第14話 おじさん、酔っぱらい女子に絡まれる
「……おい。お前達、何をしている? こんなところで」
殺気。
隠しようもないほど――隠すつもりもないほど巨大な殺意。
ドラゴンですら怯みそうな、フェニックスですら生まれ変わるのを拒否しそうな、身体の弱い人なら心臓が止まりそうなほどの。
「エ、エレナ? どうしたの、こんなところで?」
「例の来訪者狩りの尋問でな。それよりも、アル。もう一度聞くぞ? 何をしている?」
怖い怖い怖い。
なんでそんな怒ってるんだよ。
来訪者狩りの女に唾でも吐かれたのか? 待ってそれ単なる八つ当たりじゃない?
「あっれぇ。あなた……“剣聖”さん? 研究所の資料で見ましたよ、確か、エレナ・キーネイジさん、でしたよね。先輩の保護観察係に志願したって」
「……王立魔法研究所の関係者か。ということは、昔の女か?」
だからなんでそんな語気が強いんだよ。
言葉の暴力だよ。
汗をにじませながら怯える僕には構わず、ユーリィは昔よりもずっと短くなった麦色の髪を揺らしながら振り返った。
殺意の権化となったエレナを。
「やだぁ、昔の、だなんて。ユーリィは離れてからも、ずぅっと先輩のことを――」
「殺す」
殺すなよ!
僕はとっさに、ユーリィとエレナの間に【鉄壁】を放った。
【石壁】の改良型で、土中の成分を選別して出来るだけ強固な結晶を作り上げる魔法だ。引き換えに規模は小さくなるけど。
もちろんエレナの剣にかかれば、石だろうが鉄だろうが、あっさり両断されてしまう。
一瞬で三つに分割された金属結晶が、ガランガランと音を立てて道端を転がった。
でも、とりあえずエレナの足は止まった。
(カレン達の前で刃傷沙汰は避けられた……な)
僕はやたらくっついてくるユーリィを引き剥がし、エレナとの間に割り入った。
「ちょっと、ちょっと待ってくれ、落ち着いて二人とも! というかユーリィ、本当に何しに来たの? 休暇?」
「やだもう、先輩ったら~、おちゃめさん! 来訪者保護の申請を出したの、先輩じゃないですかぁ。ユーリィ、申請書に先輩のサインを見つけた瞬間、ドキッ★ ってしてぇ、全速力でやってきたんですから!」
何故か顔を赤らめ、もじもじするユーリィ。
(ということは。まさか)
ありえないことではない。
王立魔法研究所を辞めた後、当時の同僚とは連絡を絶っていたから、僕が知らなかっただけか。
「王都から来る来訪者の保護官って――君のことか!」
「ピンポ~ン★ 王立魔法研究所来訪者保護局より参りました、ユーリィ・カレラ保護官です! どうぞよろしくおねがいしまっす★」
なんて朗らかな自己紹介。
ピースを目元に持ってくる仕草は、ちょっと大人としてどうかと思うけど。ユーリィ、いくつになったんだっけ?
首から下げた保護官の紋章――絡み合う二匹の蛇と松明が彫り込まれたプレートには、確かにユーリィ・カレラの名前が記されていた。
「……待て。それだけでは信用できない」
「いや、エレナ。僕が保証するよ、この紋章は間違いなく王立魔法研究所の」
「何故、アルに抱きついた? しかもこんな人目の多い場所で!」
だから何の話だよ。
大真面目な顔で何を言い出したのエレナ。熱でもあるの?
「あらぁ。じゃあ逆にお尋ねしますけど~、何年も待ち焦がれてた想い人と道端でバッタリ再開したら……エレナさんは、時と場所を選んでいられますぅ?」
「……なるほど、確かにな」
いや納得しちゃうの?
え、ホントは仲良しなの?
