第34話 おじさん、貴族の居城に乗り込む
ラーヴェルート家と並ぶ外縁地帯を領地とするリリー家。
田舎貴族と蔑まれることもあるが、豊富なミスリル鉱脈を持つ彼らの経済力は決して侮れない。
それは、領都にある本居を前にすれば一目瞭然だった。
「これは、見事な城だねぇ」
「オウオウ、目ェかっ開いてよく見とけよ、アタシらの根城をよォ!」
ジェヴォンが誇らしげに胸を張るのも分かる。
三角屋根の尖塔と、緻密に組み上げられた白い外壁を擁するリリー城は、まさに堂々たる偉容だった。
背後を守る峻険な鉱山が、その風格を一段押し上げている。
「随分褒めているな、アルフレッド先生。もしや我がラーヴェルート城では満足できなかったか? 流石、地上最強の魔法使い殿はお目が高い」
「いえ、そういう意味では……からかわないでくださいよ、マリーアン様」
いじわるな笑い方をするマリーアン様に、僕は両手を挙げて降参した。
馬車の窓から顔を見せた彼女は、周囲を守る親衛隊やエレナ達、そして僕に向かって声をかける。
「さて、ここからが本番だ。万が一の時には諸君らの手を借りることになる。気を抜かぬよう頼む」
「その時は、この剣と誇りにかけてお守りいたしますわ、我らが主」
「今日は調子がいい。三十人までなら返り血を浴びずに済みそうだ」
エレナとフランソワーズさん達はやる気満々だ。
彼女達の出番がないことを祈ろう。心の底から。
僕は馬車の窓に顔を寄せると、マリーアン様の近くに座っていたエヴァンに声をかけた。
「……エヴァン。緊張してる?」
「ええ、平気。だって、アルフレッド君がいてくれるんだもの」
「レオン達やエレナもいる。何か起きても、君達のことは守るよ。エヴァンとジェヴォンは、自分達のやるべきことだけ、やればいいから」
エヴァンは軽く首を振り、
「ありがとう。でも、そうじゃないの。あなたがいてくれると、少し気分が楽になるの」
「……僕が? どうして」
「そうね。……古い友人、だからよ」
何かを確かめるように、エヴァンが呟く。
「お母様、それじゃ伝わりませんよ! この鈍感赤毛野郎には、もっとはっきり言ってやんなきゃ!」
「ちょっと、何を言ってるの、ジェヴォン? アルフレッド君に失礼じゃない――ああホラ、また足を開いて。今日はせっかくドレスなのだから、もっと淑女らしく振る舞いなさい」
「いいんですよ、アタシのことは! それより、お母様こそもっと胸の谷間を強調してくださいって、グーッと、ねっ」
「ジェヴォン! もう、またそうやって袖をまくろうとする!」
やれマナーだ、やれアピールだと、やり合い始める母娘。
これから家族の仇を討ち、自分達の暮らしを取り戻すための大切な戦いが始まるっていうのに。
(……余計な心配はいらないか。二人なら、うまくやれる)
賑やかな二人を見ていると、僕は少しだけ羨ましい気持ちになる。
もしかしたら。
これから、カレンにもこんな微笑ましいやりとりをする機会を与えてあげられるだろうか。
僕が新しいパートナーを見つけたら。
(……今、考えることじゃないな)
僕は、場違いな想像を頭の中から追い出し、これからの段取りを反芻する。
(……できる準備は全部やった。あとは、エヴァンとジェヴォンがどれだけ戦えるか)
パイクに対する告発だけは、二人がやりとげなければいけない。
言うまでもなく、冒険者ギルドからジャック暗殺の証拠が公表された時点で、パイクの当主としての正当性は崩壊する。
でも、その後を継ぐエヴァンとジェヴォンが、この復讐と告発を通して、正当なる当主としての「強さ」を示せないなら、彼女達を喰い物にしようとする連中が新たに現れるだけだ。
貴族社会というのはつくづく過酷だと思う。
国王が立てた法律には縛られる一方で、貴族独特のルールに則って自らの価値を常に証明し続けなければいけないのだから。
(でも、そうすると決めたのは、二人だ。僕達はそれを助けるだけ)
正門から入ってすぐの庭園もまた見事に手入れが行き届いていた。
控えていた男達が出迎えてくれる。
「ようこそいらっしゃいました、ラーヴェルート伯爵。お車と従者の方はこちらへ――おや、そちらのご婦人方は?」
「我が友だ。折角の機会だ、ぜひ新当主殿にご紹介させてもらいたくてな」
パイクの補佐役らしき髭面の男は、ヴェールのついたつば広帽を被ったエヴァン達が、かつての主の妻と娘だとは気付かなかった。
まあバレた所で、今更マリーアン様と親衛隊を止められる訳もないんだけど。
