第83話 悠吾の戦い その1
狩場の調査隊が出立し、工廠のプレイヤー達を守るプレイヤーだけになった解放同盟軍のキャンプはぴんと張り詰めた弦ような緊張した空気に包まれていた。
その緊張した空気がひときわ大きい場所──それはキャンプに設けられた入り口だった。
切り開いた森に設けられたキャンプと外界を繋ぐ、簡易的な木組みの門。
そこに立っているのは、ぴりと警戒色を浮かべる解放同盟軍の門衛と、明らかにノスタルジアやラウルの所属ではないプレイヤー達だ。
数にして6名ほどだろうか、雪原地帯の迷彩効果を高める白色迷彩服や、砂漠地帯の迷彩効果を高めるオークル色迷彩服を着た彼らは、ノイエによってキャンプへと呼ばれた情報屋の面々だった。
訝しげな視線を送りつつ、情報屋達にトレースギアのメニューを開かせ、そこに表示されているステータス画面を見ながら、門衛は表示されている名前と手元のリストを照らしあわせる。
「……確認した。門を開け」
情報屋の面々を一瞥し、どこか得心が行かないような表情を浮かべながらも、リストとの一致を確認し、その門衛は門を開けるように指示を出した。
ノイエとルシアナから訪れる情報屋のプレイヤー達をチェックした後に中に通すよう言われていた彼だったが、得体のしれない他国のプレイヤー達をキャンプ内に入れる事に少なからず危機感を抱いているのも事実だった。
ユニオンとの戦いが起きる可能性が高いこの時期、工作員が潜入する可能性も考えられる。外部からの訪問者はすべてシャットアウトしたほうが良いんじゃないか。
情報屋達を睨みつけながらそう心の中で吐き捨てる門衛。
だが、そんな彼の危惧をよそに、ぎぃと物悲しげなきしみ音を発しながらゆっくりと門は開いていった。
「それで、どこへ向かえば?」
フードをすっぽりとかぶったひとりのプレイヤーがぽつりと門衛にそう問いかける。その声色からその情報屋が女だということが門衛には直ぐに判った。
だが、その声色に惑わされることなく、警戒の色をなくさず硬い表情のまま門衛が続ける。
「案内します」
「有難う」
門が完全に開いた事を確認し、キャンプの中へ情報屋達を案内する門衛。
そして、彼ら向かったのは、キャンプの中央に位置するひときわ大きいテントだった。
作戦行動のブリーフィングや会議に活用するために張られた巨大なテント。
テントの幕を挙げた門衛の目に映ったのは、すでにテーブルに着席しているルシアナと悠吾、2人の姿だった。
「ルシアナさん、彼らが到着しました」
ぽつりと小さく門衛がそう問いかける。
テントをたたく雨音にかすれる門衛の声だったが、じっと精神を集中させるように佇んでいたルシアナはその声を逃すことはなかった。
「……ありがとう。彼らを中へ案内して下さい」
「了解しました」
そう言って姿を消す門衛。
その姿が消えた事を確認して、押し殺すようにルシアナはふうとひとつ溜息をついた。
「……悠吾さん、大丈夫なのでしょうか?」
緊張の面持ちでルシアナがぽつりと隣に座る悠吾にそう囁く。
ノスタルジアの代表として悠吾とともに情報屋達との会議に参加する事になったルシアナだったが、リストに載っていた情報屋プレイヤーの名に気圧されていた。
その誰もが各国家のトップクラスのプレイヤー達だったからだ。
「大丈夫です。彼らは敵じゃありませんから」
静かに笑顔でそう応える悠吾に、ルシアナは少し緊張が和らいだ気がした。
だが、悠吾のその笑顔が精一杯の虚勢であることにルシアナは気がついていなかった。
可能であれば、今直ぐこの場を逃げ出したいです──
誰に伝えるわけでもなく、悠吾は心の中でひとりごちるように泣き叫んだ。
この世界で生きていく上で重要になる「情報」を金で売る集団、情報屋。
つい先日まで、情報屋とはパムが所属しているあの組織を指すものだと思っていた悠吾だったが、情報屋という名前は「彼ら」の総称を指すものだということを知った。
そして、1つや2つだけではなく、数多くの情報屋がこの世界に存在している事も。
そして悠吾は懸念していることがひとつあった。
ノイエさんを通じて彼らにコンタクトしたけど、依頼と合わせてお話したい事があると伝えただけだ。同じ情報屋達が集まるとは伝えてはいない。
