第29話 小梅の失意 その1
ベルファストの森──
その名の通り、小さな集落であるベルファストの村を覆う様に広がるこの森は、6,000エーカーを超える広大な原生林だ。この森の木々を求め、木工師が素材の収集に訪れることもあるが、その深い森に守られるように、その胎内では独自の進化を遂げた危険な野生動物も数多く存在するという。
「遅い! 遅いぞ!」
森に響き渡ったのは、低く芯の通った声。
その森の中で、独自進化した野生動物である、巨大な蜘蛛「アラクネ」を狩るプレイヤーの姿があった。
まるで教官のようにハンドガン「グロッグ26」を構え、いつでも援護出来る体勢を取りながら、じっと見つめているのはトラジオ。そして、巨大な蜘蛛の周りを動きまわり、撹乱しながら銃を撃っているのは悠吾と小梅だ。
「くそっ!」
「悠吾、逆っ!」
でかい図体のくせに、意外と素早い動きをする。
小梅の声で、逆周りに走りだした悠吾はそう思った。
「油断するなッ! 『50口径重機関銃』がお前たちを狙っているぞッ!」
鋭い鋏角を上げ、悠吾の身体を狙うアラクネを見てトラジオが叫ぶ。
悠吾達は単に野生動物狩りをしているわけではなかった。来たる強化フェーズの為の模擬訓練……廃坑「沈んだ繁栄」からラウル市へ脱出するために障害となりうる多脚戦車対策の為の模擬訓練だった。
「こんなの『あの化け物』に比べたらッ!」
アラクネの歩脚に生えた鋭い爪の一撃をスライディングで躱し、小梅のクリスヴェクターがアラクネの歩脚の一本を破壊する。
彼らがひたすら狙っているのは、アラクネの足。
悠吾達はアラクネを多脚戦車と想定して、動きで撹乱しながら装甲が薄く複雑な構造になっている唯一の若点と想定される多脚戦車の脚部を撃ちぬく訓練を行っていた。
「悠吾っ! 後2本!」
「わかったっ!」
悠吾が返事を返す。
だが、足のほとんどを破壊され、身動きが取れなくなっているアラクネだっだが、振り上げた奴の歩脚が悠吾の目に飛び込む。
僕を狙い、振り下ろすつもりだ。
そう判断した悠吾は、アイテムポーチから事前に出していた円形の対戦車地雷「TM-62M」を足元に設置し身を翻す。
事前に確認していた連携。弱点と想定される足を狙い、動きを鈍らせて対戦車地雷で動きを完全に止める。
作戦通りに動く悠吾だったが──
「わっ……ッ!」
足に何かがぶつかった衝撃を感じ、悠吾はつんのめるように地面に転倒してしまった。
朽ちた倒木に足を持って行かれた……ッ!
瞬間的に溢れだした焦りと共に、悠吾は急いで身を起こす。
が──
「悠吾、離れてっ!」
バランスを崩してしまった悠吾をかすめ、設置した対戦車地雷にアラクネの歩脚が振り下ろされる。
まずい。対戦車地雷の爆風範囲は広い。この距離だと悠吾もダメージを食らってしまう。
小梅がそう危惧した次の瞬間、彼女の声を遮るように響き渡ったのは、地面を揺らすほどの轟音だった。
「悠吾ッ!」
爆風に巻き込まれてしまった。
そう感じた小梅が悠吾の元へ走る。だが、アラクネの巨体が小梅の行く手を阻んだ。
「どきなさいよッ!」
そう叫びながらまだ息があるアラクネに向かい、小梅がクリスヴェクターを斉射した。
凄まじい射撃レートで次々と放たれた.45ACP弾がアラクネの胴体を捕らえ、一瞬でアラクネの体力ゲージをゼロにする。
ぐらりと揺れ、青く光る塊のかけらに変わっていくアラクネの横をすり抜け、小梅が悠吾の元へ滑り込んだ。
「悠吾ッ!」
悠吾の姿が見えない。
舞い上がった土砂と木屑が視界を遮り、小梅には悠吾の姿が見えなかった。
だが──
「だ、大丈夫! 大丈夫ですっ!」
砂塵の中をかき分けるようにその姿を探す小梅の目に飛び込んできたのは、舞い上がった土砂の中から這い出てくる悠吾の姿だった。
「悠吾!」
「悠吾、無事かっ!?」
グロッグ26を構え、周囲警戒をしながらトラジオも悠吾の元へ駆けつけた。
泥まみれになって入るものの、特にダメージを受けては居ないようだ。
咄嗟に伏せてダメージを回避したのか。
「大丈夫です、ダメージは受けていません」
ゲホゲホと咳き込みながら悠吾が言う。
「ば、バカッ! 設置したらちゃんと逃げなさいよっ!」
「ご、御免なさい」
死んだかと思ったじゃない!
