第7話 盗賊の女の子 その3
現実世界と同じく、時間の概念があるこの「戦場のフロンティア」の世界の空は次第に琥珀色に染まりつつあった。心なしか吹き抜ける乾いた風も少し冷たくなり、それは夜がもうそこまで来ていることを悠吾達に告げている。
「オーディンって……ノスタルジア王国のクランのオーディンですか?」
小梅が放った言葉に忍び寄る夜の足音など感じる余裕もなく、悠吾は小さく首をかしげた。
オーディンって、確かトラジオさんが話してくれたノスタルジア王国の伝説的クランの事だ。少数精鋭のクランで、創始期にノスタルジア王国の40ものプロヴィンスをたった10人で確保し、そして守ってきたクランだと言っていた。
「……へぇ、初心者なのによく知ってるわね」
悠吾に小梅が鼻で笑いながら答える。
まぁ、とはいえ、僕もさっきトラジオさんから聞いただけなので、それがどの位凄いのかは全くわからないけど。
「オーディンのメンバーも同じくこの世界に転生されたのか?」
「少なくとも兄は。あたしのトレースギアが壊れる前、フレンド登録していた兄の名前がオンラインになっていたのを見たわ」
その言葉にトラジオが眉をひそめると、仏頂面の顔をより硬くさせ、何やら考え込んだ。
この娘の話からすると、オーディンのメンバーがこの世界に転生している可能性は高い。なのにノスタルジア王国は滅亡してしまっている。
一体彼らに何があったのだ。
「……何故オーディンがこの世界に転生していたにも関わらず、ノスタルジアは滅亡することになったのか知っているか?」
「判らない。だけど、この転生事件……事故なのかもしれないけれど、この件の少し前に何かクランの中で問題が起きたと兄が言ってた。詳しくは教えてくれなかったけどね」
「問題……」
小梅の話に、悠吾はふとMMOゲーム等のクランで良く聞く話を思い出した。
クランの中でいざこざが起きて解散に追い込まれるという話はよく聞く。そのオーディンというクランもまた同じような末路を辿ったんだろうか。
そもそもクランというものは同じゲームが好きというだけで、偶然出会った者同士が集まったゆるい関係がほとんどだ。現実世界での友人同士や厳しい規律の元で結束したクランは何か問題が起きた場合、話し合いで解決する場合があるけど、ゆるい結束で集まったクランはそうはいかない。
いや、だけど、ノスタルジア王国の運命を左右するほどの実力があるトップクランがそういったスキャンダルで解散、なんて事は考えられない気もするけど。
「ふむ。オーディンがどうなったかは判らんと言うわけか。だが、オーディンのメンバーであるお前の兄の助力を得ることができれば、脱出経路がどんなに危険な場所であれ、確かに切り抜けることが出来そうだな」
「……あのう、トラジオさん」
と、思わず悠吾がトラジオに小さく言葉を投げかけた。
「オーディンのメンバーってそんなに凄かったんですか?」
そのオーディンというクランメンバーの実力がどの程度の物なのか正直な所興味があり、そして一方で疑わしいと悠吾は思っていた。
実の兄がメンバーであったこの子は間近でその実力を見ていただろうし、戦場のフロンティアの古参プレイヤーであるトラジオさんもそのプレイを目の当たりにしているだろうけど、僕は知らない。
噂は背びれ尾びれが着くのが常だ。
「お前は始めたばかりだから知らんのは当然だがな。話によるとメンバーの中にはSPMが800を超える化け物も居たらしい」
「え、SPMが……800!?」
トラジオの言葉に悠吾は度肝を抜いてしまった。
SPM、「Score Par Minutes」とは、主にFPSゲームでそのプレイヤーの強さを図る為の数値の事で、「1分間でどのくらいスコアを出すか」という数値だ。技量を図る数値として「1回死ぬ間に何人倒すか」という「キルレシオ」というものもあるが、一定の場所で敵が来るのをひたすら待つ「キャンパー」などといった立ち回りでどうとでもなるキルレシオよりも、チームにどの程度貢献しているかが顕著に数値として現れるSPMがプレイヤーの能力を図る指数として広く普及している。
そのSPMは大体200位が平均ラインで、プロゲーマーでさえも700行くか行かないか位といった所だ。
800だなんて聞いたことが無い。
「あたしはこのゲームでしか兄のプレイは見たこと無いけど、今まで兄が負けた所を見たことは無いわ」
