第48話 とある少女の告白 その1
長くなったので2つに分けて投稿します!
とある女性の物語です。
『君がネットゲームの世界にハマったきっかけって何?』
昔からこの場所にいるクマのぬいぐるみ「くまっち」の横、機械音痴の私の部屋にひっそりと息を殺すように佇んでいるパソコンの画面に表示されているそのテキストを私はじっと見つめたまま、その問いへの答えをふわふわと浮いている風船をたぐり寄せるように記憶の中から掘り起こした。
ネットゲームは友達のリコにも彩香にも話していない、私の隠れた趣味。
話したら「いい年した女が男も作らず、独りでネットゲームって」って、きっと笑われちゃう。
だからこれは、くまっちしか知らない私の秘密なの。
なぜ私はネットゲームをやり始めたのか。
現実世界から逃げ出したいと思ったから?
私を特別扱いする全ての人たちから逃げ、他人との区別がつかないゲームの世界が住みやすかったから?
高校時代から「あんたは可愛いから」「君は特別」と言われ続けてきた。
大学ではミスキャンパスにも選ばれたし、そのお陰で一部上場の商社の受付嬢として就職する事も出来た。
そんな私も、もういい年だ。リコも彩香も結婚した。
人から見れば華やかな人生だったと思う。
だけど……これを言ったら非難されちゃうかもしれないけれど、正直辟易していた。
いつも特別扱いされ、期待されたレールの上をにこにことしながら進まなきゃ行けない義務感。私も普通に女友達と馬鹿を言い合って、普通にファストファッションを着て──普通に好きなヒトと恋をしたかった。
『んーと、秘密』
私はパソコンのウインドウに表示されたチャットウインドウにそう入力して「送信」を押した。
これは私だけの秘密。
私がネットゲームの世界に没頭することになった理由、それは──
***
「ねぇねぇ、崇ってば、川に飛び込んで子犬を助けたんだって!」
夏が終わって心なしか吹き抜ける風に透明感が出てきた10月のある日、2時限目の国語が終わった休み時間に噂を聞きつけたらしい友人のリコが私の机の前にどかんと勢い良く座ってそう言った。
「やっぱさ〜、イケメンはやることもイケメンだよね」
はぁ〜格好良いわぁ。
のぼせ上がっているリコが教室の一角を見つめてそうため息をついた。
リコが見てる先に何かあるのかと思ったけど、そこに居る崇君の姿はリコにしか見えていないみたい。
崇君というのは、私が通う高校で一番格好良いと言われているサッカー部のキャプテンの事だ。
ありきたりだけど、その技術とルックスから巷では日韓ワールドカップで一躍有名になったイギリスのサッカー選手、ベッカムになぞらえて「和製ベッカム」と言われているらしい。そのイケメン君が先日の雨で増水した川から流されていた子犬を助けたという。
「そうなんだ」
「なにそのうっすい反応」
学校一のイケメン君だよ? ベッカム様だよ?
罰当たりな奴め、と冷ややかな目で私をみるリコが可愛くて、ついそのほっぺに噛みつきたくなってしまう。
「確かに崇君は格好良いと思うけどさ」
「けど、何よ?」
正直な所、あまり興味が無い。心の中でそう叫んじゃったけど、彼にあこがれているリコの手前、何も言えないです。
3時限目の数学の教科書を机の中から出しながら私はそう思った。
「ああ、あれね、崇君は美貌の持ち主である私と釣り合ってない。そう言いたいんでしょ?」
「違いますぅ」
興味が無いだけですぅ。
とんとんと教科書を机の上で整えながら、私はわざと語尾を上げて冗談っぽく言う。
それがこれまで私が身につけてきた危機脱出の方法。
冗談っぽく言えば余計な煙は立たなくて済む。友達のリコの前でもそうしてしまう自分が嫌になってしまうのは仕方がない。
「でもさ、崇君って好きみたいだよ?」
「……好きって……私の事が?」
「そうそう」
にんまりとリコがあふれだす笑顔を作る。
崇君よりも私は貴女と付き合いたいわ。何その可愛い笑顔。私が男ならころっといっちゃいそう。
「無い無い。だって話したことも無いんだよ?」
「はぁ〜羨ましい。学園一のカップルじゃん」
リコの中では何故か私は崇君の事が好きになっているらしい。
なんともめでたい想像力の持ち主でいらっしゃること。
「そんなんじゃないったら」
そもそも話したことも無い人を好きになるワケがない。
もしそうだとしたら──彼は私を好きなんじゃなくて、私を形成する素材や肩書きが好きなだけ。
そしてリコはそんな表面上だけの恋愛関係になる事を期待している。
リコは可愛いし面白いから好き。
だけど、その片鱗が見えると辟易する。
リコだけじゃない。私の周りに居る人達は必ずその片鱗を持っている。それを見る度に私は自分の顔を傷つけたくなる。
だって、この顔が無くなってしまえばもう近寄ってくることもなくなるでしょ?
