第58話 インターバル その1
「え……金貨400枚を100枚に値切った?」
「そう! んで更に、別の情報まで奪ったのよ!」
信じられる!?
ラクーナの街から解放同盟軍のキャンプに戻るケネディジープの中、半ば興奮気味に小梅が運転するノイエにそう言った。
「すごいな悠吾くん」
「戦々恐々でしたし、僕もまさかここまで上手く行くとは思っていませんでしたよ」
「いや、あらためて思い起こすがあれは見事だった」
これほど肝が座った男だとは思わなかった。
悠吾の隣で腕を組むトラジオが低く唸る。
「しかし、言葉の端々からよくあそこまで判断出来たものだ」
「色々と作戦を練っていました。もしあそこでパムさんとの金額交渉で折り合いがつかなかった場合どちらにしても八方ふさがりになるなら勝負に出てみたんです。それに……」
ちらりとルームミラーでノイエの顔を伺いながら悠吾が続ける。
「ノイエさんが僕の話に乗ってくれたのが大きかったです。ノイエさんが同席していたら上手くいかなかったかもしれません」
「うーん、そうだな。悠吾くんの言うとおりその場にいたら……押さえつけていたかもしれないね」
冗談半分で笑いながらノイエが言う。
ノイエさんがあの場所にいたら「もう一度ノイエさんに交渉してみる」という逃げも使えなかったし、臨機応変に手を変えることも出来なかった。
「それに、小梅さんとトラジオさんも重要な役回りだったんです」
「……へ? あたし達が?」
なんで? ただビクビクしてただけなのに。
小梅はそう言う。
「小梅さん達にうろたえて貰った事で『裏が無い』とパムさんに思わせる事ができました」
それも成功した大きな要因の1つですね。
「なるほどな、事前に知っていた場合あの反応はできんな」
「です。敵を欺くにはまず味方からと言うでしょう」
悠吾の言葉にトラジオは思わず笑みを浮かべた。
パムの行っていた通り、大した男だ。
「しかし、上手く行って良かった」
「ですね。とりあえず明日の夜、パムさんから情報が来るはずですが……万が一という事もあります」
「……そうね」
悠吾が言いたいことを理解した小梅がこくりと頷いた。
情報屋が情報収集においてはプロフェッショナルだとはいえ、もしもの事は考えておいた方がいい。無理でしたって話になったら取り返しがつかないもん。
「明日の夜までにこっちで出来ることは進めておこう。出来る限りの情報収集と4つの街への同時攻撃の準備だな」
「はい。考えたくは無いですが、最悪の状況に陥る可能性があるという前提で動きましょう」
ノイエに悠吾が静かに答える。
できることをやらずに天に祈るだけと言うのは僕の性に合わない。
でも出来うることを全てやった今は結果を天に委ねるしかない。正に、人事を尽くして天命を待つ、だ──
悠吾の言葉に全員がひとつ頷くと、ぴりと緊張の空気がケネディジープの車内に張り詰めた。
***
パムとの交渉を済ませ、解放同盟軍の拠点の森に戻った悠吾はどっと津波のように襲ってきた疲労感に思わず倒れこんでしまった。
ゲームの中であるこの世界に「疲労」という概念は無いはず──そう言うノイエだったが、確かに現実世界と同じく疲労感で憔悴している悠吾の姿に納得せざるを得なかった。
静かな森の中、天を仰ぐ悠吾の頬を静かにやさしい風が撫でていく。
元々森を切り開いて作った解放同盟軍のキャンプには幾つもの休憩場所が存在している。
例えば切り倒した樹木の切り株だ。
丁度良い大きさの切り株に腰を降ろした悠吾はそのまま寝転がり、風でざわめく木々達の隙間から覗くきらきらとした宝石のような陽の光を見つめていた。
陽はすっかり傾き琥珀色に染まっている。
きっと今頃パムさんと情報屋のメンバーは情報収集の為に動いているのだろうか。
「……悠吾?」
ぼんやりとそんな事を思っていた悠吾の耳に彼の名を呼ぶ声が届いた。
きょろきょろと辺りを伺いながら現れたのは、小梅だ。
「小梅さん、ここです」
「あ、居た」
ちょっと探したわよ。
小梅はそう言いながら、するすると悠吾が寝転がる切り株の端にちょこんと腰を降ろした。
「てか、大丈夫?」
「はい、少し休んだので大丈夫です」
「この世界に疲れとか無いはずなのにねぇ」
変なの。
くるくると大きい瞳で悠吾の顔を覗き込みながら小梅がそう言った。
そう言えば、ラクーナの街でも必要ない睡眠に時間を取って、寝坊までしてしまった。
ひょっとするとこれも相違点なのだろうか?
