序章 未来は夢見て創るものであり見るものではない
――お待ちしておりました、「氷上」さま。
えぇ、御用件は既に承っておりますとも、『先見の明』の起動実験をご覧になりたいのですね?
こちらです、少し歩きますよ。何しろ地下にあるものですから。
……まるでSF映画みたいな施設ですって?
ははっ、所長の趣味なんですよ。この自動ドアとかコンビニのやつの方がよっぽど早く開きますからね、消費電力も馬鹿になりませんし。
この奥です、少々お待ちください。
ID46263……、あ、これ昨日のだ。
申し訳ありません、音声パスワードは日替わりでして……。これも所長の趣味です。
網膜、声紋、指紋、そして数字のパスワード……厳重ですよ、そりゃあ。
ここ奥にある物を思えば、ね。
……ID11679。
はい開きました、こちらへどうぞ。
ちょうど稼働試験中なんですよ、これ。
……ドラム缶みたい?こんな大きいのはそうそうないでしょう、流石に。
縦約5メートル、直径3メートル。
超高速演算及び非常に正確な予測を可能とするコンピューター。
その正確さは予測の幅を超え、予言と言ってもいいほどに高められています。
通称、『先見の明』……。
まぁ、本当はもっと長ったらしい正式名称があるんですけどね……、別にいい?分かりました。
『先見の明』本体だけならもう一回り小さい円筒状の機械なんですが、外をごってごてに装甲で覆っているんでこんなに大きいんです。
どんな大きい衝撃も散らして吸収するような構造になっているから、高度3万フィートから落下しても大丈夫……だそうです。
いえ、この装甲は外部発注なもので、果たして本当にフライトの最中に落としても中身が無事なのかは分からないんですよね。
そんな衝撃与えたこともありませんし。
……あぁ、やっぱりそうですよね。私もスーパーコンピューターっていったら箱形をイメージしますよ。
なんでポット型かというと……そうです、所長の趣味です。
ところで、失礼な質問になるかもしれませんが……。この『先見の明』を見るために訪れた理由はなんでしょうか?
それといいますのも、これを御存知なら、恐らく『知の宝庫』の存在もお聞きになっていると思うのです……。
いくら精密なシミュレートが出来るといえど、それには正確なデータがなければ予測を予言とするのは不可能なのです、そもそも予測が出来ませんからね。
ここではないどこか、国内か国外かも分かりませんが、どこかで『先見の明』と同時平行で開発が進んでいるデータバンクがあります。
世界のあらゆる情報を観測し、収集し、更新していくサーバー。
それが、『知の宝庫』と呼ばれるようで、そこに使われている技術こそ世界に革新をもたらすと有名なんですよ、もちろん裏での話ですけど。
今回は初めての共同実験ということで、無線でやりとりしながら、予測に必要なデータを送ってもらい、結果を伝えるという作業を一日中繰り返しているところなんですがね。
見ての通り、ここに来ている見物人は貴方しかいません。
向こうは大勢の人が何らかの組織から派遣されて見物に押し寄せているようなのですが。
……そうですよね、すいません。不要な詮索をしてしまいました。
『上』の意図なんていうのは、明確に分かる方が珍しいですから。
私達が作った『先見の明』だって、どんな未来を誰が予測するために使うのかは分かりません。
もしかしたら、それこそSF映画よろしく宇宙に打ち上げたりするのかもしれませんね……それはないですよね、流石に。
そうだ、折角お越しいただいたお礼といってはなんですが、何かお好きな未来をシミュレートしてみませんか?
今回はミクロなものからマクロな未来まで様々なものを試行しているんですよ。
世界中の明日の天気、交通事故が起こる場所から加害者と被害者の名前、じゃんけん大会の優勝者からその人の明日の朝御飯のメニューまで、乱れ撃ちのように朝から晩まで予測しています。
的中率は今のところ100%に近いですよ。誤差があっても朝御飯に出てきた鮭の塩焼きの皮が予測よりも焦げ気味だったぐらいですね。
――明日の広島戦の結果?野球の?いいんですかそんなもので。
……はぁ、それ位なら結果が出るまで1分かからないかと。
――お待たせしました、こちらの紙に詳しいデータが出ています。
……あ、負ける。横浜相手に5-2で。中継ぎが打たれる……と。
まぁ、そう気を落とさずに。
他にも何かやりますか?あ、もういい、そうですか。
結果は明日にならないと分からないでしょうから、是非この紙は持ち帰ってもらって結構ですよ。
どうでしたか、この『先見の明』をご覧になった感想は。
このままじゃ終われない?あ、やっぱりもう一つやっていきますか。もちろんいいですよ。
……なるほど、他ならぬ『先見の明』が、5分後に何を予測しているかを予測する……それは面白いですね。
どうしてもこんな所にいるとそのような頭の柔らかい発想が出来なくなってしまうんですよね。
ただ、もしかしたらエラーが出るかもしれません、何せやったことがないものですから……。
それでは、今再びお待ちください。
――はい、結果が出ました、どうぞ初めにご覧になって下さい。
……やっぱり凄い、とは?どんな結果が出たんですか?見せてもらってもよろしいですか?
