1 任務:暗殺 ~春の夜の 夢の浮橋 途絶えして 峰にわかるる 横雲の空
こんな都内でも、春の夜の空気は、吸い込むだけで自分の愛しい過去に誘われるような気分にしてくれる。
深呼吸しながら目を閉じれば、あの日あの時あの場所で君に会えなかったら、と日雀に出会った半年前の風景がノスタルジックな曲と共に浮かんでくる。
うわっ……この風景、血生臭すぎ……?
そんなに愛しい思い出でもないし、折角のいい気分が台無しだ。
春の空気のバカヤロー!
憤然として目を開ければ、大都会の夜景が我先にと飛び込んでくる。
遠目に見える都庁やホテル、その他高層ビルの光が日本の中心であるこの街を美しくライトアップしている。
地上100メートルからのこの眺めは、果たして何万ドルなのだろうか……。
……1ドルって今いくらだ?そもそも円安?円高?
まぁいいや、俺はドルよりもポンド派なんだ、音の響き的に。
地上にいるときは感じなかったが、このビルの開放的な屋上にいると流石に風が強い。
そんな中で、もうかれこれ一時間、日雀はまんじりともせずスナイパーライフルを構えてスコープから目を離さずにホフク姿勢を崩さないでいる。
静かに、虎視眈々と獲物を待つその姿は、まさしく狩人 。
使われる武器に過ぎない『常勝の槍』には真似できない忍耐力だ。
約1キロ先の狙っている部屋の電気は、消えたままだ。
ターゲットのおっさんが来るのって、本当にあの部屋なのか……?
部屋番号は3014……と言われたってどこから数えて14番目の部屋なのかさっぱり分からない。
運良く目標の部屋の真下にチェックインしている金持ちそうな男が、部屋番号の書かれたカードキーをここから見えるベッドの上に放り出している。
それには2914と書かれているし、普通ならその真上が3014に間違いないだろうけど……。
それに加え、前もってここの狙撃ポイントから見える同じアングルで撮られた写真は届いていて、ご丁寧に印までつけられてはいるが。
待てど暮らせど動きがないとなると、疑いたくもなる。
それにしても、狙撃ってこんなに集中力と根気がいるものなんだな……。
側で見ている俺がもう参ってきた、絶景も見飽きたし。
恐らく日雀も、表に出さないが相当疲れているだろう。
今夜は晩飯を作らせずに出前にしてあげよう……。
暇潰し用に読唇術でも身につけておけば良かった、そうすればあのホテルの他の部屋でも分かったのに。
裸眼でも口の動きは見えるけども、だからといって面白いことはない。
……うわ、あそこのカップル、キングサイズのシングルベッドに二人で入りやがった。
今夜はお楽しみなのか、そうなのか。
ついでに撃ち殺してもらおうかな。
「…………暇ね」
遂にしびれを切らしたのか、日雀は視線と姿勢を動かさないままで呟いた。
「流石に限界か?」
「限界、ではないんだけど……。いまいちスイッチが入らないし、動きが全くないし……」
「俺が人を殺せれば、わざわざ狙撃なんて回りくどいことしなくて済むんだけどなぁ。すまんな、俺が使えないばっかりに」
「いいって、それは。私もそろそろ色々と溜まってたから」
日雀が最後に殺人をしたのは、恐らく二ヶ月前だったか。
武装したチャイニーズマフィア相手に、あの時は日雀もスロットル全開で一緒に大暴れしたものだ。
日雀の殺人衝動も満たせ、俺の殺し損なうの後処理代も報酬から引かれなかったしで、一石二鳥だったのだが。
今回は肝心の人が来ないんじゃあ、『あっち』の日雀も出て来ないだろうに。
いや、日雀に言わせれば『あっち』とか『こっち』じゃなくて、あくまでスイッチのON/OFFなのか。
そして、定期的に常に抱えている殺人衝動を開放しなければ、やがて制御が利かなくなり、死ぬまでスイッチが入ったまま欲求に任せ人を殺し続ける殺人狂に化けてしまう――と。
俺にはよく分からない、その独特な感覚も、その快楽も、快楽の後についてくる十字架の重さも。
本来なら背負わせたくない罰だが、背負わなければ狂ってしまう罪でもある。
ならばせめて、一緒に背負えなくても、同族として近くで支えてあげよう。
その為に、今日は日雀と一緒にここに来て隣にいるのだから。
一人きりで狙撃をするよりは、多少は彼女の必要以上の殺人衝動を抑える効果があるだろう。
いざというときのストッパーがいることで、日雀の心の支えになればいいのだが。
……そんなことを考えている傍ら、日雀の「色々と溜まってた」という言葉に密かに興奮していたのは口が裂けても言えないな。
「なぁ、ところでこのターゲットの……何て読むんだこれ?くもすずめの……うんすずめや……くもじゃくの……うんがらや?