エヴァンが新当主になったら、彼の配置は考え直したほうがいいかもしれない。
マリーアン様とリリー家の二人、そして世話係の親衛隊が馬車を降りる。
周囲にいたゲスト達からは、自然と溜息がこぼれた。
「まあ、なんて素晴らしい――あの紋章、ラーヴェルート伯爵家の馬車よね?」
「あの“冒険令嬢”か! 噂以上の美貌だな……」
「後でご挨拶に上がろう、忘れるなよ」
「あの美しさで独身とは……満足させられる男がいないというのは、本当のようだな」
「御髪をいただけないかしら、お守りにしたいわァ」
見慣れない者にとって、マリーアン様の美貌は感嘆すべきものだろう。
艷やかな銀の髪は乙女達の憧れだろうし、凛々しさと愛らしさを兼ね備えた面差しは男達の夢と言っていいし、完璧な比率を体現するプロポーションは芸術家の目標だ。
(横に並ぶジェヴォンとエヴァンが不自然なほど顔を隠していても、誰も気にもとめない、って訳だ)
馬を降りた僕とエレナ、フランソワーズさん、それに変装したミドとファド、レオンが後に控える。
親衛隊の面々は馬と馬車を預けた後、城内の要所に散開して万が一の場合に備えてくれる予定だ。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ――お足元にお気をつけください」
案内役の女性を先頭に、僕達は城内を進んでいく。
主会場はホールらしいけど、庭園や廊下にも食事は用意されていて、パーティの規模の大きさが分かる。
マリーアン様の威光――つまり、王国における鉄壁騎士団の戦略的価値を考えれば、妥当な歓迎ぶりだろう。
「ああして着飾ると、本当に目立つな、マリーアンは」
「本当ですわね。わたくしも、たまには会場の視線を釘付けにしたいものですわ」
僕と並んで歩くエレナとフランソワーズ達は口を揃えて言う。
でも、僕に言わせれば二人だって充分に目立っている。
「ラーヴェルート伯の親衛隊か? ……女しかいないと聞いていたが」
「男の方はただの従士でしょう? それよりも、あの二人を見て!」
「ああ……なんて素敵なのかしら。そこらの凡夫なんて比べ物にもならないわ!」
「おお、あの御足で蹴られたい――おっと失礼、あの臀部で椅子にしていただきた――ああ失礼、違うんだ、その」
エレナは、精緻な彫りの鎧に熊の毛皮を纏った勇ましいスタイルで、特に女性からの視線が熱い。本人は装甲剥き出しより警戒されにくいから、って言ってたけど。
フランソワーズさんは霊銀の鎖と絹を組み合わせた、鎧とドレスの中間みたいな衣装を着ていて――どういう訳か、ものすごく色っぽい。
ジェヴォンが着てた水着アーマーより露出は低いのに、何故か妖艶なのだ。これはもう中の人の差としか言いようがない。
おかげで従士に変装したレオンやミドやファド、ついでに僕のことなんて誰も気に止めない。
壁の花どころか、床の染みレベルの扱いだ。
「あら、どうなさったんです、アルフレッドさん? こちらへいらしてくださいな。あなたのかわいい妻をエスコートしないと」
「お前、それまだ引っ張るつもりか、フラン……!」
冒険者ギルドでのピエールとの一件――僕とエレナが夫婦だという嘘について、エレナはフランソワーズさんに漏らしてしまったらしい。
フランソワーズさんは完全に楽しんでいる笑い方で、
「そもそもあなたがつまらない見栄を張るからでしょう、エレナ? 本当ならわたくしがエスコートしていただきたかったのに、この贅沢者」
「おま、それは許さんが、もう、クソ、なんなんだ!」
怒りのやり場を失ったエレナが口ごもる。
不意にフランソワーズさんは僕の肘を掴み、ぴたりと胸を寄せてきた。
絹と鎖越しに伝わってくる柔らかな温もり――一体何年ぶりだろう――に、僕は思わず身をこわばらせる。
「ちょっ、近いですよフランソワーズさん!?」
「いいじゃありませんか。エレナ、あなたは殿方にどうやってエスコートをしていただくか、ご存じないでしょう? こうして優しく身を寄せて、己のすべてを委ねるのですよ?」
「わーっ、コラ、やめろフラン、触るな、あたしの旦那だぞっ」
今度はエレナが反対の腕を引っ張ってくる。
いたいいたいいたい、取れる、腕が取れる。
「まぁ乱暴な。そんなことでは殿方を悦ばせるなんて出来なくてよ、エレナ?」
「クソ、お前といい、デズデラといい、他人の夫婦生活に口を出すなっ」
うん、その通り。
と言っても夫婦(偽)なんだけど。
「ええと……その、二人とも、もう少し小さな声でやってもらえると」