僕は改めて周囲を見渡し――酒場の窓から乗り出しながら楽しそうに囃し立てる酔っ払い達、エプロンを外しながら飛び出してくるメリッサ、後を追うサリッサ、唖然とした顔のチヅルさんとカレン、そしていつの間にか出来上がっていた周囲の人だかり――
激しい頭痛に襲われながら、口を開く。
「とにかく、だ。二人とも――あと、メリッサとサリッサも。とりあえず僕の家に来て。話があるなら、そこで平和的に解決してくれ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――それじゃ、何か? お前、王立魔法研究所に勤めていた頃、アルフレッドの助手をしてただけ、ってことか?」
「だひゃらぁ、しょうゆってるじゃないですかぁ~。えいひょうの|すてょらべっきゅあとりえ《ストラヴェック工房》のでゃいいちじょしゅとして、|きゃずきゃずのいぎょー《数々の偉業》をひゃぽーとしてひたのが、このゆうりい・きゃれらにゃんですぅ~」
ドンッ、ともう何杯目か分からないジョッキを置いても、顔色一つ変えないエレナとは対照的に。
ぐでんぐでんのべろんべろんでテーブルにつっぷしたまま、ユーリィはそれでも何かを語ろうとしていた。半分以上何言ってるかわかんないけど。
(……まあエレナと飲み比べして勝てるわけないよな……ごめんユーリィ)
一触即発の二人が平和的に話し合うには、これしかなかったんだ。
もともと冒険者には酒好きが多いけど、中でもエレナは別格だ。この村で彼女と対等に飲めるのはドワーフのギドランズさんぐらいだろう。
それにユーリィ、昔は「飲酒なんて脳の回転を鈍らせるだけの、単なる服毒ですよぉ」とか言ってたんだよね。
エレナの挑発が上手かったのか、ユーリィが乗せられやすいのか……両方か。
「はっはっは。なんだお前、要するにあたしと大差ないってことか。やれやれ、人騒がせな奴め」
「にゃんですかえっらそーにぃ! あにゃた、あるしぇんぱいがへんきゅーじょで残した|かじゅかじゅのへんれつ《数々の伝説》をみへなひでしょ! あるしぇんぱいこそ、ひじょうもっともゆーしゅーなみゃひょーちゅかいなんです!」
「黙れ、お前こそ孤児院時代のふわふわぷにぷに具合を知らないだろうが!」
だから何の話してるんだ君達は。
……事前の騒動のせいで、どうなるかと思ったけど。
チヅルさんの送別会は和やかな盛り上がりを見せていた。
「へ~、これ、アルフレッド先生からもらったの? すごいじゃない、元宮廷魔法士のお手製なんて、王都の質屋に持っていったらいくらになるかしら?」
「ちょっとメリッサねえ、女子力な~い! 大切な人からもらったペンダント、いきなり売りはらう? そんなんだから彼氏ができないたたたたた」
「あ、あの、メリッサさん、サリッサさん泣いてるので、その辺で……」
チヅルさん、いつの間にかメリッサとサリッサの姉妹とも打ち解けてるし。
よかったなあ。
「おとーさん、嬉しそうだね」
「カレン。そうだね、チヅルさんが楽しそうだから、僕も嬉しくて」
「チヅルおねーちゃん、ニコニコだねー。カレンもニコニコ。おとーさんもニコニコ。たのしいねえ」
テンションもピークを超えて段々と眠くなってきたのか、カレンは僕の足にしがみつくと、額をこすりつけ始める。
「そろそろ休むかい?」
「ん~ん……やだ、もっと起きてる」
そっか。そうだよね。
今夜は特別だもんね。
「ル・シエラさーん、ワイン、まだあるー?」
「もちろん用意しておりますよ。メリッサだけですか?」
「あ~、グロリアも飲む? イケるクチよね?」
「よろこんで! 自分、赤でお願いします!」
グロリアは勢いよく酒坏をかかげた。結構お酒強いんだな。
「あ、メリッサねえ、アタシも!」
「ちょっとちょっとぉ、あんたまだ未成年でしょうが! アルフレッド先生の前で何言ってんの!」
「え~……ねえアル先生、ダメ?」
こてん、と首を傾げるサリッサ。
僕としては苦笑するしかない。
「いいよ、とは言えないけど、見なかったことにはできるよ」
サリッサは見たことないような笑顔で、ル・シエラからワインを受け取ると、
「わ~さっすがアル先生! こういうとこだよねー、やっぱ女子人気ナンバー1の先生は違うな~。アタシも異世界から転移してきてアル先生に拾われて同棲したいわー、てかヤバくないそのシチュ? アタシ鼻血出そう」
「なに色気づいてんのよ、子供のくせに。アルフレッド先生はモテるし子供いるんだから、あんたの相手してる暇ないのよ」
「え~、なんでよー、いーじゃん愛人の一人や二人ぐらい! カレンちゃんの面倒も見るし! アル先生の甲斐性なし~」
ええと……どう答えればいいんだ?