でんがら?」
「でんがらは御菓子でしょ……。というかよく知ってるのね、私も一回だけ食べたことあるけど」
「美味しかったか?というか名前だけしか聞いたことないけど、どんな食い物なんだ?でんがらって」
「桜餅みたいに朴の葉で餡子の入った餅をくるんだ和菓子よ。口の中でもちゃついたけど、味は美味しかった」
「今度取り寄せてみるかな、たまにはしっとりとした和菓子に緑茶も悪くない」
「二つね、二つ」
ちゃっかりこいつも食う気だったか。
というか話が脱線した、おかしいな言葉のキャッチボールは普通にしてたんだけど。
言葉のボールが力んでシュート回転してしまったのかもしれない、いかんなコントロールが利かなくなってしまう。
これはこんな読み辛い苗字のターゲットが悪い、八つ当たりもかねて任務を遂行してもらおう。
「で?何て読むんだこの漢字は。どう読んでもしっくりこないぞ」
「『ひばりの』らしいよ。私も聞くまで分からなかったけど。私と同じで雀という漢字が珍しい読み方をするみたい」
確かに、初見で日雀を『ひがら』と読むのは至難の技だろう。
それにしてもひばりのと読むとは、似たような芸名の歌手なら知ってるけども。
「で、この雲雀野 信成(ひばりの のぶなり)って、結構なVIP人物じゃないのか?」
「そうね、『三極』が進めている研究プロジェクトに研究資金を援助している会社の株主とかだったはずだから。その気になればあのホテルそのものを一晩貸し切る位はやってのける資産家だと思う」
「相変わらずおしゃべりだな、あの男はよ」
「私は、私が殺す人間がどんな人間なのかなんて興味なかったんだけど……。なんかターゲットの愚痴まで聞かされた……」
毎度毎度、任務とその詳細を伝えてくる俺の管理者はいらん事まで話してくるのがいつものこと。
が、それを日雀に対しても発揮するとは、軽重浮薄の権化のような男だ。
流石に自分の名前までは名乗らないようだが、いつ口を滑らせるか聞いてるこっちが心配でならない。
そもそもあいつが従属している『三極』の存在を俺達が知っているのがおかしいんだよ、普通なら名前を聞いただけで始末されるほどの機関だろ、あの話ぶりからすれば。
例え聞いたのがそいつらの手足であり道具である異端だとしても、例外にはなり得ない。
はずなんだけどなぁ……。
「ま、例によってその研究プロジェクトとやらも俺達が知っていい話じゃないんだろうけどな……。それはともかく、そんな超がいくつつくか分からんほどの資産家が、ホテルを貸し切りもせず、最上階ですらなく、しかもこんな『撃ってください』といわんばかりに狙撃され放題な所に部屋とってんだよ」
有り余るほどの金があるということは、それだけで命を狙われるには余りある理由になることは分かっているだろう。
自分だけは大丈夫ってやつか。下らん、なんでそんな思い上がりに付き合わされなければならんのだ。
根拠のない自信を持っていいのは、青春を謳歌する人間ぐらいだ。
大の大人が持つには、それはあまりに痛々しい。
「命の危険を冒しても、相手の言うことを全て鵜呑みにしてでも、会いたい人がいるからよ」
「あー……。密会ね……」
女の魅力の前には全ての理屈はすべからく無力なんですね、男の哀れな性だな。
「しかも今回の依頼主は今夜の御相手だったり」
「うわ、うわー……。うーわー……。エグいな……」
おお、もう……。
女という生き物はどこまで……どこまで底無しなんだ。
女とは非常に完成された悪魔であるとは、ヴィクトルさんもよく言ったものだ。
いわゆる、ハニートラップってやつなのか、で、引っ掻けておいて用済みになったから始末すると。
ああ無情……、これはもうすぐ一年が経とうかという俺の異端人生の中でも断トツのエグさだ。
「今回はその依頼主の目の前で、ターゲットを射殺しなきゃいけないの。万が一流れ弾が当たろうものなら、その後任務が成功しても報酬なしかも」
「だから今回は依頼主の情報まで知らされた訳か。それにしたって難易度高めな狙撃だな。まぁいざとなったら俺がこっから走り幅跳びで直接乗り込めばいいんだけど」
「それは最終手段だからね、いい?」
「分かってるよ、お前だって自信があるんだろ?根拠のある自信がよ」
「そりゃもう、バッチリよ」
任務を受理してから今日までの三日間、日雀は毎日家の屋上で射撃練習してたからな。
しかも実弾で、海外でもないのに。
地下にも一応射撃練習場あったんだけど、確かに1キロ先の目標物を撃ち抜く練習が出来るほどのスペースは無い。
無いけども、だからといって近隣住民がいないことをいいことにバカスカ撃ってたのはいただけない。
窓を開ければ、まるで本物の戦場よろしく銃撃音が聞こえていたのでとても心臓によろしくなかった。
もちろん人間は撃っていないそうだ、人間は。
練習が終わるとげっそりした顔で戻ってきて、とんでもない量の飯を作って食べては寝ていた。
よく太らないよなあんな食生活で。
……実はこっそり栄養が胸にいっている事を俺はこの半年以上の同居生活で知っている。
結構着痩せするタイプなんですよこの娘。
「しかし女というのは怖いですな。女のお前に言うのもおかしいけど」
「……っ、そうね」
何かを堪えながらの返答だったように思える、もしかして怒ったかな。
……あ。
ていうか、密会?男と女が?ホテルで?