そう言いながら、本当に心配しているような表情を浮かべる小梅に、悠吾は思わずうろたえてしまった。
いつもなら、このドジとか、ウスノロとか罵倒されてもいいはず。だけど、目の前に居る小梅さんは本気で僕の事を心配してる。
「……ひやりとしたぞ悠吾」
「す、すいません。木が足に絡まって」
トラジオに引き上げられるように悠吾は立ち上がりながらそう漏らした。
これは、完全に僕のミスだ。もっと注意しないといけない。これが脱出当日、あの廃坑内だったら……終わりだ。
「うむ。言わんでも判ると思うが、最後でミスしてしまえばそれまでの努力が全て無駄になってしまう。悠吾だけの話ではなく、皆気を引き締めねば」
「……ですね。すいません」
「いや、謝るな」
とりあえずは、助かって良かった。
厳しいことを口走りながらも、そう言いながらトラジオが悠吾の胸を拳でトンと軽く突いた。
「……良し、戻ってからでもいいが、今のうちに連携の再確認をしておこう。先ほどの教訓も踏まえてだ」
「判りました」
「そうね」
トラジオはそう言って、もう一度廃坑で多脚戦車と遭遇した時のシミュレーションを説明した。
まず、多脚戦車を倒す事は今のこの小隊では無理、と言う前提で話は進む。
「魔術師が居ないということもあるが、あの高レベル機械兵器にダメージを与えるのは生半可な対戦車兵器では無理だ。ゆえに、多脚戦車の周囲に張り付く地人を俺のセントリーで足止めし、悠吾の対戦車地雷とECMグレネードで多脚戦車の動きを止め、切り抜ける」
トラジオの言葉に改めてあの化け物と対峙したあの時の記憶が蘇り、悠吾は身震いした。
またあの化け物を前にすることになるのか。しかも今度逃げるのは出口じゃなく、より深く、地人が犇めく廃坑の奥だ。
「切り抜けた後は小梅を先頭に廃坑の奥まで駆け抜ける。多脚戦車戦でも小梅の遊撃力が頼りだが、その後、奥へ向かう時こそが小梅の出番と言っても過言では無い」
暗闇の中を走る。
その危険から小隊を守るには盗賊のスキル「暗視」が必要不可欠だ。
「頼むぞ小梅」
お前が頼りだ、と投げかけるトラジオだったが、ふと眉をひそませた。
「……おい、小梅」
「え? あっ……」
虚空を見つめたまま立ちすくんでいた小梅がふと慌てて返す。
「大丈夫か、小梅」
「え、あ、うん。平気」
ぽつりと小梅がそう返した。
──小梅さんがおかしい。
明らかに、ひと目で判るくらいに。
以前の「刺」はなりを潜め、おとなしくなった……というか元気が無い。
だが、悠吾にはその原因が解っていた。
小梅に異変が起きたのは一週間前、彼女のトレースギアに届いていた兄からのメッセージを見てからだった。
「兄からメッセージが来たわ!」
メッセージに気がつき、そう叫んだ小梅だったが、その内容を見るなり溢れんばかりだった笑顔が瞬時に消え去った。
小梅のトレースギアに表示されていたメッセージ──
『すまんが助けには行けない。信頼できる仲間を見つけ身を隠せ。1週間後にまた連絡する』
──助けには行けない
このゲームの事を一から教わった兄……いや、これまで現実世界でもべったりだった兄から送られてきたその非情なメッセージに、小梅は失意のどん底に突き落とされていた。
出会った時に小梅さんは自分で言っていた。兄さえ居ればこのプロヴィンスから脱出することは簡単だ、と。そして、兄が必ず自分を助けに来ると信じていたはずだ。
だけど、現実として理由は判らないけど、兄は小梅さんを助けることは出来ないと言った。
危険なこの地に取り残された絶望と、兄に見捨てられてしまった失意。その両方に襲われる事になった小梅さんが元気をなくすのは当たり前といえば当たり前だ。
「……ふむ。とりあえずはベルファストに戻るか」
「そ、そうですね」
いつの間にか日は落ちかけ、木々の隙間から見える空は赤く染まっている。
今から戻れば丁度「若夜」に入る前に村に到着できる位だろう。
「俺は強化と調整に出しているHK416をガンブティックに取りに行く。お前たちは、今日入手した素材の売却を頼む」
「え、あ、はい」
トラジオの言葉に悠吾は思わずドキリとしてしまった。
これまで何度かこの訓練をして素材を手に入れていたが小梅さんと2人でマテリアルブティックに行くなんて無かった。
「悠吾、なんというか……小梅を頼む」
「……はい?」
ボソリととんでもない事を言うトラジオに悠吾は思わず聞き返してしまった。
頼むって、僕に何を頼むつもりですか、トラジオさん。
……というか、ガサツで暴力癖があるとはいえ、女の子と2人きりだなんて、ぼぼぼ、僕には無理ですよ?
「作戦の成功は小梅にかかっているのだ。何かアドバイスしてやれ」
「それは判りますけど……トラジオさんの方が僕よりずっと大人っぽいし適任だと思うのですが」
小梅に聞こえないように慌てて悠吾が返す。
僕よりもトラジオさんの言うことのほうが聞いてるふしがあるし。
だが、トラジオはゆっくりと首を横に振った。
「俺には無理だ」
「ど、どうしてですか」
「うむ、俺はめっぽう女というものが駄目なのだ」
「ンなっ……!」
な、なな、何を言いますか! 貴方は!
トラジオの口から放たれた言葉に悠吾は絶句してしまった。
僕だって苦手ですよ!? とある合コンで一言も言葉を発する事なく終わらせてしまった情けない男を知っていますか!?
はい、僕です!
「なにごちゃごちゃ言ってんのよ。あんた達」
「……っ!」
ぽつりと小梅の声が、悠吾達の会話を遮る。
小さくとも破壊力がある声だ。
「クマジオはガンブティック、あたし達はマテリアルブティックね。ほら行くわよ悠吾」
悠吾達の心配を位にも返さぬ素振りで小梅がゆっくりと歩き始める。
だが、小梅に以前のような小生意気な空気はなく、いつもよりも小さく見える背中だけがそこにはあった。




