第56話 交渉 その1
念のため情報は出来るだけ伏せてメッセージを送った悠吾だったが、廃工場であった情報屋の男、パムはその話に直ぐ飛びついた。
ひょっとすると情報屋に所属しているプレイヤーは現実世界の企業の様にノルマか何かが設定されているのだろうか。
パムから直ぐに送られて来た「一時間後にそっちに行く」というメッセージを見て悠吾はそう思った。
「ノイエさん、情報屋の男にこの場所を教えても構わないでしょうか?」
トレースギアに届いたパムのメッセージをノイエに見せながら悠吾はそう言った。
「いや、それはやめておこう。出来るだけこの場所を知られたくない。指定場所はラクーナの街に」
「判りました」
やっぱそうですよね。
情報屋が狩場の情報以外もやりとりしているとわかった以上、彼らにここの情報を与えるのは危険ですよね。
「それと悠吾くん、資金は用意できそうだ。……そう多くは無いが」
「どの位ですか?」
「金貨で150枚ってところだ」
150枚──
その枚数を聞いて悠吾は表情を崩せなかった。
普通に考えたら何でも出来そうな位の金額だけど、情報屋の首を確実に縦に振ってもらうには少し心もとないかも知れない。
情報屋は提供する情報の価値によって金額が大きく変わるらしい。先日ノイエさんが依頼した内容で金貨20枚程と言っていた。
今回依頼するのはノスタルジアの行く末を左右するルシアナさんを救出する為の調査、それも短期間での調査依頼だ。法外な値段を言ってくる可能性は高い。
少なくとも300位はあったほうが安心だけど……でも、ないものを言ってもしょうがないか。
「情報屋と会うのは僕にまかせてもらってもいいですか?」
「かまわないけど……理由を教えてくれないか?」
他のメンバーにも説明する必要がある。
ノイエはそう言った。
「はい。単純に金額交渉において、決済者はその場に立ち会わない方が何かと交渉に有利なので」
「ああ、成る程」
そう言われればそうか。
悠吾の言葉にノイエは妙に納得してしまった。
「なんだ悠吾、交渉事は得意なのか?」
「そこまでじゃありませんが会社では広告担当でしたからね。金額交渉事はしょっちゅうでした」
「交渉はお前の得意分野というわけか」
合点がいった。
トラジオがそう唸る。
「んであんたが交渉している間、あたし達はどうすればいいわけ?」
「小梅さん達はできれば僕といっしょにその場に立ち会ってもらいたいです」
「……え、あたし達も何かやるの?」
あたし、そんな交渉事とか無理だよ?
そう言って焦りの表情を浮かべる小梅に悠吾は思わずくすりと笑みをこぼしてしまった。
「大丈夫ですよ。小梅さんとトラジオさんはその場に居るだけです」
「……居て何をするのだ?」
「ええと……いえ、周りに知っている人が居たほうが安心するだけです。僕が」
単純に心細いので。
堂々とそう零す悠吾に小梅はがっくりと項垂れてしまう。
「……はぁ。あんたってば、頼りになるのかならないのかマジでわかんない」
「そ、そんなこと言ったって……それに、人が多い方が交渉事を有利に運ぶ事ができるんですから」
じとりと冷たい視線を送る小梅に悠吾は慌ててそう零した。
何事も人が多い方が有利なんです。
「……んー、それは否定しないけど」
「うむ、俺も交渉事は苦手だからな。居るだけで良いならば引き受けよう」
小梅に呼応してトラジオも腕を組み、そう答えた。
というかトラジオさんって交渉事が苦手なのか。まぁ、そんな感じはしますけど。
「トラジオさん、現実世界では自営業って言ってましたよね? 自営業って交渉の毎日じゃないんですか?」
「そ、そうなのだがな」
なにやら曖昧な言葉を返しながらトラジオが塞ぎこむ。
前も仕事について結局何も語ってくれなかったから、ひょっとするとあまり話したくないのだろうか。
「あー、そう言えばクマジオの仕事、当てて無かったわ」
思い出した、と悠吾の言葉に小梅の目がいたずらっぽく光る。
……ああ、小梅さんの独りゲームがまた始まるワケですか?
