第8話 素材を求めて その1
「そーいえば自己紹介まだだった」
暮れなずみ、太陽がその役目を終えかけているこの異世界の空の下、小梅がぽつりと言葉をこぼした。
そういえば、僕もトラジオさんも改めて名を名乗ってなかったな。チャラ男を撃退し、色々あってすっかり忘れてしまっていた。
「確かにそうだったな。俺はトラジオ。この男が……」
「悠吾です。よろしくお願いします」
よろしく、と手を差し出す二人と小梅は軽く握手を交わした。
「あたしは小梅。リアルでは女子大生。あんた達は?」
「……へ?」
さらりと大変な事を言った小梅に思わず悠吾は驚き、きょとんとしてしまった。
普通こういったネットゲームでは見知らぬ相手に現実の情報、得に本当の性別を語る女性プレイヤーはあまり居ない。心無い男性プレイヤーから粘着されたり、ハラスメント行為を受ける可能性があるからだ。
「言っちゃっていいんですか、それ」
「……? 駄目なの?」
悠吾の言葉に今度は小梅が「なんで?」と、きょとんとした表情を浮かべる。
なんというか、サバサバした男勝りな性格なのか、それとも単純に知らないだけなのか。……いや、本当は男だったりするんじゃないか。
「……本当に、女の子なんですか?」
「そーだけど? 何? なんか疑ってんの?」
「い、いえ、そんな事は」
ツンとした空気を纏い、小梅が悠吾を睨む。
MMOゲームでは男性が女性アバターを使い、女性のふりをしてプレイするという事は珍しい話ではない。女性プレイヤーとして居た方が周りからちやほやされ、何かと「得」をするからだ。
……でも、本当の性別を語る事が不味い事につながると知らないようだし、小憎たらしくて生意気だけど、何処か女性的な空気を感じるし、本当に女の子な気がする。
まぁ、突っ込んで聞いちゃったけど、別に小梅さんが本当に女性であろうとそうでなかろうとどっちでも良いけど。
「俺は、自営業をやっている」
悶々とする悠吾をよそに、トラジオが静かに呟いた。
自営業。確かに、トラジオさんは自営業っぽいイメージがあるな。八百屋とかで大根のたたき売りしていても何か違和感無いと思う。「買ってくれるのか。そうか」とか言って。
悠吾はトラジオを見つめながら妙に納得してしまった。
「自営業……ふうん」
悠吾とは対象的に、小梅はあまり興味が無さそうな雰囲気でトラジオを見つめていた。
自分から聞いておきながらそんな反応をするなんて、さすが小梅さんですね。
予想していなかった小梅の反応に何処か感心してしまった悠吾だったが、続けて発せられた小梅の言葉は彼の想像をさらに超えていた。
「……というか、あんた熊みたいだから、トラジオじゃなくてクマジオの方が良かったんじゃない……むぐっ!」
「こっ、こらっ!」
突然思いついたかのようにとんでもないことを口走った小梅の口を悠吾は思わず両手で強引に塞いだ。
確かに僕もそう思いますけれど、口にだして言いますか! 小梅さん!! 君は本当に一言多い!
「今、何か言ったか?」
「い、いえ、何でも無いですよトラジオさん」
小梅の言葉があまり聞き取れなかったようで、「スマンがもう一回言ってくれないか」と肩をすくめるトラジオに悠吾は慌てて言葉を返した。
気のせいかと首をかしげ、クマジオ発言はなんとか流れたものの……すぐ後に悠吾の頬に小梅の拳が叩き込まれたのは言うまでも無かった。
***
「いきなり何すんのよあんた!」
小梅が「変態!」とわめき散らしながら、悠吾を睨みつける。
いや、それはこっちのセリフだと思います。小梅さん。
「むぅ、お前は変態だったのか、悠吾」
「違いますよッ! 何言ってるんですかッ!」
小梅に殴られた頬をさすりながら悠吾が怒鳴った。
トラジオさんはその姿から無骨で硬い性格を想像してしまうけど、相当の天然キャラだ。ギャップがあるからより彼の天然さは際立って感じる。
……まぁ、僕も人のことは言えないのは良く知ってます。
「そ、そうか、すまん」
「馬鹿な事言ってないで、早く『ダークマター』を収集しましょう!」
。
トラジオさんは小梅さんのトレースギアを修理するために必要な素材が「大体判った」と言っていた。トラジオさんに先導してもらえば簡単に見つかるはず。
だけど、ダークマターってなんなんだろう?
