6 任務:破壊 ~最後の砦を内から打ち壊せ~
ビルの玄関口に入ると、目の前にエレベーターがあった。
それ以外に何もない、はなっから殺風景で異様さが漂う空間だった。
こんなオフィスがあってたまるか。
「こちらのエレベーターで地下に行っていただきます。そうすると目の前には最後の『永久閉鎖障壁』がありますので……」
「開けてくれんの?」
「………………」
なぜ黙る黒スーツ。
……え?いやいや、ちょっと待ってくれ。
もしかして、この流れは。
「……俺達が開けるの?自力で?」
「そのように、仰せつかっておりますので」
「あの野郎……」
間違いない、送迎の車から日雀の武器まで、今回の任務にあらゆる手回しを行っているのは『三極』。その中でも俺達専属の管理者が一枚噛んでいる筈だ。
どうせそいつが今回も『障壁は解錠に時間かかるから自分らでぶっ壊すよう伝えといてー』とでもこの黒スーツに連絡したのだろう、ふざけやがって。
今回に限らず、任務達成の為に邪魔になる施錠された障壁やら扉やら門やらは例外なく自力で抉じ開けるように通達されている。
潜入任務だろうがなんだろうが、関係なく毎回正面から強行突破するからまったく隠密性に欠ける、というか潜入ですらない。
俺がハッキングもピッキングも出来ないのが一因ではあるけど、少しは前準備してくれてもいいじゃないか。
そういう点ではこの前の……なんだっけ……ラブプラス?だか何だかの破壊任務は『三極』の気も顔も利いてたな。
「……はいはい分かった、分かったともよ。後の事は万事任せたって事だろ。全部が全部磐石って訳じゃあないが、とにかく行ってくるよ」
「それでは、ご武運を」
黒スーツは、エレベーターに向かう俺達に一礼した。
それを尻目に、俺達は続々とエレベーターに乗り込んだ。
……ボタン少ねぇな、おい。
黒の『開』と『閉』と非常用の電話のマークが書いてある黄色いボタンはまだいい。
階表示のボタンが今いる一階ともうひとつ『B』ってやつしかない。
どうやって上に行くんですかね……。
「何呆けてんだ白牙。さっさとB押せばいいじゃねぇか」
「あぁいや、そうだな……」
慌ててBボタンを押す、ポチッとな。
もちろん望まぬ進化を止める為ではなく下に行くためだ、本当に進化キャンセルなんてやる人いるのかなあのゲーム。
重力が急激に倍増したかのような一瞬の下向きの衝撃の後、低い唸りを上げてエレベーターは加速を始めた。
「なぁ白牙、ここまで来て言うのもなんだけどさ」
「何だよ、トイレか?それとも肝心要の小太刀を忘れたか?」
「違う、僕が言いたいのは『永久閉鎖障壁』の事だ。確か三枚あるって言ってたよな、さっき。そんなもんがあるなら尚更俺達が処分するまでもなく勝手に死ぬんじゃないのか?」
「悪い、言ってなかったか。それもう二枚はぶち抜かれてるんだよ、今の時点で」
「……はぁ?脆すぎんだろいくらなんでも。素材が段ボールと発泡スチロールだったりすんのか?」
「子供の秘密基地じゃないんだぞ……」
もう秘密基地なんて作らないか、今時の子供は。
木の上の秘密基地でタンバリンを土俵にした虫相撲とかやらないんだろうなぁ……。
今年の夏もアメリカザリガニを倒す為にあのゲームやり直そう、うん。
「確か……チタン合金?とか耐久性と強度に秀でた金属をふんだんに使った壁の筈なんだが。奥から厚さが50センチ、1メートル、2メートルの順になってるらしい」
「なんで全部2メートルにしなかったんだよ」
「知らん、設計士に言え。とにかくそれで閉鎖されたのが二日前の午前零時。それから半日足らずで一枚目が突破されて俺の所に話が来た。それなら約二倍の時間が経った二枚目も昨日の正午ぐらいに破壊されたから……」
「猶予は単純計算で明日の昼までか」
「そうだな、恐るべきはほとんど同じペースで今もなお三枚目への攻撃がなされているところだろうぜ」
「一体食糧もないのにどこにそんなエネルギーがあるんだ、あのバケモンに」
いくら人間を辞めても、摂取したエネルギー以上のエネルギーで活動することは生物である限り不可能だ。
この俺ですら、その基本原理の例外ではない。
だとしたら俺と同じく、エネルギー変換効率までも改造され、跳ね上げられているのか。
その原理は分からなくとも、現象はそこにある。
ならば、受け入れよう。
「俺は死んだ人間の肉を食べてエネルギー源にしてるに三文賭けるぜ」
「一回の早起きで取り戻せる額ぐらいの自信しかないなら賭けるんじゃねぇ」
一分弱は下降を続けていたエレベーターが、音もなく停止した。
随分地下深くに研究所を作ったもんだな、停電の時とかエレベーター止まったらどうしてたんだろう。
開いたドアから下りると、俺は目の前の光景に思わず息を呑んだ。
目の前にあるのは、死体が散乱した地獄絵図……というわけではなく。
さながら、天界にある建造物を人の手で再現したかのような、巨大で壮大な半円状の壁だった。
仮に半円でなく完全な円形であれば、直径8メートルはあるだろうか。
いくつかのドーム状の金属を嵌めあわせた、波紋状の造りをしている。
壁の色は青がかった黒で、研究所内部を照らす天井からの明かりも伴い、重く蒼く光っているようにも見えた。
