第34話 脱出の為に その4
悠吾達が滑り込んだ廃屋の内部は比較的原型が留まっている場所だった。
ぱらぱらと打ち付ける雨の音が響く窓はガラスが張られたままで、プレイヤーか地人が物色したのだろうか、荒らされているために物が辺りに散乱してはいるものの、その体裁は保たれたままだ。
『ここは……事務所か何かか』
『多分。この工場で働いていた人達を管理していた事務所じゃないでしょうか』
これがゲームであれば、この場所はそういう設定の元に組み立てられたデータの1つでしか無いとは思いますけど。
辺りを警戒しながら囁くトラジオに悠吾はそう返した。
そんなに広くは無い事務所だ。幾つかデスクが並べられているが、長い間誰も使っていなかったのか、雑草が生えている箇所もある。夕方で天候も悪いということもあり、薄暗い室内は何か薄ら怖い、異様な雰囲気を放っている。
『指定場所は2階だったな小梅』
『うん』
トラジオの問いに小梅は即答した。
小梅はこの廃屋に入ってすぐにトレースギアからMAPを確認していた。
初めてのフィールドに入った際には今置かれた状況を把握する──
それは基本にして最も大切な事だった。
『2階への階段は……あれね』
小梅が指さした先、デスクが並んだ部屋の奥に2階へつづく階段が悠吾達にも見えた。
『念のため警戒しながら行きましょう』
『そうね』
MAPを確認したけど、周りに敵らしき姿は無い。だけど油断はできない。
そう言う悠吾の言葉を受け、注意を怠ることなく、小梅を先頭に3人はデスクの脇を通り、部屋の奥に見えた階段を警戒しつつ登っていく。
『MAPに反応。……あ、でもこれ、ブルーの点だから、味方?』
先導する小梅がMAPに表示されたたブルーの点を発見したのは2階に上がって直ぐだった。
赤の点は敵対するプレイヤーか地人で、ブルーは友好的なプレイヤーか地人のサインだったはず。
『そいつが小梅の兄がいう「とある男」に違い無いな。行くぞ』
そう言って、先導を小梅と交代し、トラジオを先頭にそのブルーの点が点灯している部屋に歩き出した。ここから先、突発的な戦闘が起きる可能性がある為だ。
指定の部屋までは数メートルの距離。
そしてブルーの点が点灯している部屋は、「倉庫」と書かれた表札がかかった場所だった。
この向こうにその男は居るはず。
『ここだな』
『うえっ、ドアブリーチングなわけ?』
あたし、苦手なんだよね。
目の前のドアを見て小梅がしかめっ面でそう吐き捨てた。
『突入する必要はあるまい。敵がいるわけでもない』
あ、そっか、と小梅が安堵の表情を浮かべた。
通常、敵が潜んでいる部屋へ攻撃を行う際には、突入を行う。奇襲により、反応が遅れている敵を一気に殲滅・無力化する戦術だが、突入は危険な瞬間でもある。
内部の状況がつかめて居ない場合、トラップや予期せぬ攻撃により逆に窮地に陥る可能性があるからだ。
今の状況はまさにそれ──
だけど、クマジオが言うとおりMAPを見る限り敵影はないから、大丈夫かな。
トラジオの言葉に小梅はそう思った。
『……入るぞ』
そういってトラジオがゆっくりとドアのノブを回し、僅かに隙間を作り、HK416を差し込むようにしながら部屋へとゆっくり入っていく。
薄暗い室内。
捨てられた物なのだろうか、幾つか重ねられたダンボールが見えるだけで、人影はない。
トラジオがそう思ったその時だった。
「遅かったな。来ないのかと思ったぜ」
「……ッ!」
その声と同時に、オイルライターのフリントホイールが剃られ、ウィックにともされた優しい炎がその男の姿を薄闇の中に浮かび上がらせた。短く刈り込まれた短髪の男だ。タンカラーの戦闘服に、小梅と同じようにシュマーグを首に巻いている。
咄嗟に3人は、その方向へと銃口を向けた。
「おい、俺は敵じゃねぇよ」
勘弁しろ、とでも言いたげに男は火の着いたタバコを咥えたまま、両手を挙げた。
「お前は?」
「……合言葉を言え」
合言葉。
小梅さんのメッセージに書かれていた合言葉は確か──お兄さんの名前。
男が放った「合言葉」という言葉に悠吾はそう思い起こしながら、背後の小梅に視線を送る。
「合言葉は『ノイエ』よ」
「……良し」
小梅の言葉に男はひとつ頷くと己のトレースギアを開いた。
トレースギアを持っていると言うことは、この男はプレイヤーだ。
──そうだ。
プレイヤーと地人の違いを何処で判断すれば良いかと思っていたけれど、「トレースギアを持っているかどうか」という部分は判断基準の1つにしてもいいかもしれない。
ふと悠吾はそう思った。
「ノイエというのがお前の兄の名か、小梅」
「そ。本名をもじったの」
「へ?」
本名をもじった? ノイエって何かドイツっぽいじゃありませんか?
