第87話 希薄な協力体制
薄暗い幌で覆われた軍用トラックの荷台に乗せられた悠吾は、昨日までの雨が嘘のように晴れ渡った空とは対照的に、どんよりとした憂鬱に包まれていた。
お世辞にも乗り心地が良いとはいえない、がたがたと揺れる軍用トラックと、冷たい座席が身体の芯を冷やし、悠吾を責め立てていたからだ。
だが、その憂鬱を振り払うように悠吾は改めて身を引き締め直した。
今向かっているのはユニオンとの会合の地、中立国家のルールだ。準備はほぼ整ったとは言え、どんなイレギュラーな事が起きるかわからない。臨機応変な対応が迫られる確率は高いはず。
心の中でそう自問する悠吾だったが──
「悠吾くん」
「……へ?」
と、これからの事を考え、つい表情が硬くなってしまっていた悠吾の耳にやさしい声が届いた。
悠吾の隣に座るルシアナの声だ。
「大丈夫です。リラックスして」
「……は、はい、ありがとうございます」
小さく笑顔を作り、そう囁くルシアナに悠吾は笑顔でそう返した。
硬くなる必要は無い。
ルシアナのその言葉と柔らかい表情が身体の中に染みこんでいく気がした。
軍用トラック、ガズ66に乗り、その場所へと向かっていた悠吾とルシアナ。
比較的大型の軍用トラック「ガズ66」はロシア製の四輪オフロードトラックだ。
悠吾達がトットラの街から脱出する時に活用した軍用車両「ワズ452」と似た顔立ちのトラックで、信頼性とオフロード能力が高く、1960年代に生産開始以後、現在でも使用している国があるほどのロングセラー車両になっている。
悠吾達がロシアの軍用車両を利用しているのには理由があった。
ラウルのプレイヤー達が活用する事が多いロシア製の機械兵器を使うことで、悠吾とルシアナはラウルのプレイヤーに拘束され、ルールへと運ばれているという偽装をするためだ。
嫌な沈黙に包まれる荷台。悠吾は再度確認するように座席に座るプレイヤー達に視線を送った。
赤い迷彩柄の戦闘服を身にまとうプレイヤー達は一見、ラウルのプレイヤーに見えるが彼らは解放同盟軍のキャンプに残ったメンバー達だった。
これから向かう会合場所で行われることは、表向きは拘束したノスタルジアのGMルシアナの身柄引き渡しと、ラウル、ユニオンの同盟調印。そして、ユニオンはもちろん想定していないであろう、その場所での交渉──
その交渉を妨害されること無く成功させるためには、その会合の場までは入る事は難しいだろうが、万が一道中で攻撃を受けてしまった場合を考え、ルシアナを守るべき護衛は必要だと悠吾は考えていた。
「悠吾君」
と、ばたばたと幌を叩く風の音を裂く様に冷たい声が悠吾の名を呼んだ。
今回の会合の重要なピースの1つになったクランベヒモスのマスター、ラノフェルだ。
キャンプ内で拘束されていた時と違い、今はもちろん手錠ははめられていない。
「パームがこの先の集落で待っている。彼の護衛になる数名のプレイヤーと共にピックアップしてくれ」
「……判りました」
その言葉を聞き、お願いします、と偽装した解放同盟軍メンバーにその事を伝える悠吾。
そしてドライバーにその事を伝えるべく、運転席に向かったプレイヤーを見送った悠吾は視線をラノフェルへと戻す。
「それで、パームさんはユニオンに連絡を?」
「ああ、したはずだ。ユニオンにはルシアナ様の身柄の引き渡しと合わせて、有用な情報の提供があると伝えている」
「……有り難うございます」
「成功するとは思わないが、まぁ、私達にリスクが無いのであれば、尽力したまえ」
虚空を見つめたまま、そう言うラノフェルに少し不安になる悠吾。だが、一方で彼らにとって僕達を罠にはめるメリットは無い事を悠吾は理解していた。
彼らの目的は、ノスタルジアと同じように滅亡し「亡国者」の称号を付与されること無く生き残る事。今回の僕の作戦はラウルにとってメリットはあるもののデメリットはない。故に、しぶしぶという事はあるだろうけど必ず僕達に協力するはずだ。
『悠吾さん、ルールに入ります』
悠吾とルシアナの耳にドライバーの静かな声が小隊会話で入った。
パームさんのピックアップポイントはルールとラウルの国境付近の集落だ。本当であれば少し休憩をはさみたい所だけど、時間はそうない。彼らをトラックに乗せ、そのまま会合場所へ向かう。
そして向かうのはユニオンによって指定された場所──
「竜の巣」と呼ばれる決戦の地だ。
***
戦場のフロンティアのシステム上、国家として存続するには一定以上のプレイヤーが所属している必要があった。
そして、その一定数以上の所属プレイヤー数が満たされない場合、国家は解体され、地人が統治する中立国家として再編成される仕組みになっていた。
そしてさらに地人が統治する国家として再編成された国家はそのほとんどが高レベルの地人によって守られる難攻不落な国家と変わる──
これは、所属プレイヤーが少なくなってしまった国家のプロヴィンスを交戦フェーズで難なく占領できないようにするためのシステムだった。
そして、戦場のフロンティアの歴史の中で少ない事例ではあるものの、その事例の1つになったのが、ここルールだった。
ルールが持つたった一つのプロヴィンスはその大半が山岳地帯で構成される特殊なプロヴィンスで、ルールは移動に難が多く住みづらい国家として悪評高い国家だった。
そしてさらに運悪く、重要な狩場が存在しない事が止めを指すことになった。
