第89話 蒼龍の番の探索 その1
上から見る風景と下から見る風景は当然の事ながら、全く違うわね。
狩場「蒼龍の番」の最下層を目指すべく、断崖絶壁に設けられた道無き道を進む小梅は先ほどまで居た吊り橋を見上げながらそう思った。
これが狩場ではなくただの崖だったら、途中で道が閉ざされてしまう可能性が高いが、人一人がやっと通れるほどの細い道はまるで小梅達を誘っているかのように、ぽっかりと壁に開いた穴へと続いている。
「あれが入り口か」
「眺めが良い最高の狩場だと思ったのに、結局じめじめした暗い穴の中にはいっちゃうわけね」
溜息混じりにトラジオにそうぼやく小梅。
「油断するな、小梅。ここは高レベルの狩場だ。油断すれば即、死に繋がるぞ」
「わかってるわよ」
苦言を指すノイエに小梅は唇を尖らせた。
自分でそう言う通り、ぐちぐちとぼやきながらも小梅は準備を怠ることは無かった。
すでに周囲数メートル内の敵の動きを察知出来るスキル「リーコン」を発動し、合わせて前回廃坑での失敗を経験に、目だけではなく耳を武器に探索するため、新スキル「アンプリファイアLv1」を取得していた。
アンプリファイアは聴覚能力をアップさせることが出来るアクティブスキルで、レベル1では10%というそれほど多くない数値だが、そのスキルの真の能力は「通常であれば聞こえることがない音を聞く事ができる」というもの──つまり、一定距離まで近づく事ができれば、通常聞こえる事がない装備が擦れる音や鼓動音まで聞き分ける事ができるスキルだった。
だが、アンプリファイアはメリットだけではない。
多くの音が聞こえるようになるために、より音に集中しなければその音の発生源を特定することが難しく、逆に惑わされる事があった。特に対プレイヤー戦では、相手にアンプリファイアスキルを発動している盗賊が居た際に、わざと小さい音を発生させ相手を撹乱させるというテクニックがあり、探索時には有用なものの、対人戦では逆に自分の首を絞めてしまうことになりかねないスキルでもあった。
「アンプリファイアを取得したようだな小梅。按配はどうだ?」
「いい感じ。リーコンと合わせて周りの状況が手に取るようにわかるわ」
「耳は目よりも信用できるからな。対人戦では使い所に悩むスキルだが、地人戦には持ってこいだ。いい選択だぞ小梅」
「でしょ?」
ノイエの褒め言葉に鼻の穴をぷくりと広げ、気を良くする小梅。
盗賊のスキルは、致命的な一撃を与える「暗殺」に特化していく方向性と、周囲索敵や小隊の能力アップといった「能力支援」に特化していく方向性があるクラスだ。
遊撃を得意とする小梅の性格から、暗殺の特化方向へ行くと思っていた為、今後の事を考えて能力支援の特化方向へ進むべきだと提言しようと思っていたノイエだったが、いらぬ心配に終わってしまった。
ひょっとして、これも悠吾くんのお陰だろうか。
自慢気にする小梅を見てノイエはそうほくそ笑んでしまう。
「何が出るか判らんからな。慎重に行こう」
「了解です」
念を押すトラジオの言葉に、こくりと頷くノイエと小梅。
そして、小梅は小さく深呼吸をするとゆっくりと2人を先導するように、壁面にぽっかりと開いた入り口から、薄暗い闇の中へと足を踏み入れていった。
***
探索を初めて直ぐに、この狩場の名前が何故「蒼龍の番」という名前なのかが直ぐに判った。この場所は至る所で「ブルートパーズ」や「ラピスラズリ」などといった青紫色の宝石や鉱石が採取できる珍しい狩場だったからだ。
「宝石が採取できるとは珍しい狩場だな」
「確かに。こんな状況でなければアイテムポーチが一杯になるまで探索したいところですが」
宝石は採取アイテムの中でも非常に高値で、裁縫師が生成できる様々なステータスアップ効果がある「アクセサリー」を生成する上で必至となるアイテムだった。
宝石のまま店売した場合でもそこそこの金額で買い取ってくれるが、アクセサリーにした場合は物によっては一財産が築ける位の金貨で買い取ってくれる事もある。
あちこちに点在する鉱石の採取ポイントを横目に、ノイエは後ろ髪を引かれる思いで奥へと足を進めていたが、先頭を歩く小梅にはそれは苦痛以外の何者でもなかった。
「……ちょっと位いいでしょ?」
「駄目だ。時間がない」
「……1個も?」
懇願するようにちらりとノイエに視線を送る小梅に、トラジオは呆れたような苦笑いを浮かべた。
悠吾と何を話したのか判らんが、少しは変わったかと思ったがやはり相変わらずだな。
「小梅、集中しろ。ここの地人は手強いぞ」
「わ、わかってるわよ」
ぴしゃりと注意するトラジオに、小梅は慌てて周囲警戒を再開する。
この狩場に入ってまだ10分も経ってないけど、まだ地人と接触してない。ここまでいくつか採取ポイントがあったけど、想像するにそれのどれもが安価な鉱石しか採取できないポイントなんだろう。
