第2章 在りし日々
気が付くと視線はどこか見覚えのある天井であった。そして白いベッドが俺の身体を支えていることに気がつく。保健室であった。
「あら、気がついたかしら?」
横から女性の声がするのが聞こえた。声がした方向に目を向けると、保健の安田先生が心配そうに見つめていた。長い黒髪をした、温和な美人だ。
「ハハッ、大丈夫っすよ。これくらい。殴られたり蹴られるのはへっちゃらですから」
「大丈夫じゃないでしょう?殴られただけではなく、火だるまにされたのね?」
「なっ」
「しかも全身に火傷があったわ・・・ついに彼女を怒らせてしまったのね・・・」
彼女とは凶子の事である。かのギャルの噂はかなり有名だ。先生も知らないわけがない。
「・・・」
「でも大丈夫よ。ヒーラーの私がすべて癒やしてあげたわ。人目を気にせず表を歩けるわ。」
安田先生が僕を慰めるように言ってくれた。安田先生は家族以外で数少ない精神的な支えである。腕っ節は強くはないが東京で指折りの治療術師である彼女の手にかかればどんな傷だって治すことができるのである。どんなにひどい傷も目立たなくなるまで治すので、一生モノの傷というものはなくなってしまう。
そんな彼女に俺は度々世話になっている。こうして不良どもからの攻撃でできた傷を作っては保健室に駆け込み、治療してもらうのだ。
だが今回は自分の足で保健室に駆け込んだわけではない。保健室に来る前の俺は教室で気絶していた。誰かがここまで運んだのだろうか。
照島――はないな。あいつがなぜ親切にここまで俺を運ばなければならぬのだ。だとしたら見回りに来た先生だな多分。普段はリンチに遭ってる俺のことは放置のくせに、変なところで気を使う。
「音無君、先生は公然では何もしてあげられないけど、陰ながら君を支えるわ」
その点安田先生は聖人・・・とは程遠いがいい人であった。いつも怪我の治療をしてもらっているこちらが情けなく感じている。初めて治療してもらった時は特に何も思わなかったのに、不思議なものだ。治療される数が増えていくうちに、彼女に何かしらの形で報いたいという思いが芽生えた。
「先生、今日はありがとうございました」
俺はそう言うと保健室を後にし、暗がりの廊下を歩いた。外はもう既に夜であった。腕時計を見ると夜の7時を回っていた。誰もいない下駄箱を抜け、静寂に包まれた校庭を抜け、俺は自宅への帰路を辿った。
俺が住むこの町・通ヶ岡は東京の片隅にある街だ。治安は今ははっきりいって悪い。特に学校や駅の周りは。夜になると最近復活を遂げた暴走族が道路を爆走し、小汚いギャルたちはコンビニでたむろし、出入りする客を見ては指を差して笑うのであった。昔はこれよりもかなりマシだった。しかし魔術師崩れの不良どもが幅を利かせ始め、警察ですら手を焼いていた。
俺はそんな不良どもにも目もくれず自宅へと足を急がせた。やがて不良どもの喧騒が聞こえなくなると、視線の先には愛しい我が家が映っていた。俺の家がある住宅街は幸いにもこの街で一番、いや、唯一と言ってもいいほど治安がいい。学校では虐められている俺だが、この近くで虐められたという経験はない。なぜかは知らないが不良どもはこの辺りには近づかないらしい。
俺はその安息の地に帰還し、指紋認証でドアの鍵を開け、中に入った。
「ただいま」