この場に参加してもらうために、あえてそのことは隠していたけど、彼らはお互いが商売敵になる。それが悪い方に働かなければ良いけど。
そう考えながら、ゆっくりと深く深呼吸をしたその時だった。
「どうぞ」
門衛の声とともに膜が挙げられ、テントの中に広がる雨音が強くなった。
そして一瞬の間を起き、現れる情報屋の面々──
その彼らの姿に思わず悠吾は息を呑んでしまった。
規模を問わず、正に世界中から集められた情報屋達。
北部のヴェルド共和国を中心に活動している情報屋「ブリガンダイン」に、同じくヴェルドでクランメンバーとしても活動している情報屋「百舌鳥」、「カナリヤ」。
東部の東方諸侯連合内で影響力が大きい「黒部一味」と彼らと協力関係にあるという、組織されてまだ新しい小規模の情報屋「ダークホース」。
そして、パムが所属している世界最大規模の情報屋「ギルドマーケット」。
──錚々たる面子だ。
促されるまま、着席する彼らだったが、各情報屋のリーダー各とも言えるプレイヤー達が一同に会したこの場で一体何が行われるのか探りを入れるように、ちらちらと彼が視線を投げ合っていた。
そして、そんな中唯一、どっしりと構えたプレイヤーの姿が悠吾の目に映る。
パムが所属するギルドマーケットのリーダー、アイゴリーだ。
タンカラーのコンバットシャツの上からグレーの防水加工されたパーカーを羽織り、グリーンのベレー帽をかぶった男。
斬りつけるような鋭い視線はトレースギアで彼のステータスを確認するまでもなく、熟練プレイヤーだということを物語っている。
そんな彼らを一望し、すうと小さくばれないように息を吸い込む悠吾。肺の中に吸い込まれた冷えた空気が、じゅくりと身体の芯に染みわたるような緊張感と、どくどくと胸を打つ鼓動をほんの少し落ち着かせた。
戦いにおいても交渉においても、重要なのは先手を打つこと。
そう心の中で囁いた悠吾は、はじめましょうと言いたげにルシアナに頷き、彼女に最初の一言を促した。
「お足元が悪い中、お集まりいただき有り難うございます」
流石は一国の代表を務めるプレイヤー、と言うべきか、先程まで場の空気に気圧されていたルシアナだったが、まるでスイッチが入ったかのように凛とした表情で一同を見据え、はっきりと透き通った美しい声でそう口火を切った。
「私はノスタルジアのGMルシアナと申します」
その声に、ほうと溜息の様な声が漏れる。
彼らのその溜息には2つの意味があった。ひとつはノスタルジアのGMである、オーディンのクランマスターが、このような可憐な女性であったという事実に、そしてもう一つは、ラウルによって拘束されていたはずのGMが救出されていたという事実にだった。
「……あんたはラウルに拘束されていたという噂だったが、いつ?」
訝しげな表情でそう零したのは、「黒部一味」のリーダー、黒部だった。
トラジオと同じように、無精髭を蓄えたスキンヘッドの男。東方諸侯連合に所属し、前回の交戦フェーズでユニオンを退けた戦いにも参加していたという猛者だ。
「つい先日です。ノスタルジアに席を置く彼、悠吾氏とその仲間達の協力によって救出され、そして首謀者を拘束する事に成功しました」
「……なんと」
ノスタルジアのGMを拘束したのは、ラウルのクランランキングトップのクランだと聞いた。そのクランから彼女を救出し、そして首謀者まで拘束できるとは。
伏せる事無くそう言い放ったルシアナの言葉に会議の場に小さくざわめきが起きた。
「……それで、私達をわざわざ呼び出してどういう用件が?」
ルシアナの言葉に動揺の色を微塵も見せずに、ヴェルド共和国に所属する「ブリガンダイン」のリーダー、バルバスがそう続ける。
バルバスは黒部やアイゴリーと違い、どちらかというと女性的な顔立ちのプレイヤーだが、彼がまとう空気は、東方諸侯連合と双璧を成すヴェルド共和国の熟練プレイヤーだと直ぐに判る程鋭く尖り、そして危険に満ちている。
「察するに、単純な依頼ではなさそうですが……呼ばれているのは実に面白い面々ですね」
不敵な笑みを浮かべるバルバスに悠吾は軽く舌を巻いてしまった。
流石ユニオンと互角に戦える力を持つ大国、ヴェルド共和国のプレイヤーだ。この会に参加している面々を見ただけで薄々内容を理解してしまっている。
