第38話 アジーの想い その1
「……何故だルーシー。それに、アジーさんやロディは?」
静かにそう口を開いたのはトラジオだった。
あの時アジー達は「目の前で死んだノスタルジアプレイヤーを見て、助けたいと思った」と言っていた。だからこの廃坑で俺達を助けたんじゃないのか。
あの時、皮肉にも初めて会った時と同じようにこちらに銃口を向けるルーシーをトラジオは落胆とも取れる表情で見つめていた。
「……アジーはワルキューレが拘束した。ロディはワルキューレの連中と行動している」
「貴方まさか、アジーさんを売ったんですか」
ルーシーの言葉に、信じられない、と悠吾は眉を顰めた。
アジーさんとルーシーさんはPC版の戦場のフロンティアから付き合いがある古い仲だと言っていた。
その仲間をこの人は──売ったのか。
「なんとでも言え。お前達の命と現実世界に戻れる権利、その2つを天秤にかけて選ぶ方は──決まってるだろう」
「現実世界に戻れる権利……?」
ルーシーが放ったその言葉に思わず悠吾は反応してしまった。
確かに今、現実世界に戻れる権利とルーシーさんは言った。という事は、ユニオン連邦は国家的に現実に戻るための方法を探していると言う事だろうか。
そして、彼らはその方法に少なからず目星を付けている──?
「お前達に教える必要は無い。俺たちだけにその権利がある」
「……最ッ低」
低く唸る小梅にルーシーは「黙れ」と言わんばかりに銃口を突きつけた。
「アジーは甘くてお人好し過ぎなんだ。優先すべきは現実世界に戻る事と、この世界でいかにその時を安全に迎えるかだ。関係の無いお前達のようなプレイヤーに肩入れして……本当に馬鹿げている」
「……現実世界に戻る為に、あの残党狩りの連中にアジーと……俺達を売ったのだな」
「そうだ」
俺は間違っていない。
まだ傷が癒えない為に、小さく絞りだす様に言うトラジオに、ルーシーは引きつった笑顔でそう言った。
これは、悲劇だ。
ルーシーの姿を見て、悠吾はそう思った。
きっとルーシーさんは真面目で繊細な人に違いない。普通の人間であれば、復活があるとはいえ四六時中銃を片手に緊張の糸が途切らすこと無く地人やプレイヤーと殺し合いをやっていれば、悲鳴を上るのは身体ではなく、精神だ。
現実世界でも、常に極限状態にある戦場で精神バランスを崩し、虚脱状態に陥る兵士の例を書物や映画で見た事がある。多分それと同じ事がルーシーさんに起きてしまったんだろう。
「それで、あたし達をこのまま殺そうってワケ?」
ルーシーを睨みつけたまま小梅が吐き捨てるように言う。
「お前達の処遇はグレイスに任せる。俺がやるのはグレイスにお前達を引き渡すまでだ」
「……一番汚い部分を人任せにして、あんたは蚊帳の外で傍観するってわけね」
ほんと最低な奴。
そう続ける小梅だったが、意にも介さないといいたげに表情を崩すこと無く、ルーシーはただ悠吾達を見つめるだけだった。
一難去ってまた一難。
多分、ルーシーさんは小隊会話を使って、あの残党狩り達を呼び寄せているはず。奴らが来る前になんとかこの状況を打開しないと、また最悪の状況に逆戻りだ。
そう考え、再度思考を始めた悠吾だったが、そんな悠吾をあざ笑うかのように状況は刻々と悪化していく。
「ルーシー」
ルーシーの背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。
そして現れたのは、すらりとした背の高い女性──ロディだ。
その姿に悠吾は諦めに近い絶望感に襲われてしまう。
ルーシーさん1人であれば、強硬手段も1つの打開策に含まれていたけど、オーディンのメンバーだったロディさんが居るなら話は変わる。
強行手段は自殺行為──他の方法は無いか。
「ロディ。グレイスは?」
そちらを見ることなく、ルーシーが囁く。
さっきからルーシーさんが言っている「グレイス」というのはあの男の事だろう。多分、ロディさんは情報の伝令役といったところなのだろう。
「この事は伝えた」
変わらない冷ややかな視線でロディがそういう。
やはり出来ることは限りなく無いに等しい。ロディさんがグレイスという男に僕達の事を伝えたと言う事は、奴らは確実にこちらに向かっている。
やはり、決死の覚悟で打って出るかないか──
そう思い、悠吾がMagpul PDRを握りしめたその時だった。
「ルーシー……」
「……ッ!」
ロディのさらに背後から、小さく放たれた声がルーシーの耳に届いた。
そして、その後ろから現れた男の姿を見て悠吾は息を呑んだ。
彼女の背後から現れたのは──
「……アジーさん!」
満身創痍の姿で現れたのは確かにアジーだった。
つい先程まで、拷問でも受けていたのではないかと思うほど、アジーの戦闘服はボロボロに破れ、体力ゲージはほぼ空に近い状態でまるで幽鬼のように薄暗い闇の中に佇んでいる。
だが、その両目だけはギラリと輝いていた。
許さない。
その目はそう言っている。
「ア、アジー! どうしてここに……ッ!」
咄嗟にルーシーが銃口をアジーに向けた。
お前はワルキューレの連中が拘束しているはず。確かに俺は奴らに引き渡した。
「私が開放した」
「ロディ、お前……ッ!」
裏切ったな。
恐怖に怯え、頬をひきつらせながらルーシーが叫ぶ。
──危険な状態だ。
悠吾達、アジー、ロディへと銃口をせわしなく動かしながら興奮気味に叫んだルーシーを見て、悠吾はそう思った。
跳びかかって銃を奪い取ろうかと思ったけど、アジーさんが現れた事で事態は好転するかもしれない。
この状況で一番避けないと行けないのは、ルーシーさんに撃たれてしまう事。例え残党狩りに捕まったとしても、生きていれば絶対にチャンスはある。
そう考えた悠吾は「とりあえず様子を見ましょう」と小隊会話で小梅とトラジオに伝え、ひとまず成り行きを静観する結論に至った。
「僕がロディに開放するように頼んだ。……ルーシー、君のやったことは最低の行いだ」
「ううっ……」
ジリ、と詰め寄るアジーの気迫にルーシーは思わず一歩後ずさる。
「だけど、それをとやかく言うつもりはない。僕の目的はそこに無いからだ」
僕の目的は、悠吾君達の開放。そして彼らをこのプロヴィンスからの脱出させる事。
その言葉を発せずとも、言いたいことを理解したルーシーは、後ずさっていた足を止め必死の思いで続けた。
「ざ、戯言だ……お前の言っている事は偽善だ、アジー! お前だってこいつらを助けて、優越感に浸りたい自分の欲求を優先しているだけじゃないか!」
俺の欲求と何が違う!