なんですか小梅さん、あなたは日本人じゃないとでも言うのですか。
小梅の言葉に悠吾はつい疑いの目を向けてしまう。
「な、なによ。その目」
「小梅さんって日本人ですよね?」
「そうよ。……井上っていうの」
簡単に本名を言い放つ小梅に悠吾は面食らってしまった。
あ、相変わらず警戒心の無い人だ。
でも、井上さんという名前なんですね。井上小梅というのが本名なのだろうか。
「井上……イノウエ……ノウエ……ノイエ」
「……ああ」
ね? とドヤ顔で言う小梅に悠吾はどっと疲れがこみ上げてしまった。
なんというか、ひねりも何もないですね。まぁ、本名をまんま使っている僕がとやかく言える筋合いはありませんけども。
「……あんたが小梅でいいのか?」
くだらないことを話す悠吾達の会話を遮り、男がぽつりと言った。
「ええ、そうだけど」
「お前の兄から金は貰っている。渡すのは……狩場『沈んだ繁栄』のMAPと、ラウル市への脱出地点の情報だ」
「……おお」
キラキラと光りながら、男の手に現れた1枚の地図を見て、思わず悠吾は感嘆の声を漏らしてしまった。
地下10階まで詳細に書かれた地図だ。
あの廃坑に入った時、トレースギアに周囲の地図は表示されていたけど、事前にMAPが判れば何処をどう行くかという戦略を練る事ができる。
「良いか……」
そう言って男はペンライトをアイテムポーチの中から取り出すと、そのペンライト左手で持ち、地図を照らしながら続ける。
「ラウル市への脱出口があるのは地下4階だ」
「地下4階!?」
あの時多脚戦車と戦ったあの場所だ。
あの場所の何処かに、ラウル市への脱出口があったのか。
「……なんだ、知ってたのか?」
「いえ。実は一度その場所に潜ってまして」
「ほう。……と言うことは、この場所の『危険』をよく知っていると言うことか?」
男が言っている意味が理解できた悠吾は静かに頷いた。
やっぱり僕が想定していた通りだ。
あの多脚戦車は脱出経路から逃げるプレイヤーを排除するためにあそこに居たんだ。
「どうやってあの化け物を切り抜けるか、そこが問題だと思うが、ラウル市への脱出口は地下4階にある事は間違い無い」
「……なぜそう言い切れる?」
ふと感じた疑問をトラジオが投げかけた。
見たところ、この男はユニオンのプレイヤーではない。所属国家には南方の小国「マーロウ」と書かれている。マーロウはノスタルジアやラウル市と同じく、ユニオンと敵対関係にある国家のはず。あの狩場で探索は出来ないはずだ。
探索が出来ないのに、その情報は何処から仕入れた。
「俺が只のプレイヤーじゃ無いからだ」
「……? どういう意味だ」
「俺は『情報屋』のメンバーだ」
「……ッ!」
男が放つその言葉に、悠吾は虚を突かれたように驚いてしまった。
情報屋。この男が。
確か小梅さんも廃坑の情報をその情報屋から買ったと言っていた。
「あんた情報屋なの? あんた達から買った『沈んだ繁栄』の情報であたしたち、とんでもない目にあったんだけど」
あの廃坑、全然低レベルの狩場じゃなかった。
恨みの篭った視線を小梅が投げつける。
──だが、男は変わらない表情のまま続けた。
「実はそういった話を最近よく耳にする。お前が買った情報がどこの物かわからんからなんとも言えんが……これを見た記憶は?」
そう言って男が取り出したのは、手帳のような物。
小さなマークと番号が記載された、まるで手帳のような物だった。
「なによそれ?」
「……やはりか。残念ながら、これを知らんと言うことは、お前が買ったその情報は俺たちが売った情報じゃない」
「……ッ! どういうことよ!?」
男の言葉に、思わず小梅は食って掛かった。
「お前は騙されたって事だ。俺たち情報屋は情報を売った際、かならず証明書となるこれを見せる。製作者名が『アイゴリー』になっている、情報屋だけが持っている会員証だ」
「製作者名? アイゴリー?」
また現れた聞きなれない情報に悠吾は小首を傾げてしまった。
