第24話 おじさん、未亡人と再会する
「こちらへどうぞ、アルフレッド様」
「すみません、ご案内ありがとうございます、リデルさん」
リリー家の別邸に迎えられた僕達は、それぞれに客間を与えられて一息ついていた。
リリー家おかかえの料理人はとても優秀で、急な来客にも関わらずきちんとした夕食を用意してくれるらしい。
晩餐までの間、久々のベッドの感触を堪能しようと思っていた僕とカレンの部屋を訪れたのは、侍女のリデルさんだった。
「奥様が、ぜひ、お二人でお話がしたいと」
「僕ですか? いや、そんな、それよりもマリーアン様とお話いただいたほうが」
突然泣き崩れたばかりなのに、また顔を合わせて良いものかと迷うが。
リデルさんは強く頷いて。
「ぜひに――私からもお願いいたします」
そこまで言われては、断るのも悪い気がして。
結局、チヅルさんとエレナの部屋にカレンを預け――二人の目がやけに冷たかった――、僕はエヴァンの私室を訪れたのだった。
「……先程は、失礼しました。つい取り乱してしまって」
「いえ、こちらこそ。急に大勢で押しかけてしまって、すみません」
改めて向き合うと、やはり時が経ったと感じる。
あの頃のエヴァンはジェヴォンのように髪が短く、少女らしい派手なドレスを纏っていたけれど。
今はすっかり髪も伸びて、ドレスもシンプルで上品なものに変わっている。
どことなく疲れたような雰囲気を漂わせているのは――成長というより、置かれている状況のせいかもしれない。
促されるまま、僕はバルコニーに置かれたティーテーブルの椅子に腰掛けた。
よく磨かれた樫材の天板には、湯気を立てるお茶が置かれている。
「長旅でお疲れのところを、ごめんなさいね。その……本当に、懐かしくって」
「そんな風に言ってもらえるとは思ってなかったよ。僕のことなんて忘れてると思ってた」
僕は素直にそう言ったが、エヴァンはきっぱりと首を振った。
「忘れる訳ないわ。……アルフレッド君のことは、絶対に」
力強い言葉。
……どうしよう。言われれば言われるほど、罪悪感が大きくなる。
正直、僕はジェヴォンから名前を聞いて、ようやく思い出したぐらいだし。
なんていうか、当時の僕は、本当に他人に興味がなかったというか、魔法のことしか考えてないオタク少年だったというか……王立魔法研究所という環境が楽しくて仕方なくて、それ以外のことなんてかけらも興味がなかったのだ。
「その……娘さんから聞いたよ。色々大変だったみたいだね」
「そうね。でも……アルフレッド君こそ、大分苦労したんでしょう?」
あの実験事故は王国史に残る大事件だ。
当然、王国の貴族階級には知れ渡っている。
「まあ、確かに楽ではなかったけど。色々な人に助けてもらって、なんとかやってる」
「……若くて綺麗な子ね、ラーヴェルート伯は。お母様にそっくりだわ」
なんで急にマリーアン様の話が? 確かにお世話にはなってるけど。
「アルフレッド君は、あの子に飼われているんでしょう?」
「はいぃ?」
ものすごく素っ頓狂な声が出てしまった。
飼われてる? 僕が?
それはその……なんだ、アダルトな意味で、ってこと?
