第90話 蒼龍の番の探索 その2
始めはまるで遠足に行く子供のように鼻歌交じりだった小梅も、探索を初めて20分足らずで笑顔すら消えてしまうほど地人の攻撃は熾烈を極めていた。
『……皆無事か?』
陽の光も届かない洞窟の奥底、硝煙の臭いが立ちこめる高湿度の洞窟内、さきほどまで連射で弾丸を放っていたのか、銃口から白煙を上げるM249 SPWを構えたまま小さくノイエが小隊会話で全員の無事を確認した。
『ダメージを受けているが問題ない』
ふう、と一息つきながらノイエにそう返したのは、体力ゲージの半分近くを失ってしまっているトラジオだった。
防御力をアップさせる「センチネル」スキルを発動し、小隊の盾役に徹したトラジオだったが、そのスキルを持ってしても体力の半分を持っていかれるほどに先ほどの戦闘は激戦だった。
彼らの前に立ちはだかったのはレベル20の地人、5人小隊──
気を抜けば全滅しかねない規模の敵だったが、この規模の戦闘はこれが初めてではなかった。
狩場の中盤に差し掛かった頃から現れる地人達は少なくて4人、多くて8人もの小隊で波状的な攻撃をトラジオ達に仕掛けてきた。
そしてさらに彼らを苦しめる事になったのは、その小隊構成だった。
最初は小梅の索敵によって先制攻撃をしかける事ができていたトラジオ達だったが、敵小隊内に小梅と同じ盗賊をちらほらと見かけるようになってから、立場が逆転することになった。
小梅と同じ「リーコン」スキルを持ち合わせ、さらに高レベル盗賊が習得できる、敵のリーコンスキルを無効化できる「ステルス」スキルを持った盗賊も現れた事で逆に先制攻撃を仕掛けられる事も多くなり、防戦一方の展開になることが増えてきていた。
『小梅は無事なのか?』
『……ああもう、面倒くさい!』
ノイエの再度の問いかけに、いい加減にして、と言いたげな小梅の声が小隊会話でノイエとトラジオの耳に届いた。
立体的な地形を利用して高い岩に登り、上方から援護していた小梅。
探索の開始時には小隊の目として索敵に注力し、敵の処理はトラジオとノイエが行うというスタイルを取っていた小梅だったが、すでに彼女も得意とする遊撃スタイルで戦闘に参加せざるを得ない状況だった。
『すまんが愚痴は後にして、ドロップアイテムの確認に行ってくれないか小梅』
『……あいよ』
ノイエの声に怪訝な声を上げながらひょいと岩の上から飛び降り、倒した地人達のドロップアイテムを確認しに行く小梅。
無駄足になる可能性はあったが、ここまで彼らは地人のドロップアイテムを見逃す事無くここまですべて回収して来ていた。
その理由は単純で、この狩場「蒼龍の番」に配置されている地人は高レベルだったが、それが相違点なのかどうかは未だに判明していないためだ。
『……しかし戦闘時間が伸びてしまっているのは地味に痛いな』
『そうですね。弾薬は地人がドロップするとはいえ、いつ切れてもおかしくない』
現に先ほどの戦闘では、使用した弾薬数が拾った弾薬数を大きく上回っている。
トレースギアから残弾数を確認しながら、ノイエが厳しい表情でそうつぶやいた。
『弾薬もそうだけどさ、狩場の地人ってホント嫌』
『プレイヤーや街の地人と違い、奴らには感情が無いからな。不気味に感じてしまうのは仕方が無い』
HK416の弾倉交換を行いながら小梅にそう返すトラジオ。
狩場に配置されている地人の特徴は、街などの地人と違い「自我が無い事」にあった。彼らには自我が無いためにプレイヤー達に恐怖を抱く事がなく、ただ命令を遂行するロボットのようにいくら撃たれようとも恐れること無く、攻撃を仕掛けてくる──
そんな地人達に小梅達は有利に戦況を進めながらも逆に恐れ戦いてしまう事態になっていた。
「ノイエ、受けたダメージを回復したい。5分ほど休憩をしても良いか?」
「そうですね。ドロップアイテムの確認と行いつつ、他の調査チームとの情報共有をしておきたいので少し休憩しましょう」
