第82話 開始を告げる雨
先ほどまで雲ひとつ無かったラウルの空にはいつの間にかどんよりと重い雲が広がり、冷たい雨が解放同盟軍のキャンプのテントを叩いた。
通り雨であれば、一旦作業を休止する事も考えられるが、空を見る限り本降りなのは間違いない。このまま準備を続行するしか無い、か。
そう心の中で吐き捨てたノイエの深い溜息が乳白色の塊になり、降りしきる雨の合間を縫って、空へと消えた。
「……ゲームでは特に気にする事は無かったが、こうして実際に雨に打たれると億劫になってしまうな」
ノイエの溜息に答えたのは、出来るだけ体温を奪われないようにフードを深くかぶったトラジオだ。
辺りで作業を続けている解放同盟軍のメンバー達は戦闘服の上からポンチョを着こみ、出来るだけ雨に濡れないようにしているものの、激しい雨は容赦なく彼らの身体から体温を奪っていく。
寒さを感じると言う事は、凍え死ぬという可能性があると言う事──
それはトラジオだけではなく、解放同盟軍の全員が思っている事だった。
「気まぐれなラウルの雨に打たれて凍え死ぬ、なんて笑い話にもならないですね」
「そういえばPC版の戦場のフロンティアでもラウルの天候は女の機嫌並にころころと変わっていたな」
まったくもって迷惑な気分屋だ。
冗談交じりにそうぼやくトラジオにノイエはどこか無邪気な笑みを浮かべる。
「まぁ、気分屋のレディなら、ウェルカムなんですけどね」
「フッ、確かに」
軽口を叩くノイエとトラジオ。
だが、彼らはその手を休める事は無かった。
彼らが居るのはキャンプの一角、工廠のプレイヤー達によって生産された機械兵器が身体を休める待機所だった。
キャンプに張られた各テントと同じように、一定の区画の木々を伐採しただけの簡易的な駐車場──
その待機所で、幾人かの解放同盟軍メンバーが、来たる大規模な狩場探索の為にテントの中に平積みにされた木箱を次々と米国のAMゼネラル社で生産されている軍用車両、高機動多用途装輪車両に積み込んでいる。
ハンヴィーは汎用的な軍用車両でありながら、重装備を追加することが出来、さらに一般車両よりも分厚い装甲で覆われているために信頼性が高い機械兵器の1つだ。だが、生産する為には地上兵器に特化した機工士のスキルが必要になる。
悠吾がこの作戦を伝えたのがつい先日。
わずか1日足らずでこの数のハンヴィーを用意することが出来る工廠チームの生産力にトラジオは脱帽していた。
「しかし、ここまで準備ができたならば、よほどの事が無い限り犠牲が出ることはなさそうだな」
「もちろんです。誰ひとりとして失うわけには行きませんからね」
そのための準備なんです。
トラジオから木箱を受け取りながら、ノイエはそう言った。
プレイヤー主体による探索ではなく、組織的な探索を行う利点は、バックアップやサポートなど、兵站をしっかり整えることが出来るという所にある。
狩場への移動手段、そして探索中に必要になるアイテムの支給、そして緊急時での救助体制。それらからもたらされる恩恵は非常に大きく、組織的な探索は探索成功確率を飛躍的に向上させる事ができる手段だった。
「ノイエさん、他のチームの準備が完了しました」
大粒の雨をかき分ける様にノイエに近づいて来たのは風太だ。
トラジオやノイエ達と同じように、大きめのポンチョをすっぽりとかぶってはいるものの、長い時間雨にさらされていたのか、その表情から血色が失われている。
解放同盟軍で比較的高レベルに部類するプレイヤーの風太だったが、彼もまた、狩場の調査隊に参加していた。
そして、参加しているのは風太だけではなかった。
生産職を除いた解放同盟軍のほぼすべてのプレイヤーを動員し、一斉に周囲の狩場を探索する──
その規模はゆうに数十チームを越え、解放同盟軍の総メンバー数に近い、100名もの規模になっていた。
