第93話 暗殺者(クリーパー)の少女 その1
「……なんなのよ、一体ッ!」
いい加減にして、と吐き捨てる小梅の声が周囲に響き渡る。
その表情に浮かんでいるのは明らかに焦燥感だった。
ここに来るまで高レベルの地人の小隊を問題無く退けて来た小梅達の前に現れた1人の少女。
その手に握られたククリナイフの散発的な斬撃で削り取られていく体力とともに、心を蝕んでいくのは指先が痺れる程の恐怖。
小梅は、まるで捕食者にじわじわといたぶられる獲物になったような錯覚すらしてしまうほどに精神的に追い詰められていた。
『声を出すな小梅。他の地人が加わればさらにまずい状況になる。お前は奴の居場所を探る事に集中しろ』
慌てふためく小梅を落ち着かせるために小隊会話でそう語ったのは、小梅に背を預けるトラジオだった。
いつもと変わらない冷静沈着なその声に、小梅はふと呆れた表情を浮かべた。
『……あんたこの状況でよく冷静でいられるわね。頭ン中どーなってんのさ』
『見たことが無い。俺にも判らん』
『なによそれ』
けろりとした表情で返すトラジオに、信じられないと吐き出す小梅。
死に直面した状況で冷静でいられる人間はそう居ない。死が日常に無い人間であれば、尚更だ。
訓練された軍人でもなければ、傭兵でも無いはずのトラジオがこの状況で冷静でいられるのが小梅にとって不思議でならなかった。
『それよりも小梅、奴の動きはまだ判らないか?』
丁度トラジオと小梅の死角になる方向へ視線を送りながら囁いたのはノイエだ。
トラジオと比べて、小梅と似た焦燥感に駆られた空気をまとっているのがはっきりと判る。
百戦錬磨のオーディンメンバーですら、戦慄を覚えてしまうほどの正体不明の少女。
それほどまでに地人の少女の攻撃は鋭く、そして的確だった。
敵に近くなればなるほど己の身を危険に晒すことになってしまう近代戦闘において、如何に遠距離で気づかれる前に相手を仕留めるかが重要視されるのが常だったが、現れた少女は徹底して最も危険されるナイフによる|CQC(近接格闘術)を仕掛けてきていた。
しかし、ただの|CQC(近接格闘術)であればいくらでも対応手段はあるが、少女のそれは更に異質だった。
攻撃を受けるまで、その動きが全く判らないのだ。
『全っ然。リーコン使ってもMAPに映んないし、アンプリファイア使っても音は聞こえない』
『ふむ、索敵系スキルを無効化しているのかもしれんな』
それ以外考えられんと唸るトラジオの予想にノイエはひとつ頷いてみせた。
ファーストコンタクト時に小梅が見た、あの地人のステータスにかかれていたと言う「暗殺者」クラス。そんなクラスがあるなんて聞いたことも無いが、その名を聞く限り、盗賊の暗殺スキルに似た能力を持っていると考えて間違いないだろう。
リーコンスキルを無効化する盗賊の「ステルス」スキルに似た物を持っていてもなんら不思議じゃない。
『だとしたら、スキルを当てにしない方が良い。……何かしら奴の動きを調べる方法を探さないと』
「そうだね。そうした方がいいと思うよ」
「……ッ!!」
少女の位置を探るために別の索敵手段を模索しようとしたまさにその時、突如3人の頭上に少女の囁く声が降り注いだ。
即座に身を翻し、頭上に銃口を向ける3人──
だが、3人が頭上を見上げたその瞬間、黒い影がはらりと舞い降りぎらりと光るククリナイフが闇の中にきらめいた。
「し、下よッ!!」
またしても一手遅れてしまった──
後手に回り、防御に徹せざるを得ない状況で最初に反応したのはノイエだった。
「クソッ! 下がれッ!」
この間合は少女のククリナイフの間合いだ。
咄嗟に飛び退くノイエから一瞬遅れ、少女の微笑みが見えたと同時に後退する小梅とトラジオだったが、少女のククリナイフはすでに攻撃に移っていた。
黒いフードが闇に紛れ、その手に持たれたククリナイフが細長い光を紡いで行く。
そしてその光が向かったのは──
「こ、こっちくんなっ!!」
「小梅ッ!!」
軽減された発射炎が3人と少女の姿をくっきりと洞窟内に浮かび上がらせる。
迫る少女の姿に、慌てて引き金を引いたのは小梅だった。
少女の身体をめがけて放たれたクリスヴェクターの.45ACP弾。少女との距離は数メートル。ナイフの間合いだとはいえ、放たれれば外すはずが無い距離だ。
だが──
「……アハハッ!」
続けざまに小梅の目に映ったのは信じられない光景だった。
無邪気な笑い声を上げながら、たん、とステップを踏みこみ地面を蹴った反動で少女はくるりと身を翻すと、まるでダンスでも踊っているかのようにクリスヴェクターの弾丸達を難なく躱し、小梅との距離をさらに詰めた。
その距離は少女の感情がない微笑みがはっきりと見える程の、近距離──
「ちょッ!!」
嘘でしょ!?
