新入生・柚木龍馬①
初めに仕掛けたのは、風纏う少年の側であった。二本の剣を構えたもう一人の少年に向かって、自分の能力で追い風を受けるまま、瞬時に距離を詰めた。荒ぶる嵐のような風が、使い手の少年の腕を取り巻いている。着用している制服は、今にも捻れ、千切れ、弾けとぼうとしているように見えたが、特殊な素材で作られているためそうはならない。風の強い日の洗濯物のように、大袈裟な音を立ててはためくのみ。
大きく振りかぶった腕を、相対した少年に向けて振り下ろす。その仕草は叩きつけているようにも見えた。腕の周りを取り巻いていた乱気流がそのまま、目の前の空間を引き裂く。身を翻して後方に跳び退いた少年は難を逃れたものの、さっきまで立っていた場所は、荒ぶる大気の流れに揉まれ、無残にも食い散らかされてしまった。
砂塵が舞い散ることもない。吹き荒ぶ風は、二人が交戦する遥か前から吹き荒れていたためだ。無論、その元凶さえも風使いの少年の異能力によるものであることは言うまでもない。話も効かないまま逃げ出せると思うな。そう言った威嚇の意を含めて彼は、目に見えて分かるように暴風を招き寄せた。
対峙した少年はと言えば、その顔色をほとんど変えてすらいない。厄介な男が寄ってきた。逃げ切ることも難しく、正面から対抗しなくてはいけないのかと、その倦怠感と嫌悪感に眉根を寄せた程度のものだ。
襟に付いた学年章を見る限り、この風使いの能力者は自分より学年が一つ上らしい。つい先日入学したばかりの、新入生相手に大人げないものだ。実力はおそらく、相手の方が上。下らない校風さえ無ければ、さっさと教員に告発してしまえばいいのだが、この学園はこういった生徒同士の衝突を奨励している。
本当に、ふざけた校風だ。
士官学校の亜種とも呼べる学校であるため、武力が必要だということは、新入生の彼にも分からない事ではない。しかし、そうだとしても生徒同士の謂わば喧嘩を黙認するどころか、賞賛して促すなど、正気の沙汰ではない。
校風、と呼ぶべきか。それとも運営理念と呼ぶべきだろうか。掲げているのは、資本主義者さえも軽蔑する様な、実力主義の弱肉強食のポリシー。『正義が勝つのではなく、勝った者が正義なのだ』『強者が勝利を収めるのでなく、勝利を収めた者が強者である』それこそがこの学園の三か条の内二つ。
ここまで血なまぐさくなるような、露骨な文言を掲げておいて、三か条の残る一つは異彩を放っている。『何を目的に強さを求めるのかを自覚せよ』、それが三つ目だ。他の二つがただ闘争を加速させているだけなのに対し、これだけは問いを投げかけるようなものになっている。
これは学園唯一の良心なのか、それとも対外的に体裁を整えているのか、その意図ははっきりしない。この学園の設立を提案した、国のお偉いさんにでも聞かないと分からないと、誰もが考えを放棄している。
しかし、その理念は着実に生徒一同の心に沁みついている。
鬼武者、柳 恭也の戦いぶりを目にして。
あるいは、令嬢、蛭善 アーデルハイトの立ち振る舞いを拝んで。
神童、神崎 夕凪の無邪気さに中てられて。
時としては凡愚、水瀬 鈴鹿に感化して。
理由の無い強さとは、根拠のない虚勢に他ならない。この学園に存在する、無数の派閥。それは日々吸収合併、あるいは独立、同盟を繰り返し、毎日のように違う勢力図を見せている。その中でも特に大きな派閥に部類する集団、その頂点を見上げてみれば、強者とは何であるかを見せつけられてしまう。
そして嫌でも引き上げられる。自分も、あんな風になりたいという、理由を植え付けられる。根拠を得た努力は、明確な道しるべになる。
何も今、識別名竜巻少年である二年生の彼と、識別名剣戟少年である一年生の彼とが戦っているのは珍しい話ではないのだ。日本海に浮かぶ大きな島がまるまる学園の敷地となっている、通称『異能学園』においては。
校舎の傍で、体育館の中で、グラウンドの片隅で、旧校舎の倉庫で、中庭の池の前で、部活棟の入り口で。寝食を委ねる寮の近辺以外では、能力を用いた戦闘など日常茶飯事、いや、食事以上にありふれたものだ。
襲い掛かる上級生の攻撃をひらりひらりと身を翻しながら、新入生の彼は能力を使うことも無く観察していた。その機動力は追い風を常に受けているどころではなく、まさに風に乗って縦横無尽に襲い掛かって来る。攻撃の威力も激烈と称する外無い。踏み固められた地盤が、次々豆腐のようにくりぬかれていく。
直接ぶつかり合うまでもない、明らかに格上の存在。これまで入学から二か月、難癖をつけてきた生徒たちはこれほど強くなかったため、撃退が容易ではあったが、今度の敵はそうもいかない。名も知らないとはいえ、自分より一年長くこの学園で過ごしてきた猛者である。何とか逃げ切れれば御の字、といったところだろうか。
「抜けよ。お前の能力、もう随分有名なんだからよ」
「どうですかね。充分隠してきたつもりなんですけどね」
わざわざ抜くという言葉を使った辺り、自分の能力は割れていると新入りの彼は悟った。そのハンデを埋める目的なのだろうか、対峙した上級生の彼は、手の内を明かすように加減しながら一連の攻防を演じてくれたのだろう。
