第74話 合流 その2
落ち着けあたし。
キュアレーションを握り、いつの間にか正座で悠吾の傍に座っていた小梅は心の中でその言葉を繰り返した。
「クマジオめ……」
恥ずかしさと苛立ちをトラジオにぶつける小梅。だが、トラジオはすでにその気配すら感じない。
脱出の為にあの車を奪ってくるって言ってた。と言うことはぐずぐずしてられないって事じゃん。
チクタクとカウントダウンする時計が脳裏に浮かんだ小梅の鼓動はより速さを増していった。
「……口移しが何だって言うのよッ!」
それがどーしたってワケ!?
こうなればヤケだ、とでも言わんばかりにキュアレーションの蓋に手をかける小梅。
その勢いで蓋を開けるものの……ぷすんとガス欠するかの如く、キュアレーションの蓋をそっと閉じてしまった。
「……う~」
無理。無理ですあたし。
呻き声を上げながらまるで土下座するかのように地面に塞ぎこむ小梅。
この世界は現実世界じゃなくて、戦場のフロンティアの世界だと言ってもあたしはあたしで悠吾は悠吾だもん……。
──と、地面に突っ伏し頭を抱えていた小梅の脳裏に、突如として単純明快な答えが舞い降りてきた。
「ちょっと待って。というかさ……」
ひょいと顔を起こし、小梅は傍らで気を失っている悠吾に視線を移す。
「口移しじゃなくても、ふつーに口開けて入れちゃえばいいんじゃね?」
単純に考えてさ。クマジオが変な事言うからそれしか無いかと思ったけど、口を無理やり開けて流し込めばそれで良いじゃん。
そうだそうだと自分に言い聞かせながら、舞い降りた天啓に小梅は善は急げと言わんばかりに即座にキュアレーションの蓋を開け放つと左手で悠吾の頬をつまみ、強引にその口を開かせた。
そして、流し込んだキュアレーションを口に含む悠吾。
よっし、そのままごくんと行っちゃえ。
期待を込めて握りこぶしを作ってそう心で叫ぶ小梅だったが──
悠吾の命をつなぐキュアレーションは、力なくだらんと横たわる悠吾の口からこぼれ落ち……廃屋の床を濡らすだけだった。
「……なんでよっ! ばかっ!」
思わず立ち上がり、グーで悠吾の頬を殴りつけそうになった小梅だったが、彼女の頭に残った理性がなんとかそれを阻止した。
──どうしよう。
小梅は本気で困った。
キュアレーションは後一個しかない。もう一回チャレンジしてみてまたこぼしちゃったら悠吾の命が危ない。
小さな指を顎にあてがい、せわしなく廃屋の中を歩き回る小梅。
悠吾の傍らに座ったかと思うと立ち上がりウロウロと歩いて、また腰を下ろす。
と、その時、遠くから微かに銃声が聞こえた。
トラジオが車を手に入れたのかもしれない。
ああ、悩んでいる時間はもう無い──
そして、焦りのピークを迎えた小梅は、ついに意を決したようにアイテムポーチの中から最後のキュアレーションを取り出すと一捻りで蓋を開け、その中身を己の口の中へと流し込んだ。
***
小梅達を残した廃屋を後にしたトラジオは低い姿勢のままHK416の安全装置を解除するとシューティングポジションに構え、急ぎ足で最後にワズ452を見た場所へ向かった。
先ほどのワズ452を見かけた場所はここからそう離れていないはずだが、あれから時間が多少経っている。ラノフェルを捜索しているベヒモスメンバー達が戻り、移動してしまったかもしれない。
胸騒ぎを覚えつつ、Ka-52ホーカムが残した爪跡に身を隠しながらクリアリングを繰り返し、その場所へ急ぐトラジオ。
そして彼の目に停車したままのワズ452の姿が映ったのは直ぐだった。
だが──
「くそッ……やはり戻っていたか」
車は停車したままだったが、トラジオが恐れていた通りに車の周りには2人のプレイヤーの姿があった。
他のメンバーの到着を待っているのだろうか、銃を構えたままベヒモスメンバーは周囲を警戒している。トラジオのトレースギアに表示されているベヒモスプレイヤー達のレベルは30。両方とも戦士だ。
高レベルのプレイヤーだが、索敵に特化した盗賊でないのが唯一の救いか。ぐずぐずしてはいられない。奴らが出発する前に鹵獲せねば。
悩む時間は無いと判断したトラジオは即座に動いた。
武器をHK416からコンバットナイフに持ち替えたトラジオは、左手でナイフを逆手に構えると、死角となる背後から静かに距離を詰める。
