第7話 おじさん、JKに相談される
「それじゃあ、チヅルさん。ここが君の部屋だから、自由に使って。足りないものがあったら、ル・シエラか僕に言ってくれればいいから」
「は、はい!」
怒ったり落ち込んだりを繰り返すエレナを説得し、グロリアに頼んで書類の手続きを済ませ。
改めてチヅルさんを我が家に迎え入れた時には、もう夕方になっていた。
「あの……アルフレッドさん、ありがとうございます。その、おうちに泊めていただいて」
「こちらこそ、戻ってきてくれてありがとう。冒険者ギルドのソファの方が座り心地良かっただろ?」
チヅルさんはぷるぷると首を振る。
「正直、心細かったんです。アルフレッドさんもカレンちゃんも帰ったら、わたし一人であの部屋に泊まるんだ、って思って」
十代後半の子供が、見知らぬ地に一人放り出されて。
チヅルさんの不安は尽きないだろう。
僕が十代の頃に一人で王都に向かったのは、自分の夢を叶えるためだったけれど、それでもやっぱり心細かった記憶がある。
まして予期しない転移となれば……
ウチにいることが、少しでも慰めになればいい。
「その代わり、カレンが色々迷惑をかけてしまうと思うけど……大丈夫かい?」
「迷惑なんて、全然です! あの、わたし、妹がほしかったんです。一人っ子だから」
「ありがとう。僕は羨ましいな、一人っ子。何でも取り合いしなくて済むだろ」
孤児院での暮らしは、一言で言えば戦争だった。
十人以上の子供が一緒に暮らしているのだ。
何でも早いもの勝ち、強いもの勝ち。
体の弱い僕はいつも出遅れて、その度エレナが手を引っ張ってくれたっけ。
「わたしは……賑やかなおうち、いいなって思います。ウチは、母さんといつも二人で、静かで」
チヅルさんは何かを思い出して――それに蓋をしたようだった。
(……こういう時、本当は、話を聞いてあげたほうがいいんだろうな)
来訪者は皆、多かれ少なかれ元の世界に思い入れがある。
それが未練であれ、遺恨であれ。
他者との対話を通してそういう感情を昇華することは、彼らが新しい世界に馴染むためには必要なことだ。
でも。
(誰にでも話したくないことはある。……僕だってそうだ)
もしかしたらチヅルさんが自分から話したいと思う時が来るかもしれない。
その時には、僕よりずっと相応しい話し相手がいるかも。
僕と出会ったチトセのように。
「……それじゃ、ごゆっくり。夕飯が出来たら、ル・シエラが呼びに来てくれるから」
「はい……本当にありがとうございます。アルフレッドさん」
僕は手を振って、部屋の扉を閉じた。
それから書斎に戻ると、万が一に備えて準備を始めた。
と言っても、我が家は普通の中古物件で、それほど大げさなことが出来るわけじゃない。
せいぜいが家の周囲に罠を仕掛けておくぐらいだ。
そのための魔法を構築して、図面を書き起こしていく。
実際の作業はエレナやル・シエラに頼むことになるだろう。
痛む腰で無理やり作業しても、かえってみんなの手間を増やすだけだ。
医療魔法というのは、明らかな外傷には効果的だけれど、こういう身体の構造上の不具合には弱い。
どうやら肉体の方が怪我と認識しないらしい、と昔読んだ論文に書いてあったっけ。
プランがある程度まとまったところで、ちょうど夕食の時間になった。
今日はなんだろうな?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あの――アルフレッドさん。今、いいですか?」
遠慮がちなノックのあと顔をのぞかせたのは、恐縮した様子のチヅルさんだった。
チヅルさんとエレナが我が家で暮らし始めて、三日。
何故かいちいちドジを踏むエレナ(うううううるさいバカ! 緊張するんだ、あたしだって!)をよそに、チヅルさんはすっかりウチに馴染んだようだった。
というか、完全に懐いてしまったカレンの世話に手一杯で、あまり他のことを考える余裕がないのかもしれない。
「ねーねーチヅルおねーちゃん! おえかきしよ! カレン、おはな描けるよ!」
「チヅルおねーちゃん、ボールへたっぴ! いい? こうやって、ぽーいってやるの! ぽーいって!」
「ねえチヅルおねーちゃん、おひるねしよ? カレンねむくなった……」
「あ! チヅルおねーちゃん、ご本よめるの? おべんきょうちゅう? カレンも! カレンもする! おとーさーん、カレンのご本だしてー!」
「……チヅルおねーちゃん、おっぱい大きいね……エレナおねーちゃんよりおっきい? どしたらそんなふうになれもごもごむぐむぐ」
昨日なんて二人一緒に風呂に入って、そのままチヅルさんの部屋で寝てしまったぐらいで。
正直、父としては感謝半分、嫉妬半分というか……
まあカレンも今年で七歳。王都に住んでいれば初等学校に通う年齢だ。
男親とベタベタするのも微妙な年頃なのかもしれない。