「彼女が助命と辺境への留置を嘆願したのは、あなたを囲う為だって……元々、幼少の頃から、そういう仲だったって聞いたけど」
「……ごめん。貴族の人達ってさ、みんなそんな話ばっかりしてるの?」
ひとの趣味趣向を、どうこう言いたくないけど。
「それは流石にマリーアン様に失礼だよ。僕は孤児院出の平民だし、ハンサムでも気が利くわけでもないし。故郷の村で教師の仕事をもらって、時々トラブル解決の手伝いをしてるだけ。今回同行したのも、僕の魔法が必要だってマリーアン様が判断したからだよ」
「……そう。そうだったのね」
エヴァンが安堵したような笑みを漏らす。
それを見て、また少し記憶が蘇った気がした。
「あ。……笑った顔は、あんまり変わらないね」
「あら。それ以外は老けたってことかしら?」
「嫌な言い方するなあ。大人っぽくなったって意味だよ」
「ふふ、そんなお世辞が言えるようになったなんて、無愛想でカタブツのアルフレッド君も随分大人になったわね」
まあ確かに、昔の僕だったら、なんて言ったかわからないけど。
「大体、君の子供があんなに大きい子だなんて思わなかったよ。驚いた」
「ジェヴォンはまだまだ子供よ。見た目ばっかり大きくなって、いきなり『アタシ達の兵隊を見つけてきます!』とか言って飛び出しちゃうし……私があの子ぐらいのときは、もう見合い話の一つや二つあったって言うのに」
「そりゃ、君はいかにもお嬢様って感じだったし」
「お母様の趣味よ。まぁ、役には立ったけどね」
ふと、バルコニーからの風景に目を向ける。
静かな土地だった。年季の入った家並みと、実りを待つ畑だけがどこまでも広がっている。
先程までの騒動が嘘のように、響くのは鳥の声だけ。
「旦那さんが亡くなってから、ずっとここに?」
「……ええ、穏やかな暮らしよ。あの人と一緒に忙しなく領地を回っていたのが嘘みたい。毎日薔薇の手入れをして、メイド達とお茶を飲むだけの日々」
エヴァンは遠く、飛ぶ鳥の影を眺めていた。
辺境ではあまり見ない小さな種類だ。
「随分と幸せそうに聞こえるよ」
「あの人とジェヴォンがここにいてくれれば、もっとね」
それは冗談でもなんでもなかっただろう。
僕も同じ事を考えたことがあるから。
……僕は、エヴァンと会ってから、ずっと思っていたことを口に出す。
「娘さん――ジェヴォンは、君とお父さんのために当主の座を取り戻すって言ってたけど。君は、どう思ってるの?」
「……正直、どっちでもいいと思ってるわ。何をしたって、あの人が帰ってくるわけじゃないもの」
細い溜息。
「なんて、割り切れればよかったんでしょうけど。この件は、私だけの問題ではないのよ。亡くなったあの人の名誉や使用人達の生活はもちろんだけど、ジェヴォンの安全や将来が関わってくるんですもの」
エヴァンは物憂げにぼやく。
確かに、仮にエヴァンが死んだとしても、パイクはジェヴォンを狙う手を緩めたりはしないだろう。
それに、リリー家の当主という立場は重責ではあるけれど、多くの見返りがある身分でもある。
娘に渡せるものなら渡してやりたいだろう。
「それに、ジェヴォンのことだから、もし主という身分を失ったりしたら、レオンを手放してしまいそうじゃない? あの子の面倒を見られる人なんて、レオンぐらいしかいないのに」
「あ、そこは把握してるんだ」
「当たり前です。というか、我が家の関係者で気付いてないのは当人同士だけよ」
ああ、そうなんだ……当人同士と、あと僕もだったけど。
「いずれにしてもね。ジェヴォン自身が望むのなら、あの子と一緒に家督を取り戻したいの。その成功が、あの子をもっと強くしてくれると思うから」
――子供がやりたいことなら、後押しをしてあげたい。
その気持ちは、僕も痛いほど分かる。
「ごめんなさいね、アルフレッド君。こんな危険なことに巻き込んでしまって」
「ははは。できれば、こんなことやめて娘と身を隠してくれ、って言いたかったんだけどね」
それが一番手っ取り早くて安全な方法だと、分かってはいるのだけど。
「ふふ、そうできたらいいのに。辺境で隠居生活なんて、素敵よね。どう、満喫してるの?」
「悪くないよ。でも危険は多いし、選ぶなら南方諸島じゃないかな。食事も美味しいって言うし」
僕の場合は選択肢なんてなかったけど、エヴァン達は罪人じゃないし、お金さえあれば行き先は自由なはずだ。
「そうねぇ。でも、アルフレッド君は辺境にいるんでしょ?」
「え、そりゃ、うん」
「ラーヴェルート伯爵の愛人でもないし、それに、今は娘さんと二人で、再婚もしてないって聞いたけど」
