2 投了した頭領達の、次なる戦場は
「ところでよ、『3Kあって詰まぬものなし』って言葉あるじゃねぇか。あの3Kってなんの略称なんだ?金将、角行、香車か?」
「……僕は初めてそこまでの思い違いをしている人間を見たよ。何でよりにもよってピンポイントで桂馬を外すんだよ。英語のKじゃなくて桂馬の桂だ」
「えっ……。その理屈でいくと、『Kの高飛び歩の餌食』は、あの世界的テニスプレーヤーの飛んでボール打つ必殺技とは……」
「何の関係もない!そもそも歩の餌食ってところで気付けよ」
「てっきり歩っていう名前のライバルが必殺技に対する絶対的なカウンターを持ってるもんだと思ってたぞ」
「そこまでいくと超次元テニスになっちゃうから……」
呆れたように溜め息を吐く春斗。
え、あれ超次元なの?俺いくつか出来る技あるけど。
その気になれば……というかスイッチさえ入れば日雀も出来る技あるかもしれない。
相手プレーヤーは吹っ飛ぶどころか爆散する可能性もなきにしもあらず。
春斗は、視線を下に落とした。
そこにあるのは、既に戦いの終わった戦場であり、既に王は白旗を揚げている。
兵士達は、力なく武器を取り落としてその場から動けないでいる。
どれもこれも、指揮官が無能であったが為の敗北に他ならない。
すまんな、勇敢な戦士達よ。
俺に出来るのは、せめて彼等の魂が安らかに眠ることを祈るのみだ。
……しかし、将棋って難しいな。
実はこれ詰んでなかったりしないかな。
悪足掻きだと分かっていても、もう一度一通り考えてみるが。
うん、駄目だ。飛車と銀将と桂馬に完全に包囲されてるわこれ。
自分の無力さに打ちひしがれている俺を見かねたのか、春斗は盤面を見たまま俺に慰めの声をかけた。
「それにしても、この半年でお前の将棋の腕は着実に伸びてきてるな。型とか覚えられたら僕も本気でやらなきゃ負けるかもしれない」
「穴熊とか矢倉とかか?あと『ダイブ!』とか使わないと春斗にはまだまだ歯が立たなさそうだ」
「ありゃ単に極度に集中しながら先読みしてるだけだ。ある程度将棋を指す人間
ならみんなやってるさ」
「巨乳メイドを侍らせながら将棋やる棋士もいるのか?」
「お前、案外近いところにいるぞ」
「メイド……?日雀の事か?まぁ家事全般やってくれることに関してはそうとも言えなくないが、主従関係はないしな。メイドじゃなくて仲間だよ」
「……なぁ、前々から聞きたかったんだけどさ」
春斗が突然小声になった、どうした、盗聴機でも見つけたか。
そう言うときは筆談か肉体言語でコミュニケーションをとるのがいいんだけど。
「白牙と朱夏(あかなつ)さん、付き合ってるのか?」
「……俺が?朱夏日雀と?」
「そうだ、他に誰がいる」
「……いやぁ、そんなことはない、と、思うんだけど」
「なんだその曖昧な答えは。あのな、たとえギャルゲーでなくたって、血の繋がりがない男女が一年近く同居してて何もないはずがないんだよ!」
「何もなくはないというか……。恋人関係ではないことは確かなんだが」
一緒に遊園地とか遊びにいったり服買うのに付き合ったりはしている。
それに、俺だって日雀の事を改めて『女』だと認識して、心臓をギュッと掴まれたような感覚に陥ったことが何回もあった。
風呂上がりの紅潮した頬や濡れた髪から振り撒かれる色気とか。
ソファで寝落ちしたときのあどけない寝顔とか。
薄着の時にくっきりと表れる身体のラインとか。
少し密着したときの体温とか柔らかさとか甘い香りとか。
……あとちょっとした不運で日雀の下着姿やら全裸に近い姿を見たときは嫌が応でも男としての血が騒いだ。
その時は流石にギリギリ堪えた代わりに後の自家発電でお世話になった。
最低だ……俺って……。
だけど、だからといって日雀を異性として好きかと言われれば。
もちろん嫌いではないにしろ。
「うーん……。いや、何だかんだ言ってるけどな。万が一日雀にそういう関係になろうと迫られるような事があれば、きっとそういう形になると思う。ルックスよし、性格よし、器量よしと非の打ち所がない魅力的な美少女な訳だしな」
「今まで朱夏さんがそんな素振りを見せたことはないのか?お前に好意を抱いてるような」
「多分、ない……。あったとしたら俺が見逃してるかもしれない。俺にはおおよそ経験と呼べるものがないからな」
「はっきりと求められた事もないのか」
「ない、と言って拒絶された事もない」
「……なんか、中途半端だな。僕も色々な男女の関係を二次元でも三次元でも見たけど、珍しいタイプだよ」
幼馴染みの腐れ縁でもなければ。
友達以上恋人未満でもなければ。
先輩後輩でも、悪友でも、義理の妹でもない。
ただ、仲間。
互いに利用しあっている訳ではなく、互いに支え合う仲間。
そんな関係は友達とは何が違う?
