第66話 脱出 その1
やはりおかしい。
街道脇の草むらに伏せたまま、目の前を通り過ぎて行くベヒモスメンバーを目で追いながらノイエはそう思った。
西の丘に設置したセントリーガンは未だ射撃を続けている。なのにベヒモスメンバー達は西に向かうどころか、やはり街の四方に散らばっている。
『……つか奴ら折角設置したセントリーガンに目もくれずこっちに向かってきてない?』
『そうだね。多分、街の入り口になる北と南にラノフェルは兵力を割いている気がする』
『ああ、もう。早く教会に戻りたいのにっ……!』
ノイエの隣で伏せたまま小梅がきつく唇を噛んだ。
『……良し、行こう小梅。教会までもう少しだ』
プレイヤー達が通り過ぎた事を確認したノイエが周囲を警戒しながら、草むらからゆっくりと街道へと出た。
このまま街道を進めばまたプレイヤーと接敵してしまうかもしれない。
少し時間はかかるけど西側から遠回りしたほうが早く着けるか──
『小梅、西側から周りこむよ』
『そうね、そっちのほうがいいかも』
『そろそろセントリーガンの弾薬も切れる頃だ。回収して教会を目指そう』
『……了解』
西側に奴らが向かっていないのであれば、セントリーガンは脱出に活用した方が良さそうだ。
そういうノイエに小梅は小さく頷くと、再びリーコンスキルを発動させ、周囲を警戒しながら歩き出す。
直ぐにでも悠吾の元へ向かいたい気持ちを押さえつけ、けたたましい銃声が発せられている西の丘へ。
***
念のために、街道を避け小さい遮蔽物を活用し西側から教会へと足を進めていたノイエ達だったが、彼の想定どおり西側にベヒモスプレイヤーは全く居なかった。誰も居ない西側から射撃を続けるセントリーガンがどこか虚しく感じてしまうほどだ。
とりあえず、街の西側に到着したノイエは小梅にセントリーガンの回収を頼み、自身は教会周辺の状況確認をするために先を急いだ。
『ノイエ、セントリーの回収を完了したわ』
悠吾達と別れたあのアイテムブティック付近に近づいたノイエの耳に小隊会話が入った。
『了解した。こっちに設置したいからアイテムポーチに送ってくれないか?』
『え、離れてても送れるの?』
知らなかった。
ノイエの耳に小梅の驚嘆の声が届く。
PC版の戦場のフロンティアでは小隊を組んだ者同士でも、アイテムのやり取を行う為には近づく必要があった。
だが、この世界では小隊会話が届く範囲であればアイテムのやりとりが出来る──
それもまた相違点の1つだった。
『ああ。小隊会話には距離制限がかかってNerfされたけど、逆にアイテム関連に関してはBuffされたみたいで小隊会話ができる距離であればやりとりが出来る』
『へぇ、成る程ね。んじゃ、とりあえず送るわ』
『頼む』
そう言ってノイエは目前の教会へと視線を移した。
教会の周囲には慌ただしさがみえる。多分周囲に展開していた幾人のプレイヤーが戻ってきたのだろう。
そこから判断するに、悠吾くん達は発見されてしまったと思って間違いないだろう。小梅が戻ってきてからこっちからも撃って出るか。
そう思いノイエがゆっくりと教会に近づいたその時だった。
「……!?」
ノイエは何か違和感を感じ足を停めた。
これまで感じた事の無い違和感。それがトレースギアから発せられている物だと気がついたのは少し間を置いてからだった。
突然まるでノイズを受信しているかのようにオレンジ色に発行している部分が点滅を繰り返したかと思うと小梅から送られてきたセントリーガンを確認しようと開いたアイテムポーチの画面にもブロックノイズが走り、ぶん、と強制的にその画面が落ちる。
『……小梅、聞こえるか?』
『な……何……わ……』
確認の為に小梅に小隊会話を送るノイエだったが、想像していた通り小梅の声がノイズの向こうにかすかに聞こえるだけだった。
トレースギアのノイズ、そして悠吾くん達の小隊離脱。
そこから想定できるのは──
「EMP攻撃か」
その状況にノイエの眉間に深い皺が寄った。