「お前、生産職なのに知らねぇのかよ。製作者名ってのは、その名の通り、アイテムを作った生産者の名前だ。生成したアイテムには必ず作ったプレイヤーの名前が刻まれている。そして、アイゴリーってのは、ウチのボスだ」
「な、なるほど」
男の説明に悠吾は納得したと大きく頷いた。
情報屋のボスが作った会員証を持ってるプレイヤーから売られる情報はいわばブランドで守られた確実な情報というわけか。
でも、その情報屋みたいな物はPC版には無いと言っていた。
この世界に転生してから直ぐにそのブランドを築き上げたっていうのだろうか。
「ガセの情報を安値で売る奴らも居る。情報を買うならウチらにしたほうが身のためだぜ? 亡国者の称号をもつノスタルジアなら余計に、だ」
ニヤリと含みのある笑みを浮かべながら囁く男にトラジオが警戒の色を強めたのが悠吾に分かった。
だけど、流石情報屋といった所だろうか。すでに滅亡した国家に所属しているプレイヤーに与えられた称号の事を知っているなんて。
「肝に銘じておこう」
「ああ、そうしな……っと、すまん、ひとつ忘れてた」
そう言って男が小梅に視線を送った。
一体何なのかと、小梅が目を丸くする。
「……ノイエがお前に『必ず助ける』と」
小さく男がそう続けた。
小梅さんのお兄さんからの言葉だ。あのメッセージにも書かれていたけど、やっぱりお兄さんは小梅さんの身を案じていた。
つい嬉しくなってしまった悠吾だったが──
「……そう、ありがと」
あっさりとした返事を小梅は返した。
まるで、興味が無い、と言わんばかりの──
「こ、小梅さん」
思わず悠吾は小梅に詰め寄ってしまった。
なぜにそんなに反応が薄いのですか。
──そういえばあの時、メッセージを見た時も同じような反応だった。
一体なにがあったというんですか。
「……うるさいよ悠吾。ほっといてよ」
「ほっといてって……」
悠吾の言葉を待たず、小梅は悠吾を突き放した。
君はお兄さんから最初に来たメッセージであんなに落胆してたじゃないですか。
なのになんで? どうして?
「何か知らんが、俺がお前達に渡すものはこれで全てだ」
痴話喧嘩に巻き込まれるのは御免だとでも言いたげに踵を返し、部屋を出ようとする男だったが──肩を掴まれ足を止めた。
掴んだのは、トラジオだ。
「ひとつ良いか?……お前達『情報屋』というのは何なのだ?」
トラジオのその言葉に男の表情が硬くなったのが判った。
情報屋の正体とその目的は何なのだ。
「お前達はPC版の戦場のフロンティアには無かった存在だろう。情報屋とは、クランの事なのか?」
「……情報屋はクランじゃない。情報を金にして売る為に集まった多国籍の組織だ。このくそったれな世界で生きていく為にな」
これで満足か?
そう言いたげに男はニイ、と含みのある笑みを浮かべる。
だが、トラジオは直感した。
──この男は嘘をついている、と。
「……」
「フッ、そう怖い顔をするな」
つい表情がこわばってしまっていたトラジオに男が続けた。
そう言ってトラジオに渡したのは名刺のような小さな紙──
「これは?」
「俺のプレイヤーカードだ。情報が欲しかったら連絡しろ。ディスカウントは出来ないが、確実な情報を売ってやる」
そこに書いてあった名前、「パム」という名前に、硬くなっていた表情は崩れ、思わずトラジオは笑みを零してしまった。
厳つい姿に相応しくないなんとも可愛い名前だ。
トラジオの肩をポンとひとつ叩き、部屋を出て行く男の後ろ姿を見ながらトラジオはそう思った。
「……小梅さん」
と、男が去り、雨の音だけが響いていた部屋に悠吾の小さな声が木霊した。
一体小梅さんに何があったんですか。
再度投げかける悠吾が放った小梅の名前には、その意味が含まれているようだった。
「……うるさい。なんでも無いったら」
そして、同じ言葉を返す小梅。
情報は手に入ったから行こう、とまるで逃げるようにその部屋から出て行く小梅を悠吾とトラジオは只見つめるしか方法は無かった。