第3話 おじさん、追い詰められたので本気出す
「オラオラー! どこだー魔法使いー!」
「ここかな~? それともあっちかな~? いっひひひひ!」
子供のように甲高い歓声が、木立の間を吹き抜けてくる。
葉を散らす音、幹を蹴る振動。
(追っ手は二人――しかも身のこなしが異常に軽い。獣人かハーフリングだな)
木から木へと飛び移っているのだろう。
声は高いところから降ってくる。
このまま地面を走っていても、逃げ切るのは難しいか。
(というか、先に僕の腰が砕けそうだ……ッ)
中級魔法【疾風迅雷】は、高い身体能力を引き出せるが、その分だけ肉体に負荷がかかる。
本来は運動不足の魔法使いではなく、若く頑健な戦士にかけて活躍してもらうための魔法だ。
「あの! あの、アルフレッドさん、段々追いつかれてるような気がするんですけど……」
「なんか鬼ごっこみたいだねー! ねぇ来訪者のおねーちゃん、追っかけるのと逃げるの、どっちが好き?」
「えっ? わ、あー、わたしは……追いかける方が好き、かな? あんまり足速くないから、逃げるとすぐ捕まっちゃうの……」
「分かるー! カレンね、村で一番かけっこ速いんだよ! この前二歳上のヘンリーにも勝ったんだから!」
「へ、へー、す、すごいね……えと、カレン、ちゃん?」
「あ! おねーさん名前なに?」
「えっ、チヅル、です……」
僕の腕の中の少女と、背中に張り付いた幼女は、やたら呑気に世間話などしている。
今、結構シリアスな状況なんだぞ、分かってるのか君達は?
(なんて愚痴っても仕方ない――この状況をどうにかするのは、僕の仕事だ!)
父として。
そして、来訪者の少女の……ほ、保護者? うん、保護者として。
「あ! いたー! いたぞミド! あっちだ!」
「えらいぞ~ファド! 一番乗りはボクがもらうけど~!」
「お前ー! ずるいぞミドー!」
追っ手は追っ手でいまいち緊張感に欠けているが。
気を取り直しながら、僕は魔法のイメージを脳裏に展開していく。
二つの糸を撚り合わせるような心地で紡ぐ、合成魔法。
(【閃光】――【騒音】)
ふわりと浮かんだ光球は、形を保ったまま滞空する。
「え、なんですか、あの光ってる――相手に場所が分かっちゃうんじゃ!?」
「大丈夫だよー、チヅルちゃん! おとーさんを信じて」
「えええ、そんな、本当に……?」
今はまだこれだけ。あとはタイミングを測ればいい。
「二人とも、目を閉じて。ちょっと騒がしくなるけど、大丈夫だから」
「は、はい……」
周囲の木々が、不意にざわめき始めたかと思うと、
「ボクがい~ちば~んっ!!」
「オレが一番だーっ!」
まったく同じタイミングで、枝々の上から二人の影が飛び出してきた。
まるで生き写しのような少女達――目も鼻も口も、頭部からぴょんと飛び出た獣の耳も。
違いといえば、髪の長さぐらい。
短いほうがファド? 長いほうがミド?
(どっちでもいいか――【粉砕】!!)