まさか避けられるとは思ってもいなかった小梅がぎょっとしたその瞬間、ククリナイフの刃が小梅の首元に襲いかかった。
急所になる首元を狙った的確な一撃──
「ガードしろッ!」
「ッ!?」
ククリナイフの恐怖に一瞬固まってしまった小梅だったが、少女の背中を狙いHK416を構えるトラジオの叫び声が小梅の身体を突き動かした。
するりとククリナイフが伸びたその瞬間、咄嗟に突き出したクリスヴェクターの銃床が少女の刃とかちあい、けたたましい金属音を放った。
防いだッ……!
目前で動きを止めたククリナイフに安堵の表情を浮かべる小梅だったが、少女の攻撃はそれで終わりではなかった。
少女の左手に持たれていたのは、もう1本のククリナイフ──
「残念」
「……ッ!」
にい、と口角を釣り上げる少女。
そして少女が放つその冷たい笑みに小梅の背中にぞくりと冷たい物が走った瞬間、左腕に衝撃が走った。
「……痛ッッ!!」
小梅が斬られた事に気がついたのは、少女が疾風の如く駆け抜け、背後の闇に溶け込んでからだった。
遅れて訪れた全身を駆け抜ける激痛に、苦悶の表情を浮かべ、その場に崩れる小梅。
「小梅ッ! クソッ!!」
そして小梅を援護するためにノイエとトラジオは即座に引き金を引いた。
曇った発射音と、軽減された発射炎が洞窟内に広がる。
それは時間にして十秒たらずだったが、少女が消えた濁った暗闇への発砲はトラジオのHK416のマガジンが一本消費されるまで続いた。
「アハハ、こっちだよ……」
あざ笑う少女の声がしんと静まり返った洞窟に跳ねる。
手応えは無かった。
少女が言うとおり、ダメージを与えては居ない。
倒れる小梅を抱きかかえながら、ノイエは目と耳に集中し少女の影を追った。
『大丈夫か、小梅』
『……チョー痛いけど、なんとか』
持って行かれたのは体力の3分の1くらいね。
トレースギアに表示された体力を見て、小梅がそう返した。
『やっぱ遊ばれてる? あの地人に』
『その可能性は高いな』
リーコンでも察知できず、音も放たない虚を突いたあの少女の攻撃は、すでに誰かしら倒されていてもおかしくない。
しかし、あの少女は止めを刺そうとはせず、毎回逃げるように闇の中へ消えていた。
いつでも仕留めることは出来る──
それは少女の無言のメッセージだった。
『……くっそ〜、こんなヤバイ奴が現れるなんて』
『こうなっては仕方が無い。一度地上に戻る』
情報屋であれば、あの地人の情報を持っているかもしれない。
情報があれば、対策は打てる。
『うむ、そうだな。一端戻って情報を共有した上で──』
「……だ〜め」
「ッ!!」
押し殺した様な小さな笑い声を伴わせながら、今度は背後、洞窟への入り口の方から放たれた少女の声に3人はどきりと心臓が跳ねてしまった。
先ほどと同じように、またしても先手を打たれた形になってしまった3人は、慌てて声の方へと銃口を向ける。
そこに立っていたのは黒いコートにフードを被った小さな影。
今まで闇にまぎれ、襲いかかる時以外ではその姿を見せなかった少女がゆっくりと、まるで闇から染み出す様にその姿を現していた。
そして、改めて目にしたフードの中に見えるその少女の姿に、3人の表情は固まってしまった。
見ればみるほど、あどけなさが際立っている純粋無垢な子供の顔。まるでおもちゃのように2本のククリナイフをくるくると回しながら遊ぶその姿は、紛れも無い幼い少女の姿だった。
「折角来たんだから、もっと遊んでよ」
銃を突きつける3人を意にも介さず、少女は無邪気な表情を浮かべた。
どこか戦慄を覚えてしまう、無邪気で、危険な少女の笑顔。
「……何故狩場に居る地人なのに、自我がある?」
「私、『護り人』だから」
