第10話 おじさん、決着をつける
木々の元、茂みの影。
レオンがクロスボウを片手に、家の様子を伺っている。
(……よくもやってくれたな)
彼がこちらに気付くより早く、僕は魔法を放った。
(【水刃】――乱れ撃ち!)
ほんの一瞬だけ。
あたりの空気が、そして降りしきる雨が静止したような錯覚。
――大気中に発生した無数の超高圧水流が、驟雨のごとくレオンを襲った。
「なに――ッ」
彼が身を潜めていた林が、見る見るうちに刈り取られていく。
この距離、この風、この雨で命中を狙うつもりはない。
僕は間を開けずに、次の手を打った。
(【飛翔】――【風弾】ッ)
例えるなら嵐のような衝撃とともに。
僕は自らの身体を宙へと打ち上げた。
吹き付けてくる雨を無視して、着地点を睨みつけ。
(――【風の枕】)
ふわりとした感触とともに、草地へと降り立つ。
ぬかるんだ足元で、危うく滑りそうになった。
雨は強さを増し、風を伴い始めている。
真っ黒な防水ローブをはためかせながら、レオンが呟いた。
「……流石は“世界最強の魔法使い”。まったくの無傷とは……私ごとき若輩の策では通じませんでしたか」
その大げさなあだ名を聞くのは、今週二度目だ。
「調べたのか、僕のことを」
「ご自分の立場をご存じないのですか? 現役の魔法使いなら知らぬものはいません。究極の大量破壊魔法を追い求めた挙げ句、都市すら犠牲にした“狂気の魔法王”、あるいは“生き残った魔法使い《ラスト・ウィザード》”。自分を放逐した王立魔法研究所に復讐するため、山中に籠もって新たな魔法を組み上げていると聞いていましたよ」
……なんて酷いあだ名だ。
“鬼神”呼ばわりされたエレナの気持ちが、今ようやくわかった気がする。
(僕が望んで、あんな事故を起こしたと……望んで生き残ったと。本当に思っているのか?)
腹の底で生まれる、ドロドロとした溶岩のような感情。
カレンを傷つけられたことに対する怒りとは違う。
もっと暗く、熱い感情だった。
でも、そんなものを、目の前の魔法使いにぶちまけても仕方がない。
それぐらいの分別はついたつもりだった。
僕はもう十六歳の少年ではないし――何より、カレンの父親なのだから。
(研究所への復讐なんてどうでもいい。やってる暇もない――今の僕には)
僕は右手に構えた【石弾】を、レオンに差し向けた。
「そこまで知ってるなら、話は早い。僕の新しい魔法の犠牲者になりたくなければ、今すぐ降参するんだ」
「残念ながら。あなたならお察しかもしれませんが……私達には大義がある。そのためには、大きな力が必要なのです」
言いながら、レオンはクロスボウを構えた。
つがえた矢にはまたしても小瓶がぶら下がっている。何かの霊薬だろう。
「……仲間を犠牲にして風呂場に眠りの雲を打ち込んだ言い訳が、それかい?」
「私達はどんな手段も使います。それでリリー家の再興が果たせるのであれば」
僕は笑う気にも慣れなかった。
そこまで開き直っているなら、何か言う必要があるだろうか。
魔法使いとしての知性と想像力を、雇い主への忠義と引き換えたというなら、もう言葉を交わす必要もない。
「悪いがすぐに片付けさせてもらう。お仲間が、まだ二人残ってるんだ」
「ご心配なく。ここから確かめていましたが、あなたのお仲間は凄まじい使い手だ。ミドとファドではとても敵わないでしょう」
大した判断力だ。あの双子の忠義に比べると、冷酷にすら思える。
「しかし。今ここであなたを倒せば、まだ勝機はある。リリー家のため、後進に道を譲っていただきましょう」
「やってみろ。できるならね」
僕が放った【石弾】を、レオンが【盾】で防ぐ。
着弾の衝撃で発生した【盾】のひずみに、すかさず【水刃】を重ねる――魔法の障壁を貫通した超水圧は、しかしレオンの腿をかすめたに過ぎない。
避けられた。驚くべきことに。
「なんという発動速度――これが本物の二重詠唱! 伝説よりも遥かに恐ろしい人だ、あなたは!」
「かわしといて、よく言う!」
お世辞でなく、僕は言った。
(戦い慣れてる――流石は冒険者)
単純な魔法の技術なら、正直、僕に分があるだろう。
でも、戦闘の経験で言えばレオンの方が上だ。
僕はただの研究者で、冒険者でもなければ戦術魔法士でもない。
つまり命の奪い合いなら、どちらが勝つか分からない。
(やっぱり大火力で薙ぎ払った方が――いや、裏山を潰すのは流石にちょっとな)
退きながらクロスボウを構えるレオン。
その足元に向けて、僕は魔法を放った。
(【泥沼】――【凍結】)
突然レオンの身体が膝まで沈み、そのまま凍りつく。
「ぐっ――何の、これしきっ」
バランスを崩しながら放った鉄矢は、僕の背後にあった木に突き刺さった。
幹にぶつかった小瓶は派手に砕けて内容物を撒き散らす。
漂う異臭――そして背中に感じる激痛!
(反応系――【腐食】の霊薬!)
生物の肉体を蝕む劇薬。
本来は革の加工や消毒などに使われる霊薬だが、こうして魔法使いの護身に用いられることも多い。
ダメージは大きくないが、無視できるほどの痛みでもない。
(【回復】――)
僕は無詠唱の魔法で傷を癒やすけれど。
この隙を、レオンが逃すはずはなかった。
「喰らえ、【火炎球】!」
相変わらず派手な魔法が好きな男だ。
この雨でなければ、山火事になってもおかしくない。
(【盾】!)