どうよ? と鼻の穴を広げ、自慢気に語る小梅に悠吾は呆れるのも忘れ、息を呑んだ。
確かに、そんなプレイヤーが10人も居たら交戦フェーズの1週間で40ものプロヴィンスを占領するのはわけないだろう。というか、やろうと思えば簡単に大陸を統一することが出来たんじゃないだろうか。
「強力な援助を得ることができることは判ったが……お前が言うその脱出経路と言うのは一体どんな場所なのだ?」
トラジオが淡々とふんぞりかえる小梅に言う。
自慢の兄の威厳に全く動揺も見せず淡々と語るトラジオに小梅は少し怪訝な表情を浮かべたが、すぐにトラジオにMAPの表示を促し、続けた。
「MAPのF-8にある狩場S85D773……通称『沈んだ繁栄』と呼ばれる廃坑よ」
「狩場?」
聞きなれない言葉に悠吾が小梅に質問を投げかける。
そういえばさっきもこの子はその名を口にしていた。
「狩場はプレイヤーが『探索』を行う場所よ。その狩場『沈んだ繁栄』の何処かに脱出経路になる隣国ラウル市へ抜ける道があるらしいわ」
***
狩場S85D773、通称『沈んだ繁栄』──
悠吾にはもちろん聞いたこともない名前だったが、同じくトラジオも知らない場所のようだった。
戦場のフロンティアの3つのフェーズの内、「探索フェーズ」のメインステージになるのが各プロヴィンスの中に点在する狩場だ。各狩場に潜るプレイヤーはその中に配置された地人を倒し、経験値を得、そして武器や防具の生産・強化に必要な素材やアイテムを探索する。
古参プレイヤーのトラジオでさえ足を踏み入れたことが無い狩場は星の数ほどあった。
敵対している国が収めるプロヴィンスにはもちろん足を踏み入れる事が出来ないため、知らない場所があってもおかしくは無いが、自国のプロヴィンスでさえ同じことが言えた。
それほどプロヴィンス内に用意されている狩場は無数に存在し、さらにそれがどの位の広さを持っているのか全てを把握しているプレイヤーなど存在していなかった。
決して終わりに到達出来ない開拓地。戦場のフロンティアの魅力の1つはそこにあった。
「聞いたことが無いな」
「特に良いアイテムが出るわけじゃなく、経験値もそこそこなすごいビミョーな狩場だからね」
成る程。特に良いアイテムが出るわけでもなければ情報は出回らないか。
小梅の言葉にトラジオは納得したように小さく唸った。
「だが、脱出経路が狩場だったら、お前の兄の援助があったとしても困難になる可能性があるぞ」
「……えっ? どうしてですか?」
トラジオの言葉に思わず悠吾が首を傾げた。
難しいハズが無い。SPMが800も行く化け物クランのメンバーであれば、一人でそんな狩場ゴミ塵にできそうな気がしますけど。
「悠吾、トレースギアを見てみろ。今は『交戦フェーズ』が終わってすぐの『探索フェーズ』だ」
「……あっ」
確かに。
トレースギアのメニューに表示されている現在のフェーズ、「探索フェーズ」という文字を見て悠吾は納得した。
探索フェーズという事は、その狩場にはユニオン連邦所属のプレイヤーで溢れかえっている可能性がある。
確かにいくら化け物のようなプレイヤーだったとしても、単独で数十、数百のプレイヤーと戦い、生き残るのは不可能に近いだろう。
「探索フェーズを避け、強化フェーズに入った時に行くべきだな」
「……強化フェーズでも狩場に入れるんですか?」
トラジオの言葉に悠吾の脳裏に単純な疑問が浮かんだ。
探索フェーズは探索を行い、強化フェーズでは武器や防具の生産強化を行うフェーズだったはず。
「各フェーズで出来ないことは何も無い。探索フェーズに狩場に潜れば取得経験値と取得アイテムにボーナスが付くだけの話だ。もらえる経験値は増え、レアアイテムのドロップ確率が増加する。ちなみに、強化フェーズでは生産と強化にボーナスが付く」
「成る程、そういうシステムなんですね」
自由度が高いという情報は知っていたけど、ボーナスという形で各フェーズでのプレイヤーの動きを制御していたのか。
ということは、探索フェーズの2週間が過ぎれば、敵対プレイヤーのユニオン連邦プレイヤーはその狩場から去り、安全に行けると言うことだ。
「『沈んだ繁栄』が人気が無いビミョーな狩場だとしても、そこが危険だということは重々承知してるわよ。だから今の内にあたしのトレースギアを修理して、兄と連絡を取った後、強化フェーズで『沈んだ繁栄』に潜り、脱出経路を探るのよ」
探索フェーズの2週間あれば十分可能でしょ?