ここまでかなりの数の地人達を倒してきていたノイエ達のアイテムポーチはすでに半分以上が埋まってしまっていた。地人からドロップするものは基本アイテムとして弾薬やお金、ダークマターや生産素材があるが、ランダムに別のアイテムがドロップすることがある。どの職業も使え、かなりのダメージを与えることが出来る手榴弾を始め、運が良ければ銃やパッチなどだ。
そして、この「蒼龍の番」では比較的高レベルの装備品がドロップしていたが、「レア」やその上、「アーティファクト」の1つ下の「レジェンダリー」と呼ばれるクラスのアイテムや装備品は未だドロップしていなかった。
「レアアイテム出ないわね」
「そうだが……出ないと言ってこの場所が『相違点』が見られない狩場と早計に決めつけることは出来んな」
「ま、そうだけどさ」
トラジオの言葉に周囲警戒を行いながらそう答える小梅。
だがそう返しながらも、トラジオも薄々無駄足なのではないかとも思いつつあった。
情報が無いために、この狩場が悠吾の言う相違点がある狩場だという確証は無い。ここまで熾烈な攻撃を受けるのであれば、危険性も考えると別の狩場へ向かうべきではないか──
「ノイエ。これ以上奥へ進むのは危険な気がする。相違点が見られる狩場だという情報もない以上一度地上に戻るべきだと思うが?」
心の中に生まれた違和感を払拭するように、静かにそう語りかけたトラジオ。
M249 SPWの弾倉交換をしていたノイエはぴたりとその手を止め、無言のままトラジオと小梅に視線を送った。
「そうですね……」
小梅の姿に、言葉を濁すノイエ。
探索を初めてまだ1時間も経っていないが、戦闘は厳しさを増すばかりだ。死んでしまっては元も子もない。最優先にするべきは身の安全。だが、もしこの場所が相違点が見られる狩場だった場合、地上に上がってしまえばもう一度あの激戦をすることになる。
進むべきか、退くべきか──
彼自身もトラジオと同じく、このまま先に進むべきか悩んでいるのは事実だった。
「ねぇ、あたしに考えがあるんだけどさ」
と、重苦しい空気を断ち切るように、明るい声が洞窟内に響いた。
小梅の声だ。
「なんだ小梅?」
「あのさ、すこしここで待たない? キャンプで悠吾達は情報屋との交渉に成功したんでしょ? だったらそろそろ情報が届いてもいい頃じゃん?」
小梅から放たれた意外な意見。
その言葉にトラジオとノイエは、顔を見合わせた。
確かに一理ある。進むにもリスクがあり、地上に上がるにもリスクがあるのであればこの場で周囲警戒しつつ、情報を待つのが得策かもしれない。
「そうだな。少し待とうか。トラジオさん、その情報が来てから進退を決めませんか?」
「情報、か。相違点が確認された狩場のリストだな。……うむ、小梅の意見に賛同しよう」
トラジオの賛同意見に小梅はにんまりと笑顔を見せると、どかっと壁面に背を預けた。やっと緊張感から開放されたかのような安堵感すら感じる小梅の笑顔。
「あー疲れた。ずっと戦闘って息が詰まるんだよね」
「周囲警戒を怠るなよ小梅」
「わかってるわよ」
そう言ってリーコンスキルとアンプリファイアスキルを発動させる小梅。
周囲に敵影は無い。音も遠くで川のせせらぎの音が微かに聞こえるだけだ。
と、周囲の安全と、そして突如与えられたしばしの休息に気を良くした小梅は地面に四つん這いになったまま、ぱたぱたとトラジオの元に駆け寄っていった。
「ね、クマジオ」
「む、どうした?」
「これ、見てよ?」
そう言って自慢気に彼女が見せたのは、トレースギアに表示されている自分のステータス画面だった。
そしてその画面に思わずトラジオも目を丸くしてしまう。
「……ほう、レベルが18に?」
「どお? 凄いっしょ? いつの間にか2も上がってた」