「ノイエがメンバーを分けたみたい」
「え? 4つの街に攻める小隊のメンバーですか?」
悠吾の言葉に小梅は無言で頷く。
「ま、あたしたちは一緒みたいだけどね」
「……そうですか」
「何よ、嫌なわけ?」
ため息混じりでそう漏らす悠吾に小梅が食って掛かった。
「いえ! 逆ですよ! ここまで一緒に戦ってきましたからね。一緒のほうがいいです」
「……ぷっ、そうね」
一瞬頬をふくらませた小梅だったが、悠吾の言葉に安心したように安堵の表情を浮かべた。
あたしとクマジオと悠吾。あの多脚戦車を切り抜け、ワルキューレの奴らを蹴散らしたあたし達はもう一端の小隊だと思うわよ?
「……というかさ」
ぽつりとそう続けた小梅に、悠吾はふと視線を送る。
小梅は何かを考えているのか、静かな時間を纏いながらすこしツンとした真面目な表情を浮かべていた。
長い睫毛に大きい瞳。小さく形の良い鼻に潤んだ唇。
ついしげしげと見つめてしまったその小梅の端整な横顔に、不意に悠吾の胸がどきりと高鳴ってしまう。
「な、何でしょう?」
「正直な所さ、見なおしたわ。悠吾の事」
「え?」
さすがに顔を見ては言えないのか、少し恥ずかしそうに目を泳がせながら、正面を向いたまま小梅がそう言った。
「さっきの情報屋との交渉もそうだけどさ、よくよく考えたらあの坑道でも、あんた心臓に毛が生えてンじゃないかって思うくらい度胸あったもんね」
あんたが居なかったらあたしたちとうの昔に死んでたかも。
そう続ける小梅に悠吾は驚いたように深く息を飲み込んだ。
「か、買いかぶりですよ。だってほら……」
小梅に見えるように悠吾はひょいと体の前に掌をつきだした。
まるで女の子の手の様に細く華奢な悠吾の手。その手が小さく震えているのが小梅の目にもはっきりと分かる。
「震えてんじゃん」
「はい。僕は元々小胆な男なのです」
小梅さん達があの場所に居たから僕はあんなことができた。
悠吾はそう続ける。
「ぷっ……だったら、あたしも少しは悠吾の力になれてたってことか」
くすくすと笑いながら、小梅は細くなった目でいたずらっぽく悠吾を見る。
「もちろんです」
守るべき者が居る男は強くなる──
そう言っていたのは誰だったっけ。会社の先輩だったかな。
だけど、今ならその言葉の意味が判るきがする。
笑顔でそう答えながら、悠吾はそう思った。
「……ねぇ悠吾、あたしたち現実世界に戻れると思う?」
くすくすと踊っていた笑い声が波が引いていくように消え去った後、小梅はそうぽつりと呟いた。
一体どうしたというんだろうか。突然。
「どうしたんですか、急に」
「いやさ、ラウルとユニオンの話をノイエから聞いたじゃん?」
「ラウルがユニオンの傘下に降る、って話ですか?」
悠吾の問いかけにこくりと小梅が頷く。
「その話を聞いたらさ、どこにも味方が居ないあたしたちノスタルジアは一番現実世界に戻れる可能性が低いんじゃないかって思ってさ」
そういう小梅の目に滲んでいたのは不安と恐怖。
ノイエさんの話では、ユニオン連邦が現実世界に戻るための方法を見つけつつあると言っていた。だからラウルは彼らの傘下に降るとも。
ユニオンと敵対する事は、現実世界に戻る方法から離れていくのではないか。
小梅さんはきっとそう思っているんだろう。
「アジーさんの言葉」
「え?」
答えになるかわからないけど。
そう付け加えて悠吾が続ける。
「アジーさんが亡国者の称号を持つプレイヤー達を最後まで国外に脱出させていた理由って覚えてます?」
「もちろん」
現実世界で待つ生徒達に胸を張って会う為。だから自分の中の正義を貫いた。
「僕もそう思うんです」
「……胸を張って戻る、って事?」
「ええ。ユニオンのように周りを不幸にして現実世界に戻れても、胸を張って元の生活に戻れないと意味がないでしょう」
小胆の僕なので、余計にです。
そう言う悠吾に思わず小梅は吹き出してしまった。
「後味が悪くて夜も眠れなくなりますよ」
「あはは、確かにそうだね」
「……大丈夫ですよ小梅さん」
安心してください。
