第22話 おじさん、女子高生と練習する
起きている時のカレンはいつも元気いっぱい、ニコニコしていてそれはもう愛らしいけれど。
「ん~……むにゃむにゃ」
揺れる焚き火に照らされながら、すやすやと眠る顔は、それはもう目に入れても痛くないほどかわいい。
寝顔だけで酒が飲めるぐらいかわいい。
というか、実際に飲んだこともある。チトセと二人で。
「カレンちゃん、眠りました?」
「うん、ホラ、見て。この寝顔。ほんっとかわいい――」
振り返ってから、はっとする。
僕の肩越しにカレンの寝顔を覗き込んでいたのは、チヅルさんだった。
「あ、ごめ、ええと、ごめんね、親バカで」
「いえ。わたしもかわいいと思います。カレンちゃん」
彼女は笑う。
でも多分、それは僕とは違う感情だ。
僕は親バカなんだ。
カレンが産まれてから、ずっとこの寝顔を見てきた。少しずつ成長していく娘の顔を。
この、嬉しくて、楽しくて、切なくて、胸の奥が震えるような気持ちを。
共に味わえる唯一の人は、もういない。
「……ごめん、待たせちゃったね。少しだけど、魔法の練習しておこうか」
「はい。よろしくお願いします」
カレンが起きないよう小声でやりとりすると、僕らは焚き火を離れた。
同じように火の周囲で眠るエレナやユーリィ達の毛布を避け、見張りを担当してくれている親衛隊のメンバーに、焚き火で温めておいたシチューの残りを渡す。
「わ、助かるッス! いやー、やっぱ辺境の夜は冷えるッスねぇ」
「何かあったらすぐ戻るよ。見張りお願いします、ソフィさん」
「お二人こそ、気をつけて! 呼んでいただければ、かけつけますんで」
褐色の肌を持つソフィさんは、愛用の槍を担いで白い歯を見せた。
彼女は南方出身で、マリーアン様の冒険者時代の仲間だ。マリーアン様が冒険者ライセンスを返上する際に、半ば押しかける形で親衛隊に志願したらしい。
ひらひらと手を振る仕草は、確かに生粋の騎士っぽくはない。
――僕とチヅルさんがやってきたのは、近くにあった丘。
視界を遮るものはほとんどなく、万が一魔法が暴走しても被害はなさそうだ。
「わぁ……村の夜空も綺麗だと思ってましたけど、やっぱり荒野は違いますね」
チヅルさんの感嘆に誘われて、僕も空を見上げる。
煌々と輝く二つの月を飾る、無限の星々。
漆黒から藍、そして黄白色までの鮮やかなグラデーションを描く空は、長大なタペストリーのようだった。
「前にも話したっけ。大きな月が『与える右手』、小さな月が『奪う左手』。この夜空も女神が編んだ、っていう表現があるんだよ」
「へぇ……なんだか、素敵な表現ですね」
編んだ当人に会ったチヅルさんでも、そう思うのか。
僕は、この手のことはいまいち分からなくて、いつもチトセに怒られていた。
「……チトセおばさんも、この空を見て感動したりしたのかな」
「なんでこの世界にはカメラ……見たものをすぐに書き写す機械が無いのか、って悔しがってたよ」
「はは、目に浮かびました」
その話を聞いた時は、僕も心底同じ事を思ったのを憶えてる。
もしカメラというものがあれば、夜空を眺めるチトセの横顔をいつまでも残しておけたのに。
「……さてと。そろそろ始めようか。構成の編み方については、前回理解したよね?」
「はい。構成っていうのは、要するに――イメージを伝える手段、ってことですよね」
魔法というのは、要するに霊素を思い通りに変質させる技術のことだ。
その中で構成というのは、イメージを具現化する方法を意味する。
「構成を編む方法は無数にある。王立魔法研究所では、魔導文字をベースにした構成が多数派だけど、それだけでも色んな形式がある。テキスト化したものもあれば、平面魔法陣、立体魔法陣、刻印、みたいに図形や位置座標の概念を取り込んだ手法とかね」
絵画や図形、歌や楽曲といった抽象表現を用いた構成手法もあって、それを専門とした研究室もあった。ホルワット工房のミシェールなんかは、副業で吟遊詩人もやってたっけ。
「わたしのような初心者の場合、まずは魔法陣を使った構成が良い、でしたよね」
「そう。手と目を使って構成を構築する方法は、構成の誤りが生まれにくいし、暴走の危険も低いからね」
これはとても単純な話で、口頭よりも手紙の方が文法ミスが少ないのと同じ事だ。
もちろん得意不得意はあるけど。