「悠吾、あんたダークマターが何なのか判ってんの?」
「いえ、全く」
「……でしょうね」
けろりと正直に答えた悠吾に小梅が呆れ顔を見せた。
「ダークマターは、様々な用途に使うことが出来るアイテムだ。特に生産や修理には必ず必要になる。弾薬や回復アイテムと同じく、街で購入できるものだなのだが、フィールドや狩場で収集することも出来る」
成る程。ダークマターはMMOゲームでよくある、「生産に使う触媒アイテム」というわけか。厳つい名前から、危険でレアなアイテムかと思ってた。
「ダークマターは一般的にはフィールドに存在する野生動物を倒すと手に入る。弾薬が多少心配だが、野生動物を倒せば経験値も入る。野生動物を狩りながら経験値を貯めれば、弾薬生成スキルもじきに覚えるだろう」
「弾薬……」
その言葉に悠吾はキュウと胃が締め付けられるような不安に苛まれてしまった。
確か以前にもトラジオさんはレベルが上がれば生産職は弾薬を生成出来ると言っていた。小梅さんを助け、次の目的がぼんやりと見えたものの、今だ弾薬や回復アイテムなどの物資の調達問題は解決できていない。
レベルが上がればスキルを覚えるかもしれないけど、補給路を確保せずに動くのはすごくリスクが大きいと思う。
「あ、話変わるけどさ」
と、悠吾の不安を遮るように、小梅がちょんちょんと悠吾の肩を突いた。
「あんた、初回特典は何貰ったわけ?」
「……初回特典?」
すごく話が変わりましたね。それに、特典って何のことを言っているのだろう。
小梅の言葉に悠吾は首を傾げた。
「そういえば、まだチャレンジしていなかったか、悠吾」
「チャレンジ?」
「初心者救済システムの1つで、1回だけ『くじ』が引けるのよ。その『くじ』でランダムにゲーム内のアイテムが1つもらえるの」
あたしはこれを貰った。
そう言って小梅は先ほど悠吾の頬を殴りつけたクリスヴェクターを小さく掲げる。
ゲームを始めたプレイヤーが初回でつまづかないようにする為の施策なのだろうか。説明書には書いていなかったけど、そんなシステムがあったんだ。
「トレースギアからくじを引ける。やってみろ悠吾。何か良いアイテムが当たるかもしれん」
へぇ、と感心の声を漏らす悠吾に、トラジオがトレースギアを指さしながら言う。
促されるまま、トレースギアのメニューを開いた悠吾は、リストの中から先ほどまで無かった「プレゼント」というメニューを見つけた。
「これですか。さっきは無かったメニューですね」
「スタートしてしばらく経ったら引けるようになるようだ。PC版であれば、チュートリアルが終わった後くらいのタイミングか」
チュートリアルをクリアすること無く、いきなりこの世界に降り立ったからタイムラグがあったのだろうか。
そう思った悠吾はトラジオに頷いて返事を返すと、そのプレゼントと書かれたボタンをタップした。
『おめでとうございます。アイテムがアイテムポーチ内に転送されました』
パンパカパーンという、気の抜けたファンファーレと共に、トレースギアから女のいつもと違う少し明るい声が発せられた。
……もうちょっと格好良いファンファーレは無かったのだろうか。
「で、で、何が当たった?」
「ええと……」
なにやら興味津々らしく、小梅が悠吾のトレースギアを覗きこみ、うれしそうに囁いた。トラジオもまた、小梅の後ろからトレースギアを覗きこんでいる。
「あ、これだ……え~、『ジャガーノート』……? って何ですか?」
さっきまで無かったから、これがプレゼントでリストに追加されたアイテムなんだろう。
ジャガーノート。確かヒンズー教の神様か何かの名前じゃなかったっけ。
「……なにそれ?」
凄いアイテムだと思って、ワクワクしていた悠吾の期待をへし折るように、小梅が怪訝そうな表情を浮かべた。
……何ですか。僕が貰ったアイテムなのにどうして君がそんな顔するのか。
「ジャガーノート……ううむ、俺も判らんな」
「見たこと無いアイコンマーク。武器でも無いし、防具でもないわね」
ジャガーノートと書かれた文字の横に有るマーク。何やら突き上げている拳のマークだ。小梅さんが言うように、Magpul PDRの横に描かれている銃のアイコンとも、僕が着ている|戦闘服(BDU)の服のマークとも違う。
「……これ、選択できませんね。説明も見れないみたいです」
「レベルが足らんのかもしれんな。武器や防具も一定以上の能力があるものは装備可能なレベルが設定されている。このアイテムが重火器型ドローンや機械兵器であれば、呼び出すには各兵器に割り当てられた規定の『召喚レベル』に達している必要がある」
それはそうか。悠吾はトラジオの説明に妙に納得してしまった。
低レベルのプレイヤーが最高レベルの武器や兵器をフレンドから拝借して狩場や交戦フェーズでの対人戦で使えてしまったらゲームバランスがおかしくなってしまう。装備やアイテムにレベル制限をかけて当然だろう。
「つまんない。くだらない消費アイテムとかが当たるかと期待してたのに」
「なっ……!」
頭に手を回し、ぷらぷらと足を振りながら、心底退屈そうに小梅が言った。
なんという恐ろしい事を期待する人だ。……いや、でもまぁ、今の所使えないアイテムっぽいから、すごく微妙なのは当っているけど。
「なによ。『あたしの』Magpul PDRを奪っといて、更に良いアイテムをもらおうなんて都合が良すぎ。ワガママ。生意気」
「……どどど、どの口が言いますか!」
君が言うか、それを!