「判った。こちらももう少しで完了する。機械兵器とドローンのチェックも終わっているか?」
「大丈夫です。工廠で作られた兵器はこの悪天候であっても信用できます」
懐疑心のかけらもない瞳でそう言い切る風太。
その表情にノイエは、ありがとうと言いたげに彼の肩をぽんとひとつ叩いた。
風太は高レベルの戦士でありながら、サブクラスに機工士を取得している熟練プレイヤーだ。機械兵器の操作に長け、また兵器に関する知識も深い。元々工廠チームの技術力は信用しているが、彼のチェックをクリア出来れば問題は無いだろう。
「風太、食事処のテントで炊き出しをやっている。行って身体を温めてこい」
「有り難うございます、助かります」
さすがにこの寒さは芯に響きました。
風太はどこか愛くるしい安堵したような表情を浮かべながらノイエに一礼すると、足早にもうもうと暖かい煙を上げる食事処のテントへと駆け足で向かった。
「僕達も早く終わらせて行きましょう、トラジオさん」
「そうだな」
そう言って最後の木箱を抱えるトラジオ。
そして、トラジオがテントに残る最後の木箱を抱えたその時だった。
「ノイエさん、トラジオさん」
手のひらで傘を作り、ぱたぱたと駆け寄ってくる人影がトラジオの目に映った。
この作戦の考案者である悠吾だ。
「お疲れ様です。……お手伝いしましょうか?」
「いや、こちらは大丈夫だ。それよりも……君のほうは大丈夫なのか?」
ありがとう、と付け加えノイエがそう応える。
悠吾くんにはユニオンとの会合の前に重要な任務があるはず。僕がコンタクトした「情報屋」達との交渉が。
「ええ、準備と言っても大掛かりなものが有るわけじゃないですし」
「そうなのか。パムの時のように、金額交渉をするわけではないのか」
てっきり同じような値引き交渉をするものだと思っていた。
ハンヴィーのトランクに最後の木箱を押しこみ、そう問うトラジオ。
「そうですね。交渉という表現が適切なのかどうかはわからないですが、値引き交渉をする訳じゃないです」
「そうか。まぁ、準備ができているのであれば心配はないが。しかし──」
と、ハンヴィーの後部ドアを閉めたトラジオが怪訝な顔色を携えながら、チラリと視線をテントへと戻した。
トラジオの視線の先に見えるのは、先ほどまで物資が山積みにされていたテント。
そしてその中でクリスヴェクターの調整をしているどこか暗い影が見える小梅の姿──
「……まぁ、話はしたんだけどね」
「良く判らんが、喧嘩したのであればお前の方が折れた方が何かといいと思うぞ、悠吾」
大事な作戦前であるなら、なおさらだ。
真面目な顔でそう言うノイエとトラジオ。
「け、喧嘩じゃ無いですよ」
「む、そうなのか。……いや、しかし小梅がああやって消沈しているのは事実だ。声をかけてやれ」
「ぼ、僕がですか?」
「俺よりもお前が話した方が良いと思うぞ」
そう言ってトラジオは早く行けと悠吾の背中を押す。
確かに小梅さんが消沈してしまっている要因は少なからず僕にも有るんじゃないかなとは思いますけど、逆効果になりませんかね。
そう心の中で嘆く悠吾を知ってか知らずか、ハンヴィーに背を預け、頼んだぞ、と言いたげにひらひらと手をはためかせるノイエとトラジオ。
そんな彼らに辟易しながらも、意を決して小梅の姿が見えるテントへと悠吾は足を進めた。
***
「準備は大丈夫ですか?」
「……ッ!」
小梅に何と声をかけるべきか、しばしテントの入り口で思案した悠吾だったが、その口から放たれたのは当り障りのないそれだった。
これから狩場にトラジオさん達と行くわけだし、うん、間違ってない。
「あんたに心配されるほどやわじゃないわ」
「あー、そうですよね」
悠吾の声に一瞬明るい顔を見せた小梅だったが、直ぐに視線を手元へと戻し、威圧するような空気で悠吾との間に壁を作った。