「はい。バルバス様がおっしゃるとおり、こうやって皆様にお集まり頂いたのには意図があります。詳細は彼から……」
そう言ってお願いします、と悠吾にバトンタッチするルシアナ。
短期間でルシアナを救出し、首謀者を拘束した無名のプレイヤーの言葉に耳を傾けんと、一同が視線を悠吾へと送る。
熟練プレイヤーたちが放つその威圧感に一瞬身を竦ませる悠吾。
だが、一瞬の間で浮ついた心を落ち着かせると、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「はじめまして、悠吾と申します。皆さんお忙しいと思いますので、周りくどい事は抜きにして単刀直入に申し上げたいと思います。皆さんに話したいことが2つあります」
不用意に下手にでないようにしながらも、丁寧に言葉を選ぶ悠吾。
「2つ? 依頼が2つ有るということか?」
「いいえ、1つめは皆さんへの仕事の依頼なのですが、もうひとつは全く違う内容です」
疑問を投げかけたブリガンダインと同じくヴェルドで活動する情報屋「カナリヤ」の女リーダー雨燕に悠吾は落ち着いてそう返した。
まるで一歩一歩、チェックメイトに向かい駒を進めるように。
「まず、依頼についてお話します。すでに情報をお持ちであれば話は早いのですが、僕達が欲しているのは、PC版との相違点が見られる狩場のリストです」
「相違点の……リスト?」
何だそれは。
そう言って怪訝な表情を浮かべたのは黒部一味と同じ、東方諸侯連合国に所属するダークホースのリーダー、ムカベだ。
話によれば、彼が組織した情報屋ダークホースはまだ若いグループだと聞く。相違点について、まだ情報を入手していなくてもおかしくはない。だけど──
ムカベの言葉に瞬間的にそう判断した悠吾だったが、ちらりと他の情報屋のリーダー達の表情を見やってどこか安心したような表情を浮かべた。誰しもが、ムカベとは違う納得したような表情を浮かべ、じっと悠吾の言葉に耳を傾けていたからだ。
ダークホース以外の情報屋はすでに相違点について情報を持っていると考えて良さそうだ。
「PC版の戦場のフロンティアと比較して、何かしら違いが見られる狩場のリストがほしい、と?」
「はい」
「ふむ。であれば……」
悠吾の言葉に小さく唸り、右手を挙げたのは、これまで沈黙を続けていたアイゴリーだった。
だが、その表情は、依頼内容に納得しつつも……どこか落胆したような色が浮かんでいる。
パムの話では、悠吾という男はかなりの切れ者だときいた。何か心くすぐる依頼でも来るかと期待していたが、拍子抜けだ。
じっと悠吾の顔をみつめながらアイゴリーは心の中で溜息をつく。
「俺達の調査で、違いが見られる狩場のリストはすでに作っている。それが欲しいと言うことか?」
「そうです。ですが……僕達はラウル近辺だけではなく、広範囲……そうですね、可能であれば世界中に星の数ほどある狩場の中で相違点が見られる場所のリストがほしいと思っています」
「世界中!? ……成る程、だから私達を呼んだわけだな」
そう言って雨燕が理解できたと小さく頷いた。
この場にいるのは北のヴェルドから東の東方諸侯連合、そして国境関係なく活動しているギフトマーケットが居る。私達全員に依頼すれば、世界中の狩場の情報が集まると、そういうわけだったのか。
しかし──
「お前達ノスタルジアは国家としてはもう滅亡してしまっている。我々にその依頼を出す資金があるのか?」
この規模の情報収集となれば、必要になる費用はかなりのものになるだろう。
国家単位で徴用が出来ないノスタルジアにそれがあるとは到底思えない。
そう言って雨燕は疑心に満ちた視線を悠吾へと投げかけた。
「資金は……はっきり申し上げてありません」
「……ッ!?」
きっぱりとそう言い放つ悠吾の言葉に、情報屋の面々に動揺が広がった。
資金がないのであれば、何故我々を──
だが、場の空気が動揺から苛立ちに変わろうとしたその刹那、悠吾が付け加えるように静かに続けた。
「皆さんにお集まりいただき、この依頼をお伝えしたにはワケがあります。それはもうひとつのお話……それがこの会の本題なんです」