第11話 おじさん、決死の人工呼吸
戦いは終わった。
エレナに挑んだ獣人の双子――ミドとファドは、すべての攻撃を紙一重でかわされた挙げ句、武器を折られて心も折れたらしい。
パーティのリーダーたるジェヴォンは、風呂場で足を滑らせてル・シエラに捕えられた。
魔法使いのレオンは仕掛けておいた落とし穴にはまり、最終的には観念した。
対するこちらの損害は、眠りの雲の影響で転んだグロリアがたんこぶをつくったぐらい。
結果だけ並べると、だいぶ間抜けな感じなったけど、とにかくみんな無事で良かった。
この時はまだ、そう思っていた。
来訪者狩りの面々を徹底的に拘束した僕達は、あとから慌ててやってきた顔なじみの冒険者達に身柄を任せると、雨のしずくを滴らせながら帰宅した。
「ああ、早くお風呂に入りたい。パンツまでグショグショだ」
「確かにな。どっちが先だ?」
「お先にどうぞ、と言いたいところだけど……待ってたら風邪引きそうだ」
「じゃあ、い、いいいいい、一緒に入るか、アル?」
「ははは――悪いけどカレンを入れてやって、エレナ。まだ髪を洗ってる途中だったと思うから」
玄関先で濡れた上着を絞りながら、エレナと軽口を交わす。
地下室の扉を開けた僕達を真っ先に迎えてくれたのは、カレンだった。
「おとーさん! エレナおねーちゃん! おつかれさまっ」
「ありがとう、カレン。いい子にしてたかい?」
「ちゃんと泣かなかったよ! トイレも我慢できた!」
「流石! もう立派なお姉ちゃんだね」
足にしがみついてきたカレンの頭を撫でて、それからしゃがんで目線を合わせる。
「怖い思いをさせて、ごめんね」
「ううん、ぜーんぜん! カレン、応援してたよ! おとーさん、がんばれーって」
気丈な子。その心臓の強さは、きっと母親譲りだろう。
今度は僕の方から、ぎゅっと抱きしめた。
「じゃあ勝てたのは応援のおかげだね。カレンのお祈りは百人力だから」
えへへ、とはにかむカレン。
僕はもう一度、まだ少し湿っている黒髪を撫でた。
カレンの後を上がってきたル・シエラは、いつものように微笑んで、
「怪我はないですか、アルちゃん?」
「大したことない。それよりル・シエラ、風呂を沸かしなおしてもらっていいかな? 全員揃って風邪引いたら困る」
「かしこまりました。では、全員揃って入りますか?」
「……そのジョーク、流行ってるの? エレナも言ってたけど」
僕が訝しむと、ル・シエラは何かを察したようにほくそ笑んだ。
「あらあら。まあ、戦いのあとは滾るって言いますものねぇ」
「お、おま、オイ! 子どもの前で何言ってるんだ悪霊めっ」
いつもどおりキャッキャと言い合いを始める二人。
……え、ホントに流行ってる? 僕だけトレンド乗り遅れてる?
「アルフレッドさん。……よかった、です」
チヅルさんは僕を見るなり、ほっとしたようなため息を漏らした。
心なしか辛そうな様子で階段を登ってくる彼女に、僕は手を差し伸べる。
細く華奢な指。整えられた桃色の爪。
『チキュウ』は軍人しか武器を持たない平和な世界だという。
きっとチヅルさんは今まで、こんな戦いとは関わりのない暮らしをしていたのだろう。
「これでようやく、チヅルさんに村を案内できるよ」
「へへ……うれしい、です」
「王都に向かうまで少しの間だけど。いいところはたくさんあるから、ゆっくり楽しんでいって」
チヅルさんの歩調に合わせて、ゆっくりと上がる。
「はい。その……たの、しみ、で――」
不意に。
手を引かれて――
「うわっと、と!」
転げ落ちそうになるチヅルさんを、後ろからついてきていたグロリアが支えてくれた。
「だ、大丈夫ですか来訪者さん!?」
「う……は、はい……だいじょうぶ、で、す」
チヅルさんは笑ったが、その頬は蒼白だった。
僕も慌てて肩を抱き、なんとか廊下まで引き上げる。
(高い熱。呼吸の乱れ。瞳孔の拡大。手足の震え……そして強い霊素反応)
夜の色をしたチヅルさんの瞳が、きらきらと光を零していた。
体内の霊素濃度が高まっている兆候。
(まずい……霊素中毒だ!)