「高レベルの地人戦が続いているからな。18と言えば、悠吾のレベルを追い越したのではないか?」
確か悠吾のレベルは17だったはず。
トラジオの言葉に小梅はうんうんと何度も頷くと、小さくほくそ笑んだ。
「うん、そーなのよ。スキルポイントも2ポイント貰えたし、何に使おうかなって」
新しいスキルを覚えるか、それとも覚えているスキルを強化すべきか。
そうひとりごちりながらトレースギアのスキルメニューを開く小梅。
「リーコンスキルのレベルをあげたらどうだ小梅。リーコンを上げれば範囲は広くなるし、インターバル時間もすくなるなるだろう?」
「ん〜、そうね。リーコンが強化できれば小隊の生存率も高くなるからね」
隣で会話を聞いていたノイエが小さく放ったアドバイスに素直に小梅が頷いた。
小隊の事を考えればそっちがいいかもね。
だが、そう続ける小梅に傍らで聞いていたトラジオは面食らってしまった。
「お前が小隊の事を心配するとは……攻撃特化の為に攻撃スキルは上げないのか?」
お前の性格ならば、そっちをまず上げそうなのだが。
「え、うーん、そうね……ノイエも言ってたんだけど、特化は暗殺じゃなくて能力支援にしようかなって」
「ほう」
「……悠吾くんをサポート出来るようになりたいんだよな、小梅」
「……んがぁっ!?」
思わず口にしてしまった言葉に、しまったと慌てて口を両手で覆い隠すノイエと、暗闇でも判るほどに顔を紅潮させる小梅。
それは、解放同盟軍のキャンプで兄ノイエに小梅が思わずこぼしてしまった本心だった。
「ななな、何いっちゃってらぁ!?」
「いやすまん、今の無しで」
「無しで済むかッ!!」
感情が無い、狩場の地人も素足で逃げ出すような鬼の形相を浮かべながら、小梅がノイエの首を鷲掴みにし、もぎ取らんかのごとくこねくり回す。
だが、そんなやりとりを見ていたトラジオはいたって冷静だった。
「ほう、良いことではないか小梅」
「……へっ!?」
「悠吾はああ見えてお前と同じく直情な所があるからな。お互いがサポートし合うことができれば最高ではないか」
「……え? あ、うん、そうね」
「……?」
慌てふためく小梅に、どうしたのだと、きょとんとした表情を浮かべてしまうトラジオ。
トラジオさんが疎い人で良かった──
そして小梅に首を掴まれたまま、ほっと胸をなでおろしたのはノイエだった。
「……言動には注意して頂戴」
「わ、わかったよ」
ぎろりと睨みつける小梅に、お前に言われたくないと口にしかけたノイエはぐっとそれを飲み込み、小さく頷きながらそう答えた。
意外な所から現れた生命を脅かす危機。
そしてその危機を脱したその時だった。
ふと、ノイエの五感を得も知れぬ違和感がくすぐった。
背筋を這い上がってくるような悪寒と戦慄──
『な、なに今の?』
『判らんが……嫌な予感がする』
ノイエに釣られるように辺りを見渡す小梅とトラジオ。
その悪寒を感じたのはノイエだけではなかった。
同じような違和感を感じた小梅とトラジオは、スイッチが入ったかのように即座に戦闘体勢に移る。
トレースギアを開き、周囲を確認する小梅。
だが、先ほどと同じように周囲に異変はないし、異音は聞こえない。
周囲に敵は居ない、はず。
『敵影無し。何なの今の』
『トラジオさん、何か見えますか?』
『何も。ステルススキルを持った盗賊か?』
先ほど敵影がなかったにもかかわらず敵の攻撃を受けたことがあった。敵小隊内に盗賊が居たためだ。
だが、その時は運良く先頭を進んでいた小梅の耳に敵の音が聞こえた為に、トラジオ達は難を逃れることができていた。
『……等間隔で周囲警戒』
『了解』
ノイエの指示にゆっくりと動き出す小梅とトラジオ。即座に目と耳を頼りに周囲に注意を送る。
暗闇の向こう、人が隠れることができそうな岩陰。そしてそそりたつ岩の頂上。
そのすべてに注意を向けるが、敵影どころか動くもの1つ見つからない。
気のせいかな?
