシメる。それに、あれは若気の至りっていうんだ。今はフリーだ」



 イケメンが一生懸命弁明する姿に、私は思わず笑った。



「なんで、そんなに必死になってるの? それに今だって若いじゃない」


「そうでもないぞ。人生設計について考えないといけない頃だ」


「あら、結婚でも考えてるの?」


「そうだな。次に付き合う相手は、それも視野に入れようと考えている」



 真面目な回答に、私は驚いて声をあげた。



「なに!? 明日は槍でも降るの!? それとも、腐ったものでも食べた!?」


「おまっ、かなり酷いことを言ったな!?」


「だって、事実だし」


「おまえなぁ。そういうことを平然と言うところだぞ」


「なにが?」



 首を傾げる私を蒼井が軽々と見下ろす。



(黒鷺といい、蒼井といい、なんでみんな背が高いのだろう。私だって、決して低いほうではないのに)



 不満を抱えて見上げると、思いもよらない言葉が返ってきた。



「見た目は良いのに、相手がいないところ」


「へ? 私の見た目は平凡よ?」


「はい、はい。おまえはいつもそうだよな。じゃ、オレは先に病棟に顔を出すから」


「むー」



 イケメンがこなれた仕草でヒラヒラと手を振りながら歩いていく。軽くあしらわれたみたいで気分が悪い。

 私は不機嫌な顔のまま、医局に荷物を置いて外来へ向かった。


※※


 午前の診察を順調にこなしていく。その途中、処置室の看護師に呼ばれた。



柚鈴(ゆり)先生、お願いがあるのですが……」


「ちょっと待って」



 ゆずりん、ではなく、柚鈴と呼ばれる時は、必ず何かある。


 私は、さっき診察した子どもの薬の処方箋をパソコンに入力して、立ち上がった。




 外来の処置室から聞こえる大きな泣き声。


 そこでは、看護師が数人がかりで男の子の腕を押さえていたが、それを振りほどく勢いで男の子が暴れている。その前には注射針を持って佇む看護師が一人。



(はい、わかりました。この状況だと危なくて採血が出来ないから、私が呼ばれた)


 私を呼んだ看護師がススーと隣に忍び寄り、小声で話す。



「いつもの、お願いします」


「分かったわ。この子の名前は?」


直斗(なおと)君です」


「直斗君ね」



 私は泣きわめく直斗に近づいた。四歳ぐらいだろうか。白衣のポケットにさりげなく両手を入れる。



「なっおとくーん」



 私の声にチラッと反応する。私はその瞬間を見逃さず、右手をポケットから出した。人差し指と中指の間に、青い車がある。



「直斗君は、何色の車が好きかな?」



 私が軽く手を振る。すると、指の間にあった車が赤に変わった。

 そのことに気づいた直斗の動きが止まる。



(よし、いい感じ)



 意識を引き付けるため明るい声で訊ねる。



「何色の車がいい?」



 再び手を振ると、今度は青、赤、黄色の車が指の間に現れた。直斗の涙が止まり、ポカンとこちらを見ている。



(ここまでくれば、もう一息)



 私は興味を引くように、ゆっくりと大きな声で言った。



「さぁて、次は何色の車が出てくるかなぁ?」


「緑!」



 押さえられている状況を忘れた元気な返事。

 しっかりと惹きつけるように手をゆっくりと大きく左右に動かす。



「じゃあ、緑の車が出てくるか、よぉーく見ているんだよ?」


「うん!」



 こちらに気を取られているうちに、他の看護師が直斗の腕に針を刺す。さすがに痛みで注射に気づいた。



「やだぁ!」



(やっぱり泣くよね)



 私はこちらに注意を引くように、声をかけながら手を振った。



「ほら、ほら、見てごらん」



 パッと指の間に緑の車が現れる。



「すごぉーい! あたったよ! 緑の車だ!」



 大げさに驚いてみせると、直斗の意識がこちらに戻った。



(よし、よし。予防接種に比べたら、痛いのは針を射した時だけ。あとは、再びこっちに意識を向けさせれば……)



 私は誘うように訊ねた。



「次は何色かな? 黒かな、白かな、オレンジかな?」


「白!」


「どうかなぁ……何色かなぁ……」



 採血の量を見ながら焦らす。あと少しで必要量が取れる。それまで、なんとか引き付けて……



(よし、取れた!)