そして、Ka-52ホーカムの攻撃で敵を排除した思っていたベヒモスメンバー達に油断が生まれていたのか、トラジオは難なくベヒモスプレイヤーの1人をナイフの射程距離に捉えた。
「……ウッ!?」
トラジオは、背後からベヒモスプレイヤーの口元を押さえその喉をかき斬る。
そして、呻き声を上げる事なく腕の中で光の粒に変わっていくプレイヤーを傍らに捨てたトラジオはもうひとりとの距離を詰めた。
もうひとりの奴もまだこちらの動きに気づいていない。
ひとり目と同じく、射程距離に捉えるトラジオだったが、その喉元に襲いかかろうとしたその時、何かを察知したプレイヤーがくるりと身を翻した。
「……!? 貴様ッ……!」
「……くっ!」
背後に突如として現れた敵の姿に即座に銃を向けるプレイヤー。
攻撃する前にバレてしまった事に一瞬焦るトラジオだったが、即座に次の攻撃に移った。
ベヒモスメンバーが構える銃を蹴りあげ銃口を逸らすと、そのまま流れるように左右のジャブから左のローキックをプレイヤーの大腿部へ打ち込む。
「ぐあっ!」
トラジオのスキル、「テイクダウン」によって強化された打撃がベヒモスメンバーの体力を奪っていく。
そして、左のローキックでぐらりと体勢を崩したプレイヤーの腹部にトラジオは強力な前蹴りを放った。どすんという芯に響く音とともに背後に吹き飛んだプレイヤーはワズ452の車体に打ち付けられると、その衝撃に耐え切れず跳ね返り、もう一度トラジオの前に無防備な身体を晒す。
「フンッ!」
丹田に力を込めたトラジオは最後の一撃をプレイヤーに放った。
上半身をひねり、背筋の力が加算された右の拳がプレイヤーの顎を捉える。トラジオの硬い拳で撃ちぬかれたプレイヤーはひとり目と同じように声を上げる暇もなく、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「クリア……か」
プレイヤーが昏倒したことを確認したトラジオは即座にHK416を構え、周囲に意識を配る。
周囲に敵影は無い。
反撃を受けることなく2人のプレイヤーを無力化出来た事に胸を撫で下ろしたトラジオは銃を構えたままワズ452の運転席のドアを開く。
──だが、トラジオの脳裏にはふたり目のプレイヤーをノックダウンさせた時にふとある不安が過っていた。
「ちっ……」
運転席を見て、その不安が的中した事にトラジオは小さく舌打ちした。
トラジオの目に映っていたのは車のキーが抜かれている運転席。
これがPC版の戦場のフロンティアであれば、機械兵器に乗り込めば即座にエンジンがスタートするが、これは戦場のフロンティアの世界であっても「ゲーム」ではない。
するりと運転席に腰掛け、念のためアクセルを踏み込んでみるトラジオだったが、彼をあざ笑うかのようにワズ452は沈黙したままだった。
「……キーがなければエンジンをスタートできないのは当然か」
そう言いながらため息を漏らすトラジオ。
しかし、考えがあった彼は即座に次の行動に移った。
確かワズ452は手動でエンジンをかける事ができるタイプの物もあったはず。この車種がそのタイプであれば良いが。
そう祈りながらトラジオはフロント部分に回り込みバンパーの上部に視線を落とした。
そしてそこに見えたのは小さな穴──
エンジンを点火するクランク棒を差し込む穴だ。
ベヒモスメンバーが乗り付けてきた車が旧型のワズ452でよかった。
安堵の表情を浮かべるトラジオ。
──だがワズ452のフロントガラスの向こう、こちらへ来る数名のベヒモスメンバーの姿がトラジオの目に映ったのは刹那の間だった。
***
冷たい物が喉を通る感覚と同時に、まるで身体の芯に炎が灯るようにじんわりと広がる暖かい癒しに悠吾ははたと気がついた。
「……あれっ?」
ここはどこで、僕は何をしてたんだっけ。
薄暗い半壊した天上を見上げたまま、悠吾はぼんやりとした頭から記憶を掘り起こしていく。
トラジオさんと教会で別れて、ラノフェルさんを捕まえて、それで──
「……小梅さん?」
ふと視界の端に映った小梅の姿に悠吾はぽつりと確かめるようにその名を呼んだ。
あのツインテールは確かに小梅さんだ。
でも、どうして小梅さんがここに……?
