第148話 仲間
ヒトというものはこれほどまでに豹変するものなんだ、と悠吾は思った。
勝者の表情だったクラウストの顔は引きつり、その瞳には暗い影が落ちている。
それほどまでに、ヴェルド共和国と東方諸侯連合国の参戦はクラウストに衝撃を与えていた。
クラウストの耳に届いてくるのは、ヴェルドと国境を接する北部地域と東方諸侯連合と国境を接する東部地域の守備にあたっていたクランからの阿鼻叫喚の声だった。
『東部国境が破られ、現在拠点の2つが陥落しましたッ! 至急増援を要請しますッ!』
『機械兵器を中心としたヴェルドの機甲部隊が南方へ侵攻中です! 至急対戦車部隊をッ!!』
次々とクラウストの鼓膜を揺らす小隊会話。
その報告が届く度にクラウストの表情が強張っていった。
「……あてが外れたようですね」
戦況の情報を知る由もない悠吾だったが、笑顔が消えていくクラウストの姿にルシアナや皆が攻勢に出た事を確信した。
状況は一変したんだ。クラウストが焦る程に。
「僕達を甘く見ましたね。ひとりひとりでは貴方が言う『使えない人間』だったとしても、仲間が居れば……誰かを助けたいと本気で思えば、貴方の野望を打ち砕く剣になる」
「……ッ」
クラウストの表情が怒りに満ちていく。
それは今まで感じたことの無いほどの強烈な怒りだった。
「……小勢の足掻きですよ。この場で君たちを処理して、私が管理者の能力を得さえすれば全ては元の鞘に戻ります」
そして、それを容易く出来るほどの力が私にはありますから。
怪しく光るクラウストの赤く燃え上がった瞳に、再び心臓を掴まれたかのような圧迫感が悠吾を襲う。
しかし、悠吾は怯まなかった。
「それでも僕は足掻いて足掻いて……貴方を止めてみせる」
「……フ」
涼しげに笑みを零すクラウストだったが、内心穏やかではなかった。
クラウストにははっきりと判っていた。ジャガーノートを纏っていても感じる、悠吾の決意に満ちた空気。
悠吾くんは恐怖していない。私の圧倒的な力に対して絶望していない。皆を信じ、そして私を倒せると本気で信じている──
「……どこまでも生意気な男だッ!!」
クラウストの叫び声と共に、辺りの空気が破裂した。
それがクラウストが地面を蹴り上げた音だと気がついたのは、距離を開けていたクラウストの身体が一瞬で目の前に現れた時だった。
「オジサン! 下がって!」
クラウストの背後にかまえていたアムリタの声が響く。
だが、クラウストは既に攻撃態勢に入っていた。距離を開けられないように左手で装甲に覆われた悠吾の右肩を掴むと、小細工は無しだ、と言わんばかりに振り上げた右拳を悠吾の顔面へと放つ。
「くっ!」
押さえつける為に掴んだ右肩の装甲がミシミシと悲鳴を上げているのがはっきりと分かる。
掴むだけでこの力。あの右拳を受けたら終わりだ──
だが、距離を開けようとクラウストの左手を振りほどこうともがくも、細くも鋼の様なその腕は微動だにしない。
「無駄ですよッ!」
「オジサン!」
ククリナイフを構えたアムリタがクラウストの背中に向け跳躍した姿が悠吾の目に映る。
避けるのは無理だ。こうなったら如何にダメージを最小限に抑えるか。
咄嗟に両手で顔面をガードした悠吾。
そして次の瞬間、悠吾の両手を凄まじい衝撃が襲った。
鋭く尖ったその衝撃が悠吾の両手を覆う装甲を容易く貫くと、悠吾の両手を粉砕し遥か後方へとその身体を吹き飛ばす。飛び散ったジャガーノートの装甲が舞い、致命的なダメージを受けた警告アナウンスが放たれる前に壁面にたたきつけられた衝撃に悠吾の肺の中の空気が瞬時に空になった。
「……がッは!」
脳を揺らす振動、背中から胸にかけて駆け抜けた衝撃、そして両手を貫き、顔面を襲った激痛──
まるで全身から力が抜けていくような感覚に陥った悠吾はそのままその場に崩れ落ちてしまった。
「オジサン……ッ!」
「邪魔ですよ」
明らかな致命傷を受けた悠吾に駆け寄るアムリタだったが、彼女の前に悠吾に致命的な一撃を放ったクラウストが立ちはだかる。
「どいてっ!」
