第43話 足掻き その1
残骸の片隅に悠吾の手の感触を確かに感じた小梅は、その手をしっかりと握りしめた。
あたしと同じくらいに華奢な指。クマジオとくらべて同じ男の手なのかとおもっちゃうほど細い指。
その指の暖かさを感じながら、小梅は力いっぱいにそれを引きずりだした。
「悠……吾ぉッ!!」
しっかりしなさいよ、と吐き捨てながらずるりと悠吾の身体を引きずり出した小梅はすぐさまトレースギアで悠吾の状態を確認した。
体力は……よかった、まだ少し残っている。
瞬間的に安堵の表情を浮かべてしまう小梅だったが、悠吾に意識が戻っていないことを見て、ぴり、と頬が引きつってしまう。
「悠吾ッ! 起きてッ!!」
現実世界での常識から来る、人としての癖なのか、小梅は悠吾の胸に耳を当て心臓の鼓動音を確認するが射撃音や爆音が轟くここでは上手く聞き取れなかった。
まるで死んでしまっているかのように目を閉じたままの悠吾の姿に次第に小梅の身体に焦りと恐怖が滲み出していく。
どうしてなの? なんで体力は残っているのに、なんで意識がもどらないのよ……ッ!
『……クマジオ!』
『悠吾は無事だったのか小梅!?』
『わからない、体力は残っているけど、意識が無いままなのっ!』
どうしていいか判らない。
小隊会話でそう叫ぶ小梅にトラジオは落ち着かせるのが先決だと、自分が置かれた状況もよそに、静かにあやすように言葉をかける。
『落ち着け小梅。ロディとそっちに向かう。そこで見つからないように……』
『トラジオッ!!』
と、トラジオの声を遮るように響いたのはロディの声だった。
その次の瞬間、廃坑に轟いたのは小型VTOL機が放ったロケットが着弾し、エレベーターを吹き飛ばす爆音──
「クマジオッ!! ロディ!!」
地面を揺らすその轟音に思わず小梅が叫んだ。
舞い上がる黒煙、吹き飛ぶ砂塵。そして崩れるエレベーターの姿。
その光景に、小梅は言葉を失ってしまった。
『クマジオ! クマジオッ!!』
すがりつくように名を叫ぶ小梅だったが、返答は無い。
あんたまでやられたなんて言わないでよ、クマジオ。
慌ててトラジオ達の安否を確認しようと小隊メニューを開いた小梅の目に入ったのは、フレンド一覧に表示された兄の名前だった。
オフラインになったままだったが、思わずその指が兄の名前に指先を運ぶ。
いつもみたいに兄に助けを──
通じるはずもない兄への救助要請。
錯乱してしまっていた小梅はその名に指を下ろす。
が──
「駄目ッ……兄は来ない……」
馬鹿じゃないの、あたし。しっかりしなさいよね。
自分にそう言いながら小梅はトレースギアのメニューを閉じた。
誰も助けには来ない。悠吾達を助けるのは──あたしなんだ。
「……あたしが悠吾を守る」
絶対に諦めない。最後の最後まであがいてみせるんだから。
そう囁きながらクリスヴェクターを構える小梅の耳にもう聞きたくもないあの声が届いた。
「……おや、まだ諦めて無いのか?」
「……ッ!!」
嫌でも覚えてしまう、腹立つ声。
背後から聞こえた耳障りな声に小梅は咄嗟に銃口を向けた。
そこに現れたのはまるで、手下を引き連れる犯罪シンジケートのボスのようにワルキューレのメンバーを従え、薄ら笑いを浮かべるグレイス──
「被害は軽微。だが、まぁ頑張った方じゃねえか?」
なぁ、とグレイスの表情が愚弄するような嫌らしい笑みに変わる。
「……つか、お前よく見たら可愛い顔してンじゃねぇか」
「……ッ!」