小梅が呆れ顔を見せながら呟く。
「そうですね。まぁ、十分だと思いますけど……あれ?」
と、小梅の言葉に、トレースギアからスキル「兵器生成Lv1」の生産リストを開こうとした悠吾の目に見慣れない物が映った。
各メニューの上に表示されているのはポップアップの様に浮かび上がっている1つの文字。
「レベルアップしたようだな、悠吾」
「へっ!? レベルアップ?」
確かに、そこには「レベルアップしました」という文字が表示されている。
いつの間に? 普通のMMOで言えば、レベルはモンスターを倒したり、依頼されたクエストをクリアしたり、生産・強化した場合に入る経験値が一定以上になった場合にアップするはず。
特にこれまで何もしてなかったけど──
そう思った悠吾だったが、先ほど小梅を助けた岩場での出来事がふと脳裏に蘇った。
「あ。さっきのチャラ男?」
あのチャラ男を倒した時に手に入った経験値でレベルアップしたのか。
1だったレベルが3になっている自分のステータスを見ながら悠吾はそう思った。
「……てか、あんた鈍すぎ。まだレベル1だったんだから、レベル12のプレイヤー倒したら相当経験値入るに決まってんじゃん」
「ぐぬ……そ、それはそうですね」
かわいい顔して、いちいち言う言葉に刺がある女の子だ。
なんというか、苛立ちと共にもう若くもない僕の男としての性が囁く。この小娘の鼻っ柱をへし折って差し上げなさいと。
『レベルアップにより、スキルポイントが2ポイント入りました。スキルがアンロック出来ます』
と、小生意気な小梅に苛立ちを募らせている悠吾をよそに、例の冷ややかな女性の声がトレースギアから発せられた。
「スキルポイントはレベルアップした時に付与される。そのポイントを使えば、すでに習得しているスキルを強化する事も出来るし、新しいスキルを覚える事も出来る」
「な、成る程。ありがとうございますトラジオさん」
小梅と違い、初心者の悠吾に的確なアドバイスを送るトラジオに悠吾は笑顔でそう答えた。
やっぱりどっかの小娘とは違いますね。
そう口に出したかった悠吾だったが、寸での所で言葉を飲み込んだ。ツンとした空気を放ちながら、何故か悠吾を睨みつける小梅の表情が飛び込んできたからだ。
多分言えばまたあのパンチが飛んでくる。……この子にその言葉を言える勇気がまだ僕にはないです。ハイ。
「と、とりあえず、トレースギアの修理ができるスキルだけに付与します」
慌てて悠吾はメニューのステータスから「スキル」という項目をタップし、スキル一覧を表示させた。トレースギアの時計部分を中心に、周囲に枝分かれしたスキルツリーがぱっと広がる。ほとんど黒く色落ち、選択ができないようになっているが、その中で幾つか選択できるスキルがあった。
その中の1つ、「兵器修理Lv1」というスキルをタップした。
「素人クラスの兵器が修理できるスキル……これでいいんですよね、多分」
トレースギアに表示されたスキル説明と、「習得しますか?」という確認画面を見ながら悠吾が囁いた。
「それだな。通常、銃火器や重火器型ドローン、機械兵器は使う毎に摩耗していく。街に行けば修理はできるが、機工士は素材があればその場で修理ができる」
成る程。機械に強いクラスという説明は誇張表現じゃなかった。
兵器が生産出来て、修理もできる。機工士はまさに僕にピッタリな単独向けクラスじゃないか。
トラジオの言葉に悠吾はひとつ頷くと、「習得する」のボタンをタップした。
特に何も変化は無いが、覚えたのだろうか。
少し心配になった悠吾だったが、戻ってステータス画面を見たところ、確かに習得アクティブスキルに「兵器修理Lv1」が追加されていた。
もう1ポイントは取っておこう。何か問題が起きた時に解決できるスキルがあるのに覚えられないなんて状況になったら最悪だもん。
「ええと、トレースギアの修理……と……」
悠吾が習得アクティブスキルから、「兵器修理Lv1」のスキルをタップする。
だが、「スキルを発動して、修理する対象を選べば修理できる」程度に思っていた悠吾だったが、そこに次の問題が表示されてしまった。
「……必要……素材?」
「どうした悠吾」
悠吾が見つめるトレースギアをトラジオが覗きこんだ。
そこに映っていたのは、トレースギアの修理に必要な「素材」だった。
「トレースギアの修理に必要な素材だな」
「……素材?」
「トレースギアだけじゃなく、修理には素材が居るのよ。だから皆街に戻って修理するの。面倒くさいから」
首をかしげる悠吾に、そう小梅が言う。
確かに面倒くさい。摩耗した装備を修理するのに幾つも素材が居るなら、街に戻って修理した方が早くて良い。多分、この修理スキルは「いざというときのため」のスキルなんだろう。
「それで、必要な素材は?」
「……えーと」
小梅に促され、悠吾が表示された必要素材を読み上げる。
どうやら3つの素材が必要のようだ。
「『ダークマター』が4個、それに『石墨』が1つに『なめし革』が1つ……ですね」
後ろの二つはなんとなく想像できるけど、「ダークマター」って何だろう。
悠吾は読み上げながら首を傾げた。
「ふむ。大体判った。まずは……ダークマターから収集するか」
トラジオがゆっくりと立ち上がりながら言った。
トラジオさんの言葉から察するに、ダークマターも収集する物なんですね。
MMOゲームっぽい会話に、悠吾はこんな状況ながら持ち味の「鈍感力」でどこかワクワクしていた。
名前:悠吾
メインクラス:機工士
サブクラス:なし
称号:亡国者
LV:3
武器:Magpul PDR
パッシブスキル:
生成能力Lv1 / 兵器生成時に能力が+5%アップ(エンジニアがメインクラス時のみ発動)
アクティブスキル:
兵器生成Lv1 / 素人クラスの兵器が生成可能
兵器修理Lv1 / 素人クラスの兵器の修理が可能