第141話 エンチャント
『ニードルパイク?』
『ああ。杭を拘束射出し、爆破させる事ができる接近戦用の武器……らしい』
武器リストの中、ニードルパイクの説明を読み上げるトラジオにノイエも同じく、武器リストからその名前を確認した。
ディスプレイに表示されている武器リストには簡易的な性能が数値として記載されている。有効射程距離と残弾数、そして瞬間火力だ。DPSは「Damage Per Second」の略で、一秒間にどの程度ダメージを与える事が出来るかを数値化したものだ。
あくまで数値的な物で、様々な要因で変動してしまうが、おおよその目安としては活用できるDPSだったが、件のにードルパイクは有効射程距離が「0〜1m」と短いが、DPSはメイン武器であるXM214の10倍以上あった。
『接近戦用、ですか』
『奴は否応なく|近接格闘(CQC)を仕掛けてくる。であるならば、接近戦でダメージを与える以外方法はあるまい』
これまで悠吾が使用していなかったニードルパイクが実際にどの程度破壊力を持っているのか判らないトラジオだったが、今できることはそれしか無かった。
グレイスの自然回復力を凌駕するほどの瞬間ダメージを与える事が出来る武器はこれ意外に無いはず、だが──
『もし奴に効かなかった場合は……素直に謝るぞノイエ』
『……その時は、あの世で冷えたエールでも奢ってもらいますかね』
そう交わした2人の表情がジャガーノートの装甲の裏でふと和らいだ。ノイエにも打てる手はこれ意外に無いと腹を括る。
伸るか反るかの賭けだ。だが、僕達はその賭けに勝つ──
ノイエが心の中でそう自答したのをきっかけに、トラジオとノイエの右手に装着されたXM214が光の泡と消え、それに変わるように手の甲に巨大な杭が姿を現した。
「……ああ? 何だそりゃ?」
「気にするな。お前を倒す為の近距離戦用の武器だ」
涼し気な声でそう言い放ったトラジオの言葉にグレイスの表情が引きつる。
「あ? |近接格闘(CQC)で俺を斃す? ……どんな冗談だそりゃ」
「怖いなら逃げてもいいぞ。僕達は先に進むだけだ」
「……てめぇ」
トラジオに続き、ノイエがグレイスのプライドを刺激する。
それはグレイスをこちらに向ける為の作戦だった。
ニードルパイクを警戒してグレイスに一撃離脱をされれば状況は苦しくなってしまう。グレイスには猪のように真正面から突っ込んできてもらわないと勝機は無い。
「いいぜ、その喧嘩買ってやる。だがな、吠え面掻くなよ、ボケッ!!」
「……ッ!!」
苛立ちの色滲んだ表情で、グレイスが地面を蹴りあげた。
姑息な策を練る事なく、作戦通りにグレイスが正面から向かってきた事にノイエとトラジオは小さくほくそ笑む。
『トラジオさんッ!』
だが、グレイスのそのスピードまでは予測できていなかった。
盗賊のスプリントスキルで加速されたスピードで瞬く間にトラジオ、ノイエとの距離がゼロになる。
『ノイエ! 奴の攻撃は俺が引き受ける!!』
お前は一旦下がれ、とトラジオが身構えた。
元々敵の攻撃を引き受けるのが戦士の役目だ。俺が受け、火力に特化した魔術師が攻撃を仕掛ける。
それはセオリー通りの戦法だった。
「死ねオラァッ!!」
だん、とグレイスは足を踏み込み力を溜めると、えぐり込むようにナイフを逆手に持った右拳をトラジオの腹部から顎にかけて放つ。
その手に持たれたナイフを避けたとしても致命的な威力を持つ拳が襲いかかり、拳を避けようとしてもナイフが襲う。縦に避けても横に避けてもダメージを受けてしまうシンプルにして強力な攻撃──