敵対心、ではないが放っておいてと言いたげな重苦しい空気。
変に優しい言葉をかけても逆効果になりそうだしなぁ。
その空気にどう切り返すべきか悩んでしまった悠吾だったが、ふと先ほど生成したアイテムが彼の脳裏を過った。
「……小梅さん、これ」
プレゼントです、と言いたげに、アイテムポーチの中からアイテムを取り出し、差し出す悠吾。
見た目は手榴弾と同じ投擲兵器のように見えるそれ。
小梅には見覚えのないアイテムだった。
「……? なにこれ? グレネード?」
「の一種です。新しく生成出来るようになった、音波探知です」
そう言って悠吾は音波探知と呼んだそれを小梅の前に置くと、続けて数本、アイテムポーチから同じ物を取り出した。
「聞いたこと無い。なにそれ?」
「盗賊にピッタリな投擲型兵器です。大きな音で相手の動きを止めるスタングレネードと似ているんですが、これは対象を無効化するのではなく、人の耳には聞こえない高音の反響で周囲の敵の位置を調べるアイテムなんです」
そう言って、さらに小梅の前に音波探知を積む悠吾。
工廠チームから偵察ドローンが各探索チームに支給されているとはいえ、小梅さんのチームに僕が同行できない以上、もし偵察ドローンが破壊されてしまえば、頼れるのは小梅さんのリーコンスキルだけになってしまう。
音波探知はそんな時、盗賊の能力を補うにピッタリのアイテムだ。
話しかけるきっかけに使ったけど、どちらにしろ小梅さんに渡す予定だった生成レベル「達人」の兵器、音波探知グレネードを生成することができたのは運が良かったしか言えない。
ルルさんに貰ったパッチを強化して頂いたミト様のお陰です。
悠吾はミトへの感謝の念を込めて柏手をひとつ打った。
「へぇ、そんなアイテム作れる様になったんだ」
「作れるようになったのは、つい先程ですが」
そう言ってさらにもう1個アイテムポーチから音波探知グレネード取り出し、積み上げる悠吾。
瞬く間に目の前に作られた音波探知の山に、小梅は呆気にとられてしまった
これ何個出すつもりなのよ。
「てか、あんた作りすぎでしょ」
「御免、調子にのって作りすぎちゃった」
失敗です、と言いたげに肩を竦める悠吾。
でも全部持って行って下さいね。
いたずらっぽい笑顔を携えながら、悠吾は小梅にそれらを押し付けるようにずいと音波探知の山を押しやった。
「ぷっ……やだ。なんか、やだコレ」
「……ええっ?」
押しやったことで崩れる音波探知の山。ころころと転がる黒い玉はどこか可愛らしく小梅と悠吾の目に映る。
「いや、確かに黒くて……ヤギのフンみたいですけど、これ、かなり有用性が高いアイテムですよ?」
そう続ける悠吾に、顔を伏せ肩を震わせる小梅。
何かに似てるとおもったけど、それか。
「そうだ、ヤギのウンコみたいなんだ。……乙女へのプレゼントがヤギのウンコだなんて、最低ね」
「あは、確かに」
見た目は最低ですね。山盛りだし。
小梅の笑顔につられて表情を崩す悠吾。
ふと柔らかくなったテント内の空気。そして、押し殺したような2人の笑い声が雨音の中に溶け込んで行く。
くすくすと燻るような笑い声が上がる度に2人の口元から舞い上がる白い息吹。リズミカルに立ち上るそれがどこかじゃれあっているようにも見える。
「……絶対戻ってきて下さいね、小梅さん」
次第に笑いの燻りが消え、舞い上がる白息が鳴りをひそめた刹那の時間、優しい余韻が支配する中、悠吾がぽつりとそう囁いた。
絶対に死なないで下さい。
それは純粋な彼の思いが詰まった言葉だったが──
「……あんたね」
くっきりと眉間に皺を寄せる小梅。
先ほどまでの明るい笑顔とはうってかわり、苛立ちに似た感情がその表情から滲み出している。
「な、何でしょう?」
「映画とかで絶対死んじゃう登場人物みたいな事いわないでよね」
フラグが立ったよ、今? あんた死ぬつもりなの?