(とはいえ、お父さんはちょっと寂しいな、カレン……)
――はっ。いけない。チヅルさんが訪ねてきたんだった。
「えーと……どうしたんだい、チヅルさん」
「あの……天恵のことを、相談したくて」
まさか、彼女から切り出してくるとは。
折を見て、話をしてあげなければと思っていたけれど。
「分かった、入って。そこのソファ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
書籍が山積みになっていたティーテーブルの上を片付けて、適当に埃を追い払う。
「ごめんね、この部屋はル・シエラにも立ち入らないようにしてもらってて。結構危ないものがあるから」
「けほけほ……いえ、だ、だいじょうぶです」
どうにか人間二人が落ち着けるスペースを確保して、僕は向かいのソファに腰掛けた。
(……こうして改めて見ると、本当によく似てるな。チトセに)
『チキュウ』出身者は、こちらの世界で言うところの『東方』出身者に似た特徴を持つ人が多い。
黒い髪と黒い目、やや黄みがかった肌に、彫りの浅い顔立ち。
正直、僕達『西方』の人間には個人の判別がしづらいタイプではある。
(……僕が、単にチトセの思い出を投影してるだけなのかな)
結婚の記念に描いてもらったチトセの肖像画を横に並べてみれば、はっきりするのかもしれない。
でも、その勇気はない。
あの日から、肖像画は書斎の一番奥でケースに入ったまま。
「……あの。わたし、自分の天恵が何なのか、知りたいんです」
「うん。気持ちは分かるよ。王立魔法研究所の保護官と一緒に、時間をかけて探していけば――」
「そうじゃなくて。その、すぐに、は難しくても、なるべく早く理解して、使いこなせるようになりたいんです」
チヅルさんは真剣だった。
膝の上の拳を握って、真っ直ぐに僕を見つめている。
「焦ってるみたいだね。家に閉じ込められているのが嫌になった?」
「そんなことありません! 寝るところも食べ物もお風呂も、他人で、異世界人のわたしに何から何までお世話してくださって……本当に感謝してるんです」
だからこそ。
……本当に、真面目な良い子だ。
「もし負い目を感じているなら、気にすることはないよ。僕達は当たり前のことをしているだけだから」
「……でも。わたし、何かしたいんです。皆さんの役に立ちたいんです」
彼女は揺らがない。
その黒い瞳は、強い光を宿している。
「……わたし、前の世界では、何もできなくて。取り柄なんて一つもなくて、全然何も――できない子供で。親が喧嘩してるときも、大好きな叔母がいなくなったときも、親が離婚するときも……わたし、なんにもできなかった。何も変えられなくて、そのまま」
悲しい時や辛い時、何もできなかった無力な自分。
そんな過去と決別したい。
今、周りにいてくれる人のために、何かをしてあげたい。
……その気持ちは、僕にも分かる。
「……『新兵が最初に斬り落としたのは自分の指』。この言葉の意味、分かるかい?」
「え、い、いいえ」
「中途半端な技量と自信はかえって悪い結果を生む。確か『チキュウ』では、『生兵法は怪我のもと』って言うんだったかな」
ただの魔法使いでさえ、その多くが訓練の最中に魔法の暴走で命を落とす。
魔法とはそれほど危険なものだ。言葉一つで炎を生み出せるのだから。
まして桁外れの威力を持つ天恵となれば、危険はさらに高まる。
「大人しくしてろ、ってことですか? わたしには何もできないって」
「違う。ただ、心に留めておいてほしいんだ。危険にさらされるのは君自身だってことを。暴走した魔法や天恵は、真っ先に使用者自身を傷つける。『誰かのために』って思うのは大切なことだけど、もしもの時に何かを失うのは、まず君なんだ」
僕が王立魔法研究所に入った時、最初に師匠から言われたことだった。
彼女は優秀な魔法使いだったけど、右脚が無かった。
戦術魔法士だった頃に、魔法を暴発させたせいだと言っていた。
……まさか自分が師匠と同じことを誰かに説くなんて。
想像もしてなかった。
「やるなら、自分自身のためにやってほしい。この世界で君自身が生きていくために。誰かのために、って考えるのはその次だ。いいね」
「……はい。分かりました」
チヅルさんが頷く。
僕はその決意を、信じることにした。
「よし。そうと決まったら、僕はエレナを説得してくる。いきなり外出するなんて言ったらめちゃくちゃ怒られそうだしね。チヅルさんはル・シエラに昼食用のサンドイッチを頼んできて。たまには外に出よう」
「は、はい!」
「僕の分はコリアンダー多め、エレナの分は卵多め、カレンの分はマスの燻製を多め……チヅルさんはどうする?」
チヅルさんは少し悩んでから、にっこり笑って。
「ベーコン多めで!」
「いいね。じゃあ準備ができたら、リビングに集合しよう」