小梅の顔を見たグレイスにさらに寒気がする程の不快な笑みが浮かべ、舌なめずりをした。
「ち、近づくなッ!!」
じり、と歩み寄るグレイスに小梅が「撃つよ」と銃を突き出し威嚇する。
が、グレイスはそんな事に怯む事なく、変わらない歩調と表情で目の前の獲物に近づいていく。
──ふざけんな変態野郎。
グレイスの冷たい目を見ながら威勢よく、そう心の中で吐き捨てる小梅。
だが、彼に向けた銃口は、かたかたと小さく震えていた。
***
「どうして君は誰かを助ける為に、自分を犠牲にするの?」
「え?」
確か昔、同じ質問をされた記憶があるな。
宝石のような瞳でじっと見つめる女の子を見て、悠吾はそう思った。
黒い艷やかな髪の毛先をワンカールさせている女の子。見覚えあるけど……誰だっけ。
顔を知っている女の子なんて数えるほどもない。記憶の川を遡っていく悠吾は、高校時代のシーンでぴたりと時を止めた。
──あ、美優さん。
この人、高校生の時に僕が密かに恋をしていた美優さんだ。いわゆる……初恋の人です、はい。
その事を思い出した悠吾をまるで歓迎するように、辺りが次第に色が付き、鮮やかさを増していく。
太陽が山の向こうに身を潜めながら、空を朱色に染めていく夕刻──
ふと気がついた時、悠吾は誰も居ない教室でそう問いかける彼女を見つめたまま、石のように固まっていた。
というか、なんで十年以上前に恋してた女の子と一緒に僕は高校の教室にいるんだ?
……というか、何してたんだっけ?
「……君に話してるんだけど」
「あ、えっと……」
美優の目にほんのすこし苛立ちが浮かんだのが判った悠吾は、身を竦ませ、鼻の頭をぽりぽりと掻きながら正解と思わしき答えを必死に考えた。
ええと、なぜ人を助ける為に、自分を犠牲にするのか。
うん、その答えはよく知っています。
「兄が原因だとおもいます」
悠吾はそう答えた。
多分、その時も同じ答えを返した気がする。
そして美優さんは──
「お兄さん? どうして?」
きょとんとした表情でそう返した。
記憶の通りだ。
これはあれだろうか、多分夢を見ていて、初めて好きな女の子と話した甘酸っぱいあの時の記憶を再現してるのですか?
──誰が?
「えーとですね」
言葉を選ぶような素振りを見せて、悠吾は記憶を辿る。
確か、あの時僕は兄の事を考えてそう答えた。多分。
僕には兄が居る。3つ年が離れている兄だ。僕と違ってスポーツ万能で、勉強も出来る、なんでも1人でこなし何でも1人で出来ていた兄だった。
親の期待を受けて、期待通りにこなす兄に僕は少なからず劣等感を抱いていたんだと思う。
現に、高校を卒業して専門学校に行きたいと言った僕に「お前は好きな事をやりなさい」と言う父の言葉も、「お前には何も期待していない」っていう言葉に聞こえた。
兄は特別な存在で、僕は平凡な存在。それが僕と兄の関係。
だから、1人では何も出来ない僕にとって、周りを助ける事はアイデンティティだった。
「なんというか、その、少しでも周りの助けになれば、居て良い理由になるでしょう?」
そう答える悠吾の言葉に美優はさらに首をかしげた。
答えになっているようでなっていない、女の子に話しかけられ頭が真っ白になってた僕はそんな事を答えたと思う。もっと上手く答えてたら、彼女といい感じになってたのかなぁ。
そんなことを他人ごとの様に考えながら、決められた台本を読むかの様に悠吾はそう答えた。
僕の記憶によれば、この後美優さんは「そうなんだ」ときらきらした笑顔を見せて教室を出て行く。