 私は手を動かした。指の間には白い車。



「白でした!」


「やったぁ!」



 喜ぶ直斗の腕から注射針が抜かれる。素早く絆創膏を貼って終了。私は直斗の短い髪を撫でて、数種類のシールを出した。



「注射を頑張った子には、ご褒美のシールをプレゼント。どれがいい?」


「電車!」



 直斗は迷うことなく電車のシールを取った。車じゃなかったとこに少しだけ気持ちが沈む。



「ありがと!」



 手を振り母親とともに処置室から出て行く。私も手を振って見送っていると、看護師が声をかけてきた。



「ありがとうございます。助かりました」


「じゃあ、診察に戻るわね」


「はい」



 これもいつものこと。診察室に戻ろうとしたら、背後から話し声か聞こえた。



「さすが、ゆずりん先生よね」


「あの手品は助かるわ」


「子どもたちは夢中になるから、その間に処置ができるのよね」



 ヒソヒソ声だけど、ばっちり聞こえている。助かると思うなら、みんな手品をすればいいのに。


 そんなことを考えながら診察室に戻った私は次の患者を呼んだ。


※※


 午後からは病棟へ。

 パソコンで担当患児のバイタルサイン(体温、血圧、脈、呼吸など)や症状を確認。あと、病棟看護師から状態の報告を聞いて病室へ。


 四人部屋に入ると、ベッドを仕切っているカーテンに赤いシミが見えた。


 しかも、現在進行形でそのシミが増えている。



「まさか!?」



 私は慌ててカーテンを開けた。


 そこには、点滴のチューブをカウボーイのロープのごとく振り回している、十か月の赤ん坊。

 しかも、接続部を外しているので血液が逆流して、振り回している点滴チューブから血が飛び散っている。


 私は即座に、赤ん坊が振り回している点滴チューブの先側を折り曲げた。これ以上、血が飛び散らないようにして、ナースコールを押す。



『どうされました?』


「アルコール綿、持ってきて!」


『え?』


「点滴の接続部を外しているのよ! シーツとカーテンが、血だらけだから!」


『わかりました!』



 すぐに手袋をした看護師がやってきた。傷害事件でもあったかのような惨事に、看護師が苦笑いする。

 そこに赤ん坊の母親が帰ってきた。



佳那(かな)ちゃん!?」



 血だらけで笑う我が子を見たら、とりあえず叫ぶよね。

 私は点滴の処理を看護師に任せて、母親に説明した。



「点滴の接続を外したことで、血が逆流して飛び散っただけです」


「すみません。寝たから大丈夫と思って、少しトイレに……まさか、こんなことになるなんて」



 母親が必死に頭を下げる。たしかに血だらけのシーツかカーテンを交換するという追加業務が発生してしまったが、それよりもずっと付き添いをしている親の方が大変なのは重々知っている。


 頭を下げないでほしい私は努めて軽く言った。



「気にしないでください。よくあることなので」


「ですが……」


「本当に気にしないでください。子どもは目を離した時に、イタズラをするものですから。それに、イタズラするだけの元気が出てきたってことですよ」



 入院してきた時は小腸の一部が詰まっていて、飲めず食べれず。しかも、痛みで定期的に泣き叫んでいた。

 それが笑顔で、点滴の接続部を止めているテープを剥いで、振り回すまでに……



(うん、早く退院ができるように検査の日程を繰り上げよう)


 頭の中で検査予定を組みなおしていると、点滴を繋ぎ直して血を拭き取った看護師が母親に声をかけた。



「お母さん、佳那ちゃんの着替えありますか?」


「はい」



 これから床の掃除と、シーツとカーテンの交換と……私がここにいても邪魔になるだけ。



「また後で来ますね」



 私は次の病室へ移動した。


※※



「はぁー、疲れた」



 陽がどっぷりと沈んでから家に帰った私は、ソファーで体を伸ばした。


 あれから、カンファレンスやら、急患の診察やら、処置やら、しっかり仕事をしたし、静香に栄養療法についての本と、その治療をしている病院についてもメールで教えた。あとは静香次第。


 いろいろ疲れたけど……



「でも、今日は癒しのコレがあるもんね」



 帰りのコンビニで買ったインスタントの味噌汁。ポットから湯を注ぐ。さぁーと味噌が溶けて、具のワカメが浮かんできた。



「いっただっきまーす!」



 ズズッと味噌汁を啜る。



「……あれ?」



 味噌の味がするし、誰が食べても立派な味噌汁だ。でも、違う。


 黒鷺の味噌汁は全身に染みる美味しさがあって、疲れが抜けるような感じがした。けど、この味噌汁にはそれがない。



「どうしてかしら?」



 私は一人、首を傾げた。


少しの間、週三回更新していきますι(`・-・´)/

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