誰もいない一戸建て。あるのは落ちぶれた神童の帰宅の挨拶。
俺はテーブルにある菓子パン数個とコンビニ弁当を食べ終えると、ソファーに寝転んだ。そしていつも在りし日の家族を思い浮かべるのだった。
俺の家族は両親に姉、そして俺という構成だった。小学生の頃に現代の魔術に欠かせない要素である「フジニウム」と相性が良い体質と診断された俺は、すぐに魔術の才能を開花させた。当時の俺は物体操作、空間操作、念写の術が使えた。俺が繰り出す術の数々に、父さんと姉さんは一喜一憂した。クラスメートも才能に恵まれた俺を持て囃し、俺はクラス一、いや、学校一の人気者になった。しかし母さんはあまり喜ばしくない反応だった。やがて調子に乗った俺は魔術を用いて数々のいたずらをするようになった。といっても学業に支障が出るレベルのいたずらはしなかった。いたずらの対象は主に己の保身や鐘のことしか考えない、いわゆる汚い大人、そして不良であった。汚い大人のハゲ隠しのためのカツラを重くしたり、ヤンキーの粋がった髪をすべて魔術で抜いたりしたり、迷惑な生配信を行う大学生を空間操作でその筋の人の事務所に送り込んで修羅場にしたりした。やつらの慌てふためく様を見て、俺はほくそ笑んだ。
ただこれだけではまだ足りないと思った俺は、選挙区が俺の地元である悪徳国会議員を懲らしめようと思った。名前は忘れたが、その悪徳議員は収賄や部下へのセクハラ、議会中での品のないヤジ、売国容疑でかなり評判が悪かった。なぜ地元住民はやつを選出したのか訳が分からなかった。そこで俺はなにかスキャンダルがないかと休日にやつの自宅を突き止め、張り込みを開始した。近くのスーパーの広さぐらいある豪邸であった。塀をよじ登ってこっそり覗いてみたがご丁寧にも離れやプールがあった。国民を食い物にしていい身分だな。俺は子供ながらにそう思った。
粘ること1時間、例の議員は姿を現した。茶色のトレンチコートを羽織り、ハンチング帽を被っていた。変装のつもりだろうか。俺はすぐさまやつの尾行を開始した。議員は周囲の目を気にする素振りを見せず、堂々と足早に歩いた。しばらくすると議員の行く手に二人の男がいた。一人はボイスレコーダーらしきものを手にし、もう一人はビデオカメラを持っていた。どうやらマスコミ関係者のようだ。議員は彼らの姿を見るなり近くの曲がり角を右折した。俺も続いて右折する。マスコミ関係者の二人はスキャンダルの対象に気づかなかったのか、追ってはこなかった。議員を追っているうちに、繁華街の裏路地の入り口にたどり着いた。そして議員は裏路地に佇んでいた。そして程なく裏路地の先に一人の女が立っていた。褐色の肌をし、抜群のプロポーションを誇っている。顔は明らかに日本人のものではない。愛人なのだろうか?俺はすぐさま念者魔術を発動させた。対象に視線を合わせ、彼らの会話が聞こえるように体内のフジニウムをフル稼働させた。
「おおハニー、元気にしてたかい?」
「勿論ヨ。あなたのことを今か今かと待ちわびていたワ」
「さて、ここではなんだ。どこかホテルでゆっくりと打ち合わせをしようか」
議員が鼻の下を伸ばしながら褐色女の四肢を撫で始めた。
「フフ、そうネ★そうしまショ」
褐色女は片言交じりの日本語で朗らかに返事をした。そして議員とともに裏路地の奥へと入っていった。
スキャンダルだ!!
