7 任務:破壊2 ~轟音、快音、爆音~
近い、と思った。
何をするにしても、今の俺達とバケモノの間――3、4メートル位か――の距離ではいかんせん殺りづらい。
なら、ちょっと遠くに行ってもらおう。
少なくとも、日雀のミニガンをこの1メートルの穴から向こうに出す時間を稼げる程度の距離を置かしてもらおう。
俺は穴から外側に、さらにこちらに向かおうとしてきたバケモノの懐に一歩で間合いを詰めた。
身体全体で風を切る感覚が心地いい。
バケモノの巨体が目と鼻の先にある。
近くで見ると、露になった筋肉と骨格の極彩色のグラデーションが実にグロテスクだ。
血管から筋肉の細かい動きまでがぐちゅぐちゅとはっきりと見える上に、とんでもなく血腥い。
いや、こんなに間近でじっくり観察するために接近した訳ではない。
なまじ目が良いので、ルーペを使ったがごとく細部まで見れてしまったが。
ここまで来て、ようやくバケモノは俺に接近されていた事に気付いたようだ。
しかし、もう遅い。
俺はもう一度、壁を貫通させた時と同じように構えるが、今度は拳を握らない。
多分正拳突きでは貫通なり爆散なりしてしまうだろう。
今は、こいつを奥まで吹っ飛ばすのが目的だ、だから――。
「――ぅおらぁッ!」
バケモノの上腕二頭筋あたりに、掌底を押し込んだ。
右手の掌に、ぶぐちゅう、と蛙を押し潰すより何倍も気色悪い感触があった。
すぐにでも手を引きたい気持ちになったが、我慢してさらに腰を回転させ、肩を伸ばし、右手を内側に捻りながら衝撃を奥へと伝えた。
手の中で一度、硬い筋肉が弾け、跳ねる感覚がしたと同時に右腕を押し切っていた。
パァァンッ!と西瓜を割った時のような音の直後に、バケモノはそこそこの速さで宙に浮いたまま後方へと跳んだ。
そのまま30メートルほど吹っ飛んだあたりでようやく地面に巨体が着くが、もちろんあんな身体ではろくに受け身などとれるはずがなく。
そのままズシンズシンと鈍く重い音を立てながら弾んで転がって打ち付けられ。
50メートル先の壁に、勢いがほとんど殺されないままトラックの事故のような激突音をさせ、止まった。
……よくみるとバケモノが激突した壁はどうやら『永久閉鎖障壁』の二枚目のようだ。
しかし、壁を抜けて分かったがまさか研究所そのものがトンネル型だったとは。
構造的には蟻の巣みたいになっているのだろうか、ちょっと見てみたい。
いや、今はそんな事より作戦だ。
流石にあそこまでブッ飛べば十分だろう、あとはこいつらの見せ場だ。
「くそ、汚ねぇなあいつの身体はよ……。日雀!今だ、『鐘鳴器』を…………」
右手にべっとりとついたバケモノの体液を振り払いながら勢いよく振り返ったが、何やら愉快な仲間達の様子がおかしい。
春斗は開いた口が塞がらないというようにぽかーんと放心状態だし、日雀は眉を潜めて呆れた顔をしている。
こいついつも呆れてんな。
「どうした、早くしないとあいつが起き上がって――」
「……起き上がって来ると思う?あそこまで派手にぶちのめされて」
日雀が冷ややかな声を浴びせてきた、やめて!それすっごい効果あるから!身も心も痛いし凍てつくから!
いやいや、まさかこの程度でへこたれるようじゃあもうとっくに処分されてるはずだと思い、再び後ろを振り向く。
ほら、まだピンピン……。
…………。
……………………。
…………………………。
…………………………あ、動いてる!
