第71話 脱出 その6
『致命傷を負っています。離脱することをおすすめします』
まるで電流が全身を駆け巡ったかのような衝撃と激痛に襲われたトラジオの耳に入ったのは、生命の危機を告げる冷静なトレースギアのアナウンスだった。
撃たれたのは左大腿部と脇腹か。だが運良くわずかに体力が残っている。即死しなかっただけ御の字だがこのまま反撃に転じなければ、間一髪免れた死はすぐに訪れてしまうだろう。
想像するに、相手の攻撃がかすりでもしたら終わり──
その状況に身がすくむトラジオだったが、恐怖をぐっと喉奥に押し戻し、背中で眠るルシアナを地面に下ろすと目の前に揺れる2つのトレースギアの光に向け一歩を踏み出した。
「……わッ!!」
突如目の前に現れたトラジオにベヒモスメンバーは思わず悲鳴を挙げてしまった。
至近距離にいながら、その姿を認識できていなかったベヒモスメンバーの虚を突いたトラジオは、長身のアサルトライフルを構えているプレイヤーの懐へ飛び込み、CQCの体勢に移る。
戦士の得意分野と言えるCQC──
トラジオは戦士のスキルのひとつ、「テイクダウン Lv3」をすでに取得していた。
テイクダウンは近、中距離での戦闘を得意とする戦士を代表する本人の能力を上げるパッシブスキルのひとつで、トラジオが習得している「テイクダウン Lv3」ではCQCで与えるダメージの30%を上乗せすることが出来るスキルだ。
「ふッ!」
プレイヤーの懐に潜り込んだトラジオは、相手の動きを制する為にまず膝を蹴りあげた。シューティングポジションに移っていたプレイヤーは軸足の膝を蹴られた事で体勢を大きく崩し、思わずのけぞってしまう。
そしてそこからプレイヤーが地面に昏倒するまでに要した時間はわずか数秒足らずだった。
みぞおちに数発ジャブを叩き込み、今度は前かがみになった所で両手で頭を掴み、そのまま頭をひねるように回転させ投げ飛ばす──
テイクダウンスキルによって増加されたトラジオの腕力でプレイヤーの首の骨は簡単に砕かれ、くるくると宙を舞いながら霧散した。
「……貴様ッ!」
「ッ!!」
流れを掌握していたまま、もうひとりのプレイヤーを仕留めるべく動くトラジオだったが、そう簡単には行かなかった。
即座にアサルトライフルを捨て、ナイフを逆手に構えたもうひとりのベヒモスメンバーはすでに間合いを詰めていた。
咄嗟に一歩下がるトラジオ。
危険な距離だが、まだ間合いを制しているのはこちらだ。
この距離でハンドガンを抜けば、相手のナイフが届く前に仕留める事ができる。
そう判断し、トラジオはホルスターから再度グロッグ26を構えた。
が──
「甘いッ!」
トラジオが気付いたその時、開いていた間合いはいつの間にか消え去り、ベヒモスメンバーが構えるナイフが目前に迫っていた。
「なっ……!」
この動き……一挙手一投足で判る。こいつはかなりの手練だ──
効果は無いかもしれないと思いつつも、トラジオは防御力をアップさせるスキル「センチネル」を発動する。そしてベヒモスメンバーのナイフの切っ先がトラジオの首元を切り裂くその瞬間──
「ぐっ……!!」
暗闇に沈む教会の脇で苦悶の声をあげたのは……ベヒモスメンバーだった。後頭部に衝撃を受けたベヒモスメンバーは、トラジオの身体にその身をあずけるようにもたれかかり、力なく地面に倒れた。
一体何が起こったのか状況が把握できないでいたトラジオだったが、どくどくと胸をノックする心臓を必死に押さえながらグロッグ26を咄嗟に構え、周囲を警戒する。
奴を仕留めたのは、背後からの攻撃。敵の誤射かそれとも──
「クマジオ!」
ぴりぴりとした空気を放つトラジオの耳に飛び込んできたのは聞き覚えのある声だった。
「……小梅?」
闇の中から現れたのはクリスヴェクターを構えるツインテールの少女──小梅だった。
「クマジオ! 大丈夫!?」
頭を撃ち抜いたプレイヤーが光の粒に変わり、霧散したことを確認しながら小梅がトラジオの元へ駆け寄る。
盗賊のスキル「バックスタブ」を使った背後からの一撃か。
──小梅が盗賊でなければ倒れていたのは俺の方だろう。
周囲を警戒する小梅の姿を見て、トラジオは安堵の表情を浮かべながら思わずその場に崩れ落ちてしまった。
「クマジオ!」
「大丈夫だ。致命傷を受けてしまったが……回復できる」
「ほんとに大丈夫?」
あんたがそこまでやられるなんて。
震える声を押さえながら小梅がそう言った。
「相手はラウルのトッププレイヤー達だ。無傷で切り抜けれるとは思っていなかったが、まさかここまでとは」
「でも無事でよかったわ」
そして、運良く背後を取れて良かったわ。クマジオのように正面から戦って奴らに勝てる気がしないもん。
トレースギアのアイテムポーチからキュアレーションを取り出し、体力を回復するトラジオを見て小梅は小さく胸を撫で下ろした。
「トラジオさん、小梅……無事か!?」
夜目が効く小梅を先行させていたのか、遅れてノイエがトラジオ達の前に姿を現す。
「ああ、小梅のお陰でなんとか生き残った」
「あたしの活躍でね」
そう言ってふんと鼻の穴を広げ、ふんぞり返る小梅。
これはしばらく頭があがらんな。
そんな小梅をみてトラジオは苦笑を浮かべた。
「ノイエ、ルシアナを確保した」
「良かった……それで、悠吾くんは?」
「ラノフェルを追っている」
そう言うトラジオの言葉を裏付けるかのように教会の向こう、街の南方から銃声が轟いた。
ラノフェルを追い、悠吾も戦闘を行っているという事か。
「……トラジオさん、街の出口を抑えていたベヒモスメンバー達が教会に向かっているようです。早く脱出しましょう」
「待ってよノイエ、悠吾が最後に小隊会話で言った通りにあいつを置いてあたし達だけで脱出するつもり?」
あれから悠吾からの小隊会話の返答は無い。
確かに悠吾はランディングポイントで合流しようと言ってたけど、あいつ1人でベヒモスの奴らと戦わせようってわけ?