「時間はあるからね、絶対当ててやるわ」
覚悟しなさい、と意気込む小梅はそれからラクーナの街に到着するまで次々と職業の名を口にしていったが──結局トラジオの仕事を当てる事は出来なかった。
***
あの廃坑にほど近い街ラクーナ。再度この街に戻るとは思わなかった。
レンガ造りの建物達をぼんやりと見つめながら悠吾はそう思った。
出発した時には天高く登っていた太陽は次第に傾きはじめている。これから日が暮れて若夜になり、熟夜を迎え、そして朝が来る。
そうなればもうタイムリミットまで3日しか無い。
──これから行うパムさんとの交渉に失敗は許されない。
「リラックスしろ、悠吾」
「……えっ?」
パムとの面会場所に選んだ街の中心に位置する広場のカフェテリアのテラス。
ゆったりとした時間が流れる中、神妙な面持ちで彼の到着を待っていた悠吾を見てトラジオがそう声をかけた。
「大丈夫だ、お前ならやれる」
にい、と笑みを作ってそう言うトラジオに優吾は小さく頷くものの、その表情は硬いままだった。
レンガ作りの雰囲気あるカフェテリアだったけど、ぶっちゃけそんな事気にしていられないほど僕は緊張してしまっています。
そう心の中で呟く悠吾だったが、緊張しているのは彼だけでは無いようだった。
「ゆゆゆ、悠吾、こういう時はね『緊張しちゃだめ』って思ったら、だだだだ駄目なんだって」
何故か悠吾以上にかちこちに固まっている小梅が、視点の定まっていない表情でそうまくし立てる。
「え、そうなんですか?」
「そそそそうよ。ほら、ピッピピピンクのライオンを想像しないで下さいって言っても想像しちゃうでしょ? だから、リリリラックスしてって思うのが、良いんだな」
「……俺は先ほどそう言ったのだが」
変な口調になっている小梅にぽつりとトラジオが冷静な一言を放つが、小梅にはその言葉も届いて居ないようだった。
小梅さんは交渉事とかが本当に苦手なんですね。
……あーでも、なんか小梅さんを見てたら緊張がほぐれました。身を犠牲にした行為、ありがとうございます。
『そろそろ来る頃か? 悠吾くん』
あふれる笑みを必死に押さえ込みながらそわそわと落ち着かない様子の小梅の姿を見ていた悠吾の耳に小隊会話でノイエの声が届いた。
彼はこの場所から見えない丁度カフェテリアの反対側に停めたケネディジープの中で待機している。
この場に居ない方が良いとはいえ、万が一何か起きた時に判断を下す為だ。
『ええ、でももうすぐのはずです』
『何かあったら連絡してくれ』
『判りました』
悠吾はそう答えながらも、この交渉は自分の力でまとめなくてはならないと思っていた。
交渉事で何かあるとすれば、それは金額で折り合いがつかない場合だろう。
パムさんが希望する金額がこちらの想像を超えていた場合、ノイエさんに追加のお金を出せないか相談すべきだろうけどそれは無理な話だ。
後がないこの状況でノイエさんが出し渋りなんかするわけがない。今解放同盟軍で用意できるのは150枚の金貨だけ。
ノイエさんは口に出さなかったけど、この150枚の金貨を集めるだけでも相当苦労したんだと思う。ノスタルジアが滅んでしまいマイハウスに戻れない事から、各プレイヤーの元を回って手持ちのお金をかき集めたに違いないからだ。
──次は僕が頑張る番だ。
「悠吾」
と、ぽつりと放たれたトラジオの声に悠吾はふと我に返った。
トラジオはじっと悠吾の背後に視線を送っている。
「彼が来た」
「あ……」
続けてそう言ったトラジオに、サラリーマンの癖なのか悠吾は飛び上がるように席を立つと背後から近づいて来ていたパムにかしこまりながら視線を送る。
確かにあの廃工場で見たシュマーグを巻いた短髪の男だ。
「パムさん」
「またお前達に会えるとは思わなかったぜ」
