第38話 おじさん、愛娘のもとに帰る
かくして。
ミスリル産出領であるリリー家の当主の座を巡る争いは、一旦の幕引きとなった。
一旦というのは文字通りの意味だ。
パイクは、実兄暗殺のスキャンダルで当主の座を追われた。
領内の有力者を集めた緊急会議は、ジェヴォンを当主とし、エヴァンを後見人に据えるリリー家の方針を受け入れることで合意した。
ジャックが遺した実績と血統主義の両方が結びついた結果だろう。
当然、ジャックの方針に反発してパイク側についた有力者とっては面白くない展開だ。今頃次の手を考えているに違いない。
でもまあ、そこから先はジェヴォンとエヴァン――新しいリリー家当主の問題だ。
マリーアン様率いるラーヴェルート辺境伯家は、やるべきことをやった。
新当主とミスリル取引優遇の約定もかわし、目的は達成。
……契約成立を祝う夜宴は、城の中でも被害がなかった小さなホールで開かれた。
エヴァンが用意してくれたパーティは、パイクのそれよりはささやかだったけれど、僕のような庶民にはむしろ居心地の良いものだった。
「ごめんなさいね。本当は、一番の功労者のアルフレッド君をもっと讃えたかったのだけど」
「何言ってるんだよエヴァン、他に感謝すべき相手はいっぱいいるだろ。僕に構ってる場合じゃない」
詫びるエヴァンや、ジェヴォン達と一緒に盛り上がるマリーアン様の親衛隊、酔っ払って管を巻くユーリィとエレナ、隙あらば僕を暗がりに連れ込もうとするデズデラ。
だいぶカオスなパーティだけど、みんな楽しそうで本当に良かった。
酔っ払い達の後始末はマリーアン様(一つ貸しだぞ、“魔王”殿)に任せて、僕は自分の部屋に戻る。
「おかえり、おとーさん!」
「ああ、ただいま。カレン」
布団を跳ね除けてベッドを飛び降りたカレンを、ぐっと抱き上げる。
なんだか、久しぶりのような気がした。
「悪いやつ、やっつけた?」
「誰もやっつけてないよ。話し合いだって言ったろ?」
「でも、みんなみんな言ってたよ、おとーさんがいっちばん大活躍したって! おとーさん、すごい! がんばったね!」
カレンの弾けるような笑顔。
小さな手が、僕の赤毛を撫で回してくれる。
「……うん。ありがとう、カレン」
危ういことの連続だったけれど、なんとか誰も死なせずに済んだ。
そして僕も生きて帰れた。
それは、誇っても良いはずだ。
「おつかれさまでした。アルフレッドさん」
達成感を噛み締めている僕に、チヅルさんがベッドサイドの水差しから注いだ水を差し出してくれる。
僕はカレンをベッドに下ろすと、それを受け取った。
「ありがとう、チヅルさん。おかげでどうにかなったよ」
チヅルさんは戦いの間も、この夜宴の間も、ずっとカレンのそばにいてくれた。
ユーリィと一緒に――今は酒と美食を目当てに宴席に居座っているユーリィと一緒に、カレンを守ってくれた。
そうじゃなきゃ、僕はあの会場に行けなかったし、その後の騒動も止めることは出来なかっただろう。
この成功は、チヅルさんの協力あってこそだ。
「いえ、わたしは、そんな……せっかく魔法が使えるようになったのに、結局何も」
「君がカレンと一緒にいてくれたから、僕は目の前のことに集中できたんだ。本当に、助かったよ。感謝してる」
チヅルさんがこの世界に来てからこっち、僕もカレンもずっとチヅルさんに甘えさせてもらっている。
いくら彼女が子供好きとはいえ、申し訳なく思えるぐらい。
「……わたし。ユーリィさんの気持ち、ちょっと分かった気がします」
「え? なに、どうしてユーリィの話?」
「アルフレッドさんは、何でも受け入れてくれる。そこが素敵なんです、って言ってました」
……よく分からないけど、とにかく褒められたみたいだ。
ははは、と僕が笑うと、チヅルさんも微笑んでくれる。
僕は、パーティ会場から拝借してきた料理や飲物が入ったバスケットを、ベッドサイドに並べた。
チヅルさんが好きな肉料理も、カレンが好きな魚の燻製も、甘くて香りのいいジュースも。
「おいしそうなやつだー! おとーさん、これなに? 食べていいの? もうお外真っ暗なのに?」
「今日は特別。でも寝る前に、もう一回歯を磨くこと。いい?」
「やったー! えー、どれにしよーうふふふ」
僕とカレンと、それからチヅルさん。
三人でめいめい好きなものを摘みながら、この旅を振り返る。
「あれすごかったね! うしさんの行列! すっごい向こうまで続いてた!」
「すごかったねぇ。わたしは、エヴァンさんのおうちに感動しちゃった。なんか、海外ドラマの世界に入り込んだみたいで」
目をキラキラとさせながら、思い出を語る二人。
「僕は……あれが美味しかったな。ほら、広場で食べた煮込み料理」
「カレンも! カレンもあれちょー好きだった! また食べたい!」
……王立魔法研究所に勤めていた頃、僕はたくさんの本や文献を目にしてきた。
世界に一枚しかない大賢人の直筆メモから、暗黒街に出回る非合法な魔法の覚書まで。
好奇心を刺激し、興味をそそられるような情報は数え切れないほどあった。
それでも僕にとって、カレンの言葉や考えほど興味深いものは他にないと思う。
僕は、いつでもそれを知りたいし、できるだけ尊重したい。
(……そうだ。そのために、僕は戦ったんだ)