「今日は、作りあげた構成に、霊素を流し込む作業をやってみようと思う。分かっていると思うけど、チヅルさんの天恵がどう働くか分からない。もし危険だと思ったら、そのペンダントを握るんだ。いくらか霊素を吸収してくれるから」
「……はい」
以前、僕とカレンからチヅルさんにあげたペンダント。
あの時、僕が霊銀のチャームに刻んだのは、【吸収】と【蓄積】の魔法だ。
普通なら予備の霊素を保管しておくアイテムだけど、チヅルさんのは空っぽのまま。そうすれば、万が一の際の身代わりになってくれるはず。
「……で、今回チヅルさんに試してもらうのはこちらの構成になりまーす」
「わー、なんかお料理番組みたい」
「あ、それ知ってる。テレビバングミ、だよね?」
何故か嬉しそうなチヅルさんに、日のあるうちに手頃な石に刻んでおいた魔法陣を差し出す。
刻んだ魔法は【発光】。
初心者の練習によく使われる魔法で、発動の可否や精度がすぐ分かるし、暴走しても危険性は低い。
「それじゃ、流れをおさらいしていこう。呼吸を整えながら、目を閉じて、周囲に意識を向けて。肌に触れる小さな違和感があるはず。それが霊素だ」
「…………」
チヅルさんが意識した瞬間、周辺の霊素が反応を示した。
彼女が発した意志が、小さな波となって大気に満ちる霊素を揺らしはじめる。
――波動は増幅を続け、やがて恐ろしいほどの大きさになっていく。
まるで山崩れが起きる前兆のように、この空間にある全ての霊素が鳴動する。
とてつもない感度と吸収力。
こんな大量の霊素を一度に体内に取り込めば、それだけで生体魔法化を起こしかねない。
(本当に、とんでもない女神の贈り物だ……むしろ質の悪いイタズラだよ、こんなの)
天恵の性質は分からず、発動させようとすれば即座に暴走する。
完全なるブービートラップだ。
僕は、石を掴むチヅルさんの手に、自分の手を重ねた。
周囲で荒れ狂う嵐のような霊素を見渡す。
「あの、アルフレッドさん、なんか、今、周りで、すごいザーッて感触が――砂嵐の中にいるみたいな」
「チヅルさん、落ち着いて。大丈夫、集中するんだ。砂粒を摘むみたいに、慎重に霊素に触れて」
チヅルさんが意識した瞬間。
ごそっと霊素が取り込まれた。
普通の【発光】には多すぎる――【火球】でも暴走寸前の量。
「いいよ、大丈夫。空いてる手でペンダントを掴んで。……よし。それじゃ、今摘んだ霊素を、石に描かれた魔法陣に流し込んでいくんだ。そっとね」
「……はい」
一番心配していた過程――体内に取り込んだ霊素の放出。
チヅルさんの意識がギリギリと研ぎ澄まされていく。
(すごい集中力だ。これは天恵以前の――天賦の才だね)
例えるなら、なみなみと注がれたグラスを傾けて、ワインの一滴を取り出そうとするように。
慎重に放たれた霊素が、魔法陣に満ちていく――
「――――!!」
夜の底に、明かりが灯った。
触媒のない純粋な白。
「……でき、た……?」
見間違えるはずがない。
それは魔法。
昼と夜の狭間、危険と未知に溢れるこの世界で、人々に与えられた数少ない標。
かつて、幼かった僕の行く先を照らしてくれた、唯一の光。
「――おめでとう。チヅルさん」
感極まった様子で、魔法陣の石を握りしめるチヅルさん。
重ねた指から、その歓喜と興奮が伝わってくるようだった。
「その調子で、一定のペースで霊素を放出していくんだ。まだ身体の中に霊素が残ってるのが分かる? その感触が薄れていくまで、焦らなくていいから」
「はいっ」
白い光は、頼りなく揺れながら、それでも夜闇を照らし続け。
やがて静かに消えていく。
「……うん。完璧だね」
魔法は無事発動した。
恐れていた天恵の暴走もなく。
いや。むしろ暴走は防がれたと言うべきだろう。
チヅルさんの素晴らしい集中力によって。
「や、や、やりましたっ、やりましたよねっ、わたし!」
「とても初めてとは思えなかった。すごい才能だよ、チヅルさん」
掴んだ手をぶんぶんと振り回しながら、チヅルさんは飛び跳ねんばかりだった。
なんだか、自分が初めて魔法を使った時のことを思い出してしまう。
確か三歳ぐらいだったか、孤児院の消灯時間が早すぎるのが不満で、こっそり【発光】を使って図書室に入り浸っていた。
この時、窓から光が漏れていたせいで妙な噂が立ち、モンスター討伐の依頼まで出される騒ぎになってしまった。
あの時は、孤児院を追い出されるんじゃないかと肝を冷やしたけれど。