半円の中心から直角に真上に伸びるギザギザの噛み合わせの部分を見るに、左と右の二枚でこの『永久閉鎖障壁』は構成されているようだ。
余計な装飾が施されていない、洗練されたデザインからは近代的な美しさを感じられる。
さっきまでこれの設計士は無能だと思っていたが、どうやら美的センスのある無能だったようだ。
後ろで春斗も溜め息を吐きながら目の前の壁を見上げている。
俺はミニガンを地面にそっと置き、『永久閉鎖障壁』に触れた。
金属特有のひんやりとした冷たさが俺の掌に感じられる、気持ちいい。
しかし同時に、僅かにだが確かな震動も掌から伝わってくる。
間違いない――今もこの奥で、あの写真の化け物が壁を叩いている。
一度も休むことなく、延々と。
外の世界に、出たいのだろうか。
それが単なる食糧を求めての動物的欲求からなのか。
それとも、知性と理性を失っても残った自由へと渇望からなのか。
「しかしなんつうか……気配感じねぇな」
答えの分からない問いの中で右往左往しかけていた所を、春斗の気の抜けた言葉で現実に引き戻された。
気配を感じないって……、仮にも暗殺者の端くれがそんなこと言っていいのだろうか。
だが、俺もこの壁に触れるまでは全く存在を感じなかった。
「もしかしてもう死んでくれたんじゃないのか?音も声もしないんだけど」
「こんだけ分厚い障壁がありゃ無理もないだろうけどな。でもな春斗――」
「はぁ?あなたたち気配も感じない訳?こんなに殺意を無差別に振り撒いているってのに?」
呆れ、馬鹿にするような声が更に後ろから聞こえた。
あら、日雀さんもうスイッチ入りなすったか。
まだ姿かたちが見えてないのに、随分お早い登場だこと。
「あぁぁ、すっごい……!ここまで純粋な殺意は久々よ……!こんな動物的で剥き出しな殺意はもしかしたら初めてかも……。あは、興奮してきちゃったぁ!ゾクゾク来て身体が火照ってきちゃったわよ」
目が見開かれ、下手したら口から涎が出そうな高揚ぶり。
頬も紅潮してきて、なんだか艶々しているけど艶やかさとは無縁の艶かしさだ。
日雀の豹変ぶりを目の当たりにした春斗が、そそくさと俺の真横に移動して、こっそり耳打ちしてきた。
「お、おい。これが朱夏さんのスイッチが入ったってやつなのか?なんかアブナイ薬飲んだみたいなんだが」
「その物言いはいくらなんでも酷いが、俺も言われてみればそうも見えてきた」
「しかし、なんていうかこう……。ギャップが凄いな。いっつも教室でボードレール読んでる男子が実はクラス全員の女子のパンツ集めてたぐらいの衝撃だ」
「クソムシが」
春斗もドン引きこそすれ、こうして冗談が出てくるということはスイッチが入った日雀を拒絶したということはなさそうだ。
二人それぞれと仲間だったり友達である俺からすれば、彼等同士がこれを機に仲良くなってくれればいいと思っているのだが、果たして。
「さてと、いつまでもウダウダ喋ってる訳にもいかない。そろそろ任務を片付けるぞ。お前ら準備はいいか?」
「おう」
「早くしてくれるかしら?」
春斗は小太刀を、日雀はミニガンを設置してからスナイパーライフルを手に持って答えた。
俺はそれを受けて壁の前に立った。
大きく息を吸って、全身に力をゆるやかに浸透させていく。
触った感じからして、本気で殴ってもまず骨折はしない位の強度だろう。
多分砕けるというよりは凹むような変形をするだろうが、一応警告しておくか。
「破片飛んでくるかもしれんから気を付けろよ?」
「……ほどほどに頼むぞおい」
春斗の若干震えた声が返ってきた。
さて、作戦開始だ。
足を前後に開き、右の拳を握りしめ、上半身を右後ろに開いて、弓を引き絞るやに右腕にゆっくりと渾身の力を籠めていく。
一瞬、全てが静止したように静寂が場を支配した。
それを合図に、腰の回転から順々にリミッターを外していくように、一気呵成に力を解放した。
「―――っ、ぅぅぅぅうううらああああアァァァァァァッ!!」
雄叫びを上げながら、目の前の障壁に拳を叩き込んだ。
グァゴンッ!!と。
壁だけでなく空気そのものが爆ぜたような衝撃音が辺りに轟いた。
右手からは破壊の反動が弱い電撃を流されているように心地よく伝わってくる。
そして衝撃波が空気を乱暴に震わせ、俺の頬にもビリビリと大気の悲鳴が聞こえてきた。
手応え、アリ。
刹那の間、目を閉じて余韻に浸り――そして。
目を開くと、最後の『永久閉鎖障壁』に1メートルほど穴が空いていた。
予想に反して一撃目で貫通したようだ。
その穴のすぐ向こうに、あの化け物が見えた。
巨大な頭部は、顔のあらゆるパーツは赤黒い筋肉に飲み込まれ、大きく裂けた口だけが残っていた。
やはり、もう人とは呼べない。
こいつは既に処分されるべきバケモノだ。
突然の『永久閉鎖障壁』の向こう側からの衝撃に姿勢を崩したようだが、電柱を何本も束ねたかのような極太の腕と、人間一人を握り潰せそうなほど大きな掌でしっかりと地面を掴んだ。
どうやら相手も俺を認識したようだ。
俺とバケモノの殺意が衝突し合うのを、今度はしっかりと感じた。
自己紹介は――不要だろう。
さて、上手くいってくれよ?
「オペレーション『鐘鳴器』――開始!」