思わず小梅の頬を抓ろうと詰め寄った悠吾だったが、小悪魔の両手が迎撃体制に入る。
「何よ! あたしとやろうっての? いいじゃない、まだ腹の虫は収まってないからね! 受けて立つわよ!」
返り討ちにしてあげるわ、と、悠吾と小梅はお互いの頬を引っ張り合い始める。
その2人の姿は何処からどう見て子供の喧嘩。
ついあっけにとられてしまったトラジオは、ただ2人が疲れて引っ張り合いに飽きるまでその行く末を見つめるしか無かった。
***
現実世界だったら何時くらいなのだろう。
小梅さんと無駄な時間を過ごしてしまった事もあって、この世界に来てもう何時間も経っている。
本当にこの世界に転生してきたのであれば、現実世界の僕の身体はどうなっているんだろう。それに、明日になって僕が会社に出社しなかったらちょっとした騒ぎになっちゃうかもしれない。
日が落ちかけている空を見上げ、悠吾はそう思った。
「おい、準備は良いか、悠吾」
「何ぼーっとしてんのさ」
そう声をかけたトラジオと先ほど悠吾と抓り合いを演じ、頬が赤くなっている小梅はすっかり戦闘準備が整っているようだ。
いつでも撃てるようにトラジオは1点スリングで胸下へ下げているHK416のグリップに片方の手をかけ、小梅は両手でクリスヴェクターを持っている。
「いえ、ちょっと現実世界の事を」
「……そういえばあんたの事、何も聞いてなかった」
あたし学生、クマジオは自営業。あんたは?
一人ひとりを指さしながら小梅が確認するように呟いた。クマジオという名前に悠吾は顔が引きつったものの、トラジオ本人は気がついていないようだ。
「普通のサラリーマンですよ」
「……えぇ!? 普通。なんか……普通」
何か意外な答えを期待していた小梅がつまんない、と小さく肩を落とす。
ええ、普通ですとも。
仕事は大変だったけれど、これでも幸せだったんですよ僕は。
「普通が一番だ。その普通が欲しくても手に入れられん奴もたくさん居る」
トラジオが笑顔で悠吾に合いの手を入れる。
普通──
そうだ。僕はその普通の生活にもう戻りたいと思っている。
その為にまず、野生動物を倒し、「ダークマター」を手に入れるんだ。
トラジオの言葉に笑顔で頷き、悠吾はそう思った。
「狙う野生動物は野生動物の中でも比較的強い部類に属する『狼』だ。もっと弱い野生動物から始めても良いが、弾薬が心もとない」
「判りました」
「狼共を引きつける前衛は俺がやる。小梅は迂回し、背後から奴らを撃ち、悠吾は俺の背後から援護だ」
そう言ってトラジオがHK416のコッキングレバーを引いた。弾倉から5.56x45mm NATO弾が供給され、射撃位置へと運ぶ。
「……行きましょう」
トラジオと小梅の顔に視線を送り、トラジオと同じく悠吾もMagpul PDRの側面に設けられたコッキングレバーを引き下げた。
M9ベレッタを最初に手にした時のような鼓動の高まりはもう無い。
乾いた金属音が暗くなる草原に響くと、その音に呼び覚まされたように唸る狼の声が悠吾達の耳に届いた。
名前:悠吾
メインクラス:機工士
サブクラス:なし
称号:亡国者
LV:3
武器:Magpul PDR、M9ベレッタ、ジャガーノート(用途不明)
パッシブスキル:
生成能力Lv1 / 兵器生成時に能力が+5%アップ(エンジニアがメインクラス時のみ発動)
アクティブスキル:
兵器生成Lv1 / 素人クラスの兵器が生成可能
兵器修理Lv1 / 素人クラスの兵器の修理が可能