「護り……人?」
光学照準器越しに訝しげな表情を浮かべるトラジオに、少女は小さく頷いて見せた。
初めて聞く名前だ。
その名前から察するに、何かを守っている地人だということはわかるが。
「……ひょっとしてさ、悠吾が言っていたユニオンが探している『鍵』となんか関係が有るんじゃない?」
何かが閃いたのか、少女に銃口を向けたまま小梅がぽつりとそう囁いた。
ユニオンが探していた鍵──『現実世界に戻れるアイテム』の事か。
その言葉に先ほどまでの恐怖とは違う、高揚感に後押しされた鼓動が激しくノイエの胸をノックした。
耳にしたこともない、暗殺者クラスと得体のしれない地人が放った護り人という言葉。確かに、何かしら重要なアイテムが隠されていてもおかしくない。
もしこの少女が、鍵に繋がる何かを持っているとしたら、それはつまりユニオンに対してアドバンテージを作る事になる。
そのアドバンテージは、いくら金をつぎ込もうとも、いくらユニオンと交渉しようとも得ることができない重要なアドバンテージだ。
「……君はここで……何を守っているんだ?」
「教えたら、遊んでくれる?」
「……ああ、遊んでやるよ」
「ちょっ……! ノイエ! 何言ってんのよ!」
今やるべきは、地上に戻って他の調査メンバーと情報共有することでしょ。それに、この子がどんな方法で姿を消しているのかも判らない。
どう考えてもこのままここに残るのは得策じゃない──
訝しげな表情を浮かべる小梅だったが、傍らで銃を構えるトラジオも同じ心境だった。
「このままここで奴とやりあうのは良い考えとは思えんが……何か策があるのか、ノイエ?」
「退路を抑えられている状況で、向こうの『要望』に答えなければ待っている物は……判るでしょう?」
遊びの終わり。それはつまり、無情な死を意味する。
「彼女の話に乗って、逃げるそのタイミングを探ります」
「ずいぶんと危険な賭けだこと」
だけど、確かにノイエの言っていることに一理はある。
溜息混じりに少女に視線を戻す小梅。
「アハ、遊んでくれるんだ、お兄ちゃん達」
「……遊んでやるけどその前にさ、あんたが守ってるモンって何よ?」
それを先に教えてよ、と問いかける小梅。
その言葉に嬉しそうにくるくると舞っていた少女の動きがぴたりと止まった。
「な、なによ……」
ぴり、と緊張が走る周囲の空気──
少女の気分1つで生と死が揺り動いてしまう状況に苛立ちを覚えてしまう小梅をよそに、少女はおもむろに深々とかぶっていた黒いフードを脱いだ。
フードの下から現れたのは、黄金色に輝く少女のブロンドの髪だった。
そして、毛先が軽くカールしたその顔立ちにぴったりと似合うその髪を、小さい小指でかきあげる少女。
黄金色の髪に隠れた耳元に小さなイヤリングが姿を現した。
小さな、鍵のような形をしたイヤリング──
「それは……?」
「これは、『イースター・エッグ』に辿り着く為の鍵」
「イースター・エッグ?」
少女の言葉に首をかしげたのはトラジオだった。
聞いたことがある。
イースター・エッグとは確かプログラマーがソフトの中に、本来の機能とは無関係なメッセージや機能を意図的に隠した物。
本来の機能とは無関係な機能。
脳裏に過ったその言葉にトラジオの心臓はどきりと跳ね上がった。
少女が守っているのは、現実世界に戻るための……イースター・エッグへ繋がる鍵──?
「……さぁ、遊ぼ?」
かきあげた髪をはらりとなびかせ、少女は再度その手に2本のククリナイフを携える。
狂気を滲ませた無垢な瞳でトラジオとノイエ、そして小梅を見据えたまま。
小さく放たれた少女の声は、たちすくむトラジオ達の脇をすり抜け、暗くじめじめとそた洞窟の奥へと軽やかに舞っていった。