どうせ簡単に逃げきれはしないのだから、要望に応えた方が後々遺恨は残らないだろう。少年は敗走を前提に、今後を丸く収めるために応戦を覚悟した。ここで拳を、剣を交えないまま行方をくらませたとあっては、今後も付け回される可能性が高い。
己の異能を発動し、力を指先に集中させていく。手の先から漏れ出た高密度の闘気は次第に質量を得て、真っすぐに伸びていく。脇差ほどの長さまで達したかと思えばそこで伸長を止め、今度は掌、手首の側を覆い始めた。
より密度の詰まった高濃度の青色の剣と、衝撃から身を守るための淡青色の手甲。実際に手甲と呼ぶにはやや頼りなく、朧げな闘気の衣に過ぎないのだが、それでも多少の打撃、斬撃から覆った部分を守ることはできる。
両の手に異能で創った蒼剣を携え、構えた。実際に剣道を習っていた訳でもないため、我流の姿勢だ。それでも、その体勢が最も動きやすい形だと、彼という人間にしっくりと馴染んでいた。
「へえ、二刀流ってのは本当なのか」
「……結構知れ渡っているものなんですね」
自分が有名人となっているのは事実であると、相手の顔色から窺い知れた。能力を、戦い方についての情報を既に得られてしまっている。
そんなにも、誰も彼もにとって派閥が大切なのか。声色こそ微塵も変えなかったものの、嫌悪感が胸の中でどろどろと蠢いた。彼がこんなに名を知られているのは、彼が特別強者であるわけでも、問題児である訳でもない。戦う動機が弱い彼など、この学園では突出した生徒になり得ず、争いごとを避けるきらいがあるせいで、問題児になることもできない。戦闘を全て拒絶している訳でもなく、最低限避けられない戦いは全て勝利を手にし乗り越えている。
彼が多くの者に知られてしまっているのは、その存在の特異性にある。入学してもう二か月も経ったというのに、彼はどの派閥にも在籍していない。ただ、それだけの理由だった。
誰の傘下にも与していないというのは、言い換えれば誰の庇護も受けられないということ。強大な派閥に在籍するというのは、この学園で過ごしやすくするために欠かせない要素の一つだ。弱小派閥でも構わない。自分は一人では無いというステータスを得るだけで、喧嘩を売られ、戦いを買って出なければならぬ事態が激減する。
そして彼自身が望んでもいないのにそれだけ多くの試合を吹っ掛けられているのは、入りたての一年坊にしては卓越した戦闘技能が最も大きい。特に小さな派閥程、自軍の増強のために彼を欲するところだ。そして強引な勧誘をしたところで、彼を守ってやる後ろ盾は何もない。であれば、形振り構わず彼という人材を獲得しようと企てる人間は少なくない。
「やっと剣を抜いてくれたな、嬉しいもんだ」
「嫌々やってるって忘れないでくださいね」
「ったく、可愛くねえ坊主だな。まあいい、フェアに名乗りを上げようじゃねえか」
こっちだけ相手を知っているというのも、気持ちのいいもんじゃないからなと二年生の彼は言う。先ほどの攻防で、充分その能力が知れたので、わざわざ改めて教えてくれなくてもいいのだが。そう思っても、口には出さない、制止するだけ時間の無駄だ。
「鬼柳連合が一番槍。識別名竜巻少年、石黒 健太だ」
「……剣戟少年、柚木 龍馬」
「お前ほんとに愛想ねえんだな」
変に裏表が無い分、むしろおあつらえ向きの人材だな。鼻を鳴らし、舌なめずりしながら石黒は目の前の少年を評した。なるほど、偶々見かけただけの棟梁が気に入る訳だと納得する。
もう少し血の気に満ちていたら完璧だっただろうが、そこまでは望むまい。
この学園には無数の派閥が存在する。新しく現れては、また立ち消え、歴代の学園史を紐解けばそれこそ数え切れないほどの派閥が。日々勢力を拡大する派閥も多数あるが、その勢いがずっと続くという訳でもない。いつかは、廃れ、風化してしまう。そんな諸行無常も珍しくない。
だが、これまで無数に派閥があったというのに、全生徒の統一を成し遂げた者はいない。それも当然の話、毎年のようにその世代選りすぐりの兵が、我こそはと意気軒高にやって来るのだ。弱小派閥を立て直すこともあれば、一大派閥の乗っ取りを企てる者もいる。
そうした曲者が一年ごとに現れ、一番上の世代が一年ごとに卒業していく。その結果、未だに学園統合を為し遂げた者はいない。なればこそだ、強者は目指す。その栄光を史上初めて手に入れるのは、自分こそが相応しいと。
能力を扱う技能を切磋琢磨する。その学業方針のために、この学園では殺生や再起不能の怪我を負わせない範囲で戦闘が奨励されている。結果、派閥同士の争いというのは全面的に、戦争を意味していた。
強さという漠然とした形の無い何かをつかみ取るため、今日もまた生徒たちは衝突を繰り返す。ただ礫同士が砕け散るためにぶつかるのではない。互いに磨き合い、いつか宝玉となるためにその身を削るように戦っている。
ここは、異能力者が集まる学園。正式名称は別に存在しているが、世間は、設立者は、入学志望者は、誰もがこの学園を異能学園と呼んだ。
そして日夜、覇権を求めて拳を重ねる彼らの様子を、生徒は、教師はこう呼んでいる。
異能学園の覇権闘争、と。