恋人とは何が違う?
単なる言い換えじゃないのか?延長線上の関係じゃないのか?
どうしたって、中途半端なだけだ。
恋人というには俺は日雀の事を尊敬していて、好きだけれど、恋をしている訳ではない。
かけがけのない、仲間だ。
友達は友達でも、戦友だ。
これ以上なく歩み寄っているけれど、まだ俺達の間には線がある。
ふとした拍子に越えてしまいそうな線が。
それを約一年もの間、互いに越えなかった理由があるとすれば。
「あ、分かったかもしれん」
「何がだい?」
「いや、簡単なことだよ。俺達もう家族みたいなもんなんだ、きっと」
「……家族?いやだって、血の繋がりのない男女が家族って、それば恋人の延長線であって」
「でもな、俺達は上下関係も主従関係もないメイドと主人みたいなもんなんだ。しかもたまに仕事を一緒にしたりもする。互いに持ちつ持たれつな家族。もしかしたら今後それが夫婦になる日も来るかもしれないが、今のところは仲間、そして家族って言葉がピッタリだな」
「……そうか、なんかいいなそういうの、羨ましいよ」
「何を言ってるんだ、お前にはしっかり血の繋がった仲の良い家族がいるじゃないか」
俺は春斗の脇に置いてある日本刀に視線を移しながら自虐的な事を言った。
俺は2歳、日雀は10歳でそれぞれ両親を事故、あるいは殺して失った。
日雀については知らないだろうが、俺の事は既に話してあるはずだ。
尤も、もう顔が思い出せなくなってしまったが。
写真も無ければ墓の場所も知らない。
同情は御免というより、そもそも悲しいと思えるほどの記憶がない。
物心ついた時には、俺はもう実験体だった。
偽の家族と過ごした時間の方が長いくらいなのだから。
「いや、家族の話じゃなくてさ。僕の事を好きになる女子はいても、僕に尽くしてくれるというか、僕を支えたいって思って寄ってくる女子はいなかったからさ」
「なんだ?自慢か?よしお前刀持って表出ろ。3秒で終わらせてやる」
「そうじゃないって。それに俺は羨ましいって言ったんだ。女だって量より質だろ?」
確かに、たとえ何人尻の軽い女を付き従わせたって、自分の事を第一に考えてくれる女が一人いればそれに敵うものはないだろう。
だとしても!こいつがモテるのは事実!
茶色がかった黒髪のビシッと決まったウルフヘアに、いかにも人懐こそうな垂れた目、形の良い眉毛、長い睫毛、高い鼻、セクシーな唇、見るからに優しそうな笑顔!
しかも細い割にしっかり筋肉のついた男らしい身体!
どこに雌共は惹かれるんだ?もちろん全部だ!
