第3話 林と熊男 その2
すでに仕留めた、と思われたのか、地面に倒れた悠吾に3人の軍人らしき男達はトドメをさそうとはしなかった。
各々、熊男と対峙するように、道を隔てた逆側に回り、木の影に身を潜ませながら銃のトリガーを引く。
自分を無視してもらえるのは非常にありがたかったが、頭上を行き交う空気を斬り裂く鉛球の甲高い音が、林道に倒れたままの悠吾にはたまったものではなかった。
「生きているか」
そう声をかけたのは、熊男だった。
シューティングポジションを取ったまま、セミオートマティックに切り替えたHK416の引き金を三回撃ち、移動して再度三回撃つ──
自分の位置を相手に特定させないように工夫しながら、いつの間にか熊男は悠吾のすぐ近くまで接近してきたようだった。
うつ伏せのまま、悠吾は視線だけを熊男に送る。
「な、なんとか」
「そこから引きずり出したい所だが、注意をお前に向けるわけにもいかん。俺が注意を引いている内に自力でこちらに来れるか」
自力で、という言葉を聞いて、悠吾は直ぐに返答を返せなかった。
先ほど撃たれた場所の痛みは未だ続いている。それにさっきは手足が痺れてしまっていた。上手く動けるかどうか判らない。
だけど──
「行けます」
本心で言えば、このまま引きずって助けて欲しい。だけど、この状況でそれが難しい事は、素人でも判る。
ズキズキと痛む脇腹が逆に冷静にさせているのか、悠吾はそう答えた。
「よし」
熊男はそう言うと、先ほど悠吾に突きつけたものであろうハンドガンを地面に置くと、そのまま悠吾のすぐ傍らまでそれを滑らせた。
「念のためだ」
「あ、ありがとうございます」
熊男は悠吾の返事を待たず、茂みの中に見を潜ませた。
熊男が渡してくれたハンドガン……小さく、低反動で使いやすい、オーストリア製のグロッグ26。フレームがプラスティックでできている軽量なハンドガンだ。
そのハンドガンをすぐ取らずに悠吾はちらりと熊男と逆側の茂みに視線を送った。
もし、あの3人が僕の事に気がついて、こちらに銃口を向けたのであれば、やられる前に撃って出る必要がある。この距離から、命中させるのは至難の業だけど、威嚇射撃としては十分効果はあるだろう。
その場合、うつ伏せの状態のままだとホルスターに手を回せない。
悠吾は冷静に万が一のシチュエーションを脳内でシミュレートする。
仰向きになり、ホルスターの銃を取り、銃口を向けて撃つ──
間に合わない。
せめて仰向きになると同時に撃たないとこちらが撃ち負けてしまう。
熊男はそれが判っていたから、自分のハンドガンを僕にくれたんだ。
──熊男は100パーセント味方だ。
敵だと思ってごめんなさい。でも熊男という愛称は使わせてもらいます。
心の中で悠吾はすでに姿を消した熊男に謝罪しながら、匍匐前進の要領で茂みの中を目指す。
だが、気付かれないようにナメクジのような動きで進む必要がある。
子供の頃よくやった、「だるまさんがころんだ」のハードコアバージョン。
動いている姿が見つかれば、捕まる所の話じゃない。蜂の巣にされてグッバイこの世だ。
……ああ、心臓に悪い。こんなのもう二度とやりたくない。
「あと少し……だ」
手足に痺れはない。腕時計型ガジェットには未だ、アラートの数値が出たままだ。
時間をかけて、悠吾はやっと林道の際まで辿り着いた。
生きた心地がしない、頭上を弾丸が通過する度に背筋がぞわぞわする。
でも、助かる。
そう思った悠吾が一息に茂みの中に潜ろうとしたその時、事態は最悪の状況へ転んでしまった。
「あの小僧、生きているぞッ!」
向こうから軍人の一人だろうか、低くドスの聞いた恐ろしい声が林の中に響いた。
バレた。最悪だ。撃たれる。いや、でも、たぶん地面にへばりついていれば当たらないかな。
そんな根拠の無い願望に思わずすがりつこうとした悠吾をまたしても熊男が救う。
「小僧! 撃ち返せッ!」
熊男の鼓舞するような力強い声。
力強い、というか、会社でよく僕を怒鳴る上司っぽい感じだ。
条件反射の様にビクついた悠吾は、熊男に渡された目の前のハンドガンを握るとくるりと身を捻り照準を向こう側の茂みの中に向けた。
こちらに銃口を向けているのは一人だけ。木の影から身を乗り出しこちらに照準を合わせている。
背筋が凍った。死ぬほど怖い。先ほど撃たれた箇所が再度疼く。
「うぅうぅぅッ!」
身を捻り、ハンドガンを構えるまで数秒の世界。その間に悠吾は己に言い聞かせるように心の中で呟く。
躊躇するな。やらないとやられてしまう。トリガーを引け。
だが、先に動いたのは向こうだった。