だが、一見回避が難しく見えるその攻撃に対し、容易いと言わんばかりにトラジオは即座に防御行動に移った。
トラジオは左手首を軽く捻ると、手のひらをグレイスの上腕にあてがうように突き出した。
例え凶悪な破壊力を秘めた攻撃だとしても、その力が最大点に達するのは腕が伸び体重がその拳に乗った時だ。出だしを抑えれば、その攻撃は簡単に止めることが出来る。
そしてトラジオの予想通り、グレイスの拳に体重が乗る前に上腕を抑えられたグレイスの拳が止まった、かに見えたが──
「甘ェぞコラッ!」
「ッ……!?」
グレイスの上腕に触れた次の瞬間、トラジオの左手に凄まじい衝撃が走った。
ジャガーノートの力で強化されたトラジオの左手を何事もなかったかのようにグレイスの突きが弾き飛ばした。
スピードと体重が乗る前であっても、グレイスの突きはジャガーノートの力を凌駕していた──
「ぐぅッ!」
『警告。外骨格耐久度45%。電磁装甲チャージ中。システム再起動まで後30秒。深刻なダメージを受けました』
グレイスの拳はそのまま空気を切り裂き、トラジオの身体を襲った。
びり、と腹部から胸元にかけて痺れるような激痛が走ったと同時に、トレースギアが警告アナウンスを告げる。
斬られた。身体に痛みは無いが、いったいどの程度ダメージを受けたのか。次の攻撃をどう躱す──
まるでダムが決壊するように頭の中に次々と状況が流れてきたトラジオは、一瞬思考が停止してしう。
だがしかし、その思考とは裏腹にトラジオの身体は考える事なく、次の行動に移っていた。
振り上げたグレイスの腕を左手で掴み、その動きを制すると、そのまま捻り上げる。右上を捻り上げられたグレイスは右脇腹に大きい隙が産まれた。
『……ノイエ!』
咄嗟に取ったトラジオの行動は、防御と攻撃を同時に行う行動だった。
ニードルパイクを撃ちこむことが出来る十分な隙──
そして、トラジオの背後で控えていたノイエはトラジオの声が届く前にすでに行動していた。
まるで地面を滑るようにぐるりとグレイスの右側面に回ったノイエは、即座にニードルパイクが装備された右腕をがら空きになったグレイスの脇腹へとあてがう。
「フン、無駄だッつの!」
ノイエの動きにグレイスの表情は微塵も動くことはない。彼にはその攻撃すらも受けきれる自信があった。
それはブーストされた自然治癒能力が産む、絶対的な自信だ。
「……同時だッ! ノイエ!」
2本のニードルパイクでの同時攻撃。
ノイエの視界に、グレイスの左脇腹にニードルパイクを当てているトラジオの姿が映った。
そして次の瞬間──
「……ッ!!」
ずどん、と凄まじい衝撃が辺りの空気を揺らした。
歪んだ空気が土埃を巻き上げ、木々をざわめかせる。
トラジオとノイエ、2人の腕から射出された巨大な杭が両脇からグレイスの身体を貫いた。
「ぐ……あッ!!」
「ノイエ! 爆破しろッ!!」
グレイスの体力ゲージが減ったのがトラジオの目に映った。
この瞬間を逃す訳にはいかない。
自分へのダメージを顧みず、爆破の指示を出すトラジオ。
そして刹那の間を置き、凄まじい爆音が森の中に轟いた。
***
『……耐久力ゼロ。ジャガーノートオフライン』
ノイエが気がついたのは、トレースギアから放たれたそのアナウンスが意識の向こうから届いた時だった。
朦朧とした視界の向こう、木々の隙間から見えるのは琥珀色に染まりつつある空。そしてノイエの耳に残っているのはまるで鐘の中に入っているように響く反響音──
霧が晴れていくように次第に意識がはっきりしていく中、ノイエは自分に身に何が起きたのかが少しづつ理解できた。
至近距離で炸裂させた2つのニードルパイクの衝撃で僕は吹き飛ばされてしまったのか。
