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ただし魔法は敵から出る

作者: とよじろう

当初はこの半分ぐらいの文量で、もっと軽妙な話になるはずだったのに……。


 トワリ・ソバは魔法の天才だった。

 五歳で行われる魔法の適性検査では火水風土の四大元素すべてに強い適性を持ち、魔力の量も申し分なく、魔力操作にも天賦の才を感じさせ、あまつさえ他人の魔力の流れを感じ、魔法の発動を正確に予測してみせた。

 王直属の魔法師部隊で団長を勤める父、ニハチ・ソバを越える神童。王もトワリの才能に期待を寄せ、家庭教師を寄越してくれた。平民の出で元が芸人として名を馳せていた母、アキは、優秀な子を産んだことを誇り、また愛した。


 トワリは物覚えもよかった。魔法の実演は十歳まで控えるのが慣習であったためその真価は秘められていたが、座学において教師が苦労したことは全くない。乾いた砂が水を吸うように、トワリは魔法の知識を深めていった。将来は何人も寄せ付けない、不世出の魔法使いになるだろう。多くの人々がそう思った。

 そう思っていた。


 

 ◯


 トワリ・ソバはひとり、自室で本を読んでいた。

 ここは王国軍魔法師育成機関、通称魔法学校の寮の個室。十七歳になった青年には些か手狭な部屋だ。窓の外は星と月が照らす静かな夜。読書に夢中になっていたトワリはハッと本を閉じた。


「いけね、ついつい読みふけってた。早く寝ないと明日に響く」


 明かりを消し、乱暴に服を着替え、ベッドに潜る。暗くなった天井を見上げながら手を伸ばし、ぼそりと呟いた。


「〈トーチ〉」


 照明用の、火の玉を作る魔法だ。もっとも多くの人に使われている魔法とも呼ばれ、夕暮れに公園にいけば、何人かの子どもがその大きさを競う様を見ることもあるだろう。

 しかし今、トワリの部屋は頼りない月明かりが僅かに入り込むだけの、暗闇だ。声は夜闇にかすみ、にじみ、溶けて、ただそれだけ。


「……〈トーチ〉」


 魔法は、出ない。


 

 ◯


 トワリの人生に暗雲が垂れ込めたのは、十歳のときだった。いや、ずっとあった問題にただ気が付かなかっただけなのだから、その暗雲はずっとそこにあったのだろう。

 初めての魔法の行使。家庭教師も父母も使用人も、誰もが期待の眼差しをトワリに向けた。必ずや歴史に名をきざむだろう大魔法使いが、初めて使う魔法を見ることができるのだと、子どもに向けるには重すぎる期待を寄せていた。

 しかしトワリに気負った様子はない。日頃教師から、父から、父の友人、同僚から、聞かされ続けていたからだ。父の活躍を。自身の才能が父を凌駕していることを。そしてこれから自身が刻むだろう夢物語(こうせき)を。


 初めて使う魔法は周囲に害を及ぼさないものがいい。そのため飛ばず、爆ぜず、ただ滞空する火の玉の魔法、〈トーチ〉が選ばれた。

 トワリは周囲の視線を感じながら、万感の想いで、魔法の行使に挑んだ。


「〈トーチ〉!!」


 そこまでが、トワリの人生のピークだった。

 

 ◯


「〈ウィンドランス〉!」


 女生徒の手から放たれた魔法は唸りを上げながら飛び、しかし何を貫くこともなく中空に溶けて消えた。

 

 翌昼頃。トワリは教師の指示の元、学友たちと校庭に出ていた。魔法の実技の授業だ。

 短距離の徒競走にも使われる縦長の枠線。その端に生徒たちと教師がいて、少しずつ離れた位置に的となる人形が置かれている。三十メートル、五十メートル、七十メートル、百メートルと、四つ。この授業では攻撃魔法の精密なコントロールが求められる。


「成果二。威力はあるがあんま離すと制御が持たないな。反復練習あるのみだ。よし、次。ギボ・ノイト」

「うぃっす」


 担任教師のテノ・べに呼ばれ、ひとりの男子生徒が前に出た。赤銅色の髪に同色の目、褐色の肌を持つ大柄な青年だ。この学年で二番目の成績優秀者。ギボは白線の前に立つと前髪をかき上げ、目を細めて的を注視した。