目の前の軍人が構えるライフルの先から一瞬マズルフラッシュが見えた。
撃った。先に撃たれた。
空気を斬り裂く音が次第に近づき──顔のすぐ横の地面に一つ小さな穴が穿たれた。
「このッ……!」
運良く向こうの弾丸は外れた。
それと同時に悠吾はゆっくりと息を吐きながら、ハンドガンのトリガーを引く。
パン──
乾いた音とともにリコイルの衝撃が腕を伝う。
これまで体感したことのない、衝撃。
パン──
もう一度悠吾はトリガーを引いた。同じようにリコイルが伝わるが、一発目程悠吾は驚かなかった。
「……うぐッ!」
距離にして十数メートルほど。その距離で悠吾が放った二発の弾丸はそこに着弾するべきものだと言わんばかりに、一直線、軍人の脳天に命中した。
命中した瞬間、軍人の頭上に赤いゲージが現れる。
そのゲージがわずかに減ったのが悠吾には判った。
「ゲ、ゲージ?」
「何をしている、早く来い!」
脳天に命中した軍人が崩れると同時に熊男の声が響いた。
あの軍人は死んだ……いや、死んでいない。怯んだだけだ。
先ほど、軍人の頭上に表示されたゲージ、あれは多分体力。ハンドガンの弾丸が二発あたって減ったのは僅か。と言うことは、死ぬどころかダメージは与えていないのだろう。
「小僧に弾幕を集中させろッ!」
「ひ、ひえぇええぇッ」
別の軍人が叫ぶと、明らかに悠吾を狙っている弾丸がいくつも地面に穴を穿ち、砂塵を巻き上げる。
当たらない、当たらない。当たらないったら。
そう念仏の様に唱えながら、悠吾は慌てて身を起こすと、背中に軍人達の殺気を感じながら茂みの中に滑り込んだ。
助かった。身体の何処にも弾は当たって無い。
恐怖で足腰に力が入らなず地べたをずるずると這いずりながら、更に茂みの奥に逃げる悠吾は自分の身体を弄りながらそう思った。
と──
「おい。大丈夫か」
「あ、は、ハイ!」
茂みの中に身を屈める人影が悠吾に声をかける。先ほどグロッグを渡してくれた熊男だ。
こちらを見ることなく、なにやらカメラの三脚の様なものを設置している。
「そ、それは?」
三脚と熊男を交互に見ながら悠吾が囁いた。
三脚の上に取り付けられているのは、カメラじゃない。口径が小さい、小型の短機関銃──
「セントリーガンだ」
「セ、セントリーガン!」
おお、これが。
実際にそれを目の当たりにした悠吾は先ほどの恐怖が吹き飛び、おもわず眼の色を輝かせてしまった。
無人砲台とも言われるセントリーガンは、銃座の上に取り付けられた機銃が、赤外線センサーなどで標的を自動的に補足、追尾し射撃を加えるという兵器だ。現実世界ではアメリカ軍が研究開発しているらしいが、FPSゲームではお馴染みとも言えるギミックだ。
「セントリー起動」
『起動を確認。標的へ制圧射撃開始』
熊男が左腕に巻かれた腕時計型ガジェットにささやくと、即座に女性の声が返答を返した。
なるほど、この腕時計はそんな事にも使えるのか。
つい関心してしまった悠吾だったが、そんな彼をよそに、セントリーガンが猛烈な射撃を開始した。
「離れるぞ」
「えっ、でもこれがあれば……」
先ほどのハンドガンであの軍人は怯んだものの、与えたのは多分ハチに刺された程度のダメージしか与えられなかったけど、この兵器があれば3人くらい簡単に制圧できるんじゃないか。
乾いた音を放ち続けるセントリーガンを見ながら、悠吾はそう思った。
「今は大丈夫だが……直ぐに最悪の状況になる」
「直ぐに……?」
「とにかく今は俺についてこい」
何か説得力がある言葉だ。説得力というよりも、そこに見えているのは恐怖と焦り。
熊男の姿はそんな風に見える。
熊男のいうことを無視してさっきはとんでもない目に会った。よくわからないけど、ここは大人しく熊男のいうことを聞いたほうが良い。
そして、熊男が言った意味をすぐに悠吾は理解することになった。
それは彼の背を追いかけ、林の中を突き抜けた時だった。
「うッ……」
突如悠吾の身体を襲った嫌な圧迫感。なんというか、気圧が下がって外気が押しつぶそうとしているような、そんな感覚。
その圧迫感を感じているのは悠吾だけでは無いようだった。
「来るぞ」
身を低く、と熊男がハンドサインを出す。
何が来るんだろう。
だが、熊男の引きつった表情を見て、これから訪れる何かがとんでもない物であるというのは悠吾にも想像できた。
ひときわ、圧迫感が強くなったその時、その「化け物」は突如として現れた。
小さくキラキラと光る四角い塊が幾つも集まり、次第にその形を形成していき──
「あ、あれは……」
転送されてきた。