「くっ……」
全身に痺れるような感覚を覚えながら、ノイエはゆっくりと立ち上がった。
未だ痺れた様な感覚があるが、ダメージは軽微だ。爆破のダメージを全てジャガーノートが受けてくれた。耐久力はほぼ満タンだったから、一撃で全ての耐久力が失われた事になる。
『トラジオさん……』
小隊会話でトラジオの安否を確認するノイエ。だが、返事は無い。
ノイエはアイテムポーチから愛銃である軽機関銃M249 SPWを取り出すと、トラジオの姿を探してふらふらと歩き始めた。
ノイエが居た場所は、グレイスと対峙した場所から数メートル離れた茂みの中だった。
茂みの向こうに見えるのは、ニードルパイクの爆発の凄まじさを物語っている小さなクレーター。
そして、周囲の木々が吹き飛び、地面に穿たれた穴のすぐ側に倒れこんでいる見慣れたプレイヤーの姿があった。
「……トラジオさんっ!」
ノイエと同じく、生身に戻っているトラジオの姿がそこにはあった。
周囲に銃口を向け、クリアリングを行いながらトラジオの元へと駆け寄るノイエ。
倒れているのはトラジオだけでグレイスの姿は何処にも無い。
「まずいな」
うつ伏せに倒れていたトラジオの身体を抱き起こした瞬間、ノイエは息を呑んでしまった。
右腕から胸元にかけて戦闘服が大きく焦げ、どす黒く変色しているトラジオの腕がノイエの瞳に映る。
自然治癒が始まっているものの、体力を酷く失っている。やはりジャガーノートにダメージを受けていた分、トラジオさんの体力は大きく削られてしまっていた。
その体力を確認して直ぐにノイエはアイテムポーチからキュアレーションを取り出し、口の中へと流し込んだ。
「うっ……」
現れた光の泡がトラジオの身体に吸収され、頭上に表示された体力が3分の1ほど復活すると同時に、トラジオの口から漏れだしたうめき声にノイエは小さく安堵した。
致命傷を受けてはいたけど、体力がゼロにならなくて本当に良かった。
「トラジオさん、立てますか?」
「う……むぅ……」
体力が多少回復したとはいえ、意識はまだ朦朧としたままなのかノイエの肩を借りてやっと身体を起こすトラジオ。
「ノイエ……? 状況は……」
「僕もトラジオさんもニードルパイクの巻き添えを喰らったようです」
そしてトラジオさんは致命傷を。
その言葉に黒ずんだ右腕に視線を落とすトラジオ。体力は回復しつつあるが、右腕はまだ動かない。
だが、トラジオは直ぐ様別の問題へと思考を巡らせた。あの男の行方だ。
「奴は……グレイスは……?」
「判りません。残っていたのはトラジオさんだけでした」
この場所に居たのはトラジオだけだった。ノイエの想定通りグレイスの自然治癒能力をダメージが上まり、グレイスはマイハウスに復活した可能性は高い。
どこにも見当たらないグレイスの姿がその証拠になるのではないか。
ノイエはそう続けた。
「ということは、奴を退ける事が出来たというわけだな」
「推測するに」
「お前の予想は的中したな」
この情報は大きいぞ。
トラジオはそう言う。
奴らに有効的な攻撃手段は、対戦車兵器などの瞬間火力が高い武器だ。ノーゲンベルグでルシアナ達を襲い、ブロッサムの街で悠吾達を襲った黒服のプレイヤー達の対処方法が判った事は大きい。
直ぐにでもルシアナと小梅を追う悠吾にこの事を伝える必要がある、とトラジオがトレースギアからメッセージを送信しようとしたその時だった。
「……もう許さねぇ」
「……ッ!!」
トラジオとノイエの背後、悠吾が消えた方向の茂みから低く、そして怒りに満ちた声が放たれた。
その声にふたりは咄嗟に身構える。
「お前……」