それがきっかけになってジェファーソン様に拾い上げてもらい、王立魔法研究所への推薦状をもらえたのだから、『悲劇も全て女神の脚本』とはよく言ったものだ。
「あっ、す、すいません、手、その、はしゃいじゃって」
急に手をほどかれて、危うくよろけそうになる。
「まさか、わたしなんかに、こんなすごいこと、できるなんて思わなくて……」
「卑下することなんて何もないよ。天恵を使いこなせれば、もっとすごい魔法だって扱えるはずだ」
チヅルさんは嬉しそうに、でも少しだけ複雑そうな表情で頷いた。
「……わたし、自信を持って、いいんですよね」
「チヅルさんはもう、立派な魔法使いだよ」
もし名乗りたいなら、“魔王の弟子”の二つ名を進呈してもいい。ただの後輩だったユーリィと違って、チヅルさんは本当に僕が教えたんだし。
……できればやめてほしいけど。
「……そういえば、アルフレッドさん。気になっていたことがあるんですけど」
「なんだい?」
「チトセおばさんは、どんな天恵を持ってたんですか?」
チヅルさんは、手の中の魔法陣を見つめながら、
「昼間、言ってましたよね。カレンちゃんは才能がありすぎる、って。もしかして、チトセおばさんの天恵を、あの子が受け継いでたりするのかな、って」
集中力もそうだけど、チヅルさんは本当に察しが良い。
隠し事はできない、と改めて思う。
「逆だったよ」
「え?」
「チトセの天恵はね、チヅルさんとは真逆の力で――僕は、『与える右手』って名付けたんだけど」
我ながらロマンチックな名前だと思う。
だって、好きな女の子の力に女神様由来のネーミングなんて……あの時は、これしか無い! と思ってたけど、今となってはちょっと恥ずかしい。
「それって、女神様の?」
「そう。チトセの場合は、逆に霊素放出の力がとてつもなく強かったんだ」
チトセが初めて使った――そして暴走させた【発光】は、王都からも確認できたらしい。
実験場は、馬で三日かかる距離だったのに。
「僕がカレンに『時間がかかる』って言った意味、分かるかい?」
「霊素の放出量が多すぎる、ってことは……暴走の危険が大きいからですか?」
「それも理由の一つ。もう一つは――霊素欠乏になる可能性が高いから」
文字通り、生命の体内には一定量あるはずの霊素が無くなった状態。
危険性の少ない【発光】や【大気作成】を暴走させた時に起きやすい症状だ。
即死しない代わりに、一気に霊素を消費し尽くされてしまうから。
「この辺りの理屈は、まだ詳しく解明された訳じゃないんだけど――どうやら体内の霊素は、生き物の心や魂と深く関わっているらしい。欠乏すると、幻覚や発作、意識の混濁や混乱、意欲の減衰が起こる」
症状が進行すれば、やがて意識不明、心停止まで至る。
「当時のチトセもチヅルさんも十七歳。心も体も充分成長しているから、制御力には不安が少なかった。でも、カレンは違う。あの子はまだ七歳なのに、母から受け継いだとんでもない天恵を抱え込んでる。コップの水をこぼすように、たやすく体内の霊素を魔法に注ぎ込んでしまうかもしれない」
もしそうなれば、カレンはどうなるか。
「……だから、成長のスピードは人それぞれ、ってことですか」
「まあ、僕らが過保護なだけかもしれないけど」
例えカレンに恨まれたとしても――それでも、あの子を失うよりはずっといい。
カレンが三歳――僕が初めて魔法を使った年齢だ――の誕生日を迎えた時、チトセと話し合ったのだ。
お母さんと同じ歳になるまで、魔法は使わせない、と。
「……もしも」
「うん?」
「もしもカレンちゃんがそのことを知って、アルフレッドさんを恨むことがあったら……わたしも、一緒に恨まれます」
チヅルさんは真剣だった。
夜色の瞳が、まっすぐに僕を見ている。
「チトセおばさんの、代わりに」
まったく困ってしまう。
僕は、その眼には勝てない。
僕の女神にそっくりな眼差しには。
「うん。ありがとう。……チヅルさん」
僕は空を見上げて、月の位置を確かめた。
見張りの交代まではまだ時間がある。
「さて、それじゃ感覚を忘れないうちにもう一度やってみよう。大丈夫?」
「はい! よろしくお願いします!」
「力まなくていいからね。ゆっくりと、静かに、呼吸を整えながら――」
子供の寝顔で酒を飲む、子育てあるあるでしょうか……ご覧になられたら、ぜひ評価&ブックマークよろしくおねがいします!