「いきまーす。〈プロミネンス〉」


 発声と同時、右目が赤く発光した。もっとも近い的の足元から赤々とした炎の帯が立ち上ぼり、人形に巻き付いた。的に当たりさえすれば箇所や威力は問われない。文句無しの的中だ。

 だがギボの魔法は終わらない。そこから炎の帯はうねりながら次の的へ向かい、そちらも同様に焼き、さらに次の的も焼いて見せた。三つ目の的まで届かせることは出来なかったが、ギボがもう一度〈プロミネンス〉を発動させると、今度は左目が光り、新たな炎が的を焼いた。その間も前の炎は消えていない。


「すげぇ……、制御の難しい視線魔法で発動場所から動かすなんて」

「同時発動かよ。お前同じ視線魔法だろ? あれできる?」

「じゃあお前右目と左目で別々の方向見られる?」


 クラスメイトたちが口々に驚嘆する。ギボの優秀さはわかっていたが、それは未だに磨かれ、成長していた。


「凄いなお前は。射程も制御も文句なしじゃないか」

「でっしょ。もはやセンセーから教わることもあんま無いんじゃないっすかね」


 教師に向けて傲岸に笑い、ギボはクラスメイトの群れの中に戻った。テノは手元の紙に何事か記帳し、顔を上げた。


「次。トワリ・ソバ」

「はい」


 トワリが前に出る。背後でクスクスと笑い声が聞こえた。


「【千の魔法使い】だ」

「やる意味あんのかよ」


 侮蔑を含んだ笑いを背中に受け、しかしトワリは構わず白線の前に立つ。彼ら彼女らの些細な悪意には、不本意ながらもう慣れた。

 トワリは軽く呼吸を整え、右手を一番近くの的に向け、叫んだ。


「〈ウィンドランス〉!」


 その叫びは空気をわずかに揺すったが、それ以上の変化は起こらない。背中に届く忍び笑いが大きくなった。

 構わず突き出した右手の指三本を曲げ、人差し指を的に向ける。


「〈砂礫弾〉!」


 なにも起こらない。

 手を下ろし的を強く睨む。


「〈プロミネンス〉!」


 なにも起こらない。

 口を開ける。


「〈フラッドブレス〉!」


 なにも起こらない。


「〈サンダーバレット〉! 〈アイシクルランス〉! 〈青嵐針〉! 〈クエイク〉! 〈ハリケーン〉! 〈ファイアブレス〉! 〈レーザータング〉!」


 なにも起こらない。

 なにも起こらない。

 なにも起こらない。

 なにも起こらない。


「はぁ……、はぁ……、はぁ………!」


 息切れに喘ぐトワリの背後で、もう忍び笑いは起こっていなかった。皆飽き飽きした様子で雑談に興じ、欠伸をしているものまでいる始末だ。


「こら無駄口叩くなー。トワリ、もう終わりにしろ。お前だけの時間じゃないんだ」

「…………すみません」


 トワリ・ソバは他の誰も及ばない数の魔法を習得している。その数は並みの魔法師の数倍以上、千にも及ぶと言われる。

 しかしそのいずれもが尋常の手段では使えない。手のひらからも、指先からも、視線の先にも、喉の奥にも、トワリの魔法は現れない。

 

 彼の魔法は、彼に敵意を向ける何者かから発動される。


 それが分かったのは十歳になってしばらく経ってからだった。初めての魔法のお披露目は失敗に終わり、ひとり魔法の練習に励んでいる時のこと。トワリは野犬に襲われた。

 その犬がなぜトワリに向かってきたのかはわからない。腹が減っていたのか、子どもの声がうるさかったのか。なんにせよトワリは怯え、魔法を唱えた。

 どんな魔法だったかはもう覚えていないが、ブレスの魔法だったように思う。

 トワリが魔法を唱え、魔力が消費され、そして魔法は犬の口から出た。

 犬はその事実に驚いて逃げていったが、トワリはそれどころではなかった。魔法を使った実感を得たが、それと現実が結び付かない。


 その後魔法の研究家に協力を仰ぎ、実験を重ね、出たのが先の結論だ。

 トワリは自分の魔力を消費して敵に魔法を使わせる。

 優秀な軍人となることを期待していた父とその周辺人物の落胆は大きく、自身軍属となることを夢見ていたトワリは絶望した。

 それでもなんとか魔法使いに、と魔法学校に入学し、これまで以上の意欲でもって勉学に励んだ。どんな魔法でもいい。弱くてもいい。自分から現れる魔法を渇望した。

 だが、得られたものは、【千の魔法で自殺する者(サウザンド・スーサイド)】という嘲りだけだった。一見すると偉大な印象を受ける【千の魔法使い】とは、その略称に過ぎない。


