第150話 狂気の終焉
「必要な素材は入れといたから」
クラウストを扉へと追い詰め、この世界から追い出すための作戦。
その作戦を実行するために、悠吾の生産が必要だと小梅は言った。
「イレース……グレネード?」
「そ。付与された能力を打ち消す効果があるグレネード。悠吾が前に作ってた回復効果があるスモークグレネードと原理は一緒よ」
耳元でそう囁く小梅。
そして小梅の言う、イレースグレネードを生成するための素材がいつの間にか悠吾のアイテムポーチの中にあった。
「イレースグレネードはステータスアップ能力だけを打ち消す効果があるグレネードなんだ」
「で、でも……一番厄介なのはあの自然治癒能力じゃ?」
あのふざけた治癒能力のお陰で攻撃は全て無効化されている。
打ち消すべきは、ステータスじゃなくてそっちのほうな気がします。
「つべこべ言わない。いつも作戦を考えるのはあんただけど、今回はあたしなんだから」
「小梅さんが作戦……すごく不思議な感じがします」
「……なんか引っかかるけど、まぁ、あんたが言うとおり頭脳戦なんてあたしらしくないのは確かね」
行動してから考える。それがあたしだもんね。
そう言う小梅に、悠吾は弱々しい笑顔を返す。
「でも、今回は……もう僕にこの状況を打開するアイデアはありません。小梅さんに従いますよ」
「あれ、素直じゃない。もっとこーしろあーしろって言うかと思った」
「早く全てを終わらせて帰りたいですから」
そうでしょう?
皆の元に帰って、現実世界に帰る。
「一緒に帰りましょう、小梅さん」
そう言って、いつか小梅がつぶやいた言葉を思い出す悠吾。
あたし達、現実世界に帰れるのかな──
絶対戻れる。
絶対に──
こんな絶体絶命な状況にもかかわらず、小梅の側に居るだけで力が湧いてくる気がする悠吾。
だが、悠吾のその言葉を聞いた小梅は小さく笑顔を覗かせるだけだった。
***
エンチャントガンを使い、プレイヤーを付与する事で得られる効果はいくつかあるという事をクラウストは突き止めていた。
ひとつは、特殊能力が付与されるということだ。「スタミナ無限」や「スキル使用制限時間の解除」、「自然治癒能力の増加」などが存在し、その特殊能力はクラスによって異なるという事が判明した。
ふたつ目は、そのプレイヤーがこれまで得た経験値の一部が入るという事だった。
つまりそれは、プレイヤーを付与する事で、苦労せずレベル上げが出来る事を意味する。
そしてみっつ目は、そのプレイヤーに付与されている称号を得る事が出来るという事だ。移管できる称号に制限はなく、滅亡したノスタルジア王国のプレイヤーを付与した所、復活が不可能になる「亡国者」の称号も付与可能だった。
びりびりと痺れる様な振動がクラウストの身体を襲う。
一瞬身体の自由を奪われてしまったかのような違和感の後、己の身体に起きた異変にクラウストは気がついた。
「……ステータスが……ッ」
消えていた能力──それはエンチャントガンを利用し、不正に得た経験値でレベルアップした能力値だった。
アムリタと悠吾のジャガーノートを凌駕したクラウストの基礎能力。
それがエンチャントガンを使う前の数値に戻っていた。
「なんだそのアイテムはッ!?」
「クラウスト、お前の牙を折る為の道具だッ!!」
勝機と見た悠吾が走り出す。そして悠吾に呼応して、小梅の傍らに居たアムリタも動く。
不味い──
クラウストは咄嗟にそう感じた。
治癒能力が上がったままの状況で、ステータス値が戻ったということは、ダメージを受けることは無いが与える事ができるダメージが減ってしまったという事だ。
つまり、この場から逃げる為に自らを手に掛ける事もできず、奴らを退ける事も難しくなったという事──
「ちっ、近寄るなァッ!!」
接近戦は無理だと判断したクラウストが咄嗟にトレースギアから愛銃である、イズマッシュ・サイガ12ショットガンを取り出し、悠吾達にその銃口を向ける。
ファーストアタックを放ったのはアムリタだった。
咄嗟にクラウストは近づくアムリタに銃口を向けるも彼女の小さい身体を捕らえる事ができず、放った18.1ミリの散弾は幾つもの弾痕を地面に穿つだけだった。
「だーんっ!」
「くっ!!」
アムリタが持つ2本のククリナイフがきらめいた瞬間、ぶわりと白銀の風がクラウストの身体を通り抜けていった。
ふたつの斬撃を躱す為に瞬間的に身を捻るクラウスト。
だが、アムリタの狙いはクラウストの身体ではなかった。
金属がかち合うけたたましい音が響いたと思った次の瞬間、クラウストの両手からイズマッシュ・サイガ12の姿が消えていた。
「いいよっ! オジサンッ!!」
アムリタの狙いはクラウストの武器だった。
反撃の余力を亡くした上で、クラウストを扉の向こうへと追いやる。その手段は1つ──
クラウストの意識がアムリタへと向かった一瞬を狙い、そのか細い首を掴んだのは、闇の中から現れた悠吾の腕だった。