ルーシーはそう叫ぶ。
「偽善じゃない……ッ! 人は自分の事だけを考えていては駄目なんだよルーシー。それが何故わからないんだ」
「……偽善じゃないだと!? 安全な場所にいるからこいつらの境遇を哀れんでいるお前の考えは偽善以外の何者でもないだろう!」
身の安全が保証されているからこそ、弱き者に手を差し伸べられる。それが違うというのであれば──
「こいつらと同じように、亡国者の称号を得たとしてもお前は同じことが言えるのかッ!?」
「…………」
真理とも言える一言。
ルーシーの言葉に沈黙が辺りを支配した。
ほら見ろ、何も返せない。
そう思いほくそ笑んだルーシーだったが、そんな空気をロディの言葉が切り裂いた。
「……ルーシー、アジーのステータスを見てみろ」
「何?」
何を言っているのか判らなかったルーシーだったが、ロディに言われるまま、トレースギアからアジーのステータス画面を開く。
そこに書かれていた事実──
そして、それにルーシーは絶句してしまった。
「ま、まさかアジー、お前……」
「僕はユニオンを離脱し、ノスタルジアのプレイヤーになった」
馬鹿な。あり得ない。
ルーシーは何かの間違いだ、と何度もトレースギアに表示されているアジーのステータスを確認するが、そこに表示されているものは紛れもない事実だった。
所属国家、ノスタルジア王国。称号──亡国者。
「戦闘状態にある国家への移籍は出来ないはずだっ……!」
「……これも相違点だよ、ルーシー。『滅亡した国家からの移籍』は出来ないが、『滅亡した国家への移籍』は可能なんだ。この世界では」
そんな事やるプレイヤーはそうそう居ないけどね。
そう囁くアジーに、ルーシーは茫然自失に陥ってしまった。
アジーの覚悟は本当だった。
彼の思いは偽善でも戯言でも無く、本心──
その事に気がついたルーシーは慄き、カタカタと震える腕を抑えることができなくなってしまった。
「ルーシー、間違っていたのは私達だ。覚悟したつもりでいた。だがアジーの覚悟はそれ以上だった」
もう以前のようには戻れないかもしれないが、それでももう一度、彼の想いを手伝おう──
静かにロディがそう囁く。
「……嘘だッ! あり得ない! 何故そんな自殺行為を……! お前は現実世界に戻りたくないのかッ!?」
「戻りたいさ。だけど、悠吾君達『亡国者』の称号を持ったプレイヤーを見殺しにして、彼らの犠牲の元に現実世界に戻れたとして……君はそれから胸を張って生きていけるか? 僕には……出来ない」
それが人というものだろう。僕達はただのゲームデータじゃない。1人の人間だ。
アジーのその言葉にルーシーは言葉を失った。
そしてただ、アジーとその事実を恐れ、それから逃げるように一歩、また一歩と後ずさるだけだった。
「もう賛同出来なくても良い。僕達を、悠吾君達を開放してくれ」
「や、やめろアジー、近づくな……俺は戻るんだ……現実世界に……こいつらを犠牲にしてでも」
カタカタと震える腕で構えた短機関銃をアジーに向けたまま、ルーシーが言う。
近づくなそれ以上。それ以上言わないでくれ。
懇願するようなルーシーの目に次第に畏怖の念が滲み出していく。
「銃を降ろせルーシー。君に人としての心が残っているなら……僕達を……」
「うるさいッ! 近づくなッ!!」
開放してくれ。
そう懇願するアジーにルーシーはついにもう下がることが出来ない壁まで追い詰められた。
そして彼は──
静かな廃坑内に再度鳴り響いたのは、甲高い乾いた音。
連射の位置にセレクターレバーを降ろしていたルーシーの短機関銃から吹き上がったマズルフラッシュが薄暗い闇に悠吾達とロディ、そしてアジーの姿を浮かび上がらせ、その銃口から発射された弾丸は──無情にも、アジーの身体を貫いた。