「小梅さん」
「ひゅっ!?」
身を起こしながらもう一度その名を呼ぶ悠吾だったが、何故かまるで蘇った死人を見たかのように小梅は目を丸くし、悲鳴とも取れる声を漏らした。
「小梅さん、大丈夫だったんですね」
良かった、と瀕死の状態だった自分の事をそっちのけに小梅の無事に安堵する悠吾。
だが、小梅の視線はふわふわと泳いでいる。
「な、なによ大丈夫って」
「え? いや、その普通に大丈夫だったんだなって思いまして」
「あれくらい、どどど、どーってことないわよ!」
「まぁ、そうですよね。小梅さんは熟練者ですもんね」
ノイエさんも一緒だったし、僕が心配する必要はないですよね。
だがそう言いながら笑顔を見せる悠吾をよそに、小梅がたどたどしく続ける。
「あ、あ、あたしは別に熟練者じゃないわよっ!」
「……はい?」
「けけ、経験なんてないんだから!」
こう見えてもピュアなのよあたし、と訳の分からない事を言う小梅に悠吾は首をかしげる。
「……?? 何の話ですか」
「……何の話よ」
質問を質問で返す小梅。
まったく噛み合っていない事だけが判り、変な沈黙が辺りを支配したその時だった。
響き渡ったのは幾つもの銃声。
そう遠くない場所での発砲音だ。
小梅は咄嗟にその音に反応して銃を構える。そして、近づいて来たのは低い車のエンジン音──。
『小梅! 聞こえるか!!』
『……クマジオッ!!』
何処か憎しみが篭った声で返す小梅。
『トラジオさん!』
『……!? 悠吾! 気がついたか!』
『はい! 一体どうなっているんですか!?』
トラジオから届いた小隊会話にただならぬ物を感じた悠吾は、飛び起きて銃を構えようと辺りを探るが……これまで苦難を共にしたMagpul PDRが見当たらない。
「あれっ……僕の銃が……」
『悠吾、小梅ッ! 直ぐ傍に車を着けたッ! ラノフェルを背負って乗り込めッ!』
『……車!?』
どうやってそんなものを?
信じられないと言いたげな表情を浮かべる悠吾だったが、廃屋から身を乗り出す悠吾の目に映ったのは、すぐそばに停まる長いバンタイプの古めかしい車だった。
『乗れッ! 奴らが来る!』
「行くよ悠吾!」
「は、はい!」
ラノフェルをお願いと続け、廃屋を飛び出す小梅。
状況が飲み込めない悠吾だったが、言われた通りに即座にラノフェルを担ぐとバンに向け走り出した。
空気を切り裂き、襲いかかる銃弾の雨。
その中を悠吾と小梅はバンの裏に回り、観音開きのドアを開け、車内へ飛び乗った。
「悠吾にキュアレーションを飲ませたか小梅」
「……ッ! のの、飲ませたわよッ!」
運転席から身をひねるトラジオに視線を合わせず即答する小梅。
「え? 飲ませてくれたんですか? 僕に? ……どーやって?」
僕にキュアレーションを? だって僕、気を失ってたんですよね。
でも確かに何か冷たいものが喉を通った記憶があるけど──
「う、うるさい! さっさと出してよクマジオ!! 奴らが来るでしょ!!」
ばしばしと運転席を裏から叩きながら小梅がまくし立てる。
と、小梅のその言葉と同時に四方から赤く光る発射炎が悠吾の目に映った。
「良し、脱出する!」
ギアを1速に入れ、クラッチを切りアクセルを踏み込むトラジオ。
ぐおんと雄叫びを上げたワズ452のエンジンは4つのタイヤで砂煙を巻き上げると、ベヒモスメンバーで犇めくトットラの街を駆け抜けた。




