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スープカレーはじめて物語  作者: 諸橋カムイ
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第4話 元気が出るカレー‼︎

───その夜、寄宿舎では昼間のできごとで大いに盛りあがる。


「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを───だとさ、ププッ!」


佐藤昌介(さとうしょうすけ)はガイアの口ぶりを真似したあと笑いをこらえようとしたが耐えきれず、逆に奥歯が見えるほど呵々大笑(ばくしょう)した。


九月も入れば札幌の夜は肌寒い。しかしこの若者は上半身素っ裸であった。肌着もつけていない。さらしているその身体は、肩も腕も、胸も腹も、筋肉という筋肉が隆起していた。まるで名匠の手による金剛力士像のようである。人体はこれほどまでに凹凸(おうとつ)を表わすことができるのかと、見る者が感嘆するほどの隆々(ムキムキ)ぶりだ。


それでいて口角高く、どこまでも突き抜けた闊達(かったつ)な笑顔を絶やさない。声も太くて大きくよく響く。


他の生徒たちから「アニキ」と呼ばれているのは彼だけ年上であるということ以上に、その大物の風格に頼りがいを感じているからだろう。


「……くそっ!」


そのアニキにからかわれ、部屋に集まった学生たちみんなにも笑われガイアは憤然(むっ)とした。キヨもロクも一緒になって笑い転げているのでさらに業腹(ごうはら)である。


むすっとした表情のまま、ガイアは隣に座る荒川重秀(あらかわしげひで)に囁く。


「バーバルさん! 僕は本当にあの人、殴りたくなってきた!」


バーバル───言語とは荒川のあだ名である。英語以外にもいくつもの外国語を巧みに話せるのでそう呼ばれていた。髪を七三に分けて眼鏡をかけた知的かつ優美な雰囲気漂わす眉睫麗(びしょううるわ)しい美少年である。


「しかし、みんな思っていることは同じだろ。カレーは美味しいが、そろそろ飽きたというのは」


そのバーバルが助け舟を出す。ゆっくり落ちついた口調だが声音はしっかり通る。笑い声は一瞬で収まった。水を打ったように部屋は静かになる。ガイアは満足そうに鼻息荒く、腕を組んで何度も大きくうなずく。


「───しかし、『飽きたから変えてくれ』と料理長へ直談判とは少し浅慮というもの」


続く言葉にガイアはあごをはずさんばかりに開いて、そのままうなだれる。


「……さて、何かいい方法はないものかね」


バーバルは目をつむり、細いあごに手をあて考える。流れるような所作(うごき)で黙想するその姿はさながら「思考する哲人」と題すべき一枚の西洋絵画のようである。


つられ、他の生徒も腕を組んだりを頭をななめにしたり、中には唸ったりして考える。それほどまでにみながエゾ鹿肉のカレーに辟易(あきあき)していた。


しばらくすると、ガイアが


「見えた!」


と、声をあげて手を打ちならす。


「クラーク先生に相談しよう!」


「だから、それでは料理長のときと何も変わらない」


とのバーバルの言葉をガイアは手をあげ制した。


「そのままエゾ鹿カレーは飽きた、なんていったって聞いちゃくれないだろうけど───」


「おうよ」とガイアの言葉に一同うなずく。ガイアはうなぎ返し続ける。


「ここはおれたち生徒が新しいカレーを考案するんだ。そしてクラーク先生に提案する。『北海道の人々のためになるカレーを考えました。作ってみましょうよ』って」


「たしかに僕たちの体つきが貧弱だからカレーを食べるよう提案したのはクラーク先生だけど……北海道の人々のためになる、ってどういうこと?」


と、ジョン。


ガイアはさらに快弁(かいべん)を振るった。


「つまりだ、未来の開拓使士のおれたちが考えた、これからの北海道の開発に携わるひとたちに食べてもらいたい『元気の出るカレー』を考えるんだ。こう鹿肉ばかり食べていたら満足に畑も耕せないし、舟だってこげやしない。ビフやポオクがだめなら───そうさなぁ、チキンとか」


「サケやタラだっていけるかも!」


食べ物の話になると途端に舌がなめらかになるロクが言を引き取り、


「カニとかホタテとかも。海の幸ってやつ。英語だと『シイフウド』だっけ?」


自分で言っておいて口の中をわきだすツバで満たした。


「地元で収穫したものを使っておいしくて『元気の出るカレー』を考えればいい。ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『自給自足』や、ジャン・アンテルム・ブリア・サヴァランの『地産地消(ちさんちしょう)』など参考にしながら。カレーに入っている香辛料は漢方薬と同じで、身体を丈夫にしたり、病気を予防する効果があるからね。うん、これはいいぞ」


明るい笑いで締めくくったのはアニキであった。


(ちくしょうめ、おいしいところをもっていきやがって───)


ガイアはいまいましげに、舌を打ち鳴らしたた。そんな彼をよそに「あれはどうだ!」、「これもいかが?」とその場にいる少年たちの気分は沸騰する。


───と、そこへ、


「おい! いつまで起きている!」


突然、部屋のドアが開かれ監督官の森源三(もりげんぞう)が入ってきた。


生徒たちは興奮のあまり、知らず知らずにドアの外にもれるほど声高になっていたらしい。


「申し訳ありません森監督。わたしたちはクラーク先生から出された問題をみんなで解いておりました。難問でした……がしかし、いま答えが導き出され、つい歓喜のあまり大声を。これでみんな寝ることができます、はい」


アニキは源三の前に進み出て、筋骨(たくま)しい厚みある胸をややそらしながらそう答える。


悪事の算段ではない。それどころかしごく建設的な話し合いなのだが、「ぼくたちの共通の秘密、大人には知られちゃいけない」みたいなそんな雰囲気に生徒たちはなっていた。


「これから各自部屋に戻ります、監督」


まぶしいばかりの笑顔と半裸にやや引き気味の源三に、おやすみなさいとまずアニキが一礼して、肩をそびやかしながら退出。優等生のバーバル、ジョン、キヨが礼儀正しく続いて、ロクら他の生徒たち。


最後にガイアが源三の前を通って出る。 源三の見えないところでぺろっとその長い舌を出した。


すると───


「おい、黒岩四方之進(くろいわよものしん)!」


源三に呼び止められ、げっ、と思わずうめきそうになり、足を止めて姿勢を正すガイア。


「おまえは、とにかく明るくて元気がよい。クラーク……教頭先生もそのことを褒めていらした。これからもそうであってほしい」


「ありがとうございます。これからも精進いたします」


振り返ってガイアは彫りの深い黒面に清々しい笑顔をたたえてみせた。源三も少しだけ、ほんの少しだけ笑みを見せる。それは色々な感情を包み隠すものであった。


───部屋に戻ったガイアは窓を大きく開ける。初秋の夜風がゆっくりと入り込んできた。狼の遠吠えが聞こえる。農学校の広大な敷地の外はいまだ原初の荒野が広がっている。


窓から頭を出して空を見上げれば、夜も深更(しんこう)のころ───いく百いく万いく臆の星がまたたいている。今にもそのすべてが降ってきそうであった。


ゆっくりと肺の空気を入れかえ、頭を窓から戻したガイアは、


「さぁ、美味しいカレーを作るぞ」


と、両腕を高々と挙げる。

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