ぽんと悠吾の肩を叩き、悠然とパムは悠吾達の正面に置かれた椅子にどかりと腰を降ろした。
「わざわざすいません」
「いや、こっちこそ。まさか本当に依頼してくるとは思わなかった」
くつくつと小さく笑いながらパムがオイルライターのフリントホイールを剃ると、心地よい炎が炊かれた音と共に、煙草特有の植物を焼いた臭いが辺りに立ち込めた。
「……いや、それよりお前達が本当にあの場所を脱出できるとはな」
「パムさんに頂いた情報のお陰ですよ」
「持ち上げるのが上手ぇな」
ぷかりと紫煙を1つ吐きながらパムがそう言った。
そう吐きながらも悪い気はしていなさそうに見える。
──交渉はここからだ。
口を噤んだままのトラジオと小梅を横目でちらりと見た後、ひとつ深呼吸をして悠吾は続ける。
「あれから仕事の方はどうですか?」
「仕事? 情報屋のか?」
「ええ、そうです」
「……まぁ、ぼちぼちって所だな。ウチには上客が居るから食いっぱぐれる事はねぇけどよ」
からからと笑いながら、パムが言う。
「そうなんですね。お忙しいのに申し訳ありません、変な依頼をだしちゃって」
「いやいや、久しぶりのでかい案件だからな。気合入れて来たぜ?」
そう言ってパムはテーブルに設けられた灰皿にぎゅうと煙草を押し付け火を消した。
一際強いつんと鼻にくる煙草の臭いが、ちりちりという優しい音とともに悠吾達を包む。
「……それは有難いです。では早速こちらからの依頼をお話させていただきます」
「人探し、だったか」
「はい、調べていただきたいのはノスタルジア王国のGM、ルシアナさんが囚われている場所です」
単刀直入にそう言った悠吾の言葉に、パムの目が鋭くなったのがはっきりとわかった。
「……GM? そりゃぁ、どういう事だ?」
「僕達が所属する国家のGMがラウル市公国のとあるクランに誘拐されてしまったんです。そして彼らは交戦フェーズの前に彼女の身柄をユニオン連邦に引き渡そうとしています」
すらすらとそう言葉を放つ悠吾に、思わず小梅もトラジオも肝を冷やしてしまった。
これはトップシークレットに近い情報だ。それを包み隠さずこの男に言っていいものなのだろうか。
「それは初耳だな」
「はい。多分、ノスタルジアプレイヤーとラウルプレイヤーしか知り得ない情報だと思います」
「なるほどね。それでそのGMの居場所を俺たちに探せ、と?」
それも、交戦フェーズが始まる前に。
これは良い金になる。
そう感じたパムは思わず笑みを浮かべてしまう。
「ええ、できれば明日中に」
「そりゃそうだろうな。時は金なりだ」
「正にです。こちらで目星を立てている場所は4箇所あります。その何処かに居ると思われるルシアナさんの情報を……」
「まぁ待て」
その前に1つ確認したいことがある。
そう言って悠吾の言葉を遮るように、パムが手で制した。
「念のため聞くが、俺たち情報屋は何処の国家にも属せず、中立の立場を取ってるのは知ってるよな?」
「……はい、知っています」
情報屋はどこの国家にも所属しない組織──
はっきりと聞いたわけじゃないけど、多分そうじゃないかと思っていた。
何処かの国家に寄り添う事はその他の「顧客」を失う事になり、ビジネスの幅が狭くなってしまうからだ。
「なら話は早い。今回の依頼ははっきり言ってノスタルジア国家復興の手助けに成りかねない依頼だ。普通なら受けることは出来ねぇ」
そう言ってパムは2本目の煙草に火を付けた。
「言いたいことは判ります、パムさん」
そして貴方がこの交渉のイニシアチブを取ろうとしている事も。
「……だがまぁそうだな、受けてやらん事もない」
パムはそう言ってぷかりと煙を空に吐くと、どんと椅子の背もたれに背中を預け、オーバーアクション気味に肩を竦めた。