「いや、まだ全然動いてるって!ほらこっちきてスコープでよく見てみろよ!」
俺の言葉から渋々といった風に日雀が壁の穴を抜け、俺の横でライフルのスコープを覗きこんだ。
「……な、動いてるだろ?」
「…………かろうじて指先がピクピクしてる程度じゃない」
「でも生きてる!ならちゃんと任務終わらせないと、作戦もやってないし、な!?」
「あぁもう、分かったわよ!」
ついに煩わしくなったのか、日雀は言われるがまま当初の作戦通りに頭部を狙撃した。
火薬の爆発音と音速を超えた弾丸が起こすソニックブームが大気を戦慄かせる頃には、『鐘鳴器』と名付けた銃弾は既に着弾していた。
バケモノの頭が後ろに持っていかれ、壁に後頭部を預ける姿勢になった。
おかけでよく着弾位置がよく分かった。
弾丸は弾かれることなく、そして貫通することなく、赤やピンク色の肉が蠢く頭の中で金色の光を見せている。
うむ、運良く予想通りに頭蓋骨の強度も人間とは段違いだったようだ。
程よく衝撃を殺しきれていない。
「どうなの?白牙君の狙い通りに行ったの?」
「あぁ、奇跡的にバッチリだ!」
「適当言ってるんじゃないでしょうね……?まぁ信じるけどね」
日雀はスナイパーライフルを通路の端に投げ捨て、ミニガンを取りに行った。
スイッチが入ればミニガンの重量も持てるようになるのだろうか。
なんか「満身創痍の上に脳に弾丸が残留してる状態って、もう再起不能でしょ普通……」とかぶつくさ言っている。
聞こえないフリをしようそうしよう。
「よし、春斗!次はお前だ、いっちょかっこよく『奥義』決めちゃってくれや!」
なんだか俺もこのまま日雀がミニガン掃射して終わりでいい気がしてきたが、流石に言い出しっぺがそんな事を言うわけにはいかない。
というか正直意地だ。
「……僕さ、もういいんでないのかと思うんだよ」
「どうした、まだ終わっとらんぞ!」
「だってさ、朱夏さんに狙撃された時も、あの生ゴミは悲鳴すら上げられなかったじゃないか」
「そう………だな」
「今度こそ、今度こそあのまま放置すればいい状態になったと思うんだが」
「…………まぁ、脳みそに弾丸残ったままじゃ確かにな」
「違うよ!どう考えてもお前の初手であれは詰んでたよ!三手詰めですら無かったよ!」
「……はい、そうです」
やり過ぎた、どう考えたってやり過ぎた。
否、単に任務の達成だけを考えれば一撃の下にターゲットを捩じ伏せたのは八面六臂のファインプレーだろう。
だけども、回りくどい作戦を強引に決定した上に、その張本人が勝手に先制攻撃で作戦もサクセスもないまま終わらせてしまうのは独断専行が過ぎる。
考えうる限り最速でケリをつけてしまった、いやまだ分からないけどね?