さっき、風呂場で【眠りの雲】を吸収したせいか。
広範囲に影響のある魔法は、相応の霊素を消費する。
すべてを吸収したわけではなくとも、霊素の無い世界で暮らしていた来訪者の身体には負担が重かったのかもしれない。
「チヅルさん、聞こえるかい? 聞こえたら返事をして」
「は……は、はい――なんか、声が、遠く、て」
「目を開けて! 意識を保つんだ。何か話を、楽しかったことを思い出して」
どうする。
瞳から霊素反応光が溢れるということは、急性中毒だ。
すぐに処置しなければ――
(彼女も、魔法になってしまう)
生体魔法化。霊素中毒が行き着く先。
制御しきれない霊素に侵蝕された結果、人としての形を失って魔法そのものと化し――消滅する。
でも、医療魔法はもちろん、直接魔法を使った治療は迂闊にできない。
万が一、霊素を吸い取られて僕が倒れたら、事態は最悪になる。
今ここでチヅルさんを救えるのは僕しかいないのに。
(考えろ――冷静に)
以前試作した霊素吸収剤のサンプル。
「グロリア! そっち、僕の書斎の奥、右手の壁、左から三つ目の棚、灰色のラベルの箱から丸フラスコを三本! 急いで!」
「は、はい、了解ですっ」
バタバタと走っていくグロリア。
彼女が飛び込んだ途端に書斎から何かが崩れた音がするが、仕方ない。
「ル・シエラ! 水と濡らした布をたくさん! それとドワーフの火酒も!」
「かしこまりました」
ル・シエラの返答は風呂場から。
「エレナ、カレン! ひとっ走り行って、グウィネス先生を起こしてきて! 処方は、解熱剤と霊素吸収剤をありったけ!」
「わ、分かった! カレン、急ぐぞ、マントを着ろ!」
「う、うん!」
寝室の方から二人の声が聞こえる。
……悪いけど、カレンはこの場にいてほしくない。
「アル、フレッド、さん、わた、し、さむ、くて、ふるえが」
「大丈夫、大丈夫だよ。チヅルさん、君のことを聞かせて。『チキュウ』ではどんな暮らしを?」
「は、い……って、言っても、そんなに、おもしろい、ことは、なくって」
途切れ途切れに聞き取れる、チヅルさんの言葉。
――特別なことなんて何もない暮らし。
どこか距離の遠かった両親。
大好きだった母の妹。
その叔母は十八歳の時に失踪して、当時小さかったチヅルさんは大きなショックを受けたこと。
多分、両親が離婚したときよりも、ずっと。
学校のこと。
友達は少なくて、図書館で過ごす時間が一番幸せだったこと。
読み漁ったたくさんの本。
その中には、この世界によく似たファンタジー小説もあったこと。
「まさか、じぶんが、こんな、体験、を……」
「そうだね。これから、もっと楽しいことがあるよ。王都には、きっとチヅルさんが見たこともないようなものがたくさんある」
「はい、それも、たの、しみ、なんです……けど」
体温を下げるために、魔法で凍らせた濡れ布巾を当てて。
村の森で取れる素材で作った霊素吸収剤を飲ませる。
(……ダメか。やっぱりこれじゃ効き目が弱い)
原因は素材だ。
僕達が暮らす辺境地域で採れる植物や鉱物は、霊素を蓄える能力が低い。
何故なら、その必要がないから。
霊素濃度の高い地域にある植物や鉱物ほど、強い霊素吸収の効能を持っている。
例えば、エルフ達が住む世界樹周辺の大森林に生息する絶叫草や、ドワーフ達が住む南方の火山地域で採掘される霊銀など。
そうした素材は希少であり、マジックアイテムの原材料として高値で取引される。
王立魔法研究所では潤沢な予算のおかげで、自由に使えたのだけど。
「わた、し……もっと、お話、したいん、です――アルフレッドさん、と」
「僕?」
「カレンちゃん、と……エレナさん、ル・シエラさん、グロリア、さん、他の、人達、と……」
チヅルさんの身体に走る震えが、ますます大きくなる。
痙攣が激しい――舌を噛むかもしれない。
とりあえず布を噛ませるが、これは時間稼ぎだ。
その様子を見ていたグロリアが泡を食った顔で、
「ア、アル、アルフレッドさん! だ、大丈夫なんでしょうか、来訪者さんは!?」
大丈夫じゃない。このままでは。
考えろ、アルフレッド。
何かできることは――
(――強制排出!)
それは最後の手段。
本当に、僕の命をかけることになる。
(カレンを――ひとりぼっちにするのか)
そんなこと、できるわけが。
(……でも。もしかしたら)
――もう時間がなかった。
僕はドワーフの火酒を呷って口内を消毒し、たらいに吐き捨てる。
チヅルさんの顎を摘んで気道を開かせから、詰めてあった布を取り払い。
「――――!」
僕の口で、チヅルさんの口を塞いだ。
同時に魔法を解き放つ。
(【吸収】!)