電磁パルスによって大波電流を発生させて電子機器にダメージを与える非殺傷兵器。この症状はそれ以外に考えられない。僕はEMPが発生した後から足を踏み入れた為に被害は小さいが、中心にいたであろう悠吾くん達のトレースギアは多分シャットダウされている可能性がある。
つまりそれは、トレースギアの機能が使えないということ。
小梅を待たずに攻撃をしかけるべきかと思ったノイエだったが──
「……ノイエ!」
不意に背後から聞こえた声に思わずノイエは背後へ銃口を向け引き金に手をかける。
「わっ! 馬鹿! あたしだよ!」
「こ、小梅」
背後から走り込んできたのは小梅だった。
西側に敵は居なかったとはいえ、なんという速さだ。盗賊のスキルで一定時間移動速度が大幅に速くなる「スプリント」スキルを使ったのだろうか。
「声をだすな小梅。敵は何処に潜んでいるか判らない」
「だって、小隊会話で返事くれなかったじゃん」
「小隊会話?」
ノイエの傍に屈みノイエと同じく教会へと視線を送りながら小梅がそう言った。
僕のトレースギアはシャットダウンされている訳じゃないけど、やはりかなりの障害が起きているのか。
「EMPだ小梅。教会付近ではトレースギアの機能に障害が起きている」
「EMP?」
そう言って首を傾げる小梅に、ノイエは詳しい説明を口にしかけて喉の奥へとその言葉を押し戻した。
説明している暇はない。今は悠吾くん達の救出を再優先にしないと。
「説明は後だ。兎に角今は悠吾くん達の救出に……」
「そうね、早く悠吾達の救出に向かおう」
ノイエが居ればあんな奴ら蹴散らせるだろうし。
そう言って飛び出そうとする小梅だったが、思わずノイエは小梅の首に巻かれたシュマーグを背後から掴み押しとどめた。
「まて小梅」
「な、なにすんのよ!」
「救出に向かうと言っても、このまま中に突っ込むわけじゃない」
教会に近づけばトレースギアが落ちる可能性もある。
そうノイエが続ける。
「ここにずっととどまってるわけにもいかないでしょ! 早く助けに行かないと……」
「別の方法で助けに行く」
「……別の方法?」
得心がいかないような表情を浮かべる小梅にノイエが深く頷いた。
「小梅には少し動いて貰いたい」
「それは構わないけど」
何をやるのさ?
そう呟く小梅にノイエはノイズで歪むトレースギアのメニューからアイテムポーチを開くと、とあるアイテムを取り出した。
***
きぃと動物の鳴き声のような音が部屋に響き渡り、扉がゆっくりと開かれた。
そして部屋の中に差し込んだのはハンドライトの明るい光──
その光が導くように、アサルトライフルの銃口が見え、そしてそのライトと銃を持つプレイヤーの姿が悠吾の目に映った。
「……クリア」
扉が完全に開かれ、ライトで部屋の中をチェックしたプレイヤーがそう囁いた。
だが、警戒はまだ解かれていない。
そして銃を構えたまま、そのプレイヤーが部屋の中に足を踏み入れるとその後にあの男が現れた。
ラノフェルだ。
「ふむ。まずはルシアナ様の身柄の確保を優先すると思ったのですが」
どこか残念そうにラノフェルが囁く。
敵は5名程。もちろん全員が武装している。
ノイエさんの情報ではベヒモスのクランマスターラノフェルは僕と同じ生産職の薬師でありながら前線で戦う特殊なプレイヤーだと言っていた。そしてその能力も侮れない程の物があるとも。
ラノフェル達を見て思わずごくりと息を飲み込んだ悠吾はちらりと別の場所に隠れるトラジオへと視線を送る。
そんな悠吾を見てトラジオは動くなと小さくハンドサインを返した。
「しかし……」
先頭のプレイヤーがライトを寝息を立てているルシアナへと向ける。
「この騒ぎの中眠ったままとは、全くもって図太いのか、間抜けなのか……」
「しばらくは起きませんよ。彼女には寝て貰ってます」
呆れた様な表情を浮かべるプレイヤーにラノフェルが静かに返した。
「寝てもらっている、といいますと?」
「こう見えて彼女はオーディンのクランマスターだった女性ですからね。ユニオンに引き渡すまで眠ってもらっていた方が何かと問題は起きにくい」