すでに消えた違和感と、周囲の安全を再度確認した小梅がふと気をゆるめたその時──
「小梅ッ!! 右ッ!!」
「……ッッ!!」
突如轟いたのはノイエの叫び声だった。
そして思わずノイエの方向へ銃を向けてしまった小梅は、反応が一手遅れてしまった。
小梅の背後、そこには誰も居なかったはずの空間から、突如にゅうと伸びた一本の腕。
そしてその手には、ネパールのグルカ族が使用するくの字に湾曲した短刀、ククリナイフが握られていた。
「しゃがめ小梅ッ!!」
突如背後に現れた気配に思わず硬直してしまった小梅だったが、続いて放たれたノイエの声に呼び起こされるように、即座にその場にすとんとしゃがみこんだ。
「なっ、なんなのよっ!?」
「制圧射撃ッ!」
くるりと身を翻し、距離を置く小梅の動きと同時に先ほどククリナイフが現れた場所へ、一斉に3人の弾丸が放たれた。
発射炎に浮かび上がり、そして撃ち込まれる弾丸に削られていく壁面。時間にして1分足らずだったが、得体のしれない恐怖がそうさせたのか、雨のような弾丸が3人の銃口から放たれつづけた。
地人が居たのであれば、ひとたまりも無いであろう程の弾丸の雨。
だが、表示されるはずの体力ゲージは表示されることはなく、ただ光を飲み込む薄暗い闇がそこに佇んでいるだけだった。
「……射撃中止ッ!」
ノイエの声とともに、がらがらと崩れ落ちる壁の音が響き、つんとする硝煙の臭いが辺りに立ちこめる洞窟。
消音器で曇った発射音の余韻が残る中、ノイエは即座に小梅へ小隊会話を送った。
『小梅、無事かっ!?』
『な、なんとか……っていうか今の……ッ!?』
ノイエに小隊会話であわててそう返した小梅だったが、ふとトレースギアに1つの赤い点が表示されていることに気がついた。
表示されている方向は、先ほど雨のような弾丸を打ち込んだあの方向。
そしてその方向へ小梅が視線を移したその時だった。
「……ウフフ、私の初撃を躱せるなんて」
「……ッ!?」
静まり返った洞窟に、まるで子守唄を謳うかのように優しく響き渡ったのは小さな女性の声だった。
だが、それは小梅の声ではない。
もっと無機質な、優しくも冷ややかな声──
「……誰だッ!?」
ノイエが構えるM249 SPWのアイアンサイトの先、闇の中から現れたのは、黒いフード付きのコートを着た小さな少女だった。
まるで人形のように闇の中に浮かぶ少女の姿に、恐怖で息を呑んでしまうノイエ。
そしてその正体を探るべく、トレースギアから少女のステータスを確認した小梅だったが、それが逆にさらなる恐怖を与えることになった。
「なっ、なによこれ!?」
「……どうした小梅」
じり、と距離を詰めながら、光学照準器のホロサイトのターゲットに少女の頭を合わせ、そう問うトラジオ。
「クラス……暗殺者……って何よ!?」
「……ッ!?」
小梅のトレースギアに表示されていた目の前の少女のステータス。
そこには確かに暗殺者の文字が浮かび上がっていた。
それは小梅はもちろん、熟練者のノイエやトラジオでさえも聞いたことが無いクラス──
「自我がある地人に……見たことが無いクラス……まさか、この少女が『相違点』──」
だれに言うわけでもなく、ひとりごちるようにそう囁いたノイエ。
そしてその言葉に答えるように、少女が持つ二本のククリナイフがもう一度怪しくきらめいた。