奥に行けば行くほど、宝石が採取できるポイントが増え、そして高レベルの地人が現れる──
調査が完了したら、一箇所くらい掘っちゃおうかと邪な考えが小梅の脳裏を過ったその時だった。
トレースギアに表示された3つの赤い点と、小梅の鼓膜を揺らす3つの足音──
『……ッ! 地人ッ! 2時の方向』
『了解』
咄嗟に小隊会話で警告を放つ小梅。
その瞬間、背後についていたノイエとトラジオが同時に動いた。
丁度身体を隠せるくらいに突出した壁に背を着け、低い体勢のまま、前方2時の方向へ銃口を向ける。トラジオの銃HK416とノイエの銃M249 SPW、そして小梅のクリスヴェクターには、発砲音を抑える消音器が装着されている。
消音器は与えるダメージは減ってしまうものの、発砲音と発射炎を抑える効果がある?周囲の敵対プレイヤーや地人に対して、居場所を察知されること無く命の危険がぐっと下がるために解放同盟軍には必至装備になっていた。
『敵はレベル17の戦士2人に、18の魔術師……結構強敵』
『セオリー通り、魔術師から殺る。トラジオさん、狙えますか?』
『問題ない』
うっすらと見える地人の姿をHK416のマウント部分に装着された光学機器のホロサイトに捉えながら、静かにトラジオがそう答えた。
そして、銃のセレクターレバーを「連射」から「単射」に切り替える。
『僕の制圧射撃で「怯み」効果を与えます。その隙にトラジオさんが』
『了解した』
『小梅はトラジオさんのバックアップを。仕留めた後は、残りの2人を頼む」
『了解』
流れるように作戦を伝え終わり、ノイエは静かにM249 SPWのコッキングレバーを下げた。
そして、こちらに向かってくる地人の姿がはっきりと見えたその時、ノイエは躊躇無く引き金を引いた。
消音器によって、音と発射炎が軽減されたM249 SPWの銃口から放たれた弾丸は、3人の地人達の周囲に着弾した。
えぐられた壁面から砂煙が舞い上がり、3人の地人に一定時間行動に制限がかかる「怯み効果」が発生したのが見て取れる。
そして、その瞬間をトラジオは逃さなかった。
『小梅、援護射撃を』
『あいよ』
ぷしゅん、とトラジオのHK416の銃口から1発弾丸が発射されたと同時に、小梅に援護射撃を要請するトラジオ。
狙い通り、トラジオが放った弾丸は真ん中の魔術師の脳天を直撃したものの、体力はわずかに残ってしまった。
消音器をつけているために、もしかすると一撃では倒せないかも知れない。
そう考えたトラジオのバックアップ要請は見事に的中した。
脳天を撃ちぬかれ、悲鳴を上げる暇もなく悶絶した魔術師の身体に、続けざま小梅が放った弾丸が浴びせられた。トラジオのアサルトライフルと違い、中距離では集弾率が下がってしまう小梅のサブマシンガンだったが、魔術師の残り僅かの体力を奪うには問題無かった。
『ダウン!』
『良し、敵はまだこちらに気づいて居ない。一気にやる!』
体力がゼロになり、キラキラと光のつぶに変わっていく魔術師を確認したノイエは体勢を片足をついたしゃがみ状態から、うつ伏せへと移行すると、反動が強いライトマシンガンの集弾率を上げる為の二脚で銃を固定し、即座に再度引き金を引いた。
ノイエのM249 SPWの斉射と合わせて、単射から連射へ切り替えたトラジオのHK416の銃口が火を吹き、抑えられている小さな発射炎が壁を明るく照らした。
『……エネミー、ツーダウン』
『良し』
ノイエ達の居場所がわからない為に、地人達は当てずっぽうで銃を乱射してはいたが、手痛い反撃を受けること無く残り2人の地人を処理出来たことにほっと胸をなでおろすトラジオ。
「周囲に敵影無し。地人らしき音もしないわ」
「ファースト・コンタクトにしては上出来だな」
二脚をたたみ、銃を構えながらもトラジオと同じく、ノイエも安堵の表情を浮かべた。
やはり小梅のスキルのお陰で相手より先に発見できたのが大きい。この程度であれば、ダメージを受けること無く調査が出来そうだ。
「あは、経験値うまっ」
一瞬賞賛の言葉をもう一度贈ろうかと思ったノイエの耳に上機嫌の小梅の声が飛び込んだ。
3人の高レベル地人を倒して手に入れた経験値を見てほくそ笑んでいるんだろうか。
──褒めようとしたらすぐこれだ。
「小梅のレベルは……16だったか。この調査が終わる頃には、20位には行くんじゃないか?」
「マジで? よっしゃ、これで悠吾を追い越せるわね」
へへん、と鼻歌まじりでクリスヴェクターの弾倉交換を行う小梅。
調査に消極的になり全員の身に危険が及ぶよりはマシか。
心の中でそう結論づけたノイエは、トラジオに小さく肩を竦ませて見せると、「どんどんいこう!」と意気込む小梅を先頭に、さらに奥へと足を進めていった。