性格も友達思いな良い奴だ、実は深夜アニメもラノベも大好きなオタクでもあるけど。
それって今時の女子の間ではマイナスポイントになるのだろうか、日雀は度を越さなければどうとも思わないと言ってたっけか。
「まーお前にもいずれ良い出会いはあるさ。人生は長いんだから」
「そうだなー、まぁ何とかなるだろ」
春斗は気楽な調子で呟きながら盤上の駒を片付け始めた。
あくまで何とかするんじゃなくて何とかなるのを待つんだな……。
まぁ俺だって努力して日雀を引き寄せた訳でもないから人の事は言えないが。
「で?今日の本題とやらは何だ?」
「……あれ、言ってなかったか」
「聞いてねぇよ、わざわざ『大事な話があるから来てくれ』って連絡しといて、何事かと思って僕が来たら『まぁまぁ一局指そうぜ』ってよ。こっちはもういつ切り出してくんのかと思って集中出来なかったんだぞ」
「その割には随分雑談が盛り上がってたよなさっきまで」
「さっきまでは話に夢中で忘れてたけどな。ふと我に帰ったらなんで今日来たのか思い出したんだよ」
「そうかそうか。えーっと………………。あれ、何だったっけ?」
「帰るぞ!?僕もう帰るぞ!?」
日本刀を手に取りながら叫ぶ春斗。
冗談だろうが、からかうのもいい加減にした方がいいだろう。
「今日、お前に来てもらったのは他でもない。勿論俺の友人である春斗に話があるからだが、それは同時に200年以上にわたって続いてきた歴史ある由緒正しき暗殺者集団、青龍寺(せいりゅうじ)一門、そしてその直系の一人である青龍寺春斗としての話でもあるからだ」
「…………なるほど、ね」
春斗の雰囲気が、佇まいが、一変した。
表情は同じ笑顔のままだが、そこに先程までの優しさ、温かさは感じられない。
そうか、これが暗殺者の顔か。
この春斗を見るのは、初対面の時以来だろう。
俺と同年代だというのに、その雰囲気は熟練の戦士そのものだ。
敵意も殺意も感じないが、それであっても研ぎ澄まされた刃物のような、血が凍るような冷たくも鋭い空気が部屋を満たしていく。
春斗は、俺が二の句を継ごうとするのを手で制しながら、もう片方の手で日本刀を座ったまま携えた。
そして俺と春斗の前に置き直してから、柄を軽く握り、少しだけ刀を抜いた。
5センチほど覗く銀色の刃が、部屋の電気を反射して光が瞬いた。
と、その銀の美しさに改めて心を打たれている俺を余所に、春斗は刀を今度は鞘の中ごろを左手で持ちながら、そのまま春斗の左側に刀を立てた。
そして、一体突然何してんだと呆気にとられている俺の目を真っ直ぐに見つめながら、柄をもう一度右手で順手に握り直し。
勢いよく、鞘に戻した。
チィンと、小気味良い金属の音が静かな部屋に響き渡る。
……いや、なにやってんのこの人。
召喚の儀式か?それとも刀の宣伝?
どうせ特別価格ならさらに10000円引いたりするんだろ?そうやって買わそうとしてるのが見え見えなんだよ。
そのせいで、二、三回だけしか使ってないジュースミキサーやらルンバやらが埃を被るはめになったんだぞ。
乗馬マシンはかろうじて使われてて、日雀が風呂上がりとかに乗ってる姿は目の保養になるからマシだが。
「……これはな、金打って言うんだ。本当なら互いの刀の刃を軽く交わすんだが、まぁこれでも間違いではないはずさ」
「はぁ……、でその意味は」
「ここで話した事は他言無用にするっていう誓いだな。指切りげんまんを超重くした感じといえばいいのか。もし破ろうものなら切って捨てるという意思表示でもあったらしいから、そうそう軽々しく交わすもんじゃない」
「ほーん……。……は?待て待て、何でそんな大仰な誓いの儀式を一人で勝手に始めてんの?先に言っとくとこれ別に俺とお前だけの話にじゃないぞ?」
「あ、そうなん?」
「そうなん?じゃねぇよ……」
厳かだと言えたはずの神聖な場の空気は
春斗の気の抜けた返事で雲散夢消してしまった。
こいつ、後先考えてるんだか考えてないんだか分からん奴だな。
もしくは考え過ぎなのか、まぁ棋士は一万手先まで読むらしいからしょうがないね。
「変な前置きした俺も悪かったけどさ……。それに、命懸けなのも間違いないから心構え的にはそんな感じで一向に構わないんだけど……」
「なんだよ、煮え切らない返事だな」
「……しゃあない、単刀直入に言うぞ?」
「よし、ドンと来い!」
刀を適当にうっちゃりながら胡座をかいて、次の言葉を今か今かと春斗が待っている。
次の言葉を言わせなかったのはこいつだというのに……まぁいい。
それじゃあ、小細工無しの直球勝負で行きますかね。
「いいか、よく聞け……。明後日から京都行くぞ」
「……うん?京都?京都か……京都ぉ!?」
「つまり今日という日は京都の為にだな……」
「それが言いたいだけなんだろ!?そうだと言ってくれ白牙!」
こんな感じで、グダグダと。
俺達三人の京都行きは決定したのだった。