これは賭けだ。
“魔王”とおだてられた僕と――チヅルさんに天恵を与えた女神ムール・ムース。
どちらが勝つか。
(いや。勝つ。僕が、絶対に――!)
調査の時に感じた通り――生半可な強さではなかった。
レオンとの霊素争奪戦とは比べ物にならないほど、圧倒的な吸収力。
チヅルさんの体内から霊素を吸い出すどころか、僕の全てが貪り尽くされていく。
霊素も、意識も、心も、記憶も――命すらも。
彼女の中に、取り込まれて。
……ここまでは、予想通り。
(――チヅルさん――聞こえるかい……応えて)
心の海。あるいは、魂の裡。
荒れ狂う光の渦の中。あるいは、凪いだ夜闇の下。
溶け落ちそうになる自我を必死に保ちながら、僕は声を投げた。
(チヅルさん――起きて)
僕と彼女を隔てる境界が、かすかに震える。
それが返答だと信じて、僕は続けた。
(突然だけど、レッスンを始めよう――)
外からの働きかけが出来ないなら――本人が、内側から変わるしかない。
霊素を感じ、触れ、通じ合い、そして操る方法。
それを身につければ、中毒症状にも抗えるはず。
(感じるんだ――例えば身体には皮膚があり、筋肉があり、骨がある。それと同じように――身体のどこかに霊素があるって)
僕と彼女の間にある境界は常にたゆたっている。
ともすれば今すぐにでも、僕に牙を剥いて喰らい尽くそうとする。
まるで飢えた獣のように。
(語りかけるんだ――伝えて。言葉でも、絵でも、音でも、意味でも意志でも――君が一番しっくりくるもので)
声を上げながら、僕は抗っていた。
『彼女に飲み込まれたい』という衝動と。
自我を捨てて、全てを彼女に委ねてしまえば楽になれる。
それは、あまりにも甘美な誘惑。
でも。
今の僕に、それはできない。
僕は続けた。溶け出す自我をかき集めながら。
(そして命じるんだ――出ていけ、って)
沈黙。
まるで時が止まったような静けさ――境界は凍りついて、動かない。
……凄まじい集中力。
彼女は今、己の全てを注ぎ込んでいる。
霊素との対話――そして制御に。
(大丈夫。君なら出来る。僕には分かるよ、君は――)
君は必死に。
全身全霊をかけて――僕を救おうとしてくれている。
だから、きっと。
――――
――
……
「――――」
僕は。
輝く粒子の奔流に押し流されて。
自分の身体に戻ってきた。
(これは、僕――だよな)
一瞬の違和感。
――大丈夫。僕は僕だ。
すぐに自分の体内に滞留している大量の霊素――チヅルさんの体内から排出されたものを処理。
全てを無害な魔法――【大気作成】として消費する。
「……ふう」
これで、急性霊素中毒の処置は完了だ。
僕はチヅルさんの唇から自分の唇を離すと、容態を確認する。
(……瞳の反応光漏洩が収まってる。痙攣も……止まった)
熱はまだあるが、これなら問題ないだろう。
「チヅルさん。僕のことが分かる?」
呼びかけに、チヅルさんはゆっくりと反応した。
まだ少し熱に浮かされた、潤んだ眼差しで。
「……今、アルフレッドさん、わたしの中にいました、か?」
「僕の声、聞こえてたみたいだね。良かった」
「はい。……はっきりと」
チヅルさんの手が、僕の頬に触れた。
「感じました。アルフレッドさんの……感触。温かかった、です」
「……冷たいやつって思われなくて、良かったよ」
僕は笑いながら、チヅルさんを抱き上げようとして――まだ腰痛が治っていないことを思い出した。
「ごめ……ごめん、やっぱ、ストップ、待って、腰、痛い」
「……ふふ。はい、分かりました」
――やがて、エレナとカレンがグウィネス先生を連れてきて、チヅルさんをベッドに運んでくれるまで。
僕とチヅルさんは少し話をした。
熱が下がった後の予定とか、村の観光プランとか、王都での暮らし方とか、そんなたわいもないことを。
グウィネス先生が処方してくれた解熱剤はよく効いて、チヅルさんはすぐに安らかな寝息を立て始めた。
それを見届けてから僕も風呂に入り、眠い目をこすっていたカレンに絵本を読んであげて、一緒に眠りについて。
そうしてようやく、戦いが終わったのだと実感した。
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