「成る程」
「最初は渋っていましたが、やっと僕の紅茶に口を付けてもらえました」
ラノフェルの言葉に悠吾はルシアナが眠るベッドへと視線を移した。
ベッドの下、転がっている小さなティーカップが確かに見える。
成る程、良く寝れるなぁと思ったけど、強引に眠らされていたのか。
「時間は無いですよ。さっさと奴らを殺して直ぐにこの街を立ちます」
「了解です」
もう一度部屋の中をライトで見渡した後、プレイヤーを先頭にラノフェル達はくるりと踵を返し、足早に部屋を後にした。
ぱたんと扉が閉まる音が部屋に木霊し、教会の外で警戒するプレイヤー達の音が小さく部屋に余韻を残す。
彼らの足音は遠くへ向かった。もう大丈夫か。
しばらく間を起き、安全になったことを確認してトラジオが動く。
「……いいぞ悠吾、出てこい」
「行きました……かね?」
入り口に銃を向けながら、潜んでいた物陰から悠吾もゆっくりと姿を現す。
なんとかやり過ごすことが出来た。これで彼らの中からこの部屋が捜索の選択肢から除外されたはず。
そう思いながら、人の気配が無い扉に悠吾は安堵の表情を浮かべた。
「ああ。このままEMPの効果が切れるのをここで待つ」
「了解です。と言うか、ルシアナさん眠らされていたんですね」
「のようだな。流石におかしいとは思ったが」
ちらりと眠るルシアナに視線を送り、トラジオが苦笑を浮かべた。
「EMPが切れるのはどのくらいでしょうか」
「判らんが、時間にして10分ほどだろうか」
あくまで想定だが。
そう続けるトラジオに悠吾はいつものようにふと天を仰いだ。
「10分、ですか」
10分は短いようで長い。
この部屋が彼らの捜索の選択肢から外れたとは言え、すべての部屋を見終わった後またこの場所へ来る可能性はゼロじゃない。彼らの動向を調べようにトレースギアが落ちている以上、偵察ドローンも出せない。
せめて5分。この部屋に彼らが来て、もし見つかったとして銃撃戦で踏ん張れるのは5分程だろう。そしてトレースギアさえ復活した後、ジャガーノートを起動して一気に脱出する。
「弾薬の残量から考えて、5分って所ですね」
「何がだ?」
「銃撃戦で耐え切れるのが、です」
そう言う悠吾にトラジオは弾倉の残弾を確認し静かに頷いた。
「確かにそうだな。しかし、こういう状況を想定して弾倉をアイテムポーチから出しておくべきだったな」
「そうですね。次回から現実世界のようにマガジンポーチに必要最低限の弾倉を入れておきましょう」
次回から──
その言葉に思わずトラジオは笑みを漏らしてしまった。
「フッ、お前はもう明日の事を考えているのだな。絶体絶命の状況下でも」
「え、あ、そうですね。5分この場でとどまることができれば僕のジャガーノートで……」
一気に切り抜けますよ。
そう言いかけた悠吾だったが──
「成る程、ジャガーノートですか」
「……ッ!!!」
不意にぎいと悲鳴のような音が部屋に響き、入り口の扉が放たれた。
咄嗟に振り向き、銃口を向けるトラジオと悠吾。
そして彼らの目に映ったのは……冷たい笑みを浮かべるラノフェルの姿。
「念のためしばらく待っておこうと思ったのですが、見事的中しました」
「クソッ……!」
咄嗟にトラジオと悠吾は物陰に滑り込んだ。
なんという男だ。このラノフェルという男は。有利な状況にも関わらず油断のかけらも無い……
「貴方が言う、そのジャガーノートという物が少し気になりますが……」
そう言ってラノフェルが右手を掲げた。
その動きに呼応して、幾人かのプレイヤーが部屋の中になだれ込む。
先頭の2名は悠吾達の弾丸を防ぐ為か、防弾性を高めた盾、ライオットシールドを装備している。
まずい。5分どころかまだ1分も経って居ない──
「死体になった貴方から調べさせていただきますよ」
きゅうとラノフェルの広角が釣り上がった。
そしてその言葉と同時に、なだれ込んだプレイヤー達の銃口から鈍く光る発射炎が吹き上げた。