いかん、どう考えたって不健全極まりない展開になりそうだ。
しかもそこそこ年いった人のネットリとしたアレになるだろう。
それを気心が知れているとはいえ、この花も恥じらうお年頃の女子と思春期真っ盛りBoyの二人で見るのか?
気まずいにも程がある。
日雀も俺の言葉を受けて、ちょうど同じ考えに至ったのか、耳が赤くなってるし。
さっき堪えてたのはこれだったのか……。
帰りてぇ……、今すごく帰りたい。
と、そこでついに部屋に動きがあった。
目標の部屋に、灯りが点いた。
ようやく来たか、来ちゃったか。
「……くふっ、あは、あはははははは!」
途端、日雀がけたたましい笑い声を上げだした。
スイッチ、ON。
まぁこうなったらあとは時間の問題だ、どうやら来たのはまだターゲットの雲雀野だけらしいが、直に来るだろ。
「来た、来た来たァ!馬鹿なおっさんが、これから私に脳天ぶち抜かれることすら知らないで!あは、撃ちたい、殺したい殺したい撃ちたい殺したい!こんなに近くに感じるのに手が届かない、でも弾丸は届いてくれる!あぁ、さっさと来なさいよ依頼主、遅いのよ
いつまで待たせるのよクソが!」
花も恥じらうお年頃の女の子はクソがとか言わないよな……?
それにしてもこの豹変ぶり、二重人格に近いものがあるな。
普段は大人しくて物静かな正統派美少女なんですよと言われたって誰も信じないだろう、一緒に暮らしている俺以外は。
日雀のこんな大声も、二ヶ月ぶりだ。
今にもライフルのトリガーを絞りかねない日雀の勢いにはヒヤヒヤするが、この調子なら事が始まる前に始末してくれそうだ。
依頼主だって、そんな自分の身体が相手と密着した状態で狙撃の合図を出したりしないだろう、多分。
その後間もなくして、部屋のドアが再び開かれた。雲雀野の手によって、愛人を中に迎える為に。
その扉が、悪魔が死へと誘う地獄の門だと知らずに――。
開かれたドアから出てきたのは、若い――、若い……。
……男?
男っていうことは、その、つまり……?
「…………ん!?」
「何よ、素っ頓狂な声出して。私一言ても依頼主が、密会相手が女だって言ったかしら?」
「男だとも言ってないじゃないか!」
「あぁ、ごめんねぇ?完っ全に相手が女だって信じ込んでる白牙君をみて、本当の事を知ったときのリアクションが見たくなっちゃったのよ」
「あの時なんか堪えてたのは笑いだったのか……!」
耳まで赤くなってたのは、必死に込み上げてきた笑い声を悟られまいと我慢していたからか。
この女……やりおる……。
しかし、まさかハニートラップどころかダーリントラップだったとは……。
うわ、なんか早々にして抱き合ってるし、うえ、ベロチューまでしてる。
駄目だ、とてもじゃないが直視できないラブシーンだ。
いくらなんでも色々濃すぎる。
「精々楽しみなさい?最後のお遊びを。もうすぐ私がこのL96ちゃんから放たれるラプアマグナム弾をお前に地獄へのチケットとしてプレゼントしてあげるわ」
こいつはこいつで、よくスコープ越しに凝視出来るなあの地獄絵図を。
こっちは一人で阿鼻叫喚しているのに。
もしかしてこいつ、今までそんな素振りを見せなかったが腐女子なのか?
仲間の新しい一面が垣間見れてぼくはあんまりうれしくないです。
薄目でチラッと見ると、ターゲットはベッドに寝転んで受けの態勢に入っていた、キモい。
依頼主の男が窓側に立ち、俺達に見えるように右手をさりげなく挙げた。
次の瞬間、
「さらば、友よ」
そう日雀は吐き捨てるように囁き、引き金を引いた……。
響く銃声に耳を侵されながら、その決め台詞はかっこよすぎて反則だろと思ったのだった。
――任務達成、ターゲットは即死。
報酬 5000000¥