「いや、ここは引けないぞアル、そろそろフランとは一度ケリをつけなきゃいけないからな」
「ケリを? つける? それはアルフレッドさんの妻としてどちらがふさわしいか、という意味かしら?」
不本意ながら、周囲の視線が僕に集まり始めている。
こんな地味な男が選り抜きの美女を二人も連れていたら、確かに何事かと思うだろう。
僕自身もそう思ってるぐらいだ。
「……そろそろホールに着くぞ、アルフレッド先生。今日は色男ぶりを発揮するのは控えてくれ。一応、主賓は我なのでな。あまり目立たれると面目が立たぬ」
「……からかわないでくださいよ、マリーアン様」
エレナとフランソワーズさんの腕を、なんとか振りほどき。
軽く身なりを整えると、僕達は昼食会の会場へ足を踏み入れた。
――出迎えてくれたのは、ホールに響き渡る出席者達の歓声と賑やかな管弦楽。
さらには漂う美食とワインの香りも相まって、なんだか目眩がしてくる。
目を回している僕をよそに、マリーアン様は周囲に群がってくる参加者達を手際良くいなしていた。
流石、生粋のご令嬢だ。見ていて気持ちがいいぐらい。
「やあ、これはこれは。お待ちしておりましたぞ、ラーヴェルート伯爵」
「盛大なご歓待、痛み入る。パイク・リリー殿、この度は栄えあるリリー家当主のご就任、心よりお祝い申し上げよう」
マリーアン様がとびっきりの作り笑顔で握手を交わしたのは、リリー家の現当主パイク・リリーその人。
(……あまりジャックとは似てないな)
エヴァンの夫にしてジェヴォンの父であるジャック・リリーは、誠実と熱血を混ぜ合わせて窯で焼いたようなカタブツだった。
比べると、パイクは冷ややかな雰囲気で、笑みを浮かべても瞳の温度が変わらないタイプの男だった。三十歳を過ぎて順調に恰幅も良くなっているようだけど、それでもジャックよりご婦人方に人気がありそうだ。
あえて兄弟の共通点を上げるとすれば、整えられたもみあげの存在感ぐらいか。
「さ、お前もご挨拶なさい」
「……お初にお目にかかります。わたくし、パイク・リリーが嫡子、エリザベート・リリーと申します」
パイクの傍らで、スカートの端をつまんで頭を垂れるご令嬢に至っては、ますます似ていない。
ジャックやエヴァンはもちろん――従姉妹であるジェヴォンにも。
「これはご丁寧に。パイク殿に似て涼やかな眼をお持ちだ」
「……いえ、そんな」
マリーアン様の言葉は世辞だ。
エリザベートはパイクにも似ていない――早くに病死した母親に似たのだと、エヴァンは言っていた。
「申し訳ありません、ラーヴェルート伯爵。ご覧の通り不出来な娘でして。この歳になっても挨拶一つまともにできないのです」
パイクが揶揄すると、うつむきがちだったエリザベートがますますうつむいてしまう。
……かわいそうに。
「十分に立派だ。我が同じ歳だった頃はダンジョンの底で寝起きして、狩ったモンスターの首を数えることだけが生きがいだった。挨拶の作法なんてすっかり忘れていた」
マリーアン様なりに褒めたつもりだったんだろうけど。
エリザベートは動かない――どころか、ちょっとマリーアン様の発言に引いている用に見えた。
藍の髪は腰まで届き、肌は日焼けを知らない陶磁器の質感。
ジェヴォンが日の下で遊ぶ少女だとすれば、エリザベートはろうそくの傍で本を開くのが似合いそうな少女だった。
「さあ、どうぞこちらへ、伯爵。歳こそお若いが、当主の座に着かれてからの期間は、私よりもあなたの方が長い。家門を繁栄させるためのアドバイスを是非いただきたいですなぁ」
「我のような若輩の経験がお役に立つだろうか。それよりも、パイク殿に鉱山経営のコツについてお伺いしたいものだ。我が領地にも新たな産業が必要なのでな」
ホールの中心に据えられた大きなテーブルには、よりどりみどりの美食が並んでいる。
大きなローストビーフやジビエは当然として、宝石のようにカラフルな果物に、揚げ菓子やケーキなど、漂う芳香が僕の胃袋を刺激した。
こんな時じゃなきゃ、喜んでいただくのに。
マリーアン様とパイク、エリザベートが席についても、テーブルにはまだ空きがある。
「そちらのご婦人方も、ぜひお座りください。……よろしければ伯爵、ご友人を私にご紹介をいただけますかな?」
ついに来た。
戦闘開始の合図だ。
「その必要はない、パイク・リリー殿。あなたもよくご存じの方だ」
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