ズシン、と背後から音がした。
もしやと思い音のした方を向くと、そこには予想外に予測内の出来事が起きていた。
再起不能かと思われたバケモノが、ゆっくりと大きく動き出している。
覚束ない手つきで、地面に手をつけ。
俺達の方に、再び向かおうとしていた。
様子はライバルの雄にに立ち向かうライオンというより、生まれたての小鹿のようだったが。
思わず、ガッツポーズをとりそうになるのを決死の思いで抑えた。
「は、まさかまだ動くとはね……。てっきりくたばったかと思ったけど」
「な、言ったろ?まだまだあの生ゴミは廃棄できないみたいだぜ?」
「……しょうがないなぁ」
春斗は、仕方なさそうに肩を竦めてから静かに、ニタリと笑った。
なんだかんだで『奥義』を使うこと自体は満更でもないようだ。
春斗は、スラックスの内側に帯刀していた小太刀を再び取りだした。
赤い柄に黒い鞘の、60センチ程度の長さの見た目はごくごく一般的な小太刀。
だけど、もちろんただの一山いくらの二級品でも、展覧会なんぞで展示されている名のある名刀でもない。
春斗専用の、世界に一振りだけの銘刀だ。
……あれ、なんだっけ名前。特別に刀匠が自分の名前ではなく、春斗が小太刀に名付けた名称を銘打ってくれたとか言ってたよな。
『血断(けつだん)』か『ゲッダン』だったかな?いいや後で聞こ。
今はたっぷりと、春斗の独り舞台を鑑賞させてもらうとしよう。
バケモノは緩慢な動作で、ゆっくりと床を這ってきている。
巨大な手が床に着く度に、ドシン、ドシンと床の軋む音が聞こえてくる。
俺達との距離は、時間をかけながらも40、30、20、10メートルと着実に詰まってきた。
バケモノの裂けた口からは、最早虫の息に近い低く濁った声だけが漏れている程度だが、それでも俺達を排除しようと最後の力を振り絞っている。
春斗が、音もなく一歩だけ前に歩み出た。
「耳を塞いでおいた方が良いよ、白牙。それと朱夏さんも」
「え?なんだって?」
「……言われるまでもない、か」
当たり前だ、あんな音モロに聞いたら俺の可愛い三半規管がシェイクされてしまう。
ちらっと朱夏の方を見ると、同じく両手を耳を押し潰さんがばかりにめり込ませて塞いでいる。
そんなにしたら柔道家みたいな耳になっちゃうよ。
前を向き直した時には、バケモノと春斗の間合いは既に7メートルにまでなっている。
あと二回分バケモノがその両手を前に進めれば、それでもうバケモノの両腕は春斗を刈り取る事が可能な距離だ。
いくら動きが遅くとも、あと5秒足らずで春斗はバケモノのリーチ内に入る。
春斗は、そこで初めて小太刀の刀身を鞘から出した。
だが、完全に抜刀してはいない。
僅かにその切先はまだ鞘の中だ。
しかし、この時点で春斗の奥義の準備は完全に完了している。
何故なら、この小太刀は今回切断、刺突、峰打ち等々、刃物としての一般的、常識的な使用用途のどれにもあてはまらない使い方をされるからに他ならない。
なんであんなことをわざわざ特注の小太刀を使ってまでやるのか俺にはさっぱりだ、ロマンなのだろうか?
そう、例えば音叉とか――。
春斗は、小太刀はそのままの状態で、今度は一気に距離を詰めた。
ついさっき、俺がバケモノに対してそうしたように――刹那の速さで。
あぁ、来る、来るぞ。
春斗のシビレる一撃が、今、目の前で!
「青龍寺一刀流、七乃太刀――『音徒楼々(おんとろうろう)』
春斗がバケモノの目と鼻の先で、小太刀を思い切り納刀した――瞬間。
キィィィィイイイイイィィン――と、人間の耳でまともに聞くにはあまりに甲高い高音、強音が研究所を蹂躙した。
聞く者の鼓膜を、三半規管を木っ端微塵に破壊せんばかりに、小太刀は澄み切った凶悪な音を発し続ける。
それはさながら、聖なる女神の断末魔のよう。
視覚を失ったが故に、より多くの情報を音から得る為に発達してしまった耳をもつバケモノに――その悲鳴は、一層突き刺さったようで。
「ァ――アァアアァアァァァ!!」
バケモノは気力を根こそぎ振り絞られ、出せないはずの慟哭を上げた。