眉をひそませながらも冗談交じりでそう言う小梅に、悠吾は思わず困惑した表情を浮かべてしまった。
やばいですね、僕。立てちゃいましたね、今。
「あは、確かに」
「確かにじゃないわよ。ほら、ちゃんとそのフラグ折りなさいよね」
「あ、そうですね……」
ほら早く、と急かす小梅に、うーん、と少し悩んだ悠吾だったが、ぽんと手をたたくと自信有りげに続けた。
「小梅さん、サンドイッチ大好きなんですよね?」
「……な、何よいきなり。大好きってワケじゃ無いけど……まぁ、種類にもよるわ」
てか、なんで知ってるのよ、と言いたげに頬を上気させる小梅を笑顔で見つめる悠吾。
トラジオさんとノイエさんに聞いたんで、隠しても駄目ですよ。
「僕、今度サブクラスで料理人を取ろうかと思ってまして」
「……へ? あんたが料理人?」
突拍子もない言葉に困惑する小梅。
だが、エプロンを着てキッチンに立つ悠吾の姿を想像して壮大に吹き出してしまった。
「あはははっ、ゴメン、なんかすんごく似合ってない」
「な、なんですか、失礼な!」
腹を抱えてケラケラと笑う小梅。
もっと取るべきクラスは他にあるでしょ。
「と、兎に角ですね、まだ先の話ですけど、僕は料理人を取るんです。そしたら、スキルアップの為にサンドイッチを作ります」
「へ? サンドを? あ〜……んであたしに食べろ、と?」
「イエス」
小梅さんに協力してもらいます。
そう言い放つ悠吾。
「……無理。美味しいサンドじゃなきゃ口にいれたくないもん」
「なっ!!」
僕が作るサンドイッチは口にせずとも不味いと判るとおっしゃいますか、貴女は。
無理無理、とぱたぱたと手を振る小梅の言葉に悠吾は意気消沈……するどころか、瞳の奥には闘志の炎が舞い上がった。
「絶っ対食べてもらいます」
「いや、無理だから」
「……一口だけでも?」
「無理」
「なんでですかッ!?」
まるで言葉遊びのように、頑なに否定する小梅と、どうしても小梅の首を縦に振らせたい悠吾の言葉が交互にテントの中に響き渡る。
だが終始笑顔の小梅の表情が、その言葉とは逆の意味を語っている事に悠吾は気がついていなかった。
「てか、サブクラス取るっていつのハナシよそれ」
「いつかですよ」
「だったら今話す事じゃないでしょ、それ」
しかもフラグ折れて無いし。
そう言って小さく笑う小梅に、悠吾は素直に納得してしまった。
「あ〜……フラグ、もう1本立てちゃいましたね」
「立てたね、でっかいのを。……あ、そうだついでだからさ」
1つ良いこと思いついたとぴんと人差し指を立てる小梅。
「戻ってきたらさ、今の悠吾の腕でサンド作ってよ」
「……え?」
話の意図が見えない悠吾はきょとんとした表情を浮かべた。
まだ僕料理人取ってないですよ?
「だからさ、ほら、今の悠吾の腕を知っていれば、そこから料理人を取得した後の腕が大体想像できるっしょ?」
「……ああ、成る程」
もし今、サンドが上手く作れたら、それよりもっと素晴らしいサンドが作れるってことじゃん。
そう言う小梅に悠吾はひとつ頷いた。
でもそれって──
「もっとでっかいフラグ立ててませんか? 小梅さん」
「あは、だからさ、神様がフラグ回収するの嫌になるくらい、フラグ立てちゃおよ?」
「ぷっ、そうですね」
そうすれば、大丈夫っしょ。
そう言う小梅に笑顔をこぼす悠吾。
その表情に先ほどまでの暗い影は無く、きらきらと輝いているように悠吾の目に映った。
どこか儚い感じがするけど、とても魅力的な笑顔。
思わず抱きとめてしまいたいと悠吾は身体が疼いてしまった。
「あたしも絶対戻ってくるからさ、あんたも……戻ってきなさいよ、絶対」
小さく、諭すように囁く小梅。
その言葉を口にする恥ずかしさと緊張で歪む小梅の表情につい悠吾は言葉を失ってしまった。
そして、その小梅の小さな勇気が、悠吾の心を奮い立たせる。
「……はい、必ず」
安心して下さい。
そういって小梅の小さな手を握りしめる悠吾。
普通であれば跳ね除けてしまう小梅だったが、悠吾の手のひらの感覚に、動揺は生まれなかった。生まれたのは、じんわりと染みわたる安堵感だけ──
──冷たいけど、暖かい。
降りしきる雨の影響なのか、それとも小梅の中の恐怖がそうさせていたのか、小さく微かに震えていた小梅の手は悠吾の冷たくも暖かいその手のひらの中、静かに落ち着きを取り戻していた。