動かない右手ではなく、左手でHK416を構えながらトラジオはその男を睨みつけた。
そこに立っていたのは黒い戦闘服が完全に吹き飛び、ボロボロのズボンだけの姿になったグレイスだった。
「流石にぶっ飛ぶかと思ったぜ。だが逆にてめぇの首を締める事ンなったな」
ジャガーノートを失ったお前らに勝てる可能性は無ぇ。
余裕の表情を浮かべ、そう吐き捨てるグレイス。
だが、絶体絶命の状況のはずのトラジオとノイエに焦りの色は無かった。2人は直ぐにグレイスの身に起きていたある「異変」に気がついたからだ。
『トラジオさん、奴の体力ゲージ……』
『ああ、判っている』
グレイスの身に起きていた異変。それはグレイスの頭上に表示されている体力ゲージだった。
これまで、どうやっても減らすことができなかった体力ゲージは半分ほど失われていた。そして、グレイスの体力ゲージは減ったまま、回復してはいなかった。
それはつまり、グレイスの身体から超自然治癒能力が消えているいうことを意味していた。
「な、何だ……」
グレイス自身もその異変に気がついた。
まるで風船から空気が抜けていくかのように、自分の身体から力が抜けていく感覚がグレイス自身にあった。そしてその力が抜け落ちていくと同時に、グレイスの両目を赤く染め上げていた狂気が霧散していくように姿を消していく。
「何だっつーんだッ!? これはッ!?」
「お前のその力の正体が何となくわかったぞ。それは……付与か」
「……ッ!!」
慌てふためくグレイスを見据えたまま、トラジオがぽつりと囁く。
悠吾が作ったエンチャントガン。俺も助けられたあのアイテムが与えるのは能力強化、付与効果だった。だが、あの効果は一時的なものだった。一体何を付与したのかは判らんが、その効果が今切れたということか。
「レベルとステータスはそのままだけど……あの異様な力は無くなった?」
「察するに、な」
グレイスの表情にはじめて恐怖の色が滲んだ。
「……効果が切れるなんて聞いてねぇぞ。プレイヤーを付与したら、その効果は永続的に続くんじゃねぇのかよ……ッ!」
「プレイヤーを……付与?」
「……なんて事を」
思わず漏れだしたグレイスの言葉にトラジオとノイエは驚きを隠せない。
今確かにグレイスは「プレイヤーを付与」と言った。悠吾が考案した食事能力を付与するのではなく……どうやったかは判らんが、奴らはプレイヤーを使い、その能力を付与していたという事か。
「狂気の沙汰だな」
「……ふざけんな。付与効果が無くても……満身創痍のてめぇらをぶっ殺すなんてワケ無ェぞ」
「だったら……」
ちらりと視線をトラジオへと送るノイエ。
ノイエが何を言いたいのか、トラジオには直ぐに理解できた。
「……試してみれば判るというわけだな」
「……ッ!!」
グレイスの顔から、さあ、と血の気が引いていく。
グレイス自身もその事は理解していた。自然治癒能力をブーストした付与効果が無くなってしまえば、いくら高レベルであっても弾丸のダメージをゼロにすることは出来ない──
「やっ、やめろッ!!」
グレイスは思わず叫んでいた。
そして踵を返し、主であるクラウストの元へと遁走を始める。そこに先ほどまでの自信に満ちた「強者」の姿は無く、恐怖に支配された「弱者」そのものの姿だった。
「背後から撃つのは心苦しいが」
「情けはいらないですね」
グレイスの叫び声をかき消すように、2つの射撃音が森の中を駆け抜けた。
ノイエのM249 SPWとトラジオのHK416の銃口から放たれた同じ5.56mmの弾丸は、逃げ出したグレイスの背後から襲いかかると──瞬時にその体力の全てを奪い尽くした。