僕が念じた瞬間、宙に浮かぶ光球が炸裂した。
雷光にも似た凄まじい輝きと轟音が、森をつかの間、白い闇へ変える。
「みぎゃーっ!!」
「ふぎゃぁ~っ!!」
真正面から閃光を目の当たりにした獣人達は、無残にも頭から地面に落ちた。
ニンゲンよりも数倍鋭いと言われる目と耳を押さえながら、悶絶している。
「うっひゃー、すごかったねおとーさん! ドーンて! ドーンて!」
「び、び、びっくりしました……」
「驚かせてばっかりでごめんね。あと少しで村に着くから」
残りの二人――ジェヴォンとレオンが追いつく気配は無い。
何せ獣人の全力疾走だ。だいぶ彼らと距離は開いただろう。
と。
(霊素の流れがおかしい)
霊素。
世界に満ちる形なき力。あらゆる魔法の根源。古くは精霊とも呼ばれた何か。
魔法使いとはそれを『視る』者であり、言い換えれば『視えない』者は魔法使いと成り得ない。
「おとーさん。なんか、変。森の……ふいんき? が」
「……カレン。分かるかい? 今、何が起きているか」
「うん。ざわざわってしてる。誰かが――おっきな魔法を使おうとしてる?」
流石、僕とチトセの子だ。
魔法使いの素質は申し分ない。
森の奥――僕達が走ってきた道の向こうへ、どんどん霊素が吸い込まれていく。
(この量、勢い――上級の大規模魔法だ。まさか、あのレオンとかいう魔法使い……森ごと僕らを吹っ飛ばす気か?)
正気とは思えない。
来訪者を無事手に入れるのが目的じゃなかったのか?
それとも、僕が防御魔法を展開することまで計算に入れて足止めするつもりか。
「どうしたんですか、アルフレッドさん? 早く逃げないと、またあの二人が追ってきちゃうんじゃ」
「チヅルおねーちゃん。あのね。多分、あの悪い魔法使いがおねーちゃんを魔法で狙ってると思う」
カレンの言葉に、チヅルさんが青ざめる。
「そんな、だって、こんなに逃げたのに」
「大規模魔法だ。森ごと焼き払うつもりだと思う」
「森を――なんでわたしなんかの為に、そこまで!?」
説明したいのはやまやまだが、そんな余裕はない。
(まずいな。あのレオンとかいう魔法使い、完全にこっちの足元を見てる)
確かに防御魔法を展開すれば僕達三人は助かるだろう。
三重もあれば充分か。
僕達の足止めが出来て、木が無くなって視界も確保できる。敵にとっては一石二鳥。
でも。
この土地に暮らす僕達にとって、森が与えてくれる恵みは欠かせないものだ。
加えて言えば、カレンの遊び場としてこれ以上の場所もない。
(全部守るなら。この大規模魔法を止めなきゃ)
――詠唱が始まった魔法を止める方法は二つしか無い。
(詠唱を中断させる――いや、相手の位置が分からなきゃ、手が打てない。捜索も間に合わない)
ならば、もう一つの方法を。
(……仕方ない。目には目を、歯に歯を、か)
思いついたのは、決して気の進むやり方ではなかったけれど。
こんなところで手段を選んで、カレンの大切なものを奪われる訳にはいかない。
「カレン、チヅルさん。お父さんは敵の魔法に対抗するために、ちょっと大きな魔法を使います。何が起きても僕のそばを離れないで。二人のことは絶対に守るから。いいね?」
「――は、はいっ」
「チヅルおねーちゃん、こっち、しゃがんで! ぎゅってしたげるから!」
小さく丸まって抱き合う二人。
カレン――本当に、なんて優しい子なんだ。チトセも喜んでるよ、きっと。
僕は大きく息を吸って――久々に声を出して詠唱を始める。
――イメージを紡ぎ、構成を撚り上げ、言葉と共に形を見定めていく。
「其は天駆けるもの、颶を撒くもの、恵みなるもの。裂きて輝き、閃き嘶け――」
霊素の流れが変わる。
レオンへ一方的に引っ張られていた霊素が、僕の方に寄り集い始める。
「踊れ狂え、歌い哭け、其は鳴り響き、其は轟き落ちる――」
例えるなら見えない綱を引っ張り合うように。
僕は、レオンが使おうとしている霊素を、盗って、奪って、奪い倒して――ここら一帯にある全ての霊素を喰らい尽くし。
「――【龍雷】ッ!!」