「次。イナ・ニワ・ウドン」

「はい」


 テノの声に応じて前に出たのは女生徒だった。乳白色の髪をひとつ縛りに背中に流した、小柄な少女。周囲がざわつく。トワリの時の嘲りではない、期待や憧憬のこもった注視が注がれる。

 イナは切れ長の目でトワリをじろりと睨め付け、白線に立った。すっと息を吸うと右手のひらと左人差し指を、それぞれ的に向ける。


「〈砂礫弾〉、〈アイシクルランス〉」


 言葉に従い魔力が紡がれる。指先から椎の実型の土塊が射出され、手のひらから氷の杭が放たれた。それそれの着弾を待たず、大きく息を吸い、そして吐いた。


「〈レーザータング〉」


 舌先から放たれる眩く蒼い光線が先の魔法を追い越し、的の眉間を貫いた。遅れて土塊が、氷の杭が的に着弾した。イナはふっと一息吐き、最後の的に指先を向けた。


「〈サンダーバレット〉」


 迸る紫電が最後の的を見事焼き、イナの実技は終わった。彼女は指摘魔法、手掌魔法、口腔魔法を使いこなす、この学年の最優秀者なのだ。


「大したもんだ、さすがウドン家のご令嬢」

 

 テノの評価を聞き流し、イナの険しい視線は、ただトワリに向けられていた。


 ◯


「私はあんたが気に入らない」


 いつだったか、イナはトワリを呼びつけ言い放った。

 一日の課程を終え、日の光が朱を帯び始めた時間帯。学校敷地内に建てられた図書館の裏手での出来事である。


「私は小さい頃から努力してきた。適性はあんたと同じ四大元素だし、使える魔法の数だって負けてない。手掌、指摘、口腔の三種しか使えないからその点だけは負けるけど、それでも自分の体から発動できる」


 自分の体から発動できる。トワリが欲してやまない、しかし口にできない台詞を、イナはなんの優越もなく語って見せる。そんなことはどうでもいいと、当たり前だと。


「だっていうのに、あんたが使える視線魔法を使えないってだけで、あたしのあだ名は【百の魔法使い】。あんたの十分の一だ」


 イナは苛立たしげに言う。トワリにしてみれば言いがかりも甚だしい。

 

「……あんたがどれくらいそのあだ名を気にしてんのか知らないけどさ、俺だって自分から名乗ってるわけじゃないし、自分のあだ名が好きってわけでもない。文句は付けた奴らに言えよ」

「そんなことはわかってる。でも有象無象を逐一相手にするより、あたしがあんたに勝った方が早いでしょ? だからこれは、宣戦布告なの」

「宣戦布告……?」


 トワリから訝しげな視線を受け、それでもイナは眦を吊り上げた。細い指先でしっかりとトワリを捉える。


「卒業までの四年で、あたしはあんたより強いあだ名をもらってやる」


 ぽかんと呆けるトワリをよそに、イナはフンと鼻息も荒く立ち去ってしまった。あだ名ひとつにそこまで強い拘りを見せるなど、トワリには理解しがたい。どれほど強そうなあだ名をもらうより、なんでもいいから自分から魔法を発動したい。

 お互いに、自分に無いものを羨んでいた。


 ◯


 それは晴れた日の日中、昼食の時間だった。

 トワリは学校の食堂、その片隅でひとり食事を摂っていた。周りは友達とグループを作り、賑やかで笑顔のある食事を楽しんでいる。トワリはそれを横目に最後の一口を咀嚼していた。


 突然、中庭に面したガラスが轟音と共に弾け飛んだ。椅子はテーブルは食器は風に煽られて飛び散り、それに混じって生徒たちも悲鳴を上げながら転がった。壁際にいたトワリは死ぬほど驚いて転んだだけで済んだが、窓際の生徒の中にはガラスを浴びて血塗れになっているものも見てとれた。


「………………!」

「……………!」

「……………………!」


 周囲の生徒が、あるいはトワリ本人が何事かと声を上げるが、その声は遥か遠くから響くようにこもっている。耳鳴りが酷い。聴覚が正しく機能していなかった。回復魔法を使える生徒が怪我した生徒を治して回っている。使えない者の多くは食堂を出ていった。パニックか、助けを呼びに行ったか、この事態の原因を探りに行ったか。

