新入生・柚木龍馬②
嵐の中の航海というものを経験したことは無いが、これよりもずっと激しいものだろうか。本格的に開戦の狼煙は上がり、先ほどまでより精彩な動きを石黒は龍馬に見せていた。移動速度自体は先ほどと比べても大差は無い。しかし、ふらりふらりと手を抜き、弄ぶような所作がほとんど無くなっている。
大げさに腕を振りかぶる必要は無い。ジャブのつもりで拳を突き出すだけでも、肘より先に纏っている突風の手甲が、周囲の空間を薙ぎ払う。その渦巻く強風を持ち前の剣で引き裂こうにも、捩じ切るような気流に阻まれ、むしろこちらの刃が毀れるほどだ。
そして動きが劇的に変わったのは、何も殴打だけに限らない。フットワークからして明らかにより激しく、鋭く変化している。龍馬が臨戦態勢に入る以前までの、風に浮くような悠々とした動きなど存在しない。風の流れに身を任せるような、ゆったりとした動作ではなく、台風に自分の身体を突き飛ばさせたように乱暴な移動。
人間がその足で地面を蹴るのとはまるで違う軌跡をなぞる。自在に操れる突風を用いて、好きなように自分の身体を運んでいるのだ。急発進、急減速は当然、本来不可能な旋回さえも可能にする。妖精が舞うのとはまるで異なる、荒れ狂う風神が縦横無尽に暴れているようなものだ。
目で追おうとするも、追いきれない。目の動きも、首の動きも思うようについていかないせいだ。向かって右に加速したかと思えば、次の瞬間には進路を真逆に変えて視界の外に消えていく。向き合う頃にはもう眼前にその姿が現れて、防ぐか跳び退くかのいずれかの対応しか許されない。
直撃すれば意識はすぐに持っていかれることだろう。脚でいくら踏ん張っても、石黒と違って龍馬はすぐさま加速できない。地面を蹴るよりずっと早く、風纏う剛腕が差し迫るのみ。身体で受ける訳にはいかない。両手から伸びる剣の腹を重ねて盾のようにする。青く光る闘気の刃に罅が入るも、何とか砕け散るより先に後方へと吹き飛ばされた。
ただ、今度はその吹っ飛んだ勢いが止まりそうも無い。何とか足の裏でブレーキをかけようとするも、石黒の能力の余波で周囲の砂はグラウンドの隅へと押しやられている。強風に磨き上げられた平らな地盤の上では、上手く減速できない。振り返れば、校庭端のアスファルトの壁が迫っていた。
鈍い音がした。やりすぎてしまったかと石黒は、脳裏に後悔とよく似た冷ややかさを感じたが、すぐにそうではないと安堵する。加減をし損ねて新入生を思い切り叩きつけたかと不安を覚えたが、そんな心配などするまでもなかった。
「うっかり脳天かち割ったかと焦ったじゃねえか」
龍馬は、己の能力で作り出した剣を深々と後方の壁に突き刺していた。先ほど凄まじい音がしたのはそれを突き立てた際の音だろう。鋭利な剣のままではすんなりと刃が飲み込まれてしまうだろうからと、彼は意図的にその切れ味を落として、頑丈なだけの剣を作り直した。それをつっかえ棒のようにして壁に押し付けたことで、自分自身が叩きつけられるのを回避したようだ。
「いい判断力と反射神経だ、うん。恭也さんが欲しがるのも余計に納得だ」
「さっきその交渉は決裂したでしょう」