――白紙?これは……一体、どういうことなんでしょうか、確かに正常に予測は完了したはずなんですが……。
あの、貴方は一体――。
……『先見の明』及び研究施設の消滅を確認。
任務達成
40000000¥
目を覚ますと、ちょうど車が家に着いたところだった。
時間は既に23時を回っていた。
なんだろう、さっきまで覚えていたのにもうどんな夢を見たのか思い出せない。
パンツの中がお男の自家製カルピスでぐちゃぐちゃになっていないので、残念ながらハッピーな夢ではなさそうだ。
むしろ寝汗をかいてしまい気分は不快の方に針が向いている。
任務に費やす時間より移動時間の方が長いとは思わなかった……。
マンションのエントランスに入り、エレベーターに乗り込む。
このエントランス、いっつも電気点けっぱなしだけど、住人俺達しかいないんだから切っときゃあいいのに。
節電に協力下さいという電力会社の願いもここの管理人には届かないようだ。
でんこちゃんあたりが殴り込んできそうだ、怖い。
14階に到着、いつもの通路を歩いて部屋のドアを開けた。
日雀(ひがら)も寝ているだろうし、立てる音を控えめにしておこう。
「ただいまー……」
「おかえりなさい」
予想に反して返事があった。
おや、てっきりもう寝床に臥しているかと思ったんだが……。
靴を脱ぎ、電気の点いているリビングに向かうと、ソファに日雀がちょこんと座っていた。
「あれ、起きてたのか」
「うん。日付代わる前に帰ってきそうだったから、待ってようと思って」
「そうか、……ありがとな」
家に帰れば誰かが自分を待っていてくれる。
当たり前のようで、俺達のような連中にはそうとも限らない。
「どうだったの?任務は。確かすっごいパソコンを壊しにいったんでしょ?」
「いや、コンピューターといえばそうなんだが……。パーソナル要素は一切含まれてなかったな。縦にも横にもえらい大きなドラム缶型コンピューターだったよ」
「金剛力士像が肩までお湯につかれる位?」
「あー……。いや、半身浴より気持ちつかれるぐらいだな」
「じゃあ大したことないわね」
「お前の『大きい』の基準は金剛力士像なのか……」
正確に金剛力士像の身長やスリーサイズを把握している訳でも知りたい訳でもないが、まぁ無理だろ。
日雀の隣に腰掛けながら、先程まで見ていたであろうテレビに目をやる。
録画していたのだろう、オリーブオイルが大好きそうな俳優が肉の下拵えをしたまま止まっている。
「でもなぁ、デカいだけで壊すのは簡単だったんだよ。本当に俺が出てくる必要あったのかどうか分からんな」
「そんなに簡単だったんだ」
「本体がある所まで、手回しされてるから顔パスだったし、装甲?とやらも豆腐みたいに柔らかいし」
「カルパス?お菓子の家ならぬおつまみで出来た研究所だったの?美味しそうじゃん」
「顔パスだっての。そんなおっさんばっかり寄ってきそうな所では無かった」
確かに女っ気のない研究所だったけども。
しかし、あの『先見の明』って高度三万フィートから落っことしても大丈夫な代物だったのか?
気合!入れて!行きます!ってな感じにパンチしたらものの見事なスクラップになったのだが。
もしかしてあの装甲の発注先にも手が回っていたのだろうか、だとしたらあの研究員達は道化にも程がある。
「でもでも、報酬はそれなりの額だったんでしょ?」
「後処理とか諸々の手間賃引いても四千万だったから、ここ最近じゃあ高いほうだったのは確かだ」
一ヶ月前の山の中にあったタイムマシン紛いをぶっ壊して二千万だったし……。
なんかここ最近俺は新しい発明の芽を摘みまくらされてないか?
21世紀になっても青狸型万能ロボットが作られていないのは俺のせいなのかもしれない。
ごめんなのび太くん、仕事なんだ。
「ところで、お腹減ったりしてる?」
「うーむ……、そこまでカロリーを消費するような運動はしてない筈なんだけど……」
言われてみれば小腹が空いている。
任務前にがっつり晩飯のカツ丼は食べたんだけどな……。
「……何が作れる?手軽なものでいいんだけど」
「きつねうどんとかどう?」
「よろしくお願いします」
「はいはーい」
言うが早いか、一時停止していた料理番組を再生しながらエプロンをつけ、準備を始めた。
多分、俺に夜食を作る為に遅くまで起きていてくれたのだろう。
ありがたい、俺には過ぎた同居人だ。
さて、うどん食う前に汗を流しますか。
「俺、シャワー浴びてくるわ」
「そのまま寝たりしないでよー?」
「分かってるって」
脱衣所で服を脱ごうとすると、ズボンのポケットに何やら折り畳まれた紙が突っ込まれていた。
あれ、なんだろうこれ。
紙を広げると、そこには我らが広島の詳しい選手データから明日の試合の展開が、一球ごとに書かれていた。
……やっぱり、未来を先に知っちゃうってのはつまらないな。
未だ来ない時間も、ちょっと寝て飯を食ったりしてればすぐに現に在るものになって、やがて過ぎ去る。
そんな慌てる必要はないのだ。
俺はその紙を潰して、ゴミ箱に放り込んだ。
それにしても、明日広島が負けたら三連敗なんだよなぁ……。
いや!まだ分からん!未来は誰にも分からないんだ、ファンとして明日も応援せねば!
熱い決意をしながら、俺はシャワーのノズルを捻った。