そんな表現がぴったりと当てはまりそうなそれに悠吾は息を飲んだ。
「Ka-52ホーカム……」
熊男が小さく呟く。
四角い塊が形成したそれは、ロシアの攻撃ヘリコプター「Ka-52ホーカム」だ。
二重反転ローターが特徴的な2人乗りの兵器で、空対空の戦闘にも長け、夜間攻撃にも適応している、ロシア語で「ワニ」の愛称で呼ばれているヘリだ。
その獲物を喰らう顎ともいえる「30mm機関砲」と「80mmロケット」に狙われてしまえば、死体すら残らないだろう。
不気味に空中に浮かぶホーカムが放つローターの爆音が死神の雄叫びの様に悠吾には聞こえた。
「あ、あれはさっきの軍人が?」
「呼び寄せた」
「呼び寄せたって、今キラキラって……」
困惑した悠吾はつい興奮して手振り身振りを加えて声を荒らげた。
目の前に飛んでいるヘリは遠くから飛んできたんじゃない。突然、まるでSF映画かアニメの様に突然目の前に現れたんだ。そんなもの見たことも聞いたこともない。
だが、あの化け物の前で声を立てることがどれだけ危険な事か知っているような素振りで、熊男が咄嗟に悠吾の口を左手で塞いだ。
「声を立てるな」
「ご、ごめんなひゃい……」
「ホーカムに見つかれば、一巻の終わりだ。魔術師でも居れば話は変わるが」
「魔術師?」
何の事なんだろう。でも、何処かで聞いたことがある名前。ええと、確か、ゲームを始める前の設定画面で──
悠吾が考え始めたその時、ゆっくりとホーカムがキャノピーをこちらに向けた。
「……ッ!」
熊男が息を飲んだのが悠吾にもはっきりと判ったその瞬間、熊男が悠吾の頭を地面に押さえつけた。
バレたか。
低い体制のまま最悪のケースを考え、熊男がHK416を構える。
だが、ホーカムはそのまま高度を上げ、先ほどセントリーガンが置かれた場所へゆっくりと移動していく。
先ほどのセントリーガンはこの化け物を引きつけるための物だったのか。
「よし、行くぞ」
「は、はひ……」
生きた心地がしないとは正にこの事だ。
熊男と悠吾は、後ろを振り返ること無く、林を抜け全速力で駆け抜けていく。
途中、また圧迫感が悠吾を襲った。背後からいくつもヘリコプターのロータ音が聞こえて来たが、悠吾達は一心不乱に駆け抜ける。
『セントリーガンが破壊されました』
熊男の腕時計型ガジェットがそう言ったのは、あの林から離れた悠吾が最初に降り立った丘の近くに辿り着いた時だった。
遠くから、ホーカムが放った80mmロケットの音だろうか、いくつも爆音が風に乗って響いてくる。
「助かった……」
悠吾が思わずその場にへたり込んだ。あの時から握ったままのグロッグが手汗まみれになっている。
「これ、有難うございます」
手汗まみれですけど、と付け加え、気まずそうに悠吾がグロッグを返すが、熊男は全く気にしない素振りでそれをホルスターの中に戻す。
改めて見ると、明らかに戦い慣れた猛者、という風貌の人だ。ライフルを構える姿なんて、微塵の隙も感じられない。
「……いい腕だ。あの距離からハンドガンでヘッドショットを狙えるとは」
「あ、いえ。たまたまです」
本当に当たるとは思わなかった。でもまだ腕は錆びついてなさそうで良かった。
すこし熊男の表情が和らいだ気がした。危機を脱したからだろうか。
「色々お聞きしたい事があるのですが……」
その雰囲気に気を良くした悠吾が熊男に問いかけた。
「分かる範囲であれば」
熊男が静かにそう返す。
だが、そう言う熊男に悠吾はまず何を質問すべきか悩んだ。
あの軍人達は何なんでしょうか。あのヘリは何処から現れたんでしょうか。
いや、一番聞きたいのはそこじゃない。
僕が知りたいのは──
「この世界は……あのゲームの中なのでしょうか?」
根本にしてもっとも重要な事。この人はその答えを持っているのかわからないけど、今の僕よりも明らかにこの世界に順応している気がする。
まるで、餌を待つ子犬のような表情で、悠吾は熊男の返事を待った。
「お前は……初心者か?」
「ええっと……はい。そう、だと思います」
「俺もまだこの世界に来て14時間といった所だが……」
そう言って熊男は己を落ち着かせるように、ひとつ深く深呼吸した。
そして、続ける。
「この世界は俺の知る内では間違いなく『戦場のフロンティア』の世界だ」
名前:悠吾
メインクラス:機工士
サブクラス:なし
LV:1
武器:ベレッタM9
パッシブスキル:生成能力Lv1 / 兵器生成時に能力が+5%アップ(エンジニアがメインクラス時のみ発動)
アクティブスキル:兵器生成Lv1 / 素人クラスの兵器が生成可能