 トワリは回復魔法を使える。おそらくここにいる生徒の中でもより上等なものが使える。だがそれはトワリの敵を癒す効果しかもたらさないのだ。その事実に歯噛みしながら、事の原因を探るべく、耳を押さえて走り出した。


 ◯


 それは校庭にいた。

 青黒い肌に覆われた筋骨隆々の体躯。

 独特の光沢を持つ同色の太い尾。

 手指の先にある黒曜石が如く爪。

 ねじくれ伸びる艶消しの黒い二本角。

 血のように赤い眼光。

 そしてなにより、陽炎が立つほどに沸き立つ人間への憎悪。


 魔人だ。


「■■■■■■■■■■ッ!!」


 聞くものの心胆を寒からしめる咆哮は、人への憤怒故か、それを晴らせる歓喜が故か、とても強い感情を有していた。遮蔽物もなく浴びたトワリは自分の死に様を幻視した。予感ではなく、実感。

 自分は、今から死ぬという確信。


「〈黒く冷たく重い渦〉!」


 その確信が現実に追い付く前に、魔法が魔人を襲った。魔人の腹の前に一抱ほどの黒い球が発生し、周囲の空気ごと魔人の体を引き寄せ、空中で体を折り畳ませた。引力を発生させる魔法だ。


「無事か、トワリ!?」


 言葉を発したのは、今まさに魔法によってトワリの命を救ったのは、担任の教師、テノ・べだった。


「長くは持たない、お前も早く逃げろ!」


 普段の気怠げな表情とは違う、強い緊張を顔に出し、テノはトワリの代わりに人外の災害と相対した。ひとりで立ち向かうつもりなのか。他の教師はどうしているのか。どこに逃げろというのか。ぐるぐると頭の中を文言が舞うが、そんなことがどうでもよくなるくらい、テノは頼もしく見えた。


「■■■■■■!」

「くそっ、馬鹿力め……!」


 魔人は凄まじい筋力で黒い球から体を剥がすと、その怪腕のひと振りで粉々に破壊してのけた。赤い双眸がテノを捉えた。標的がテノに移ったからか、トワリは幾分気分が良くなったが、抜けてしまった腰は思うように動かなかった。立つなんて、まして逃げるなんて、出来そうもない。


「立てないか……。隙を見てぼくが魔法でお前を飛ばすから、着地地点にクッションがあるか誰かが受け止めてくれることを祈れ」


 新たに黒い球を、今度は顔の前に生み出して視界を奪い、あわよくば首を折ろうと試みる。残念ながら、前段の役割しか果たすことは出来なかった。

 

「でも、それじゃ先生が……! 魔人には軍隊が当たるべきだって、授業で……」

「本来はな。いないもんは仕方ないだろ。ぼくの魔法で何秒かの足止めは出来るみたいだし、うまくやるさ」


 トワリと言葉を交わしながらも、テノの目線は魔人から切れない。切れるわけがない。全身から冷や汗が吹き出しているのが見てとれた。テノもまた、自分の命が今日尽きることを確信しているのだ。

 そしてそれを、なんとか自分だけで抑えようと足掻くつもりだ。

 その背中は、物語に見る英雄のように、大きく、眩しく。


「■■■ーーーッ!!」


 球を破壊し首の自由を得た魔人が苛立たしげに唸り、怪腕をテノに向けた。魔人の魔法に詠唱は要らない。数瞬の後になんらかの魔法が放たれ、テノも背後のトワリも、もしかしたらさらに後ろの校舎も、等しくゴミのように蹂躙される。

 テノは避けられない。避けない。背後に生徒がいるから。

 トワリは避けない。避けることができない。思い付いてしまったから。だからトワリはとっさに叫んだ。願いと魔力を込めて。


「〈トーチ〉!!」


 十万人が同じ状況になったとして、十万人の誰もそんなことはしない。一か八か攻性の魔法を使う者はいるだろう。防御や撹乱を狙う者もいるだろう。そういった魔法が使えない者は、逃げるかうずくまるか、絶望に体を強ばらせるか。