初遭遇の時のように、【半減】にして【反射】できればよかったのだけれど。
【回復】が終わっていない状況で、更に多重詠唱を行うのは、流石に暴走のリスクが大きい。
唸りを上げる火球は、僕が展開した力場にぶつかって四散する――
「かかりましたね」
揺らめく炎の向こうで、レオンの端正な口元が初めて歪んだ。
それは勝利の確信と言ってもいいような。
(――ここまで計算してたのか!)
霊薬と魔法による連続攻撃で僕の手を塞ぎ。
防御のできない状況で、とどめの一撃を放つ。
「私の勝ちです、“世界最強の魔法使い”!」
レオンは高らかな宣言とともに、人差し指のリングに霊素を与えた。
銀の環はにわかに光を放ち――
(魔刻器――準備の良いヤツめ)
二重詠唱が使えないレオンが用意した最後の一手。
原理は魔法陣と同じ――魔法の構成を彫り込んだ魔法銀をアクセサリーにしておくことで、使いやすくしたものだ。
普通の宝飾品よりも遥かに高級な上、数回使えば砕けてしまうという贅沢極まりないマジックアイテム。
だが、威力も発動速度も十分――僕の心臓を貫くには。
「道を譲っていただきましょう、古き魔法使い――!」
溢れ出す光は、おそらく【光条】――文字通り光の速さで相手を射抜く必殺の魔法。
生身では絶対に回避できない。
かといって、これ以上新たに【盾】も展開できない――
それでも。
(準備をしてたのは、君だけじゃない)
僕はしゃがみ――大地に手のひらを叩きつけて。
「降参など――ッ」
【光条】が放たれたのを、見届けずに。
霊素を送り込んだ。
縄で組み上げ、地中に潜ませてあった魔法陣へ。
(――【落とし穴】)
まるで大地が牙を剥いたかのように。
レオンの足元に、穴が空いた。
「――んなぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
レオンの狼狽は、そのまま細長い悲鳴へと変わり。
なかなかの距離を落下した後――鈍い音がした。
沈黙。
「……深く掘りすぎたかな?」
即死するほどの深さにはしていないはずだけど。
あんまりやると地盤にダメージが入って、丘が崩れると困るし。
(まあ、うまく動いてくれてよかった。結構大変だったもんな、魔法陣の仕込み)
家の周辺から見下ろす丘までを効果範囲として【落とし穴】の魔法陣を設計し、縄で組んで地面に埋めておく。
魔法の構成自体は全然シンプルだったけど、地面を掘ったり戻したりの作業の方が辛かった。
ただでさえ腰を痛めてる上、こういう細かい作業を魔法でやるのはかなり疲れるんだ……エレナや村のみんなが手伝ってくれなかったら、完成してなかったかもしれない。
……僕は【光条】に焼き切られた肩を押さえながら、恐る恐る、穴の中を覗いてみた。
「ぐぅうう、なんの、こんな、認めない、ぞ、こんな――っ」
細い縦穴に尻から押し込まれたレオンの姿が見えた。
どうやら腰を強打したらしく、歯を食いしばりながらこちらを見上げている。
「なんと卑劣な手を――落とし穴など、伝説の魔法使いともあろうお方が!」
「いやいや……君が言う? それ」
霊薬とか魔刻器とか、全部不意打ちだったよね……
なまじ顔立ちが美しいだけに、尻が穴に嵌って動けないレオンは余計に哀れだった。
しかも地面に染みた雨水がドバドバ流れ込んでいるせいで、段々水没し始めている。
「大人しく降参すれば、引き上げてあげるよ」
「否! ここで屈しては、犠牲になったジェヴォンお嬢様に申し訳がたちません!」
え、もう殺された前提で話してる?
多分生きてると思うけど……ル・シエラの機嫌を損ねてなければ。
「分かった。じゃあ君が溺れるまで待って、そのまま埋めておく。花ぐらいは供えてあげるよ」
「くっ……流石は“魔王”、冷酷で鳴らしただけはありますね」
……どうしろと言うんだ。
段々面倒くさくなってきて、僕は溜め息をついた。
「さっき『リリー家の再興』とか言ってたね。その為に来訪者の力がいるって」
「それこそが私達の悲願! ご当主様と残された奥様に誓って! そのためならば、どんなことでも!」
彼らは来訪者狩り。
力を得るためなら手段を選ばない犯罪者。
その上、カレンやチヅルさんを危険に晒した。同情の余地はない。
でも。
(……亡き人のために、か)
だから、他人の過去なんて聞きたくなかったんだ。
どうやったって自分を重ねてしまうし……そうしたら、必ず同情してしまうから。
十六歳の僕なら、絶対にそんなことしなかったけど。
「分かった。じゃあ、話ぐらいは聞くよ。だからもう、あの子を狙うのはやめるんだ。いいね?」
「――そんな! あの“世界最強の魔法使い”殿が、私達にご助力を!?」
そう叫んだ時の、レオンの表情ときたら。
(別に手伝うとは言ってないけど……)
まあ、正直、裏庭に作った落とし穴で溺死されるのも気分が悪い。
何よりカレンに、本人が助けを断ったので見殺しにしました、とは言えないし。
「大人しくしてて。【浮遊】を使って引き上げるから――暴れないで、また落ちるよ!」
――思えば、これが新しいトラブルの種だったのだと。
僕はしばらくしてから、後悔することになる。
また遅くなってしまいましたが、更新しました。落とし穴っていいものですね!ご覧になったら是非、ブックマークや評価、よろしくお願いします!