「し、しま……ッ!!」
その手がクラウストの首を締め上げると同時に、悠吾の腕は光の粒を纏い始める。
それは、幾度と無く悠吾を、小梅を救ってきた漆黒の装甲だった。
『転送完了、システムチェック……電磁装甲の起動を確認、システムオールクリア。ジャガーノート、オンライン』
クラウストの目に映るのは、赤く光るジャガーノートの瞳。
離せ、と締め上げる悠吾の腕を引き剥がそうともがくも、ステータスをリセットされたクラウストには不可能だった。
「ここからは僕の時間だ、クラウストッ!!」
「……きッ!!! 貴様ッ!!」
ばしゅん、とジャガーノートの背後に装備されたスラスターが火を吹き上げ、アクチュエータによって増強された悠吾の腕がクラウストの身体を軽々と持ち上げる。
「行って、悠吾ッ!」
小梅の声が放たれたと同時に悠吾が地面を蹴り上げる。
その脚力はクラウストの身体だけではなく、己の身体すら軽々と空中へと放つ。
目指すは奥。この闇の向こうにある、扉──
「小梅さんッ! 扉を……扉を開けて下さいッ!!」
それはマスターキーの称号を得た小梅にしか出来ない最後の1手だった。
そして、開かれた扉の向こうに見える、現実世界の光が、終着点への道標になる。
「ふざけるなッ……! 私がァッ……私が負けるはずは無いッ!!」
耐久度の限界が来ているジャガーノートの装甲がミシミシと悲鳴を上げる。
だが、悠吾は足を止めない。
『ジャガーノートオフラインまで10秒』
ついにダークマーターが尽きるその時のアナウンスを悠吾のトレースギアが放った。
だが、クラウストの背後、暗闇の中に一筋の光が現れる。
「お、思い直せッ! 悠吾! 君にこの世界の半分をやろう。この世界の半分だ……ッ」
引きつった表情でクラウストが懇願する。
それはこの世界に……己の欲望が詰まったこの世界に執着した言葉だった。
「諦めろッ、クラウスト! お前は負けたんだ! 僕と……僕の仲間達にッ!!」
一筋の光が次第に闇の中に広がっていく。
その光は、希望の光。全てを終わらせる光だった。
「やめろォッ!!」
その光の中に悠吾はクラウストの身体をねじ込む。どうやればクラウストはこの世界から消えるのか悠吾には全くわからなかったが、悠吾は全身の力を使い、クラウストの身体を光の中へと押しやった。
キン、と金切り音が空気を揺らす。クラウストの首を掴んでいる右腕の感覚がまるで夢の中に半分入っているかのように、途切れ途切れに無くなっていく。
現実世界。この向こうは本当に現実世界なんだ。
「私は……戻らんッ!」
「……ッ!!」
現実世界に戻るまいとクラウストが最後の抵抗を見せる。
開きかけた扉の縁に指を絡め、この世界にとどまろうと。
まるで息が続かない水中から慌てて飛び出すように。
「小梅さんッ!! 扉を閉じてくださいッ!!!」
それしか無いと悠吾は咄嗟に考えた。ジャガーノートの時間に限界があり、扉の向こうに押しやっただけではダメなら、入り口を閉じるしか方法は無い。
そして、クラウストの首を掴んでいる右腕を更に奥へ、光の先へと突き刺す。
ジャガーノートのアクチュエータが唸り声を上げ、戻ろうとするクラウストを押しとどめる。
間違って倒してしまわないよう注意していた悠吾だったが、もうそう言ってはいられない。悠吾の指が、クラウストの首を次第に絞り上げていく──
「小梅さん、早くッ!!」
「でも、悠吾の腕がッ……! いま閉じたら……ッ!!」
右腕を扉の中に入れたまま、閉じてしまったらどうなるのか小梅にも判らない。
だが、想像することは容易だった。
「早く閉じてッ!!」
「……ッ!」
悠吾の声に身をすくめてしまう小梅。
そして無情にも悠吾のトレースギアがその時を告げた。
『ダークマター残量ゼロ。ジャガーノートオフライン』
そのアナウンスと同時に、悠吾の足先から漆黒の装甲がゆっくりと消え始める。足先から膝、そして腰から胸。
クラウストを押しとどめている右腕にクラウストの肌の感触が産まれた、その時だった。
「悠吾ッ!!」
泣き叫ぶ小梅の声が悠吾の鼓膜を揺らす。
いつか聞いたその悲痛の叫びが悠吾の心を震わす。
──いつだったっけ。小梅さんがそんな声を出したのって。
あの廃坑だったかな? トットラの街だったかな? ノイエさんと再開した時?
そうだ、グレイス達を退けた2回目の廃坑だ。小梅さんのピンチにジャガーノートで駆けつけて。
助けたのにまた叩かれちゃうのかな。
でもまぁ、小梅さんが助かるなら、それでもいいや。
「悠ゥゥゥ吾ォォッ!!!」
ジャガーノートが完全に消え去り、悠吾が生身の姿に戻った次の瞬間、途切れかけていた右手の感覚がふわりと消え去った。
そして、周囲の空気を揺らすような扉が閉じていく音と共に──クラウストの最後の慟哭が、辺りに響き渡った。