 十万人が百万人でもそれは変わらない。王国をひっくり返しても、今この場で、正常な判断でもって照明の魔法を使う者などいるはずもない。

 しかしトワリのその魔法は、確かな効果を、勝算をもたらした。


 ボッ、と火の玉が生じた。


 魔人の掲げた怪腕の中、魔人が放とうとした某かの魔法に先んじて、〈トーチ〉が顕現した。

 トワリには魔人の表情は読めないが、虚を衝かれた魔人の心に空白が生まれたのは間違いがない。

 そしてテノは、トワリの魔法の性質を知っているテノは、現状を正しく理解した。


「〈黒く鋭く重い杭〉!!」


 両の手のひらから人の腕ほどの太さの黒杭が放たれ、魔人の両足の甲を貫いた。やはり引力を有した黒杭は、魔人の足を張り付けにした上、強力な引力でもって魔人に膝をつかせた。そのまま前のめりに倒れかけ、手で支えた姿勢は四つ這いになる。

 四つ這いになった魔人は怒りを増すとギラリとした双眸を向け、そこに魔力を集めはじめた。今度は視線からなにかするつもりだ。そうはさせじと、トワリも魔力を込める。


「〈トーチ〉!」


 深紅の双眸に接するほど近くに、拳大の火の玉を生じさせた。あわよくば火傷を、そうでなくても目眩ましにはなることを期待して。

 またも魔法の行使を邪魔された魔人は眼前の火の玉を嫌がるように首を振るが、魔法で生み出された火の玉はその動きに会わせて絶えず張り付いていた。狼狽える魔人にテノの魔法が続く。両手の手首を会わせ広げた十指それぞれに魔力を込め、


「〈黒く鋭く重い枷〉!」


 指先から放たれた十本の黒縄が二本づつ寄り合わさり、五本の線となって魔人に走る。黒縄は魔人の首、両手首、両足首に巻き付くと、それぞれが地面へと沈み込み、拘束した。


「三十秒任せた!」


 無駄の一切を省いた指示を飛ばし、テノは詠唱に入った。大規模な魔法を使うつもりだ。応じたトワリはいっそうの注意を魔人に向ける。少しでも魔法を使う素振りがあれば、そのすべてに〈トーチ〉を割り込ませた。

 だがトワリにできるのはそこまでだ。手首、首、足首。少しずつ枷に罅が入っている。魔法の邪魔立てはできても、純粋な膂力には抗じる手段がない。魔人もそれが分かって来たのか、片手の枷が壊れても、魔法ではなく腕力で他の枷を外しにかかった。


「〈ストーンウォール〉!」


 せめてとトワリは魔人の手の先に壁を作り、薄氷のような時間を稼いでいく。身に付けた魔法の中から、なにをどう使えば魔人の挙動を遅らせることができるか、賢明に頭を回転させて。

 それこそ千にも届かせようとでもいうように、間断なく緻密に魔法を重ねていく。わずか三十秒で、トワリは魔力が枯渇しかけていた。

 

 だが、その甲斐はあった。

 

 待たせたな、などと労る余裕はない。今や魔人は枷も杭も外し立ち上がっている。魔法など使わなくともその爪で、筋力で、人は容易に物言わぬ肉塊となるはずだ。言葉を掛ける間も惜しいと、テノは魔法を放った。


「〈果て無く黒く暗い渦〉」


 テノの持てる最大の魔法。直径五メートル程の黒い球体を発生させ、内に捉えた物を、光すらねじ曲げる重力の渦で鏖殺(おうさつ)する。単純な破壊力なら世界でもトップクラスを誇るそよ魔法の圏内に、しかと魔人を捉えることができた。


「■■■■■■■■■!!」


 魔人が挙げた断末魔は誰に聞かれることもなく、魔法の消えたあとには巻き込まれ溶解した地面の凹みが残るのみだった。


 ◯


 この一件によりテノは教師から王国の魔法師部隊へと引き抜かれ、そこから大きな躍進を遂げることとなる。魔人をひとつの魔法で殺傷せしめる様から『黒龍の息吹』と呼ばれ重用され、のちに起こる人と魔の大戦において魔人の軍に甚大な被害を与え、王国最強の魔法師の名を欲しいままとした。

 そんなテノの活躍のそばには常にトワリがいた。テノの右腕として戦場を駆け、テノの戦いをサポートし続けた。その活躍もまた目覚ましく、大戦により人の属国となった魔の将軍などは、手記に「あやつの目さえ潰せれば、龍もトカゲに堕するものを」と残している。

 王国が興って以来もっとも多くの魔法を扱い、また多くの魔法を編み出し、後世の魔法師のあり方に革命を起こした大賢者、トワリ・ソバ。

 その魔法は、敵から出たと言う。

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