「そうだけど……あれ、何の話?」
僕はうなずいたけど……エヴァンには、訳知り顔で溜め息をつかれた。
「……そういうところは、変わらないのね」
「そういうって……ごめん、なに?」
エヴァンが微笑む。
十八歳だった頃と同じように。
「アルフレッド君、昔、ジャックの『決闘』に付き合ってくれたでしょう」
「ああ、うん、あったね。僕は剣なんてからっきしだったから全然勝負にならなくて、怒られたっけ」
そもそも「他人への愛情を暴力で表現するなんて無意味どころか害悪だ、早急に廃すべき旧弊だ」とか言って、ジャックをめちゃくちゃに怒らせたんだ、確か。
あの頃の僕は今よりずっと尖っていたんだ。思い出すとかなり恥ずかしい。
「どうしてあんなことしたの? 怪我までして」
「……ジャックと話してるうちに、彼にはそれが必要なんだ、って思ってさ。僕にとっては無意味な悪習でも、ジャックにとっては君を振り向かせるための神聖な儀式だったんだよ。だったら、少しぐらい手伝ってあげようかなって。悪い奴だとは思わなかったし」
とにかく真面目で不器用な男だった。それは妙に印象に残っている。
あと、もみあげ。
「間に立たされた私の気持ち、知ってた?」
「ディアス家の女が嫁ぐのに相応しい男だと証明しろ、って言ってたよね」
その条件が何なのか、エヴァンははっきりと言わなかった。
だから、彼女にしか分からない基準があるのだろう、と思っていた。
「……まあ言ってたけど。でも、そういうのって、その……ほら。あるじゃない?」
「あるよね。あるある。多分、あったんだよね……何があったの?」
「もう! 本当に、そういうところよ! 確かにあの頃の私、ちょっと馬鹿というか、ツンデレが過ぎたみたいなところあるけど! アルフレッド君は、本当、やたらと優しくするくせに……ズルいんだから」
君も相変わらず、よく分からないところで怒り出すよね。
という本音は、口に出さないだけの分別はついたつもりだった。
でも、顔を真赤にして怒るエヴァンがそのまま泣き出したときは――
流石に、どうしたらいいか迷った。
「ごめん、なさい、あの……その、懐かしくて、昔のこと、思い出して、たら……ジャックのことを――思い出して、しまって」
「……うん。分かるよ。ふとした時に思い出すんだよね。そういうものだよ」
朝起きた時、ご飯を食べている時、歯を磨いている時、くだらない話をしている時。
そんな何気ない時に、ふと亡くなった人の記憶がよみがえる。
胸を引き絞るような、鼻の奥がつんとなるような、甘く柔らかな記憶の名残で、感情が溢れてしまう。
そのどうしようもなさは、僕にも分かる。
「よく耐えたね、エヴァン。君はがんばったよ」
最愛の人を亡くして、可愛い娘は手元を離れ。
何かに没頭することもできず、ただ安穏とした時間だけが流れてゆく。
繰り返しやってくる思い出と喪失の痛みの中、エヴァンはひたすら娘の帰りを待っていたのだ。
「――わた……し、私、あた、し――っ」
止められなくなった涙と嗚咽。
しゃくりあげるエヴァンの手を、僕はそっと握った。
出来ることは、それぐらいしかなかったから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「オイ、待て、赤毛……ええと、違う、アルフレッド、さん」
ジェヴォンは、明らかに不承不承といった顔だったけど、ようやく僕を名前で呼び止めた。
それだけでも驚きなのに、なんと服まで着替えていた。
旅の最中みたいにお腹も背中も脚もむき出しのハラハラするような鎧ではなくて、仕立ての良いドレスを纏っている。
……違和感がすごい。
エヴァンの私室に続く廊下で。
僕はジェヴォンにお詫びをした。
「悪かったね。お母さんと積もる話があっただろうに、時間をもらっちゃって」
「それ、は……別に、いいよ。お母様が、望んだんだし」
やけに歯切れが悪いのは、実家に帰ってきた途端、使用人全員から言葉遣いをたしなめられたせいだろうか。
というか、ホントどこで憶えたんだよ、あの口調。
「あのさ。アンタ、お母様のこと、どう思ってんだよ」
「どうって……古い友人だよ」
当人に会うまですっかり忘れてたのは、本当に申し訳ないんだけど。
「そーいうんじゃなくて! その、アレだよ。お母様、スゲー美人だろ。てかまだ全然若いしな! お父様が亡くなってすぐ、結構色んな所から見合いの話が来てんだよ。スゲーだろ!」
すごいすごい。でも何が言いたいんだ?