それが悠吾にとって最初で最後の憧れの美優との会話。今でも鮮明に覚えている苦々しい夕刻の思い出。
だが──
「そうだよね。人は、自分のことばかり考えてちゃ駄目だって私も思う」
「……え?」
ふうと小さく息を吐き、続けて紡いだ美優の言葉は悠吾の想定するものと違っていた。
目をぱちくりとさせ、もう一度記憶をたどる悠吾だったが、確かにあの時の美優さんの背中と一緒に覚えているのは「そうなんだ」というはらはらと舞い散る桜のような言葉。
「ほら、お風呂に入っている時、お湯をこーやって自分の所に引き寄せても溢れていっちゃうだけでしょ? だから、逆に周りにあげちゃえば暖かいお湯が自分に跳ね返ってきて」
ね? と腕をすいすいと漕ぐような素振りを見せ、美優が笑顔を零す。
人は自分の事ばかりを考えては駄目なの。
僕の説明と同じく、良くわからない説明だったけど、その言葉はなぜかじゅくりと心に溶けてくる気がした。
誰かを助けて、喜んでもらえることで「大丈夫なんだ」って思うのは本当だ。こんな僕でも力になれたんだって思う。
きっと誰かに認められたっていう、自己満足なんだろうけど。
だけど、この美優さんは「私もそう思う」と言ってくれた。
「でも悠吾君、自分の力じゃ周りを助けられない状況になったらどうする?」
「え? 自分の力じゃ……ですか?」
「うん」
そう言えば何か最近そんな事がよく起きていたような気がする。
なんだったっけ……何かとても大事で、大切な事のような気がする。
そうぞわぞわと何か引っかかる記憶をたどりながらも、悠吾は直ぐに答えた。
「うーん、多分……皆が助かるように足掻いて足掻いて……足掻きます」
「駄目だった時の事を考えずに?」
「はい、それは考えません。だって、そんな未来を想像しても何も良い事ないでしょう? その状況を切り抜ける為の解決方法を考える事に頭を使います」
でも、焦ってそうはいかないと思いますけどね。
──あの空を飛ぶ連中に襲われた時みたいに。
「……?」
空をとぶ連中って、何だ?
自答しながら、悠吾は首をかしげてしまった。
「変な人。あ〜だからあの子も好きになったのか」
「へ? あの子?」
くすくすと口を指で隠しながら笑う美優は、ひょいと悠吾の左腕を指さした。
ブレザーじゃない、黒い学生服を着ていた自分の左腕から見えているのは、オレンジのラインが丸く模られた時計。
「悠吾君のその考え、私も好きだよ。だから、少しアドバイス」
「アドバイス?」
悠吾の言葉に美優はこくりと頷く。
「良くわからないけど、そのアイテム、使えるようになったみたいだよ?」
「え? アイテム?」
何のことだろう、と左手に巻かれた時計に視線を落とした悠吾の目に飛び込んできたその光景。
丸いオレンジ色のリングの上に浮かんでいる「アイテムポーチ」という文字が書かれたウインドウに光り輝いていたのは、拳を天に突き上げたマーク──
「ジャガー……ノート?」
「……皆が助かるように、足掻いて足掻いて、足掻きまくるんでしょ?」
そう言う美優はいつの間にか大人びた顔立ちに変わっていた。
見たことの無い女性の顔。
だけど、きらきらした宝石のような瞳はそのままだ。
「助けますよ」
悠吾が答える。
その時、美優の顔から見知らぬ女性に変わっていたその顔が──小梅の顔とかぶった。
***
「どっちか選べよ、女。俺の女になるか、ここで死ぬか?」
簡単な二択だろ?
ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、グレイスはそう吐き捨てた。
「……ふっ……ざけないでよね。あんたの女になるくらいなら、後ろの連中に輪姦された方がまだましだわ」
いつもの軽口と共に、小梅は勝ち誇った笑みを浮かべる。
だが、それは明らかな虚勢だった。
我慢しなさい、と自分の身体に言い聞かせるも、グレイスが一歩近づく度に、背筋を伝うのは紛れもない恐怖。
小梅の両手は壊れた携帯電話のように、ただぶるぶると震えていた。
「言うじゃねぇか女。ま、そう言うならよ」
どうぞ、と言いたげにグレイスが両手を広げ一歩下がった。
まさか──
その仕草に小梅の心臓はどきりと跳ね上がる。そして同時に、顔から血の気が引いていくのが自分でも判った。
「……お前らの好きにしろや」
斬りつけるような冷めた目で小梅を見ながらグレイスが静かに囁く。
そう望んだのはお前だぜ。
サディスティックな目はそうも語っている。
「あんた……ッ!」
「おおっと!!」
殺してやる、とクリスヴェクターの引き金に手をかけた小梅だったが、突如背後から現れたグレイスと同じ戦闘服を着た男に羽交い締めされてしまった。
かくんと空を見上げた銃口が見当違いの方向へ弾丸を放つ。
「ちょ……何ッ……離せッ!!」
「これはいいモンもらったぜッ!」
がっしりと腰に回された男の腕を引き剥がそうとも額小梅だったが、体重が軽い小梅は男にひょいと抱きかかえ上げられてしまう。
「おー、上玉だな」
「こっち来てまるっきりご無沙汰だったからな」
ありがとうございますグレイスさん、とニヤけた表情で男達が各々そう口ずさむ。
冗談じゃない。こんな奴らに──
「うぅぅう……」
恐怖と怒りがにじむ表情で、呻きながら必死に男の腕を引き剥がそうと暴れる。
だが、がっしりと掴まれた腕を引き剥がすことは容易いことでは無かった。
「安心しろ嬢ちゃん、最初は優しくしてやっから」
ギャハハハ、と下品な笑い声が響き渡る。
悔しい。こんな馬鹿みたいな奴らに。
小梅の周りに群がる男達の間から見えるグレイスの卑下する目を見ながら小梅は怒りに震えた。
そして、ふつふつと胸の奥から沸き上がるのは小梅の本心。
虚勢で覆っていた、彼女の心。
助けて、お兄ちゃん。
助けてよ、悠吾──
そして、もうダメだ、と小梅が目を閉じたその時だった。
「……ッ!!??」
ばすん、と何かが吹き出すような音がした次の瞬間、まるで上空から巨大な黒い鉄の塊が降ってきたのかと思わんばかりの衝撃が小梅と男たちを襲った。
降ってきたそれに地面が割れ、空気が軋む──
「な、何だッ!?」
小梅を抱きかかえていた男も思わず手を離し、タボールAR21をその黒い何かに向けた。
ある者は衝撃で吹き飛び、またあるものは度肝を抜かれ、地面にへたり込んでいる。
その中心、そこに居たのは黒い人の形をした塊。
「……あ、あんた……」
ぽつりと小梅が呟いた。
くるりと背後を見やり、ぱっとその黒い塊に視線を戻す。
背後に居たはずの悠吾が居ない。
ということはこれは──
目を大きく見開いたまま、そう推測した小梅だったが、その推測は当たっていた。
ゆっくりと立ち上がる後ろ姿は悠吾の物だった。
だが、いつもの悠吾ではない。
足元からきらきらと灰色の装甲が現れ、次第に悠吾の身体を覆い尽くしていく。その装甲は六角形のスマートタイル型で構成され、薄灰色の磁性材料、フェライトで包まれていた。
それは小梅が見たこともない姿だった。
「小梅さんに汚い手で触れるなッ……お前らッ……!」
黒い装甲に覆われていく中、くるりと小梅の方へと顔を向けた悠吾の顔は今まで見たこともないような怒りに満ちていた。
そして、その表情は最後に現れた頭部を保護する同じ薄灰色のフルフェイスヘルメットの中に消えた。
『転送完了、システムチェック……電磁装甲の起動を確認、システムオールクリア。ジャガーノート、オンライン』
まるで潜水服のような装甲に覆われた悠吾のトレースギアがそう言葉を放った。
ジャガーノート──
これって、あの時、悠吾が「チャレンジ」で手に入れたアイテム?
尻もちを着いたまま、変わり果てた悠吾の姿に小梅は息を呑んだ。
『ダークマター残量30。起動可能時間は30秒です。──操作をプレイヤーに移譲します』
その声が途切れると同時に、がくんと悠吾の身体が揺れ、同時に反撃開始と言わんばかりに、ばしゅうと、背中に設けられた小型のロケットスラスターが火を吹く。
その姿に、男たちとグレイスの表情が引きつったのが小梅に、はっきりと判った。