クラウストの脇をすり抜けようと身をかがめ、フェイントを入れながら低い体制で駈け出したアムリタだったが、その動きの全てをクラウストは見抜いていた。
右に抜けると思わせ、左へと駆け出すアムリタのフードを背後から力強く握りしめる。まるで背中のフードに巨大な杭を打たれたのかと思ってしまうほど、強靭な力で抑えられたアムリタはその場に制止してしまった。
「あっ……!」
しまった、と目を丸くするアムリタ。だが、既に時は遅かった。
クラウストはアムリタの身体を引き寄せると、そのか細い首を掴み、絞り上げる。付与されたクラウストの腕力がアムリタの首に食い込み、ぎしぎしと異音を放ち始めた。
「どうしました悠吾くん。私を止めるのでは無かったのですか?」
ジャガーノートを纏った悠吾をたった一撃で吹き飛ばし、全てのクラスをマスターしているアムリタを赤子の様に捻り上げながら、クラウストは嘲笑する。
だが、その表情に今までのような余裕は無い。
弱者であろうとも躊躇せずに捻り潰す、猛獣の如き威圧感に満ちあふれていた。
「彼女を離せ……クラウスト……」
地面にうなだれながら身動きが取れない身体を必死に動かし、悠吾がクラウストを睨みつける。
だが、その身体を覆っていたジャガーノートは既に無い。
生身の身体に戻り、致命的なダメージを受けてしまった悠吾に出来る事はそう多く残されていなかった。
「惨めですね悠吾くん。言ったでしょう。私には全てを変える事ができる力があると」
「くっ……」
ずるり、と這いずるようにクラウストの元へと向かう悠吾。
この状態でクラウストの元へ行ったとしても、何か対抗手段が残されているわけではない。だが、悠吾は諦めるわけには行かなかった。
小梅さんを助ける為に──
「そうです、気合を見せて下さい、悠吾くん」
アムリタの首を締めあげたまま、もう少しですよ、とあざ笑うかのように悠吾の元へと歩み寄るクラウスト。
もがく悠吾の姿と、小さなアムリタのうめき声がクラウストの心を満たしていく。
「……フフ、どうですか、これが私の力ですよ。理解できましたか?」
直ぐ側に立つクラウストに一矢報いようと腕を伸ばす悠吾だったが、いとも簡単に払いのけられてしまった。
そして、悔しそうに見上げる悠吾にクラウストは冷ややかな視線を振り下ろす。
「……理解できたか、と聞いている」
「ッ!」
静かに、口調が変わってしまう程の怒りがクラウストの表情から滲みだす。
絶対的な力で支配する強者が放つ、狂気と恐怖。その空気に悠吾の瞳に絶望の二文字がうっすらと浮かんでしまった。
「……よろしい。ようやく君に絶望をプレゼントする事ができましたよ」
にい、と口角を釣り上げ、満面の笑みを浮かべるクラウスト。
そうです、それが見たかったんですよ。ここまで散々私を邪魔してきた君の、その表情が。
「では、終わりにしましょうか」
「……ッ!! やめろ……ッ!!」
クラウストの瞳に殺意がみなぎる。
そしてその殺意に促されるまま、アムリタの首を締める右手に力が篭った──その時だった。
「待って」
ぽつん、と暗闇に小さな声が響き渡った。
小さく、とても弱々しい、女性の声。
「……おや」
自らの背後、そこから現れたその女性にクラウストは驚いた表情を見せた。
暗闇の中から現れたのは、今までに見たこともない落ち着いた表情を携えている小梅だった。
「こ……小梅さん……」
「まさか自分から現れるとは。しかし、探す手間が省けましたよ」
クラウストのその言葉に動じる様子も無く、小梅は波紋1つない水面を思わせる程の落ち着いた表情でクラウストをみやっている。
そして、ゆっくりと小梅は右手を掲げた。
小梅の右手、その指先に持たれたそれ。
黄金色に輝く、一本の銃弾──
「……奇遇ですね。まさに私も貴女にそれを伝えようと思っていた所なんですよ」
悠吾くんの命と引き換えに、モーガンを渡せ、と。
しばしの時間、痛い沈黙が辺りを支配する。時間にして数秒足らずだったが、その沈黙は永遠に続くのではないかと思ってしまうほどの時間だった。
そしてゆっくりと小梅は口を開く。
「……悠吾とアムリタを助けて。あんたが欲しいのはこれでしょ? この弾丸と交換よ」