「別に、その、モテてはないと思うけど」
「は?」
「はあ?」
「なんだと?」
「えぇ~?」
あれ? 何この空気。すごいアウェイを感じる。
「……おとーさん。カレン、そういうとこ良くないと思う」
「流石はカレンちゃん、よく見ていますね。アルちゃん、そういうとこですよ」
え、カレンとル・シエラまで?
僕の味方はどこ?
「……あの、アルフレッドさん。そういうところです」
まさかチヅルさんまで。
……っていうか、
「チヅルさん、手に持ってるの、もしかしてお酒じゃ……」
「え? はい、これ! す~っごくおいしいですよ!」
「この子、のんべえの素質あるわよ、アルフレッド先生! もう三杯目? 四杯目? だいぶ飲んでるもんねぇ」
ちょっとちょっと。
『チキュウ』では二十歳までは飲酒できないからやめとく、って自分で言ってたのに。
メリッサも何勧めてるのさ。
チヅルさんは頬を薔薇色に染めながら、とろけるような笑顔で自分のゴブレットを差し出してくれた。
「アルフレッドさんも、どうですか?」
「……え、や、ぼ、僕は、その」
「オイ、よせ来訪者、アルは下戸なんだ。酒ならあたしがもらうぞ」
とうとうテーブルに突っ伏したまま動かなくなったユーリィをほったらかして、エレナがメインテーブルの方に戻ってくる。
手には何十杯目かのエール。もう樽から直接飲めばいいのに。
「ゲコ? カエルさん? おとーさん、カエルさん?」
「お酒が飲めない、という意味ですよカレンちゃん。あなたのお父さんは、一滴でもお酒を飲むと……いえ、わたくしから、これ以上のことは言えませんね」
待ったル・シエラ。
何その顔。わざとだね。絶対わざとだね。
案の定、サリッサが飛びついてメリッサが尻馬に乗る。
「え~! なになに、どーなるのアル先生! 泣く系? 笑う系? 語っちゃう系?」
「甘いわねサリッサ。先生ぐらいの歳になると、アレよ。普段は人の良さそうな仮面の下に押し殺してきたドロッドロの欲望がてんやわんやでドッカンドッカンの○△□※〒§♭♯よ!」
「やだも~、アル先生のエッチ!」
……すっかり出来上がってるね、二人とも。
あと、小さな子供の前で下ネタはやめてね。真面目に。
「ちょっとエレナ、知ってるんでしょ、アルフレッド先生と一番付き合い長いんだから!」
「……いや、その。こればっかりは、ちょっとな」
気まずそうに口ごもるエレナ。
僕はすっくと席を立ち、
「さて、じゃあちょっと僕は夜風にあたってくるから、みんな、あとは良きように!」
「え~、ちょっとちょっとアルフレッド先生~!」
喚く姉妹を置き去りにして、僕は家のポーチに出た。
「……ふう」
夜空に浮かぶ黄金の月。今夜は双子がどちらも満ちている。
星々は暗闇に隠れ、ただ吹き抜ける風と草木の香りだけが夜を満たしていた。
胸いっぱいに深呼吸すると、身体に籠もっていた熱っぽさが抜けていく気がする。
僕は、ポーチに置いておいた肘掛椅子に背中を預けると、ひとりごちた。
「……まったく飲めない、は言いすぎだろ、ル・シエラ」
実のところ、単に、飲むべきじゃないってだけだ。
もともとは単なる泣き上戸だった。
妻――チトセと出会ってからは、酷い甘え癖が出るようになった。
そりゃもう、恋人以外には絶対見せられない――ル・シエラはどこかから見てたみたいだけど――ような。
(チトセはいつも僕に酒を飲ませて、楽しそうに笑ってたっけ)
そして、彼女を失ってからは。
また泣き上戸――というか、懺悔上戸になった。
後悔とか、罪悪感とか、未来への不安とか。
普段は口に出さないようなことが、全部溢れ出してしまう。
(あの時。研究を止めておけば。実験なんてしなければ。チトセとカレンを遠ざけておけば)
止めどない思考。
今更、考えても仕方ないようなことばかりなのに。
それでも、心のどこかで。
「……アルフレッド、さん?」
――はっとする。
いつの間にか、チヅルさんが傍にいた。