そう言ってじっと自分を見つめる悠吾の姿に今度は小梅の鼓動がひとつどくんと高鳴った。
「絶対もどれます」
そう言い切る悠吾。
その言葉が何故かとても安心でき、本当にそうなるかのような錯覚がした。
「……あー、なんか悔しいけどさ、あんたにそう言われると……安心しちゃうわ」
あたしらしくない。
そう言って小梅は恥ずかしそうに足をぱたつかせながら木々の隙間から見える琥珀色の空を見上げた。
何か言葉を返そうかと、言葉を紡ぐ悠吾だったが結局小梅と同じように天を仰ぐ。
それで十分な気がしたからだ。
「ねぇ、悠吾?」
「何でしょう?」
「もし現実世界もどったらさ……」
ぽつりとそう囁く小梅。
その言葉を悠吾の元へ運ぶように、木々の間をひゅうと冷たい風が吹き抜ける──
だが、その風は続くべき小梅の言葉を悠吾の耳に運ぶことは無かった。
「何ですか? 小梅さん」
「……いや、なんでもない」
今は、まだ。
そう心の中で自答しながら小梅は心を落ち着かせるように軽く深呼吸をした後、もう一度天を仰いだ。
現実世界と変わらない朱色に染まる綺麗な空が小梅と悠吾の瞳に映っていた。
***
戦場のフロンティの世界は、それから若夜を迎え、熟夜を過ぎ新しい朝を迎えた。
パムが指定するのは今日の夜。
万が一の事を考えて解放同盟軍のメンバーと作戦を練るノイエだったが、まるでベヒモスのクランマスター、ラノフェルはそれを狙っていたかの如く会議の場は大荒れになった。
失敗は死を意味する。
その為、解放同盟軍のメンバーと幹部たちは自ら結論を口にすることを避けた。
4つ作る小隊のうち、1つはノイエ、そして1つは悠吾がまとめる事にはなったが残り2つがまとまらない。
──出来るならば誰かが先導してこの作戦を決行し、成功させて欲しい。
そういった考えが滲み出している会議の参加者にノイエはただ苛立ちが募るばかりだった。
高く登った太陽は赤いテラロッサの大地を柔らかい眼差しで見つめ、やがてその役目を終えた太陽が地平に沈みかけても……結論は出なかった。
情報屋から情報が来るのであれば、決める必要は無いだろう──
そんな無責任な発言さえもあった。
「おつかれさまですノイエさん」
「ああ、悠吾くん」
琥珀色から次第に青みが深くなりつつある空の下、会議が行われていたテントの外で一息ついていたノイエの傍らに悠吾が姿を見せた。
テントの中では誰もがなすりつけ合いを行っている罵声が飛び交っている声が聞こえる。
ノイエも悠吾もすでに辟易していた。
「なかなかまとまりませんね」
「そうだな。まぁ、彼らは元々ただの1ゲームプレイヤーにすぎないからね」
仕方のないことだ。
苦虫を噛み潰したような表情でノイエはそう言う。
「だが安心していい。最悪、強権を発動しチームを編成する」
だが、強制的に決めてしまえば反発が起きる。失敗が許されないこの状況で組織自体が瓦解するのは避けたいが……そうも言ってられない。
「パムさんから情報が来ることを祈りましょう」
「そうだな。情報が来れば行動するだけだ」
なすりつけ合いだけで自ら動こうとしない彼らに頼らず、僕達だけで行く。
ノイエはそう付け加えた。
「でも、正直怖いです。僕は元々戦う術を持っている人間ではありません。ただのしがないサラリーマンです」
「気にするな。僕も君と同じように怖い」
だけどね。
ノイエはそう付け加え、続ける。
「誰かがやらなきゃならない。そして誰もやらないなら、僕がやる。後悔はしたくないからね」
決意に満ちた視線を送るノイエに悠吾も鼓舞されるように力強く頷いた。
希望とは今の状況を受け入れようとする意思から生まれてくる物だ──そう言葉を残したのはチェコの初代大統領だったっけ。
ルシアナさんを救出した先に見える光は小さな光だけど、それは紛れもない希望の光だ。
「……そろそろ時間か?」
「ですね。もうすぐ若夜を迎えます」
そして、パムさんから返答が来る時間。
それは良い返答か、それとも悪い返答か──
答えが見えない恐怖に怯える悠吾のトレースギアが静かにメッセージの受信を知らせたのは直ぐだった。