その全てを――解き放った。
空の色を変えるほどの巨大な稲妻。
城一つを焼き払うのに充分な破壊力は――無限の空へと吸い込まれていった。
【龍雷】は研究所時代に僕が作った実験魔法だ。見た目が派手で威力が高くて、敵の士気を挫くように調整したんだけど――欠点が二つあった。
一つ、消費が激しすぎる。周囲に霊素が無くなったら、真っ先に殺されるのは魔法使い自身だ。
二つ、詠唱が長すぎて噛みやすい。構成の検討より早口の練習の方に時間がかかったくらい。
「……ふう。よかった。噛まずに詠唱できた」
「す、すごい……なんて、大きな雷」
「おとーさん! かーっこいいー! どがーん、ばばーんって! 花火みたい! ずどどどーん!」
「はは、良かった、喜んでもらえて。今年のお祭りで見世物にしてみようか」
飛びついてきたカレンを受け止めると、またしても腰が悲鳴をあげる。
うう、辛い。
「あ、アルフレッドさん! どうして今の魔法、あの魔法使いに向けるんじゃなくて、空に……?」
「良い質問だね。何故なら、当てなくても勝てたから、だよ」
勝負は、レオンと僕のどちらが先に大規模魔法を完成させるか、ということだった。
それは単純に詠唱の速さを競うだけでなく、霊素を取り込む速さを競うということである。
先にここら一帯の霊素を取り込み尽くされたら、遅れた方の魔法は発動しない。
「何なら僕の魔法は発動しなくても良かったんだ。相手の手を封じられれば、それで」
空間に漂う霊素の量には限りがある。
戦闘や医療行為で短時間で大量に消費されると、その空間の霊素が一時的に枯渇することがある。
こうなると、時間が経って霊素が再び満ちるまでは、いくら構成を編んでも魔法は発動しない。
魔法を兵器として考えた場合の、最大と言っていいほどの弱点。
「【龍雷】は霊素を大量に使う魔法だから、こういう時にはピッタリなんだ。とは言っても、彼らに向けて撃ったら、森も彼らも酷いことになっちゃうし……空に向けて撃つしかなかったんだ」
「……あの一瞬で、そこまで計算をしたんですか」
「カレンと君を守らなきゃいけなかった。それに、カレンが大好きな森も」
言って、僕は腕の中のカレンをぎゅっと抱きしめた。
「ちょ、なに、おとーさん、いたいよー」
「うん、ごめんよカレン。でも少しだけ」
もうこれ以上、この子に辛い思いをさせたくない。
その為なら僕は何でもする。
どんなに大変でも、難しいことでも。
「――なんですか、今の――まさか神のお怒り……!? おお太母よ、ついに終焉の時を告げられるというのですか!」
「そんなワケないじゃろがい! しっかりせいアガタ殿、今のは落雷――いや、地上から迸ったような……ありゃ上級魔法じゃろう!」
「アルの仕業だ、ギドランズさん! あんな災害級、他に誰が撃てる!? あのバカ、無茶するなっていつも言ってるのに!」
「てかアルフレッド先生、今日カレンちゃんと散歩行くって言ってたよね!? ヤバくない!? エレナ、急ぐよ!」
思ったよりも近くから聞こえる騒がしい会話。
村の自警団の面々だ。きっと空間振動の轟音を聞いて、見回りに来てくれたんだろう。
「おーい、みんなー! 僕だ、アルフレッドだー! こっちだよー!」
「アル!? アルの声だ! どっちからだ!? 分かるか、メリッサ!?」
「あっち! 急がなきゃ――って、エレナ! ちょっと、一人で飛び出さないで――」
呼び声が届くや否や。
大地に響く重い足音が、どっしどっしと――
「アルーッ! アルフレッドーッ!! カレーン!!」
「やあエレナ、助かったよ――ちょ、わ、わ、ま」
木立と藪を踏み潰すようにして現れたのは。
巨大なグレートソードとフルプレートアーマーで完全武装した戦士だった。
さながらドラゴンでも狩り殺すかのような勢いで。
「このバカ、バカ、バカ、バカーッ!! 何やってんだアホーッ!」
どずん、っと凄まじい重量に抱きつかれ。
(あ――これ。完全にヤッたな、腰)
妙な確信とともに。
背中から地面に叩きつけられて、僕はあっさりと気を失った。