他地方への移動も難しく、出土品もこれといって無いために所属するプレイヤーは少なく、結果的に国家再構築の対象になり、ルールは地人が統治する国家へと変わる。
だが、この中立国が意外なメリットをプレイヤー達にもたらす事になった。
それは、国家を滅亡させられたプレイヤー達にとっての「安息の地」というメリットだ。。
ルールは、戦場のフロンティアのシステムで設定されたとおり、再構築された際に強力な地人達が配置されることになった。それが「アリアンロッド」と呼ばれる地人達による国防軍だった。
歴戦の猛者であっても陥落させることができない難攻不落の中立国家──
それはつまり、簡単に落ちる事がない安全地帯を意味し、国家を滅亡させられたプレイヤー達にとって国家を再興させるまで身を潜めるうってつけの場所だったというわけだった。
「ルシアナの引き渡し場所を『竜の巣』に選ぶのは当然だろう」
がたがたと舗装されていない砂利道を行くガズ66の荷台に座る黒い軍服に身を包んだパームがぽつりとそう囁いた。
あの湖畔のコテージで会った時と変わらない、嫌味ったらしい空気を放つパーム。
長い黒髪を掻き上げるその姿に悠吾とルシアナの心をざわつかせてしまった。
本当にこの場に小梅さんが居なくてよかったです。
だが、彼らが心をざわつかせるのは彼の立ち振舞だけではなかった。
ルールとラウルの国境付近の集落で待っていたパームは、疑惑の視線を送るルシアナと悠吾にあっさりと「ベヒモスと繋がっていた」と自白した事も大きかった。
それが何か、と言いたげに悠吾達を一瞥し、ガズ66へと乗り込むパーム。
己の策略が解放同盟軍にバレてしまったことに多少焦りを見せるのかと思った悠吾とルシアナだったが、変わらない飄々とした空気に怒りを通り越し、呆れ返ってしまっていた。
「何故です?」
「……到着すれば判るさ」
質問に明確に答える事無く、そう行ったパームだったが、悠吾はその言葉の意味をすぐに理解することになる。
次第に空気が薄くなっていっている事に気がついた悠吾。そしてふと幌の一端を挙げると、その向こうに見える風景に思わず言葉を失ってしまった。
「すご……」
悠吾の目の前に広がっていたのは、目も覚める様な絶景だった。高い空と、遠くが青く霞む程に広がる山々──
まるで自分が空中に漂っているのではないかと錯覚してしまうほどの山頂からの広大な景色がそこにはあった。
「会合場所は……山頂に?」
「そうさ。山頂に設けられたティーハウスが会合場所だ」
その言葉を聞いて先ほどのパームの言葉を納得してしまう悠吾。
これはあのヒトラーの山荘、ドイツのバイエルンに今もある「ケールシュタインハウス」に類似した場所だ。山頂に建てられたティーハウスからの眺めは絶景だろうけど、もし戦闘状態になってしまえば逃走経路は一本の道しかなく、簡単に逃げのびる事は難しい。ユニオンがこの場所を指定してきたのも頷ける。
「ユニオンは僕達を生かして山から下ろす気はないようですね」
「私『達』ではない。生きて山を降りる事ができないのは君とルシアナ様、そして解放同盟軍メンバーだけだ」
勘違いしないでくれ。悠吾の言葉にそう返すラノフェル。
そんなラノフェルのどこか盲信と形容できる言葉に思わず反応したのはルシアナだった。
「ティーハウスにはユニオンのプレイヤー達も居るんでしょうね。もし貴方達に銃を向けてきたらどうするつもりです?」
「もし撃たれたとしても、私達はマイハウスに戻るだけだ。それに、君達がラノフェルにしたようにそのまま山頂に拘束されるという事態を想定して、念のためベヒモスメンバーと2つのクランを北側に配置している。命令を下せば5分足らずでここに到着出来るだろう」
ここにいる私の護衛だけではなく、すでに準備はしている。
ルシアナにそう答えるパーム。
「用意周到ですね」
「当然だ。最優先すべきはラウルが生き残る事だ」
「ラウルではなく、貴方が、でしょう?」
じっとパームを睨みつけるルシアナ。
その言葉と視線に、パームの飄々とした空気が少し硬くなったのが判る。
トットラの街でラノフェルは言っていた。最悪ラウルを捨て、ユニオンへ移籍する、と。
交戦フェーズで侵攻が始まる前に祖国で戦う覚悟を持ったラウルプレイヤー達を見捨てて。
「1つはっきりさせておきましょう。十中八九、その交渉とやらは失敗する。ユニオンの連中が耳を貸すわけが無いからです。そして……」
ゆっくりと足を組み、まるで家畜を見るかのごとく冷ややかな視線を送るパーム。
「万が一、彼らが貴女達に危害を加えたとしても、私達は一切の援助はしませんのであしからず」
「……こちらとしても御免被ります」
「……ッ!」
これまで見ることのなかったルシアナの表情に思わず息を呑んでしまったのは悠吾だった。
非常に温厚な手腕で周囲国家との協力体勢をノスタルジアは築いたとトラジオさんは言っていたけど、温厚なだけじゃ成功するはずない。やっぱりその裏には、彼女をリーダーとするクラン「オーディン」といざという時は弓を引く、彼女の強さがあったんだ。
そして、こんな状況ながら、どこか小梅さんに似ている部分があるなと空恐ろしさを感じてしまう悠吾。
多分正面からバチバチやっちゃったら、ルールくらい焦土になっちゃうんじゃないだろうか。
そんな不謹慎な事を考える悠吾と、薄皮一枚で繋がった希薄な協力体制を結んでいるノスタルジアプレイヤー、ラウルプレイヤー達を乗せたガズ66は、スピードをゆるめ、目的地である山頂に設けられた決戦の地「竜の巣」へと到着した。