俺達がしているように、両手を地面から頭部を挟むようにし、悲鳴から少しでも逃れようとしている。
だが、そうすることで必然的に自分の体を支えるものはなくなり――、バケモノは只の肉塊のように丸まった。
さて、今こそ攻撃チャンスのようだが、果たして俺の綿密な作戦は……。
う、うーん……。うぅむ、うむーん。うむむ?うぅん……。
うん、分からん。もういいや理屈っぽいのは。
ここまでくればあとはもう、単純な暴力で終わりを告げるだけだ。
「日雀、もういいぞ」
「言われなくても、そのつもりに決まってるじゃないの」
日雀は既にミニガンを設置し、その無骨なフォルムと重量感だけで圧倒されそうになる破壊兵器を構えていた。
言わずもがな、殺る気は充分だ。
俺とバケモノから距離を空けた春斗は、そそくさと日雀の横と後ろにそれぞれ移動した。
こんなんに巻き込まれたら4秒で人肉ペーストになっちまう、何の料理に合うんだそれ。
「春斗君が女神の断末魔を披露してくれた事だし……、私はさしずめ英雄神の雄叫びとでも洒落こもうかしら!」
「あれ?俺思ったこと口に出し――」
俺の疑問なんてのは露知らず、日雀はフルオートでバケモノに銃弾のフルコーラスを浴びせた。
バララララララララララッ!!といった巻き舌でもそうそう真似できないような壮絶な銃撃音……まさに轟音だ。
あまりの連射速度に、まるで銃口からオレンジ色のレーザーが出ているように見えなくもない。
俺もよ~く目を凝らさないと銃弾を一つ一つ目で追えない、これ避けれねぇよ多分。
これが一分も間断なく撃ち続けられるというのだから、つくづく人間の作る兵器は時々度を超している。
と、俺が言うのもおかしな話かな?
今度は慟哭も絶叫もない、そんな猶予すら与えないまま弾丸はバケモノの身体をみるみる削っていく。
アイスクリームに熱湯をかけ続けるが如く、バケモノは溶けるようにして肉片となった。
元は人間だとは思えないほど、山のように肉と骨と皮やらが積もっている。
これが、未練がましく夢と野望を追った馬鹿な人間達に巻き込まれた哀れな実験体の最後、なのか。
どういう流れでああなってしまったのかは分からない……、もし俺と同じような経過を辿ってここに至ったとするなら。
ひたすらに、『運が悪かった』……。歴史にも記録にも残らないこの悲劇は、それに尽きるのだろう。
そして他ならぬ俺も、もしかしたら。
「これにて一件落着ってか。それにしても人間てのは分からないな……。僕も初めてこんなやつと戦ったけど、元は多分罪のない人間だったと思うとやりきれないよ。それこそ一度死んだ生ゴミだと思わないとな」
「そう?私は元人間だからこそ、何とか気合十分に臨めたけど。単に的の大きくなった人間だと思って遠慮なく殺れたわよ?」
「……まだスイッチ入ったままなんだね、朱夏さんは」
どうやら今回の任務に対する見解はそれぞれ異なるようだった。
俺は……どちらでもない。生ゴミと最初に言い出したのは俺だけども。
俺と同じ実験で、俺とは違って失敗したが故に人間とはかけ離れた生物になってしまったこいつに――奇しくも成功作となった俺が、終止符を打ちたかった。
余計な同情で、生産的な意味もない行動だったかもしれないが。
きっとここであの研究が密かに続けられていたのには、俺の存在が発端となっているかもしれないから。
俺がいなければ、この人は普通の人生を送れていたかもしれないけれど、もう手遅れになってしまったから。
遅すぎる責任の取り方として、せめて最後だけは。
わざわざ口に出すことはないけど、しっかりと今日の、今回の任務は胸にしまっておこう。
自己満足だが、犠牲を忘れないことも、供養にはなるだろう――。
……さて、後は観光だな。
「……よし、宿行くか!今回はなんと、部屋に露天風呂がついてる高級旅館に部屋を取らせてあるぞう!」
「おおっ!いいじゃないかぁ……。分かっとるねぇ白牙クン」
「お腹減ったぁ……。早く行きましょうよ」
やんややんやと盛り上がりながら、俺達は死んだ研究所を後にした。
暴走した生命体の活動停止を確認。
任務達成
¥25000000