「小梅、悠吾くんにはアーティファクトがある」
戦況を一変させるほどの能力を秘めた兵器が彼にはある。
だから、彼に任せるとそう言い放つノイエに小梅は思わず苛立ちを覚えてしまった。
「だから何? ジャガーノートには制限時間があるわ。もし途中でジャガーノートが消えたらどうすんのさ」
確かにジャガーノートは強力だけど、弱点が無いわけじゃない。
あの廃坑でワルキューレのクランマスターと対峙した悠吾を見たから判る。あの時みたいに時間が来ちゃったら悠吾は──
「……小梅、それでも僕達は東へ行く」
「なっ……!」
決意に満ちた視線を送る兄の姿に、小梅は呆然とその場に立ちすくんでしまった。
「僕達の目的はルシアナの保護だ。ルシアナを救出した今、東へ抜け風太と合流しこの場を離脱する」
「悠吾を見捨てるつもり!?」
「見捨てる訳じゃない。ぎりぎりまで彼を待つさ。……だけど、僕達は生きてこの場を脱出する義務があるんだ」
変わらない表情でノイエが言う。
生きて脱出する義務? その義務の為に悠吾を見殺しにするってわけ?
小梅はぎゅうと唇を噛み締め、小さく身を震わせた。
昔はそんな冷たい奴じゃなかった。いつもあたしを助けてくれたじゃん。
見捨てるのは悠吾が他人だから?
それともノイエも……この世界に順応しちゃったってわけ?
「見損なったわノイエ。あたしひとりで行くから」
「……ッ!! 待て小梅!」
怒りに満ちた目で一瞥し、くるりと踵を返し闇の中へ滑り込む小梅を引きとめようと手をのばすノイエだったが、虚しくその手は空を斬った。
「くそっ……」
後を追おうと踏み出すノイエだったがぎりと口をきつく結んだまま、その場に立ちすくんでしまった。
小梅の言っている事は良く分かる。優先すべきことは何なのか。
だけど──
「……ノイエ、小梅は俺がサポートする」
「え?」
地面に落ちたHK416を拾い上げ、弾倉に残った残弾を確認しながらトラジオがぽつりとそう言った。
「辛い選択だな。お前が悩んでいるのは良く分かる」
ノイエの中の葛藤を理解していると言いたげにトラジオはそう呟いた。
上に立つ物は時に辛い選択を迫られる時がある。
その事がトラジオにはよく判っていた。
「……小梅の言っている事は良く分かるです。人として何を優先すべきか。悠吾くんをこの街に残して東へ向かうことは小梅の言うとおりある意味に彼を見捨てる事になる。ですが──」
ノイエはざわつく心を落ち着かせるように、ふうと小さく息を吐いた後、ゆっくりと続ける。
「僕はノスタルジアの未来の為にルシアナと解放同盟軍を守る義務があります。僕やトラジオさんに悠吾くん、そして小梅の為に」
ここでルシアナを失う事は、ラウルとの戦い云々の前にノスタルジア復興の光が失われる事になる。
それだけは何としても阻止しないといけない。たとえ妹の小梅に恨まれたとしても──
「任せろノイエ。小梅を死なせはしない」
「トラジオさん……」
「お前には助けてもらった恩がある。尻拭いはいつでもしてやるさ」
暗い影を落とすノイエを励ますようにトラジオがにいと笑みを浮かべた。
誰かの尻拭いは慣れている。それは俺の役目だ。
「なんというか、トラジオさんには敵わないな」
「俺も現実世界で同じような悩みを抱えた事があってな」
「そうなんですか?」
ノイエの言葉にトラジオは無言で頷く。
だからよく分かるのだ。
無言の表情はそう語っていた。
「お前はルシアナを連れて東へ向かえ。小梅と悠吾を連れて直ぐに合流する」
そう言ってトラジオはトレースギアを開いた。
トレースギアのMAPに表示されている青い点。
小梅の位置を確認してトラジオはHK416のコッキングレバーを下げ、セーフティロックを解除した。
「……了解しました」
お願いします。トラジオさん。
ノイエが小さく頷き、投げ返した返事を受け止めたトラジオが踵を返し闇の中へ身を投じる。
ルシアナの代理として責任を負った人間としては間違った決断はしていない。
だけど、兄として選ぶべき道を誤っているのではないか──
闇の中に消え、その姿のかけらも見えなくなったトラジオの背中を見つめながらノイエはそんな思いに苛まれながら、地面に横たわるルシアナの身体をそっと抱きかかえた。