やはり交渉事に慣れている人だ。今、パムさんの頭の中では電卓が打たれているはず。通常は引き受けない依頼、短い期間、そして重要性──
法外な金額を提示されると思った悠吾は先手を打つように言葉を放った。
「パムさん、報酬金についてですが」
「ああ、こりゃあ相当骨が折れる依頼だからな。報酬金は……」
「金貨100枚でお願いしたいです」
それ以上は出せません。
凛とした表情でパムに視線を送りながら、そう悠吾が言い切った。
「……100枚、だと?」
悠吾の言葉にパムの表情が曇る。
明らかに少ないとその目が語っている。
「これ以上は出せないんです。これが僕達が提示できる精一杯の金額です」
この金額で受けれるのであれば、依頼します。
悠吾はそう続ける。
「……」
だが、悠吾のその発言で焦っていたのは他でもない、この場に居合わせていたトラジオと小梅だった。
悠吾は一体どこからそんな自信が出てくるのか。このパムという男が「無理だ」と断ってしまえばそこで終わりのはず。
それに、限度額は150枚のはずなのに、なぜ100枚が限度だと言うのだろうか。値切るにしてもまずはパムが提示する金額を聞いた上ですり合わせるのが普通ではないのか。
「ハッ、ずいぶん安く見られたもんだな」
ここまで笑みを浮かべていたパムの表情が苛立ちに包まれる。
「本当に申し訳ありません。本当に心苦しい話ではあるのですが、僕達に用意できるお金はそれが限度でして……」
「ノスタルジアのGMはそんな安いもんじゃねぇだろ。少なくとも金貨400は貰うぜ?」
「よ、よんひゃ……」
その金額を聞いて、小梅は卒倒しそうになった。
確か用意出来ているのは金貨150枚。ぜんっぜん足りてないじゃん。
「……100枚ではお受け出来ませんか?」
「出来ないね」
相手はノスタルジア王国のGMだ。金はもっと有るはずだろ。
余裕の表情でそうたかをくくるパムだったが、続けて放たれた悠吾の言葉にその空気が一変してしまった。
「……そうですか。それは残念です。僕としてはお世話になったパムさんにお願いしたかったのですが……今回は縁が無かったと言う事で」
あろうことか悠吾は「それでは」と軽く一礼すると席を立ちくるりと踵を返してしまった。
その場にいる誰もが予想だにしなかった言葉。
残された3人は体温が急に下がったような気すらしてしまった。
「ちょ、ちょっと悠吾!」
「おい待て! 悠吾!!」
全く訳がわからない小梅とトラジオは悠吾を追うように席を立つ。
一体どういうつもりなのだ。何故こうも簡単に引き下がる。
そう思ったトラジオだったが、それは独り座ったままのパムも同じ心境だった。
情報屋として幾人と交渉のやりとりをしていたパムでさえ、まるでたぬきに化かされた様にわけもわからぬまま唖然と呆けていた。
なぜそこで引き下がる。
喉から手がでるほどその情報が欲しいんじゃねぇのか。
「ま、待てッ!!」
次の瞬間、テラスに響いたのは──パムの叫び声だった。
その声に付近に居たラウルプレイヤーと地人達が何事かと悠吾達の方へと視線を移した。
「……席に戻れ小僧。話は終わっちゃいねぇ」
「……え?」
パムが吐き捨てる怒りが滲んだその意外な言葉に、振り向いたトラジオと小梅の目は点になった。
いや、どうしてあんたが逆に止めるのさ。
お願いするのはこっちでしょ。
このわけの分からない状況に憔悴してしまった小梅。
しかし、その後ろに立つ悠吾は違った。
小梅達の奥からパムに向けているのは、まるで波ひとつ立っていない水面のような静かな表情──
ひゅうと吹き抜ける風は冷たさを増し、いつの間にかラクーナの空は夕暮れに片足を入れている。
残された時間は後わずか。
タイムリミットは残り3日と半日だ。