「……アンタ、周りの人にバカとかボケとか鈍感とか、よく言われないか?」
「なんで知ってるの?」
「ったく、信じらんねーな。こんなぼんやり赤毛野郎が、お母様の初恋の相手とかよォ」
初恋って言い方すると、なんか急に甘酸っぱい感じなるけど。
彼女はディアス家の次女として嫁ぎ先を探していただけで、恋っていうのとはちょっと違うんじゃないかな。
「……リデルが言ってたんだよ。お母様は、ディアスの爺様と婆様に頼まれてお父様と結婚したんだって」
それは……確かにリリー家は昔から霊銀の産出で儲かってたし、当時のディアス家は干ばつの影響もあって景気が良くなかったと思うけど。
リデルさん、娘にそんな話したの?
「いや、それはあくまできっかけで、お母さんはお父さんのことを心から愛していたと思うよ」
「わぁってるよンなこたァよ! 二人はずっと仲良かったし、アタシだってお父様とお母様のことは大好きだよ!」
顔を真赤にして叫ぶジェヴォン。
……どうしよう、この子すごくいい子じゃないか。
僕、ちょっと泣きそうになってしまった。エヴァンとジャックにも聞かせてやりたいな。
「……んで、だ。お父様が死んじまったのは悲しいけど、もうしかたねーじゃねーか。お母様も辛いだろうけど、でも、いつまでも泣いてるなんて、嫌だろ?」
うんうん。そうだね。
その気持ちは、あとでエヴァンにこっそり伝えておくからね。
「だからよ。アンタが支えてやってくんねーかと思ってよ」
……どうしてそうなった?
「お母様は次女っつっても一応貴族の生まれだからよ、色んなことを我慢してきたんだよ。アタシみてーに。だから、いい機会だし、お母様のやりたいよーにやらせてやりてーんだよ」
ええと、お母さんと丸っきり同音異句じゃないか。
(……ジャックとエヴァンはすごいな。こんな優しい子を育てられたなんて)
僕はどう答えるべきか迷った。
言うべきことは決まってる。でも、どう伝えたらいいのか。
「……君の言いたいことは分かった、と思う」
「オウ」
「でも、エヴァンを支えていくことは、僕にはできない」
ジェヴォンは本気だ。
それなら僕も、本気で答えなければ。
「誤解しないでほしいのは、君のお母さんや君のことが嫌いだ、って訳じゃないこと」
「……オウ」
「その上で聞いてほしいんだけど」
僕は言う。
「僕には愛してる人がいる。その人のこと以外は考えられない」
嘘も遠慮もない、本当のこと。
「……それって、おチビ――カレンの母親のことか? 確か、昔に死んじまったって……」
「ああ。そうだよ」
ジェヴォンはとっさに、何かを反論しようとした。
でも、いい言葉が思いつかなかったらしい。
「……だから、お母様も一人でいろ、ってか」
「違うよ。これは僕の話だ。僕はそうするって決めた。それだけのことなんだ」
正しくなくても。優しくなくても。間違っていても。
これは僕の生き方だ。
――そう考えなければ、あの日から今まで、生きてこられなかった。
「……クソ、なんだよ、アンタ。ふわふわしたツラして、めちゃくちゃ頑固じゃねェか」
「期待に添えなくて、ごめん」
僕は、俯いてしまったジェヴォンの横を通り過ぎる――
「――でも、気に入ったぜ」
ぐっ、と袖を引かれて振り向く。
ジェヴォンはますます意固地になった目で、僕を睨む。
「アタシは諦めねェからな。絶対ェ、アンタをお母様のモノにしてやる」
……前言撤回。
(なんて手のかかる子供を育てたんだ、ジャックとエヴァンは……)
未亡人という響きだけでご飯三杯いけます。ご覧になられたら、ぜひ評価&ブックマークよろしくおねがいします!