この子の未来を守り、選択肢を増やすために。
そのためには、辺境領が平和で豊かでなければいけないから。
だから、あの恐るべき『怪物』も打ち破ることが出来た。
……やがて。
「ねえ。おとーさん」
僕の膝に頭を載せて、カレンは眠い目をこすっていた。
「カレンね。おとーさんみたいになりたい。おとーさんみたいな……立派で、強くて、カッコいい魔法使い」
娘に褒められるというのは、天にも昇るぐらい気持ちいいことだけど。
こればかりは、どうにも素直に受け取れない。
僕は、良い魔法使いなんかじゃない。
本当に素晴らしい魔法使いだったなら――チトセを死なせずに済んだはずなのに。
「カレン。その、僕は――」
「ジェヴォンおねーちゃんに、聞いたの。おとーさんは……ジェヴォンおねーちゃんの、おかあさんを守るために、戦ってくれたんだって」
……眠気と戦いながら紡がれるカレンの言葉に、僕はじっと耳を傾けた。
「それだけじゃなくて……もっとたくさんの、色んな人のおとうさんや、おかあさんを、守ったんだって。きっと、もう……おとうさんや、おかあさんがいない子を、作りたくないからだろ、って」
「……そう、だね。カレンや、僕みたいに、大切な人を無くすのは、辛いことだからね」
不覚にも、声が震えそうになるのを堪える。
「それでね。ジェヴォンおねーちゃんが、ありがとう、って。おとーさんと、おとーさんを貸してくれたカレンに、ありがとうって」
カレンの小さな手が、僕の腕をぎゅっと掴んだ。
「カレンもね。いろんな人に、ありがとうって言ってもらえる人に、なりたいの。だから……魔法の練習、したいの」
カレンの言葉。カレンの意思。
僕が何より尊いと思うもの。
「みんなを、しあわせにする、魔法……つかえるように、なりたいの」
僕はカレンの髪を――母親譲りの滑らかな黒髪を撫でながら、頷いた。
「……分かった。やろう、カレン。少しずつ、少しずつ……おかあさんの時みたいに」
僕の返事を聞いてくれたのかどうか。
すぐに、小さくてかわいらしい寝息が聞こえてくる。
「……歯磨き、しそこねちゃいましたね」
「ああ……うん。仕方ないよ。明日の朝にしよう」
柔らかい枕にカレンの小さな頭を置くと、上等な絹のシーツを肩までかけて。
あどけない寝顔を見つめながら、僕は深く溜息をついた。
「……僕のこと、甘い父親だと思った?」
「いえ……ううん。そうですね、わたしはずーっと思ってましたよ。『この人、本当に娘さんのことが大好きなんだなぁ』って」
横目で見やると、チヅルさんはいたずらっぽく笑っていた。
「エヴァンに感化されたのかも。子供にはやりたいことを、やりたいようにやらせてあげた方がいいって」
「……そっか。そうなんですね」
叶うなら、僕がこの手でカレンをずっと守っていてあげたいと思う。
でも、それでカレンの可能性を奪ってしまっては、意味がない。
そんな親にはなりたくない。
「だから、エヴァンさんと再婚するんですか?」
「……はぁ?」
いきなり何を言い出すの、チヅルさん?
「えっ? あれ、だって……ジェヴォンちゃんが、そんなようなことを」
「ええええ、なにそれ、何て言ってたの?」
「えっと……『アタシもよくわかんねーけど? なんか? 作戦会議とかしてるうちに意気投合して? 焼けぼっくいに火がついた、みたいな? リリー家の再興に力を貸してくれる的な? 経済的な支援が必要的な? 感じらしいぜ?』って」
めちゃくちゃフワフワした嘘じゃないか……子供のいたずらか。
というかジェヴォンの奴、素直にお礼を言っていったのかと思いきや、二人にそんなことを吹き込んだのか?
一体どこから出てくるんだ、その執念……
「……ええと。しない。再婚は、しない。その予定は、ないよ」
「良かった。……ちょっと安心しちゃいました」
チヅルさんが長く細い息を吐く。
手にしていたジュースを一口飲んで――
はっと思い出したように、
「あっ! い、今の安心っていうのは、その、そういう意味じゃありませんよ?」
「え? あ、うん。分かってる。大丈夫だよ?」
正直良く分かってないけど。
まあ、若い人の言うことは全般的によく分かんないし大丈夫だろう。多分。
……ふと、あくびが漏れた。
流石に疲れが溜まっているのかもしれない。
特に領都に来てからは働き詰めだったし。
(二十代の頃はこれぐらいのハードワーク、全然平気だったと思うんだけど……三十になってガクッと体力落ちたなあ)
早く家に帰って、自分のベッドで眠りたいな……
「……お疲れですね、アルフレッドさん」
「ああ、そうみたい。ごめんね、今夜はそろそろお開きにしようか」
持ち込んだ食べ物を片付けようと、僕は立ち上がる。
「――あの」
僕の上着の裾を、チヅルさんが掴んだ。
「えっと……よ、よかったら、なんですけど。わたし、が……い、癒やして……」
「うん? どうしたの、まだ何か食べ――うわっ!?」
予想よりも強く裾を引かれ、僕はもう一度ベッドに座り込んだ。
それどころか、勢い余って倒れ込みそうになって――
「……え?」
僕の頭が、柔らかいものに受け止められた。
……なんだこれ。
今どういう体勢なんだ、僕は?
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