私の事を好きという崇君もきっとそう。
そう思うと、私の心は鈍い痛みといっしょにじゅくじゅくと熟れていった。
***
私が公園で小さな犬小屋を見つけたのはバケツをひっくり返した様に、じゃぶじゃぶと雨が地面を叩く早朝だった。
学校に行く時、いつも通る小さな公園。
不格好で今にも崩れそうな犬小屋。犬小屋があることは、だれかここで犬か猫でも飼っているということだろうか?
『崇君が子犬を助けたらしいよ』
リコが嬉しそうに言っていた言葉を思い出す。
確か、崇君が子犬を助ける為に飛び込んだという川はすぐ近く。
スポーツ万能で頭が良くて優しい。欠点は不器用な事。不器用なりに犬小屋を建てて隠れて世話をしているというのは彼のイメージにピッタリだ。
「あら、今日は女の子が居るわね」
ざあざあと雨音にまぎれて聞こえる女性の声が私の後ろから聞こえた。
後ろに立っていたのは中年の女性だった。何度か見かけた事がある。毎朝この公園で犬の散歩をしているおばさんだ。
「おはようございます」
「おはよう。今日は居ないみたいね」
「犬がですか?」
「その子犬を助けて、ここで世話している男子高校生。どっちもね」
雨が強いから別のところに避難させたのかしら。
そう言うおばさんの言葉に私はああ、やっぱりと頷いてしまった。
崇君が毎朝ここに来て世話をしているんだ。多分部活の朝練前に。
「その男子高校生って……」
なぜか聞いてはいけない事を聞いているような罪悪感に苛まれてしまい、私は口を噤んでしまった。
何なのだろ? この感情は何?
よくわからない感情がふつふつと湧き上がる心を押しとどめて、私は次の言葉を口にした。
「長身で肌が黒い短髪の男の人でしたか? サッカー選手のベッカムみたいな雰囲気の人です」
私は崇君の特徴をおばさんに話した。
遠くからでも判る、崇君の特徴。多分自分でも意識しているんだろうな。ベッカム様。
「うーん……そのサッカー選手は知らないけど、多分違うと思うわよ」
「え?」
違う? あれ、崇君って肌が黒くて短髪だったよね? 確か。
「普通の学生だったわ。何かこう、おっとりとした」
「おっとり……」
違う。絶対に。
崇君はおっとりとは真逆に位置する活発な人だ。
ここで子犬を世話している男子高校生って、崇君じゃ無い?
──と言うことは、川でその子犬を助けたって人も違う?
「何か特徴はありませんでしたか? その人に」
「そうねぇ。貴女と同じ高校の制服だったけど……あぁ、確かくるくるパーマに黒縁メガネをかけていたわ」
「パーマに……黒縁メガネ」
おっとりとした黒縁メガネの男子高校生。
そんな特徴の人は星の数ほど居る。だけど、くるくるパーマという言葉を聞いて私の脳裏にぽこっと現れたのは同じクラスの男子生徒だった。
名前は何って言ったっけ。
「犬好きな子だと思う。凄い子犬が懐いていたもの」
犬好きだって犬の方もわかるのよ?
目尻に皺を寄せながらおばさんがそう言った。
でもその人が子犬を助けたんだったら……どうして崇君が助けた事になってるのかしら?
「犬好きに悪い人は居ないわよ」
付け加えるようにおばさんはそう言った。
この歪んだ犬小屋を組み立てている崇君の姿が消え、その黒縁メガネのおっとりとした男子生徒の姿が目に浮かんだ。
崇君よりも、なぜかぴったりとはまっている。そんな気がした。