小学生にとってはかなり興奮モノだが、俺にとってはそれどころではなかった。念写魔術を続けながら尾行を再開した。ゴミ箱とネズミの裏路地をグイグイと進むと、大通りを出た。そしてそこに映ったのは、議員と褐色女がホテルに入っていく光景であった。小学生であった俺はホテルに突入することができなかったが、2人の逢引を目撃しただけで御の字だった。
さてこの念写した光景をどうしたものかと俺は悩んだ。そして尾行の最中に見かけたマスコミ関係者の2人を思い出した。俺はすぐに来た道を引き返した。そして彼らはまだ佇んでいた。仕事をサボっているつもりだろうか。はたまたとくダネがなくて退屈しているのだろうか。何であろうが、退屈している彼らにとびっきりのネタをプレゼントしてあげることにした。俺は恰幅がいい男が持っているビデオカメラに向けて念写魔術を念じた。するとビデオカメラはバチバチと音を立て始めた。
「うお!?なんだ!!?」
カメラの男は思わず自身の得物に起きた自体に驚き、その得物を落としてしまった。
「お前、せっかくの商売道具に何してんだよ」
ボイスレコーダーの男は言った。
「いや、カメラが突然・・・あれ?」
カメラの男は地面に落ちている自身の得物を凝視した。カメラのディスプレイには彼らが撮った覚えがない光景が映し出されていた。その光景は俺が先ほど念写魔術で脳内に記録した光景である。
「お前いつのまにこのスキャンダル撮ったんだよ!?」
ボイスレコーダーの男は同僚の突然の手柄に慌てふためいていた。
「いや、俺は何もしてないぞ!?日付だって今日のもので時刻も数分前のものだし。それにこの時間帯は俺とお前は一緒だったろ?」
「うむ、確かに・・・」
「きっと神様が気まぐれにうだつの上がらない俺たちにプレゼントしたに違いないさ!!さっさと局に戻って編集作業に取り掛かろうぜ!!」
二人の男は突然の手柄に喜びながら自分たちの局へと戻っていった。そして俺もいいことをしたと満足し、家に帰った。
翌日、朝のニュースの冒頭に例の議員が映っていた。俺が念写した光景が全国ネットで日本中のお茶の間に届けられたのである。朝っぱらからアダルティーなものを見せられた父さんは飲んでいたコーヒーを吹き出し、トーストを食べていた姉さんは咽てしまい、母さんはただただ口をポッカリと開けながら唖然としていた。そしてこの騒動の根幹を担った俺は大爆笑した。それにつられて父さんと姉さんも笑い始めた。朝一番、食卓は一家の笑い声で満たされた。ただ一人、母さんを除いて。気のせいか、俺に対して冷ややかな視線を向けてきた。思えば俺が魔術を使い始めたころもそのような視線を向けてきたような気がした。そんなことも気にせず俺はテレビに映し出された悪徳議員の愚行を笑い続けた。
小学6年の3学期になったある日、両親が離婚した。原因は母親の浮気である。愛した妻の浮気にショックを受けた父さんは仕事に身が入らずやがて退社し、家でオンラインゲームにのめり込む時間が多くなった。そして小学校を卒業したばかりの俺と高校を卒業したばかりの姉さんを残して突然蒸発した。その日から俺と姉さんの生活は激変した。父親の預金はゲームの課金で消え、姉の預金は殆ど大学受験で消えた。ゆえに生活費は雀の涙ほどしかない。
あまりにも突然の生活環境の激変に、俺は精神に不調をきたし、魔術をうまく使えなくなってしまった。やがてその状態のまま中学に上がった。中学では小学校の頃と違って魔術をうまく扱える連中が多かった。精神的に不安定になった俺は魔術の鍛錬どころか普通の勉学にも身が入らず、やがて成績順位は下から数えたほうが早いほどに落ちぶれてしまった。すると今まで俺を持て囃していた連中の態度は一変し、俺をからかい始めたのだ。からかいはやがて虐めへとエスカレートしていった。不良からの暴力・カツアゲは日常茶飯事に行われ、一般の生徒からはほとんど無視された。俺は虐めに耐えかねて自殺を試みたことがあったが、怖気づいて実行に移せなかった。そして何より、大好きな姉さんを悲しませることはしたくなかった。
姉さんは俺を養うために学業と並行してありとあらゆるバイトを掛け持ちした。時には男しかやらないような力仕事をやることがあった。やってないバイトは水商売ぐらいであった。もちろん学業にも精を出し、大学入試ではトップの成績だったため学費が免除され、大学の成績も常に一番で奨学金が支給された。尋常じゃない量の学業やバイトをこなしても、姉さんは疲労の色ひとつ顔に見せなかった。常に笑っては中学で落ちぶれた俺を励ますのだ。
そんな姉さんに比べて、俺はただ耐えることしかできなかった。己の状況を変えることもせず、ただ、じっと―――。




